彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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最凶の切り札

「楠木君! あれは一体何なんだ!!」

場所は変わって、そこは東京から電車で数時間の山奥。

具体的には山梨の富士に構えられたそこは、リコリスの元締めであるDAの本拠地だ。

そこの司令室で、聞き慣れない年老いた男の罵声が響き渡る。後れて、DAの職員と黒服を来た男性陣の肩がわずかに竦む。

男の名は虎杖。

リリベルを統括している男だった。

「はて、私にはさっぱりですね」

罵声を向けられている楠木は、涼しい顔で受け流した。

「彼はただの一般人では無いですか? なんらかの理由で延空木のテロに巻き込まれたとか」

「リリベルを圧倒している人間を一般人と呼べるか!!」

彼の専属医に口を酸っぱく云われている高血圧を悪化させている理由は明白だ。

延空木に突入したリリベル隊が何者かの襲撃を受け壊滅状態に陥り、撤退を余儀なくされた。

それも、たった1人によって。

「それに、ネット上、各メディアへの偽装も根回しも終わりました。これ以上の詮索は無意味かと」

「ふざけるな! あの男の素性を教えろ!今すぐにだ!」

「おや? 何故ですか?」

「決まっている! あの男を生かしておけん!!」

虎杖が毎朝入念にセットしている上唇につり上がった髭が歪む。

それは彼が苛立っている証拠でもあった。

「リコリスを守っているということは貴様らとの接点があるはずだ! 答えろ!!」

「さぁ、私は存じ上げませんね」

それに、と楠木は続けた。

「どのような謂われで彼を殺すのでしょうか?」

「決まっているだろう!!」

その問いに喰い気味に虎杖が叫ぶ。

まるで、その質問自体が気に食わないと云わんばかりに。

だが、楠木はその反応すら予測していたのか眉一つ動かさない。

「おかしいですね。もうすでに真島の事件は興業というものとなっているはずです。つまり、彼の行いもただのフィクションということになります」

死んだという情報が入ったはずである謎のハッカー、『ウォールナット』によって、今回の真島が企てた延空木占拠及び、リコリスの存在の公開という事件は、そう塗り替えられた。

犯罪など無かったことにされたのだ。

「だとすると、何も無かったということになりますが? 彼はただの一般人で善意の協力者。なんの罪も犯してはおりません」

「詭弁はいい!! あの男を看過できるわけがない!!」

虎杖が次の罵声を口にする前に、楠木は被せるように「まさか」と重ねた。

「まさか、国の平和を秘密裏に守っている組織が、面子を潰されただなんて理由でなんの罪も無い人間を殺すのですか?」

 

それは奇しくも、楠木が、彼、織田作之助と初対面したときに言い負かされた言葉だった。

その問いに、虎杖は何も返せない。返すことが出来ない。

面子を重視するマフィアなどのような非合法組織と同等に堕ちることなど、彼のプライドが許さなかったからだ。

「もういい!!」

結局、折れたのは虎杖の方だった。

吐き捨てるように告げると、踵を返し司令室を出て行く。

それを見届けた後、楠木は大きくため息をついた。

「あの男、凄まじい力ですね」

ずっと彼女の後ろに背筋を伸ばして立っていた秘書が織田作之助について感想を述べる。

その言葉に、楠木は同意するように大きく首を縦に振った。

「あの時も、本気すら出していなかったと思うと末恐ろしいよ」

織田が楠木の招集でDA本部に赴いたとき、若し彼が何か血迷うことがあれば、自身の命などとうに尽きていただろうと彼女は確信している。

それ程までに、彼の強さは異常だった。

錦木千束と同等、いやそれを遙かに凌駕すると言っても過言では無い。彼が千束に逆らえない立場にいると云うことが、唯一の救いと云えよう。

だが同時に、楠木の脳裏にはある不安が過ぎる。

それは、先日DA本部に栄転したのに、不服な態度を崩さなかったたきなの言葉だ。

彼女はある男について話していた。

ジイドという男について。

彼は先ほどリリベル達を軽くあしらった織田と同じだと云った。そして、リコリスでは歯が立たない。全員殺されるだけだ。作戦なんて無意味だと。

いくら云われようとも、この国のテロリストや凶悪犯を秘密裏の処分してきたリコリスを統括す者として、そのようなことは断じて認められなかった。

だが、こうして織田の実力の片鱗を目の当たりにすると、彼女の言葉がただの妄言などでは無いと確信へと変わる。

未だ、真島とジイドの姿は確認できていない。

今の状況ではフキ達アルファチームを撤退させざるを得ないが、彼らを野放しにすれば今後どのような被害が出るか。

考えたくないが、後々対処することの方がリコリスを率いている楠木達の本業だと言うのが頭が痛い。

自宅で休むことが出来るのは云った何日後になるやら。

「こんなことになるなら、作之助には最初から善意の協力者として受け入れておけばよかったな」

「そうすれば司令もあんな事云わずに――いえ何でも無いです」

 

楠木は背後にいた秘書の顔をキッと睨む。

だが、どこからか、『二度目はなくってよ』と呟く声が司令室に零れた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「二度目はなくってよ!!」

「あっはははははは!! フキヤバいってそれ!!」

 

 

空が熟れた柿のように真っ赤に染まる頃、茜色に照らされた延空木の通路に千束の大げさな笑い声が響いた。

 

「ったく、なんでこんな時に司令の物まねしなくちゃいけないんだよ」

「いやフキ、再現度ヤバいって! マジでそんな感じだった!!」

「さっきのお返しです」

「たきな! テメェのアレは自業自得だろうが!!」

肩を震わせながら腹を抱える千束にフキと呼ばれた少女はため息をつく。

背後には腹を抱えつつも笑いを必死に堪えているアルファチームの面々が数歩後れてついてきている。

現在、延空木のテロ事件からリリベルの襲撃を乗り越えて、ようやく撤退命令がでた彼女達はようやく帰路につくことが出来たのだ。

「店にいたちっせぇ奴か?」

「そう。めんどくさいから楠木さんには黙っててねー」

「あっ!じゃあなかったことになるんすか!?よかった~。あっしの出世に関わりますから」

女子の話の切り替わりは早い物で、今は世間に公開されてしまったリコリスの存在を誤魔化したハッカー、ウォールナットことクルミの話題に切り替わる。

クルミは4月に行われた真島の銃取引事件でDAが所有するAI、ラジアータをハッキングして任務を妨害したとして命を狙われていた。

それをなんの因果かDAの支部である喫茶リコリコに匿われたのだ。

現場にいたフキ達には説明する必要がある。

流石に、今回の件でツケは払ったため先の罪は不問としても良い気がするが、そうは問屋が卸さないのが楠木という人間だ。

現に、織田も一時は命を狙われていたのだ。

その結果、フキの物まねにまで繋がるというのは、風が吹けば桶屋が儲かるというにはいささか話が飛躍しすぎでは無いかとも千束は思うが、面白いからいいかとも思うのだった。

「ねぇエリカ」

千束とフキが痴話げんかをしている中、数歩後方にいたたきなは隣を歩くエリカに声をかけた。

元々声を出したりするのが苦手なエリカは、目配せで彼女の顔見ると、「ありがとう」と告げられた。

「あの時」と、たきなは続ける。

それが、昼間にエリカがたきなが土壇場で任務から外れることを勧めたことだと僅かに後れて理解する。

あの時、たきなに織田を助けに行くべきだと進言されたこと。

走るたきなの背中を、押してくれたこと。

あの時、エリカがたきなにあの言葉をかけてくなければ、彼はきっと吉松を殺していただろう。

たきなは、そんな彼を止めることは、できなかっだろう。

と、同時に得も言われない恥ずかしさがエリカの胸中を支配した。

「そんな…私こそありがとう言わなきゃいけなかった…なのに…」

 

「代わりにあんたが追い出されたおかげでまだやれるんですよーこいつ。礼ぐらいちゃんと言えよー」

それこそなんのことだとたきなは首を傾げるが、後に続いたサクラの言葉で真意に気付く。

そもそも、たきなが喫茶リコリコに左遷された原因は、エリカが人質に取られたことが発端だ。

もっとも、彼女自身、もうすでにそんな事実など忘れているという風貌で、「ああ…そういうことですか」とどこか他人事のように呟いた。

「司令にちゃんと話すべきだった」

「確かに、酷い奴だ」

たきなが悪戯めいた笑みでそう零すと、エリカの「え~!」という声が通路に響く。

「そうだけど……そうなんだけど!!」

もはやたきなが左遷になってから口癖になっているその言葉と共に、3人の笑い声が延空木に響いた。

「自覚の足りん奴ばっかりだ」

数歩前で彼女達の喧噪を聞き流していたファーストであるフキは愚痴のように零す。後々、自身に変わってファーストの制服に袖を通す彼女達がこの体たらくで大丈夫なのかと本心で心配になる。

今回の事件だって、一歩間違えれば死んでも可笑しくなかった。

今後も起こりうる事故、肝に銘じてほしいものだが、今のフキに説法など出来るわけが無かった。

「お店のユニフォームは何色がいい?」

またフキにとっての頭痛の種が声をかけてきた。千束だ。

「あ?」と、一体何のことだと顔をしかめると彼女は続けた。

「今回は~フキも待機命令を破ったのでリコリコ送りの可能性も~」

「チッ!ったくバカなこと言うなー」

だが、フキの突っ込みは千束の次の言葉で止まることになる。

「ま、私の使ってくれればいいけど」

その意味を、フキが知らないわけが無かった。

千束とは幼い頃から、DAに拾われて一日ほどしか差がないフキにとって、その言葉の意味がどういう意味か、理解していたからだ。

「…お前」

それはつまり千束の心臓が、もうさほど時間が無いことを意味していたのだから。

だが、フキがその先の問いを口にすることはなかった。

「あー!!」

という声が、隣にいたフキの鼓膜を激しく痛めつけた。声の主は云うまでも無い。千束だ。

ささやき声すら聞こえる声で叫ばれたのだから耳を塞いで蹴り飛ばしたくなる衝動を抑えて、なんなんだこいつはとばかりにフキは視線を向ける。

「テメェはさっきから騒がしいんだよ!!ちっせぇガキか!?」

「だって!! 先生に迎えに来てって連絡しようと思ったのに!」

 

スマホ落とした!!

と、目に溢れんばかりの涙を蓄えながら千束は叫んだ。

それを、フキは冷めた目で見つめる。

いや、フキだけではない。

後ろの2人も似たような目をしている。だが、たきなだけは若干心配するような目で千束を見ていた。

「あ゛~だ~ぎ~な゛~ど~じよ゛~」

泣きながら抱きつく千束に、「どこで落としたか覚えてます?」と冷静に尋ねるたきな。

わかんないとしか答えられないのがまた千束らしいが、フキは余計にため息を深くした。

このチャランポランが自身と同じファーストで、なんなら自身よりも先に任命されたのが世も末だ。

これに関しては流石に楠木にも異を唱えたいものだ。

「確か、旧電波塔に行く前は持ってましたよね?」

「うん。でもそっからどうしたか覚えてない」

フキには分からない話だが、千束にとってあのスマホは大切な思い出が詰まった宝箱だ。

店で過ごした仲間との日々、意外な一面を見せてくれたたきなやクルミの写真、そして、千束とたきな、織田と撮った一枚が記録されている。

一時は投げ捨てようとしたが、思いとどまり泣きながら抱きしめた代物が、よりによって今この瞬間、彼女の手から離れたのだ。

「あれが無きゃ生きていけないよぉ」

「大げさだな」

「じゃあアンタは大事なもの失くして平気なわけ?! ねぇフキ!!」

「あーはいはいわかった」

「千束、大丈夫です。バックアップは取ってあります。あの写真もありますよ」

フキは適当にあしらっていたが、たきなは花色の瞳を真剣に見据えていた。

その言葉に千束の顔がぱっと明るくなる。

「あーよかったー! たきな愛してる-!!」

そう言ってまたたきなに抱きついた。

たきなも満更でもない表情を浮かべている。

そんな光景にフキは舌打ちを一つ。だが、内心では安堵していた。

彼女が知る限り、指折りの問題児同士が仲良くなったのは喜ばしいことなのだ。

千束もたきなも、背中を預けてきた数少ない仲間の1人なのだから。

もっとも、それを口にすることは、フキの性格上出来なかった。

「エレベーターが来ますよー」

泣き叫んでいたと思えば今は百貨店の店員のように手を振っている。

その変わり身の早さにフキは苦笑するしかなかった。

到着したエレベーターに各々が乗り込むのを確認すると、「下へ参ります」と妙に艶のある声がフキの勘に少しだけ触る。

千束が押したボタンに反応して、ゆっくりとドアが閉じ始める。

「ん?」

動きが二つあった。

閉じ切る二つの板の隙間から何かが床に落ちるのが見えた。同時に千束がそれに反応してドアに手を入れてエレベーターを止めた。

扉は人を感知した安全装置が機能したため再び開くと同時に千束は声を上げた。

「あー! 私のスマホー!」

カタリと爆発の煤や銃痕が広がっている床に落ちた薄い端末を発見した千束は、そのままエレベーターから降りてその場へ向かい出す。

後ろにいたたきなもこんな時にと云った不満を吐露する息が漏れるが、彼女には聞こえない。

「おーい千束ー」

「あーよかった。たきな、スマホあったよ」

千束が言い終わる前に、彼女達に視界にあるものが現れた。

彼女達の瞳に映ったのは黒いコート。次に下に着込んだ派手はアロハシャツ。手入れがされていないボサボサの緑色の頭髪。

そして、右手に握られた機関銃だった。

それはフキ達がいる、エレベーターの中に向けられていた。

「!」

咄嗟にフキは背中に背負っていた戦術式鞄に内蔵された防弾性エアバッグを展開した。

それと同時、マシンガンの引き金が引かれた。

轟音と共に放たれた弾丸は、エレベーターの天井、壁、床を容易く破壊し、破片をまき散らす。

フキの展開したエアバッグはかろうじて防いだものの、フキの背後からわずかにうめく声が聞こえた。

銃弾はエレベーターが完全に閉まるまで続いた。

「千束!!」

銃声が止んでからようやく事態を察知したたきなは動き出す。だが、もうすでにエレベーターのドアは閉まりきり、降下を始めていた。

「千束ー!!」

上昇のボタンを連打する音と、たきなの叫び声だけが延空木の一等地、第二展望台に響き渡っていた。

そして、2人だけが残された。

スマホを取りに降りた千束。

加えてもう1人。

事の始まりは4月の銃取引。

そこから、8月のリコリス襲撃事件。

9月の警察書襲撃事件。

そして、今起きている延空木テロを企てていた、アラン機関の吉松シンジにつぐ、この事件の黒幕である。

真島だった。

「よう」とまるでデートの待ち合わせのような気軽さで千束を一瞥しながら、真島は声をかける。

「よっ」

と、千束もまた、後れてやってきた連れのように、挨拶を交わすのだった。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

延空木のような施設に限らず、大勢の人が行き来する場所には必ず非常階段という物がある。

それは本来ならば不慮の事故に対して、緊急脱出を本来の用途としているが、今回は別の要因で使われていた。

エレベーターのハッチを開けてすぐの場所にあった梯子をたきなは上っていた。

リコリスとしての訓練で鍛えられた彼女にとっては息が荒れることすらないはずだが、今の彼女はその限りでは無かった。

たきなの脳裏に、先ほどエレベーター内で起きた会話が反芻される。

 

――駄目だ!命令だ!

 

――以前と同じく私の独断ということで。

 

――なら私も行く!

 

――駄目だ! 現場リーダーは私だ…。

 

 

それは、真島の奇襲により負傷してしまったサクラの命に関わることだった。

真島の機関銃に対して、フキのエアバックは効果的だった。

しかし、完全に防げたわけでは無く、背後にいたサクラの腹部に弾丸が刺さってしまったのだ。

それも出血が酷い。

一刻も早く輸血をして正しい治療をしなければ死は免れない。

極めつけに延空木の主電源が何者かにカットされたのだ。

予備電源に切りわかりすぐにエレベーターは作動する。だが、上昇して真島を討つか、降下してサクラを救うかで意見が分れたのだ。

 

――だからあなたにお願いしています。

 

だが、たきなは迷うことは無かった。

冷静に、合理的に、何が効率的かを正確に測れる彼女は続けた。

 

――今千束を救えるのは私でサクラを救えるのは貴女です。私達で決めましょう。

 

自分で決めること。

それは、たきなに手を差し伸べてくれた人達が教えてくれた最強の必殺技。

彼が教えてくれた、たきなに眠る異能力よりも優れた力。

そうして、彼女は、エレベーターから飛び出して行った。

それから、たきなはひたすら梯子をかけ登った。

途中、何度も足を滑らせそうになったが、それでも必死に登りきった。

エレベーターはすでに第一展望台より下に降下していた。

ここからは施設内を経由して、非常階段に繋がる踊り場を出て第二展望台に向かうことになる。

戦闘の痕跡が全くなかった第一展望台は、そこだけは綺麗なままだった。

たきながいたアルファチームは1度そこで真島を待ち受けていたが、空振りに終わったのだ。

証明が消え、予備の非常灯だけが通路を照らしている通路をたきなは走る。

だが、彼女のスカートの中から音が聞こえた。

それはスマホの着信音だった。

走りながらたきなは通話に出る。すると、さきほど聞いた声があてがわれた耳から聞こえた。

「たきな! 何が起きてる!?」

「フキさん? サクラはどうなりました?」

「サクラは救護班が保護した。輸血はもう始めてる。でもそれどころじゃない!!」

フキの声は焦燥感を帯びていた。

尋常ならざる様子を感じ取ったたきなは足を止めること無くフキの言葉を聞く。

「何があったんですか?」

「今、司令から、撤退していたはずのリリベル達の通信が途絶えたって」

「え?」

「たきな! お前、あの男が何かしたんじゃ無いのか!?」

「そんなことするはずない!!」

フキの話が真実ならば、状況からしてリリベル達は何者かに殺されたことになる。

だが、フキが口にした可能性は絶対にないと断言できるたきなは荒げた声で反論する。

だが、「じゃあ他に誰がいる!?」というフキの声が遮った。

「リリベルをこんな短時間で皆殺しに出来る奴が、もう1人いてたまるかよ!!」

その言葉に、たきなは息を飲んだ。

フキの云った言葉が、紛れもない真実であることを彼女は知っていたからだ。

そして、もしそれがそうだとすれば。

「ん? おいたきな、また司令からの通信だ! 生きてるリリベルが1人だけいた。ソイツが誰にやられたかわかったらしい!」

「あの…それって」

聞くまでも無い。

彼と同じ事ができる人間を、たきなは知っている。

たきなもまた、彼の恐ろしさの片鱗を味わった人間なのだから。

だが、無情にもフキの言葉がたきなの脳裏に浮かぶ最悪の状況を確信へと変えてしまう。

「灰色の襤褸を被った、古い拳銃を持っていたらしい。おいたきな、これもしかして――」

そこで通話が途絶えた。

理由は何故か。

たきなの手にしていた携帯電話が爆ぜたからだ。

咄嗟に首を捻ったが、頬にかすかに痛みが走る。生暖かい感覚が顔に伝い、顎にまで届く。

血だと確認しなくても分かる。

なにによって、彼女の果実のようにみずみずしく、千束がよく頬ずりをしていた柔肌に傷をつけたのかも。

一発の、弾丸だ。

そして、その幽霊は現れた。

コツリ、コツリ、と足音と共に。

絶望を運ぶように、灰色の幽霊は通路の影から現れた。

灰色の襤褸。

下には軍服。

銀灰色の長い頭髪を、後ろにまとめて肩にかけてある。

右手には、古い拳銃が握られている。

そして、ひび割れた赤い瞳が、たきなの花色の瞳孔に写った。

 

「……っ」

 

たきなは声すら上げられない。

目の前に現れた男が、その様相を鮮血に染め上げていたからでは無い。

この男という存在そのものに、絶大な恐怖を抱いていたからだ。

 

「ここに来たのは貴女だけか。まぁ良いだろう。予定通りだ」

 

零すように呟いた男の名は、ジイド。

たきなが慕っている仲間である彼が、命を賭して戦い、差し違えることしか出来なかった男。

軍人としての死に場所を、兵士として死ぬための戦場を求め、彷徨い、流浪し、災厄を振りまいてきた国を持たぬ軍隊、ミミックの長。

そして、今は真島の軍門に降り、このテロに荷担している男だ。

 

(このタイミングで……)

 

実に最適な、そして最悪なタイミングだった。

真島による対リコリスの切り札は、もうすでに十全な機能を果たしている。

リコリスという、犯罪者が犯罪を犯す前に秘密裏に抹殺しているという事実が少なくとも1度は露見した。

真島の狙いがこれだとするならば、わざわざ彼を使ってリコリスと全面戦争をする必要すら無い。

だからこそ、温存していたのだ。

千束と真島が孤立し、誰も邪魔立てさせないようにするための切り札として。

この最終局面で、最凶のワイルドカードを真島は切ってきた。

 

「全く、真島も人使いが荒いな。乃公をこのような足止めに使うとは。だがまぁ、もしあの少女が真島を殺しうるならば、その弾丸は乃公に届きうるだろう」

ジイドはたきなに目もくれにずに、誰にも話していないように人で話し出す。

だが、とひび割れた赤い瞳が、たきなを捉えた。

「貴女には感謝している。貴女を殺せば、あの少女はきっと仇を討つために乃公に銃を向けるだろう」

そう言って、ジイドの口角が歪む。それは、まるで子供が玩具を見つけたような笑みだった。

そして、彼は手に持っていた拳銃を構え、たきなに照準を合わせた。

その動作に、たきなは思わず身構える。

だが、彼女は動けなかった。

勝てるわけが無い。

僅かに動いただけで、すでにたきなの眉間には穴が空いているはずだから。

ジイドはより歪んだ笑みを深めながらたきなを見据えた。

「それとも、貴女こそが、我が魂を原罪から開放してくれるのかな?」

「俺を忘れるなんて酷いじゃ無いか。ジイド、手を上げろ」

 

突如聞こえたその声に、たきなも、ジイドすらも身体が固まる。

それはいた。

ジイドの背後に、銃を構えていた。

赤銅色の頭髪。

ベージュの外套。

澄んだ晴天のような青い瞳が、ジイドに銃を突きつけいた。

「何…?」

「警告だ、ジイド。少しでも動けば撃つ」

 

彼の言葉に、ジイドは僅かに身を強ばらせた。

だが、その緊張はすぐに緩む。

そして、ため息を一つついた。

それは、まるで大人が子供のしょうも無い悪戯に引っかかってしまい、呆れて零れたような仕草だった。

「……冗談はよしてくれサクノスケ。貴君が撃つ前に警告などするわけが無い」

 

 

「わかってるじゃないか」

 

 

銃声が響いた。

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