彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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ALIVE 中編

「間に合って……」

 

たきなは走る。

延空木の最上階、第二展望台へと続く非常階段をたきなは駆け上がる。

夕暮れだった秋空が熟れた橙色と濃紺のグラデーションに変わり、千束が好きだと云っていた街並みには、星空の代わりに人々の営みが築き上げた無数の光が瞬いていた。

もうすぐ日が落ちようとしている。

第二展望台はすでにたきなの視界に入っていた。

後はこの非常階段を上りきるだけだ。

二段飛ばしで階段を駆け上がる度に息が乱れ、しなやかな髪が強い風も相まって、まるで自分の身体ではないように揺れ動く。

そして、ついに彼女は展望台に辿り着いた。

しかし、扉は固く閉ざされている。

おそらくは真島があらかじめドアを壊していたのだろうが、もはやどうでもいい。

躊躇いなく銃を引き抜くと取っ手に向けて数発撃ち込む。

ドアノブや蝶番から火花が上がり、金属片が周囲に飛び散った。構わず蹴りをたたき込んでこじ開ける。

勢いそのままに展望台に飛び込んだたきなの目の前には、千束と真島がいた。

 

「千束!!」

 

状況は絶望的だった。

展望台の中央に構えられたガラスのドームの際。

そこにうつぶせに倒れた千束の背中を踏みつけるように立つ真島は、彼女の後頭部に向けて銃を突きつけていた。

だが、たきなには見えた。

淺日色の瞳が、たきなを確かに捉えたことに。

飛び込んできた音と叫び声に反応してしまった真島もまた、後れてたきなの方を向いてしまった。

その隙を千束は見逃さなかった。

身体を回転させた千束は、両手で真島のコートの袖を掴むと、そのまま巴投げの要領で放り投げた。

その先は第二展望台の中央。

来客を楽しませるために作られたガラスのドームは真島が投げた手榴弾によりひび割れている。

その薄氷の上に、千束は自らごと真島を突き飛ばしたのだ。

その光景を目の当たりにしたたきなは、呼吸とも悲鳴とも取れる声にならない叫びと共に床を蹴る。

このままでは千束が死んでしまう。

そう思った瞬間、たきなの中で何かが弾けた。

千束と真島は身体を打ち付けながら滑るように落下していく。手榴弾が破裂した場所はかなり脆く、ガラス片がいくつも東京の街に降り注いでいた。

「ぐっ!」

うめき声を上げながらも起き上がる真島の頭皮に赤い花が咲く。元々少女が扱いにはゴツすぎるその銃は片手で扱うには少々荷が重く、撃つ度に彼女の右手が大げさに揺れる。

千束の非殺傷弾だ。

この状況なら回避も出来ない。

頭部ならば、防弾ベストも効果は無い。

確実に、真島に決定打を与えられる。

最後の一発が向けられたとき、彼の表情は恐怖に染まった。彼の目に映る淺日色の瞳は、真島が十年前に旧電波塔で相対した、齢七歳の千束の瞳とまったく同じものだったからだ。

引き金を引く。

乾いた発砲音が鳴り響く。

弾丸は吸い込まれるように真島の眉間へ向かう。

真島は激しく身体を仰け反らせると、いよいよ薄氷のガラスは限界を迎え、2人の身体を東京の街へと叩き落とした。

千束の暖色混じりの白髪と、赤い制服が夜空に舞う。

すでにたきなは走っていた。

薄氷のガラスドームの上を。

銃から拘束用のワイヤーショットに切り替えて装填すると、千束に向けて放つ。

走りながらでも、落下しながらでも、その狙いは正確だった。

彼女の腰に巻き付いたワイヤーを止めるべく、たきなは足を止めない。

しっかりとした足場まで駆け寄ると、自身の左肩にワイヤーを添える。

「ううっ…!」

左肩に強い痛みを感じた。

すり切れて燃えるように熱い。

それでも構わずに思い切り引く。

肩の骨が外れるような嫌な感覚を覚えつつ、たきなが力任せに引いたワイヤーによって、千束の身体は空中で止まった。

それと同時に、共に落ちていた薄い端末の画面に刻まれていたカウントダウンの数字がゼロになる。

真島が用意した延空木を壊すための爆弾が起爆するための猶予だ。

それがいよいよ撃ち出されようとしていた。

 

だが、爆発は起きなかった。

代わりに2人の耳に入った仰々しい破裂音は、延空木よりも僅かに高い上空から聞こえた。

 

それは、花火だった。

真っ暗な空にいくつもの光の花が咲き乱れ、宇宙船のような形をしている延空木の赤と白の色合いを鮮やかに照らし出した。

 

「ふざけやがって…」

 

千束の震えた声が、つるされたままの夜景の中に溶けていく。

完全に茶番だったのだ。

爆破など、千束を本気にさせるための、方便でしかなかったのだ。

本当に、憎めない奴である。

苦笑に近い笑いを零した後、まだ力が入る右手でワイヤーを掴みながら千束は声を上げた。

「あーたきな? だいじょーぶ?」

「これが大丈夫と思いますか?」

「だよねー」

 

ワイヤーを止める道具として、自らの肩を使ったのだ。

熱と痛みで意識を失っても可笑しくない。

千束も左肩に風穴が空いているが、たきなも決して軽くは無い。

だが、いつまでもこのまま宙ぶらりんでいるわけにもいかない。

 

「あの、そろそろ引き上げて欲しいんだけど?」

「簡単に言わないでください!」

「いやだって私もお腹めっちゃ痛いんだけど! なんなら私がよじ登るから」

「ああ!! 痛いです! 止めてください!! 引っ張らないでください!! 肩が千切れます!!」

「私もこのままだと真っ二つだよぉ!!」

 

この状態から、無事展望台まで引き上げられるまで、お互いを引っ張り合うという馬鹿げた光景が繰り広げられた。

そして、なんとか2人が展望台に戻った頃には、もう日は完全に落ちて夜になっていた。

2人とも、爆破と銃撃でひび割れた床に仰向けで倒れ込み、荒い息を繰り返している。

もう限界だ。

千束も、たきなも、体力の限界だった。

旧電波塔、延空木、度重なる連戦に、千束に至っては心臓の充電の問題もある。

もう一度戦えというのは、酷な話だろう。

しかし。

しかしだ。

 

「…行こう、たきな」

「はい、千束」

 

それでも、2人は立ち上がる。

 

「まだ、終わってない」

「えぇ、その通りです」

 

まだ何も終わっていない。

千束にとっても、たきなにとって、大切な人が、まだ戦っている。

命を削っている。

そんなこと、絶対にさせない。

たきなは、千束の手を取り立ち上がらせる。

彼女の顔は決意に満ちたものだった。

千束の顔には諦めの色は無かった。

今度こそ、決着をつける。

そうして2人は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

風が吹いていた。

ベージュの外套と灰銀色の襤褸が、夜の風に強く靡く。

そこは、延空木の第一展望台を出た踊り場だ。

非常階段から、第二展望台へと上ることが出来る開けた場所。

そこに、私とジイドは立っていた。

いや、それは誤りかも知れない。

なぜならば――

 

 

「残念だよ、サクノスケ」

 

私はすでに膝をついていたからだ。

致命的な部位に銃弾を受けたわけではない。

ただ、私の身体は、満身創痍だった。

血を流し過ぎた。

傷を負いすぎた。

銃弾に限りがある以上、接近した格闘で応戦するしかない。しかし、弾の手数が上回っている以上、どうしても後手になってしまう。

加えて、ジイドには卓越した身体能力があった。

まるで野生の獣のように俊敏に動き回り、的確に急所を狙ってくる。

その攻撃を避けきれず、何度も直撃を喰らった。しかも相手は高性能の防弾ベスト。

差し合いになればどうしてもジリ貧になるのは明白だった。

銃弾も、もう尽きた。

だが、それでも私は倒されなかった。

倒れるわけには、いかなかった。

「しかし、真島って奴も中々センチメンタルな男じゃないか」

「あぁ、爆破に見せかけて花火とは」

私に向けて、右手に握られたグラオガイストを向けながら、ジイドは言った。

どうやらジイドすらも出し抜いたらしい。

中々切れる男だ。

ジイドにばかり気を取られていたが、彼に対しても警戒を強めておくべきだったと猛省するが、もはや後の祭りだ。

今の私に出来ることは、ただ1つ。

最後まで、戦い抜くことだ。

だが、身体に力が入らない。

立つこともままならない。

限界などとうの昔に越えている。

だが、私は意識を保ちつつけた。

 

驚いた、とジイドはひび割れた赤い瞳をこちらに向けながら言う。

彼にとって、この戦いは蓋を開けて見れば期待外れも良いところだろう。

私は最後までジイドを殺す気などない。

彼が求めている世界に、私はいない。

その意志を固めるための千束の弾だったのだから。

「貴君の目はあの時と違う。生存を望んでいる目だ。だが、それが未だに潰えていないのは何故だ?」

「今の俺には、大切な物がたくさんある」

 

それだけで、十分だった。

 

働いている店。

 

珈琲の香り。

 

楽しげに話しているお客。

 

この世界に暮らしている人々。

 

綺麗な場所。

 

仲間。

 

私の手を握ってくれた子供達。

 

世界を越えても手を伸ばしてくれた友人。

 

そして、彼女達がいる。

 

ならば、何を迷うことがあるか。

例えそれを邪魔立てする者が、目の前にいる最凶の死霊であろうとも、私は私として生きるだけだ。

彼女達が、そうさせてくれた。

私は応えなくてはならない。

その想いが、私を支えてくれていた。

ジイドの問いに答えた私に対して、彼は呆れたように溜息をつく。

そして、ジイドは呟いた。

「悲しいよ。貴君との因果がそのような物で切れてしまうのが」

ならば、終りにしよう。

と、ひび割れた赤い瞳が私の顔を映す。

右手に握られた灰色の幽霊が、私を仲間にしようとその銃口を突きつけてくる。

しかし――

「!」

ジイドの顔色が一瞬にして変わった。

彼の視線は、第二展望台へと続く非常階段へと向けられた。同時にジイドは銃口を変える。

私にはわかる。

何かを予知したのだ。

何者かによる奇襲を受ける未来が見えたのだ。

だが、その未来は覆されることになる。

「何!?」

ジイドの背後に赤い人影が揺れるのが見えた。

滑り込むようにして割り込んだそれは、両手で握られた銃を躊躇いなくジイドに向けて放つ。

ジイドにはそれが避けることが出来なかった。

それはなぜか。

それは、ジイドにとっても、私にとっても、彼女の行動は天敵と云って良いからだ。

「織田作!!」

 

千束だ。

 

いつもようにあだ名を叫びながらジイドの身体に非殺傷弾の赤い粉塵を咲かせてみせた。

ジイドは突如として飛来した千束を迎え撃つべく、照準を変えるがそれもままならなかった。ジイドの左脚が射貫かれたからだ。

左の太腿に着弾した実弾は、彼の血管を割いて血を吹き出させる。

顔に苦悶の表情が浮かぶ。

だが、地面を蹴ったジイドはそのまま千束に向けて銃を放った。

全部で6発。

どれも正確で精密な射撃だった。

だが千束には当たらない。

全て紙一重で避けられていく。

それはまるで舞踏のように。

踊りながら、彼女は踊る。

その動きは決して無駄がない。

流れるような動きだ。

ジイドは追撃の手を止めざるを得なくなる。それは死角から揺らいだ黒くてしなやかな長い頭髪が揺らいだからだ。

 

たきなだ。

 

千束に気を取られている内に接近した彼女は背後から格闘と射撃による奇襲を仕掛けてきたのだ。だがジイドには通じない。

未来が見える彼にとって、背後からの攻撃など自殺行為に等しい。

しかし、彼女は仕掛けた。

なぜなら、ジイドが反撃に転じることが出来ないという確信があったからだ。

「がっ!!」

 

再び赤い花が咲く。

ジイドが未来を予知し、行動を変えた瞬間を千束が狙っていたのだ。

千束の射撃により、たきなの長くて細い足が的確にジイドの身体にめり込み、彼を私から突き飛ばした。

だがジイドは体勢を崩していない。

グラオガイストの銃口は、たきなの眉間へと正確に向けられている。

だが、それももう遅い。

 

再びジイドは突き飛ばされ、放たれた銃弾は明後日の方向へと飛んでいく。

立ち上がった私が放った足が彼の横腹にめり込んだからだ。

人間が打ち出せる中でもっとも重く、威力のある技。

後ろ回し蹴りが炸裂する。

ジイドの身体は宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられた。私も満身創痍も相まって力の流れを殺しきれずにまた膝をついてしまう。

「織田作!」

「織田作さん!」

駆け寄ってきた2人が私の名前を呼ぶ。

私はそれに応えるように、身体を起こして笑ってみせる。

彼女達の顔も、服もボロボロだ。

2人とも、肩に銃創や引きずった後が残っている。

それでも私に心配をかけまいと、痛みを必死に堪えながらも笑っている。

そんな彼女達を見て、私の心は熱くなる。

この気持ちは、なんだろうか? きっと、彼女達と同じものだろう。

ジイドは起き上がる。

赤い瞳が睨んでいた。

それは千束に向けられていた。

「真島の魂は、現世から解放されたか?」

「知ってる? 映画だとあぁいう悪役って簡単に死なないんだ。だから多分生きてるよ」

 

めっちゃムカつくけどね。

と、千束はジイドを挑発するように言う。

その言葉に、ジイドは少しだけ口元を緩ませたように見えた。

ジイドはゆっくりと立ち上がる。

その眼差しは、真っ直ぐに私を捉えていた。

「織田作さん、これを」

隣にいたたきなが、そっとある物を差し出してくる。

それはマガジンだ。

私の手に握られている銃と合った弾倉だ。こういう時、いつも用意周到で準備の良い彼女に感謝しながら、私はそれを装填した。

これでまた戦える。

「ありがとう。2人とも」

「どーってことないって」

「当然です」

2人は笑顔を浮かべる。

だが、その瞳の奥には闘志が燃えているのがわかる。

ジイドを倒す。

そして、3人で生きて帰る。その想いが、私を支えてくれている。

「織田作」「織田作さん」

千束とたきなの声が重なる。

あぁ、と私は短く答えた。

そして再び立ち上がり、銃を構える。

ジイドもまた、同じように銃を構えた。

「行こう」

 

私は…私達は戦える。

未来を掴みに行くために。

新しいページを刻むために。

まぶしい道を歩いて行くために。

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