銃声が響いた。
私の愛銃の口から、残った硝煙が吹き出る。
僅かなうめき声と共に蹌踉めくジイドは、身体を半回転させて右手に添えられた灰色の幽霊を突きつけてくる。しかし、引き金を引く前に再びジイドは蹈鞴を踏んだ。
左手に握られていた千束の銃から放たれた弾丸が、彼の肩と胸に当たったからだ。
ジイドの胸に赤い粉塵が舞う。
それは、千束が私に託してくれた非殺傷弾。
反撃など許すはずも無い私はそのまま懐に潜り込む。ジイドにも見えていたのか、右手の銃は手の甲で弾かれ壁に向き、左手の銃は身体を翻すことにより空を切る。
そして、ジイドの拳銃が火を噴いた。
鼻も摘まめるほどの至近距離から放たれた弾丸だが首を捻って躱す。耳元を掠めていく風切り音を感じつつ、私は再び両手の銃を突きつける。
ジイドは自由な左手で私の右手首を掴み、銃を握られている腕を私の左腕を押さえた。
組み合いになり、お互いの顔が近づく。
ひび割れた赤い瞳には、私の顔が写っていた。
ジイドは笑う。
かつて、あの洋館の舞踏室で見せたあの笑みだ。
「たきな! 行け!」
私はジイドの背中越しにいる彼女の名を叫ぶ。
花色の瞳が僅かに動くと、瞬きをする。
その瞳孔は恐怖に染まっていたうつろな瞳では無く、ハッキリと意志を持っていた。
彼女は走り出す。
「待っていてください! 必ず千束と一緒に戻ってきます!!」
ジイドが彼女を追いかけようとするのを、掴まれた右腕を力一杯振り払うことで阻止する。
だが、ジイドもただでは離してくれない。
ジイドの肘鉄が、鳩尾に入った。
肺の中の空気が全て吐き出され、一瞬意識が飛ぶ。
だが、歯を食いしばり耐える。
そして、ジイドの腕を逆に捕まえて背負い投げをした。
床に叩きつけられたジイドだが、すぐに受け身を取って立ち上がる。
だが、すでにたきなの姿は消えていた。
遠くなる足音が上に向かっていることを確信させた。
「逃したか……」
ジイドは呟くと、ふぅ、と息をつく。
「まぁいい。どの道、彼女がたどり着く頃には手遅れだろうさ」
「何だと?」
歪んだ笑みが浮かぶ。
それは、嘲笑だった。
まるで、何もかもを見透かすような目つきに、思わず寒気が走る。
彼は言った。
「あと一時間もしないうちに、この塔は爆破される」
その言葉を聞いた瞬間、思わず舌打ちが出た。
真島だ。
旧電波塔の時と同様、密かに爆弾を仕掛けていたのだ。
テロリストの面目躍如と云ったところか。
おそらくは、最上階の真島が制御しているはずだ。ジイドの口ぶりから、真島もまた千束と殺し合うことを望んでいた。
ジイドにとっては、千束をより強靱な暗殺者にするための噛ませ犬として彼を宛がったと見るのが正しい。
でなければ、この男が誰かの軍門に降るなどあり得ない。
「それに、貴君では爆破は止められない。なぜならば、その弾丸では乃公を殺せないからな!!」
ジイドが叫んだ。
同時に、彼の手の中で拳銃が跳ね上がる。
正確に眉間を狙ったそれを首を最小限捻らせてそのまま接近する。
両手に握られた二挺拳銃が返しの弾丸を放つ。この距離ですらジイドは身を揺らがせて躱す。
再び、私とジイドの間合いは近接格闘と大差ない程に近づいた。
互いの息遣いが聞こえるほどに。
私とジイド。
両者ともに同じ異能力を持っている。
それは数秒先の未来を予見するという異能力。
互いがそれを使った場合、未来の読み合いになり、お互いが見た未来を元に変えた行動を繰り返す千日手になる。
それは過去の戦いで立証済み。
ならばどうすればいいか。
それも、前回で結論が出ている。
異能力など使わずに戦う。
純粋な、戦闘と射撃の技量に全てを委ねた戦いになる。
私は右手の銃を向ける。
ジイドは左の手のひらで受け止めて弾道を逸らす。
だが、私の狙いはジイドではない。
受け止められている右手を支点に身体を半回転させ、ジイドの脇腹に回し蹴りを入れる。
衝撃で手を離すジイド。
しかし、私も攻撃の反動で後ろによろめいてしまう。
力の流れを殺さずにジイドは身体を捻りながら銃口を向けてくる。
私は銃口から目を逸らさず、右足を軸にして反転すると左足をジイドの側頭部に叩き込む。
だが、ジイドは私の動きを読んでいたのか、左腕でガードしていた。そして灰色の幽霊が火を噴く。私の頬を対人殺傷用の弾丸が掠める。
それでも、ジイドの態勢を大きく崩すことには成功した。
互いに、相手から視線を外さない。
一瞬でも隙を見せればやられる。
そんな状況だからこそ、ジイドは笑っていた。
まるで、この状況すら楽しんでいるかのように。
私は彼の全てを知っている。
これこそが、ジイドが求めている戦場なのだから。
それを叶えることができるのが私を除いて他にいないのも、前回と同じだ。
ジイドが一歩踏み出したと同時に、私も同時に動いた。
私は両手に握られた二挺拳銃。
ジイドは右手の拳銃一挺。
互いの手にある獲物が、お互いの急所を狙わんと動く。
そして、交錯する。
「やはり貴君は最高だ。サクノスケ」
「悪いが前回のようにはいかんぞ」
冷たいことを云うなと、ジイドは苦笑いを浮かべながら引き金を絞る。
放たれたジイドの弾丸はまたも外れた。
右手でジイドの銃口を逸らし、左手の銃で彼の胴に撃ち込む。そして、戻ってきた右手の愛銃に込められている非殺傷弾も追加で撃つ。
非殺傷弾とは云えど、ジイドは火薬による爆発で生まれた運動エネルギーに耐えられず身体が揺れる。
そこで私は違和感に気がつく。
そして、自身がすでに罠にはまっていた事に。
彼がここまで不用意に銃弾を受ける訳が無い。それは、前回の殺し合いで私が最も理解しているはずなのに。
それに奇襲でいれた先制弾が、全く効いていないことにも、もっと早く気付くべきだった。
非殺傷弾とは云え、火薬の爆発を元に撃ち出されたそれの威力は決して軽くは無い。それをこの至近距離で、極めつけは二挺拳銃による一斉射撃にも関わらず、目の前の幽霊の輪郭は確かなままだった。
ジイドの笑みが濃くなる。
私の右手はジイドに捕まれていた。
左手の銃を再び胸に向けて放つが、ジイドは動じない。そのままたぐり寄せて右手の灰色の幽霊が私の右腕を貫いた。
「ぐっ……」
痛みに歯を食い縛るが、すぐに冷静さを取り戻す。
だが、痛みと衝撃により力抜けて、右手の愛銃がすり抜けてしまった。
床に落ちた銃は、痛みに耐えていた私よりもジイドの反応が早く、通路の隅へと追いやられてしまう。
私は左脚を蹴り上げてジイドを突き飛ばした。
間合いが出来、私とジイドは銃を突きつけ合う。
残されたのは左手に握られた千束の銃だけになった。
喉から笑う声が、第一展望台の中を響き渡る。
ジイドだ。
彼は耐えきれないといった風に笑い始めた。
「最近の防弾ベストは優秀だなサクノスケ。軽くて、丈夫で、戦いやすい!!」
私は理解した。
彼もまた、私との再戦に向けての準備をしていたのだ。
そして同時に驚いた。
戦場を求め、軍人としての死に場所を求めていたジイドが、死なないための装備を身につけているという現実にだ。
つまりそれは、私の銃に込められた非殺傷弾対策という訳だ。
私の中で焦燥感が募る。ジイドに対しての決定打が無くなったからだ。
顔面や手足を狙わせてもらえるほど、ジイドは優しくない。
ジイドは加速し私の間合いへと入ってくる。
右手のグラオガイスト。
左手の千束の銃。
それぞれが通路の中で火を噴き合う。
「お前が防弾ベストなんて明日は雪でも降るんじゃ無いのか?」
「吉松という男がくれたのさ」
「得心が云った」
流石はアラン機関。
千束がリコリスとして戦っても十全に機能する人工心臓を作れる技術を保持しているのだ。軍用製品にもその技術の一端が使われていてもおかしくは無いだろう。
私は右に左に身体を揺らしながら銃撃を続ける。
私は両利きだ。例え左手であろうとも、普段使いの右手と遜色なく使える。この間合いならば、命中精度の低い非殺傷弾であったとしても実弾との差に違いは無い。
例え相手がジイドであっても問題無く戦える。
ジイドも同じく身体を揺らして避けながら距離を詰めてくる。
再度展開されるインファイトの銃撃戦。
左手と右手の差し合いのため、銃同士がぶつかり合う。
その度に金属同士がぶつかる嫌な音が鼓膜に届く。
私は身体を捻り、回転させ、時には空いている右手でジイドを掴みながら回避行動を行う。
流れるような足捌きで狙いを定めると、私の急所を狙ってくる。
私はその動きに合わせるように、銃口を向ける。
互いの弾丸が互いの外套を掠め、引き裂いていく。
だが、私は構わず引き金を引き続ける。
ジイドも同じように撃ち続け、私達は一歩も引かない。
互いの息遣いだけが聞こえる。
同時に弾丸が放たれた。
お互いの頭髪を僅かに掠めると、私とジイドは同じ動作をする。
弾切れだ。
同時に弾倉交換を始める。空弾倉が落ちた。ジイドが腰の予備弾倉を、私は手首のバンドから交換用弾倉を抜いた。しかしジイドは弾倉が握られたままの左手を振るいフックを放つ。
咄嵯の判断で私はそれを避ける。体勢を崩しながらも弾倉交換を終えた。
ジイドもすでに動作は終わっている。
お互いの間合いが離れると同時に、ジイドは再び笑う。
それは、きっと私の表情の険しさからだろう。
「どうしたサクノスケ? もしや、それが最後の弾倉か?」
ジイドの言葉は当たっている。
募りだした焦りは、もう喉元にまで訪れていた。
私が千束から借りた銃の予備弾倉は今いれたのが最後。
愛銃の弾倉はまだ残っているが、長年連れ添った彼は今通路の隅で泣いている。
取りに行くなど自殺行為だ。
ジイドに背中など見せられるわけがない。だから、私はこの一本の拳銃だけで戦うしかない。
「ああ、これが最後だ」
「そうか」
ジイドが構えた。私も銃口を向ける。
グラオガイスト。
左手に握られた黒い銃身。
右手に握られた灰色の銃身。
二つの銃口から吐き出される、鉛玉と火薬による衝撃と運動エネルギー。
私とジイドは互いに引き金を絞った。
銃弾と銃弾が衝突し、赤い粉塵が中央で舞う。
それを煙幕代わりにした私は疾走してジイドへと近づく。
ジイドの懐へと飛び込むと、彼の銃を持つ腕を掴んだ。
そしてそのまま押し倒し、床へと叩きつける。
ジイドは苦悶の声を上げながらも、私の左手首を掴んで離さない。
「……っ!」
私は歯を食い縛り、ジイドの腕を掴む手に力を込めた。
骨が軋む音が聞こえる。
ジイドが笑みを浮かべた。
私は負けじと笑ってみせる。
そして、私はジイドの顔目掛けて、拳を振り下ろした。
鈍く重い音と共に、ジイドが顔を歪ませる。
「ぐぅ……」
だが、ジイドは私の左手首を握る力を緩めない。
ジイドの瞳に宿るのは喜び。
本気で渡り合える好敵手のと手加減無しの戦い。だがその瞳の置くには僅かな不満と、別の何かに対する好奇心が見て取れた。
「何か別のことに気を取られているんじゃ無いのか?」
「あの少女のことさ!」
ジイドは私の腹部に蹴りを叩き込んだ。
痛みが走る。
私は思わず手を離してしまった。
ジイドが跳ね起き、グラオガイストの照準を私へと向ける。
だがその瞬間に、私の左手に握られていた銃が火を噴いた。
弾丸はジイドの頬を掠め、後ろの壁に着弾する。
「……」
「あの少女は乃公の未来を覆した。彼女ならば、貴君に変わって我が魂を焼き尽くすことが出来るやもしれん」
ジイドの狙いは変わっていない。
千束だ。
「貴君を殺せば、あの少女は乃公を撃ちに来るだろう?」
相手の微細な動きで弾道や次の行動を予測できる彼女は、いわば私やジイドの天敵だ。
若し彼女が誰かを殺めることになんの躊躇いも無くなれば、私達でも危ういかもしれない。
だが、それを許すわけには行かない。
千束に、誰かの命を奪わせる真似は、絶対にさせない。
誰であろうとだ。
私はジイドを睨んだ。
「そんなこと、俺が許すと思うか?」
「思わんな。だが、それが何だというのだ? 今の貴君にそれができるか!」
ジイドは床を蹴る。
私は反射的に引き金を引いた。
弾丸が放たれ、ジイドの胴体に命中する。
しかしジイドは怯まない。
防弾ベストの効果は絶大らしい。
弾丸を喰らいながら距離を詰めてくる。
身体こそ衝撃で揺らいでいるが、銃口は已然私を捉えている。
私は咄嵯に身を屈める。
頭上を銃弾が通過していく。
ジイドが銃口を振った。
今度は私の右肩が撃ち抜かれた。
激痛が走り、私は苦悶の表情を浮かべる。
「……ぐっ!?」
私は肩を押さえ、ジイドから距離を取る。
血が流れ、床を濡らしていく。
ジイドは銃を構え直した。
私は歯を食い縛って耐えると、再び銃を構える。
ジイドも同じく銃を構えた。
同時に引き金を絞った。銃声と銃声がぶつかり合う。
互いの外套が切り裂かれ、肉が裂けた。
私は痛みに耐えつつ、ジイドに銃を向ける。
しかしジイドは既に次弾を放っていた。
私は身を捻り、辛うじて避けた。
悪態をつく。
ジイドのグラオガイストの弾倉は十全にあるはずだ。
だが私も残り今銃に込められている弾倉のみで戦うしかない。
無駄撃ちはできない。胴体などの面積が大きい部位は保護されて非殺傷弾では効果が薄い。
ならば――
私も床を蹴って加速する。
ジイドは迎撃すべく銃口を向けた。
私とジイドの視線が交錯した。
そして、ジイドの銃口から銃弾が放たれる。
千束ほど正確に避けられない私には髪や頬、肩や服に当たる感覚が走るがそれでも足を止めない。
止まっても死しかありえないからだ。
活路は、前にしか無い。
決死の覚悟で間合いに入る。
長い足を繰り出して蹴りを放つ。
ジイドは上半身を傾けて避けると、右手のグラオガイストを突き出す。
私は左腕で受け流しつつ、右手に握られた拳銃を彼の顔面に突きつけた。
だが、その瞬間に彼の左手が私の手首を掴むと、そのまま押し倒そうとしてくる。
私はそれを狙っていた。
ジイドの顔色が苦悶に歪む。
私の左膝は、的確にジイドの肝臓に突き刺さっていたからだ。
例え防弾ベストで保護していても、内蔵に直接ダメージを与えることは出来る。
私は掴まれていた腕を振り払うと、即座に距離を詰める。
そして、ジイドへと駆け寄ると、腹部目掛けて蹴りを放った。
鈍い音が響き、目に見えて動きが鈍くなったジイドが吹き飛ばされる。
彼は壁に打ち付けられ、床に崩れ落ちる。
そこに、千束の銃が正確にジイドの頭に炸裂した。
赤い粉塵がジイドの銀灰色の頭髪にまき散らされる。
「ならば、格闘で押し切るまでだ」
打ち所が悪かったのか、衝撃で頭皮が裂けたらしく褐色の乾いた頬に赤い血が垂れているが、俯いているジイドが笑っていることを私はすでに知っていた。
血を襤褸で拭いながら、ジイドは立ち上がる。
「あぁ、最高の気分だよ。サクノスケ」
亡霊は、未だ健在だ。
*****
「一体何がしたいんだよ…」
「これだよ」
「どれだよ」
延空木、第二展望台。
下に構えられた第一展望台で織田とジイドの二度目になる熾烈な殺し合いが行われている最中、そこにいた千束と真島は何をしていたかというと、休憩をしていた。
先ほどまで拳銃と機関銃を向け合った、第一展望台とも負けず劣らずの死闘は、千束の心臓の不調により一時中断になったのだ。
千束にとってはありがたい話だが、予想外だったのは、その休憩を申し出たのが真島であることだった。
夕暮れが深くなり、顔が橙色から夜の香りが漂い始めた頃、千束と真島はその場に腰を下ろしているのだ。
さながら、デート中のカップルのように。
「命がけの勝負。俺が唯一恐怖を感じた奴とのな」
「ここを壊したいんじゃないの?」
「それだけならすぐやるさ。調子悪いお前とやり合ってもつまらん。まだ死ぬな」
「とりあえず時計止めなさいよ」
「そりゃ駄目だ」
戦う前に宣言した真島が用意した爆破までのカウントダウンは未だに刻み続けている。
クルミがリコリスの存在を誤魔化すために使っていたモニター達も、今はその猶予を押している仕事に徹していた。
「モザイクなしの現実を見せないとなぁ」
真島の言葉に「なにそれ」と千束が反応する。
それに答えるべく真島の演説は続く。演説と云うには、観客が千束以外にいないのが寂しいところだが。
「俺は世界を守ってるんだぜ?自然な秩序を破壊するお前らからな」
「壊してんのはあんたらテロリストでしょ」
「そう。お前らが壊すから俺も壊す。バランスを取ってるだけだ。DAが消えれば俺も消える」
真島にとっては秩序というのは白と黒のバランスが拮抗している状態こそが真の秩序だと考えている。
現に、DAが孤児を集めて殺しをさせていることは果たして正義と云えるだろうか?
物事を清くするために、黒を消すという行為自体は、果たして白といえるのか?
彼の言い分が、千束には少しだけ納得がいった。
彼女が慕う織田もまた、似たようなことを話していたからだ。
自らの領土にある規律を守るために敵対者を徹底的に殺す。
その本質は、裏社会でのさばっていたマフィアという組織と大差が無い。
ベクトルが違うだけで、内実は同じでは無いか。
そんなことを話していたからだ。
「俺はいつも弱い者の味方だ。もしDAが劣勢なら俺はお前らに協力するぜ」
「あんたですら自分を正しいと思ってるのね。ほんとのワルはやっぱ映画の中だけ、か」
「だから映画は面白いんだろ?」と真島は云う。千束と同じで映画が好きな彼らしい発言だ。
「現実は正義の味方だらけだ。いい人同士が殴り合う。それがこのクソッタレな世界の真実だ」
じゃあ、と真島の言葉に千束は被せた。
「ジイドって奴はどうなの? あんなのただの災害じゃん。ていうか、私なんかより織田作やジイドと喧嘩した方が命がけの勝負できるんじゃ無い?」
「それこそバランスが取れてない」
真島は断言して、続けた。
それは、千束にとって意外な言葉だった。
千束は彼の話を黙って聞いた。
そして、次にやってくる言葉もまた、想像を超えた話だったからだ。
「俺は思うんだ。旦那は本当に戦場を求めてたのかなってな」
「じゃあなんでアンタみたいなのに協力しての?」
「俺が旦那の求める戦場を与えてやろうとしただけさ。現に、旦那は今、もっとも釣り合いが取れている相手と戦ってるはずだ」
真島には見えていた。
下の階では、織田とジイドが殺し合っていることに。
エレベーターの降下速度から推測すれば、電気が停止してから誰が上ってくる途中で必ず第一展望台を通るとロボ太からの計算のもと、あの場にジイドを配置したのは彼だ。
そこに置けば、絶対に何者かがジイドと鉢合わせる。
そして、そこに現れるのは織田であるという確信も。
だがよ、と真島は加える。
「若し旦那が、本気で何かしようっていうなら、俺なんかの話なんて聞かなかったはずだ。それか、俺なんかとっくに殺して、もっとうまいやり方を考えたに違いない」
千束は、真島をじっと見つめていた。
「でも旦那は全部俺に任せてくれたよ。何も訊かず、俺のやり方を見届けてくれた」
彼女にとって、ジイドは初めて恐怖を植え付けられた怪物。
自身の自信も積み上げてきた物も、根こそぎ奪った死霊だ。それ故に、最も彼と近くにいた真島の言葉を訊くと、その化け物もまた1人の人間としての輪郭が浮き出てくるではないか。
それが、怖くもあり、寂しくもあり、悲しくもあった。
彼女が慕っている織田とはまた、違った背景が見えたから。
「思うんだ。旦那も迷っていたんじゃ無いかってな。半端な自分よか、未熟でも未来のある若者に任せた方がいいかもってな」
「アンタいくつよ?」
「三十代とだけ」
「うわー露骨にサバ読む無し」
千束はハッキリと覚えていないが、真島は十年前に幼い千束と旧電波塔で戦ったことがあるらしい。
そこから逆算すればその年齢は可笑しくはないが、若者と云って良いのか。
なんなら、織田の方がまだ二十代前半なのが恐ろしい。
「あれ? ジイドは何歳なの?」
「確か三十三って云ってたな」
「ほぼ同い年じゃねーか!!」
*****
延空木の頂上で、千束と真島が休憩をしていた頃。
同じ標高に近い場所でもまた、ある人物とある人物が接触していた。
「シンジ」
「……ミカ」
「酷い有様じゃ無いか」
そこは旧電波塔の最上階。
初老の男が力なく座っていたところを、似た年代の男が話しかけていたところだった。
座っている男は、高い背広も襟衣もシワだらけ。
大人びた顔は痣や青たんだらけで見る影も無く、セットに時間が掛かったであろう七三の髪もボサボサになっていた。
複数人で袋にされたのだろう。
どれも死にはしないが、重傷だ。
そんなボロ雑巾のような男を、ミカと呼ばれた人物は心配そうに見下ろしていた。
「お前、足は?」
座っていた男、吉松はミカの事をよく知っていた。
「戦士は全てを見せないものだ。愛する者には特にな」
初めて会った時からついていた杖を、今はしていない。それどころか、現役時代の仰々しい装備に身を固めていた。
それを見た吉松は、これから自身に起きる事柄が全て理解できてしまった。
「フッ…お前は嘘ばっかりだな」
「全て千束のためだ。そうだろう?シンジ」
「私は…わかってもらえなかったよ。見ろ。返されてしまった。私はもういらないみたいだ」
吉松は、手に握っていたチャームをミカに見せる。
それは、昼間、この場で千束に返されたものだ。
アラン機関の支援を受けた者だけが付ける証。
本来は千束が持っていた。だが、今は吉松の手にある。
――私には世界よりも大切なものがいっぱいあるんだ。吉さんがくれた時間でそれに気づけた。だからこれは返すね。
と、千束は彼を仲間達で袋たたきにした後、いつも店で見せてくれた優しい笑顔でこれを吉松の手に握らせたのだ。
例え自身が死んでも、殺しの才能に準じて生きることはしたくない。
誰かを救う生き方をしたいと、そう言って、千束は吉松の元を去ったのだ。
「シンジ。導いてくれるのは子供達なんだ。私達の知らない世界に。彼らの選択を邪魔してはいけない」
「つまり…ここでお別れか」
「そこにあるんだろう?」
ミカは、忍ばせていた拳銃に弾を装填する。
いつかのホテルで突きつけていたそれだ。
あの時は、安全装置すら外せなかった。だが、彼にはもう覚悟が決まっていた。
千束が彼に訊かせてくれたあの一言。
それだけで、愛する者を自らの手で殺してもいいと思えたのだ。
彼女に、未来を生きて欲しいから。
「千束は信じなかったぞ」
「シンジは嘘を言わない…!」
「今更嬉しくないな…」
隠し事をしていた人間にそう言われても説得力の欠片もない。
長年想い合った相手なら、尚更だ。
「なあ、最後に一つ良いか」と吉松は零すように呟いた。
数秒の沈黙が、肯定を意味しているのは訊くまでもない。シンジは続けた。
「私が店に来たとき、君と織田君しかいなかった日のことを覚えているかい?」
「あぁ」
それは、織田と吉松が才能と生き方についての討論をしていた日だ。
ミカが仲裁に入った物の、中々険悪な雰囲気になりその後、織田と吉松が店で話をするところをついぞ見たことがない。
それだけ、織田と吉松の意見の差違が深かったからだ。
「あの時、彼は云ったね。才能に準じているだけでは、ただ役割を果たしているだけでは、人は生きてすらいないのではないかと。生きていないなら、死ぬことすらできないのではないかと」
それは、懺悔のようにも聞こえたし、吉松自身への問いかけにも聞こえた。
織田は云っていた。
――他人に才能の使い方を決められ、生き方を決められ、そうして生き続ける。
――そこに本人の意思はない。
――果たしてそれを生きていると云うのだろうか?
――例え幸福な人生を送れても、その人物が生きる意味があるのでしょうか?
「アラン機関としての生き方は、私が選んだ生き方だ。それに後悔も憂いも無い。ただ、そこに本当に、私の意志があったのかよくわからなくなってきた」
最初の頃は、確かにあったのかもしれない。
アラン・アダムスという存在のあり方に共感し、そうありたいと思ったのは事実なのだ。
しかし、今はどうなのか。
アランの意志を遂行しているだけの人形に、生きているという言葉は果たして適切なのだろうか?
それが、よくわからなくなってきたと、吉松は続けた。
「生きていないなら、死ぬことも出来ないとも、彼は云っていたね。なら、私はちゃんと死ぬことは出来ないんじゃないのか? ちゃんと生きたと云えないのではないのか? それだけが唯一の心残りなんだ」
教えてくれ、ミカ。
君はどう思うんだい?
と最後まで自分の意志を見失い続けた男は、最も愛し、最も信じた男に最後の問いを投げかけた。
ミカは彼の隣に腰掛けると、ゆっくりと息を吐いた。
そして、彼は答える。
「お前が生きた証は二つある」
「そうなのかい?」
「一つ目は千束だ。どんな形であれ、理由であれ、動機であれ、シンジが千束を救わなければ今の千束は無い」
例え、シンジに殺されても、千束は君を救世主と慕うだろう。
と付け加えたミカは、さらに続ける。
「千束が自分の意志で決めたこと、選んだことをには意味がある。それをさせてくれたのがシンジがきっかけなら、千束が生きていればお前の生きた証は残る」
吉松はそれを聞いて、少しだけ笑みを浮かべた。
ミカもまた、彼につられて口元に弧を描く。
千束が、彼の人生を変えた。
彼女が変えてくれた。
だから、今の千束がいる。
それだけで、十分なのだ。
「なぁシンジ、訊いてくれ。千束にな、好きな人が出来たんだと」
「それは本当かい?! 一体誰なんだい!?」
目を輝かせる吉松を見て、ミカは笑う。
こんな時に、なんて表情をするんだと呆れてしまう程に愉快だった。
その風景は、本当に1人の娘を持つ父と母のように写ったことだろう。
例え、血が繋がっていなくても、かりそめであっても、利害のみで繋がっていたとしても、そこには、家族の縁が確かにあった。
「…そうか。なら、君がやろうとしてることが私の生きた証に繋がるんだね」
「そういうことになるな」
「なら、もう一度約束してくれ。千束を頼む」
それは、殺し屋としてではなく、1人の女の子として。
千束に幸せになって欲しい。
それが、アラン機関も、何も関係ない、吉松シンジの確かな意志を持った一言だった。
その言葉に、「わかった」とだけ、ミカは答えた。
隣で座るミカの頬に涙が伝っているのが、見えたがもう何も云うことはない。
後は、彼と彼女の仲間達に任せよう。
才能とか、殺しとか、そういうあり方よりも、幾分か素敵な気がしたから。
「あぁそれと、もう一つ目はなんなんだい?」
「それはな――――――――」
次の言葉を訊いたとき、吉松の顔は数秒、目玉がどこに行ったのかと云うくらい呆れた顔をしていた。
後れて、「ははっ」と笑いが零れた。
「お前もうちょっとマシなこと云えないのかよ」