私の名前は織田作之助。カフェ店員だ。
ある人物について知りたければ、その人物の職業を知るのが近道だ、と人は云う。一理ある考え方だ。しかし、私に関してはその法則は当てはまらない。
なぜならば、私は接客業に必要な愛想の良さも、効率よく店を回す技量も持ち合わせていないからだ。
私はどこにでもいる只のくたびれた男。どこにでも転がっている煙草の吸い殻のような、ありふれた三流スタッフだ。
二年前、私はあるマフィアの依頼を受け、運び屋をしていた。その際に銃を構えた女子学生達に命を狙われた。その時のことは良く覚えている。路地裏を駆け巡り、その一派の少女とともにある犯罪組織に拐かされ、協力して脱出した。
その時に知り合った少女が紹介してくれた店に私は身を置くことになった。
以来、私はその店での仕事が生業となった。珈琲と甘味を運ぶ仕事だけではなく、その店は裏では便利屋として機能していた。持ち込まれた依頼を解決して生活をしている。
仲間と客を囲んでボードゲームをしたり、店主の珈琲を飲んだり、休みの日には仲間と遊びに出かけたり、夜はキッチンカーの脇で小説を書く。そんな生活だ。
慎ましく、こぢんまりして、誰かに自慢する生活とは程遠い。
それでも、私は今の生活がそれなりに気に入っている。
だが、それらを加味しても、随分と遠いところに来てしまったものだと、私は苦笑した。
海風が癖のある髪を揺らしてくすぐったい。テーブルに広げられたノートがパラパラと捲れ上がる。
風がやってきた先には海がある。
濃い紫色に染まった空の下に広がる海原には、いくつもの白い飛沫が浮かんでいる。波間から突き出された岩礁や防波堤に打ち寄せる波の音。潮騒を聞きながら、私はペンを走らせる。
その手を止めて、ふっと息をつく。
「ねーせんせー、進捗はどうですか~?」
背後から声が聞こえた。
聞き慣れた声だが、私を呼んでいる訳ではなさそうなので再び筆を取る。
少し経って再び同じ声が聞こえてくる。
しばらくノートに書き綴っていると今度は足音が近づいてきた。
肩越しに見上げると、そこには少女が立っていた。
肩や腹部が大胆に露出し、前髪や首には紅色の花弁を思わせる派手な衣装。確か、フラガールというハワイアンな衣装だったはずだ。
「も~せんせー、無視しないでよ-!」
少女はご機嫌斜めのようだ。
どうやら、私に声をかけていたらしい。
暖色混じりの白髪。淺日色の瞳が瞼で半分に隠れ、頬を膨らませている。
「なんだ千束。俺に話しかけていたのか?」
「他に誰がいるのさ?」
「いや、先生はミカの呼び名だろ?」
そう言うと、千束は「も~そうじゃなーい」とより不機嫌そうに頬を膨らませた。
だが、私の手元、テーブルに広げられたノートに書き連ねてある文章の羅列を見て目の色を変える。
「ねぇ織田作! これもしかして次のお話!?」
身を乗り出して目を輝かせる彼女に、「そんなものだ」私は肯いた。
私が書いているものは物語だ。
私はこうして暇を見つけてはネタ帳代わりに使っている。
日々の鍛錬と云えば聞こえは良いが、ただ練習で書き殴っているだけの代物だ。
小説なんて呼べるほど、大した物じゃ無いというが、千束はまた頬を膨らませて怒る。
「何云ってんのさ~! もう織田作は小説家じゃん!」
「大して売れてないけどな」
「それに、こうして海も見えてるじゃん」
「部屋では無いがな」
恥ずかしい話。
私はもうすでに一冊の本を書き終えている。
今広げてあるノートに書き散らしていた駄文の数々を、たまたまこの観光地を休暇で訪れたというどこかの出版社で勤めている編集者の目に留まり、一冊書いてみないかと打診された。
自身の貧相な語彙力と、足りない表現力を無理くり捻り出したような拙作ではあったが、それでも一応は形になった。
それがこの本だ。
その本は売れたと云えば売れたし。売れなかったと云えば売れなかった。
まぁ、その程度の収入しか稼げなかった。
印税収入ガッポガッポだと浮かれていた内の従業員の1人は、その明細を目の当たりにしたとき愛用の眼鏡に罅が入るほど愕然としてしまい、それは悪いと思っている。
決して、ある有名な作家の名を冠した賞にノミネートされたわけでも、累計発行部数が百万部売り上げたわけでもない。そんな輝かしい記録を打ち立てたわけではない。
出版業界というのは実にシビアだ。
そんなものを書いたところで、売れなければ金にならない。
だが、私は売れると言うことはどうでもいい。
仕事もある。仲間もいる。
その上で、長年の夢を、1度は捨てて諦めた夢を、叶えることが出来たのだ。
才能も無く、器用でも無い自分が、これだけ恵まれているのに、これ以上を望むなんて贅沢過ぎる。 だから、私はこれで十分だと思っている。
それで満足している。
「えー、でも私はめっちゃ面白かったよ? 織田作の小説」
親しい人間にそう言われても説得力はないが、映画をこよなく愛する彼女が面白いと言うのならば多少の一家言はあるかもしれない。
「皆見る目無いだけだってー」と千束は言う。
その言葉に私は苦笑するしかない。
確かに、私が書いたものを評価してくれる人はいる。
だが、それは本当にごく一部だ。
私の書いたものは、多くの人にとってはつまらないもので、価値の無いものだ。
それこそ、道端に落ちている煙草の吸い殻のように。
私にあの本を差し出した人が、読む前に酷い本だと釘を刺した理由がようやくわかった。
私の感性など、その程度の俗物に過ぎなかったというわけだ。
だけど、こうして好いてくれる人間が身近にいるだけでも、書いて良かったと思えるのだから不思議だ。
「特に私さ、あのシーンが好き! 主人公が殺し屋に、『人は自分を救済するために生きている。死ぬ間際にそれがわかるだろう』っていうところ! その後に続く怒濤の――」
「千束!!」
遠くから彼女を呼ぶ叫び声が聞こえた。
慌てて張り上げた声と共に、キッチンカーの影からもう1人のフラガールが現れた。
瑠璃色の花弁を基調とした、千束の物と色違いのドレスをしなやかな黒髪と共に揺らしながらこちらに歩いてくるでは無いか。
「ネタバレ云わないでください!! まだそこで止まっているんです!!」
花色の瞳は真剣に私を見つめてくる。
彼女の名は、たきな。
私や千束と同じ、カフェリコリコで働く従業員の1人である。
たきなもまた、私の書いた小説を読んでいる。まだ途中らしいがとても面白いと言ってくれる。
「えーまだたきな読んでないの~? こっからが熱いのに~特にね~」
「だから話さないでって云ってるじゃ無いですか! 話すならその前にしてください!」
「ごめんごめん~! つい口が滑ったんだよ~」
「もう千束って人は」
「あ、でさ、その殺し屋がね」
「ち~さ~と~!!」
また始まった。
私の横を通り過ぎて2人で言い争いを始める。
この2人も仲が良い。
いつも喧嘩をしているように見えて、なんだかんだ乳繰りあっているように感じるのは傍から見ていて微笑ましい。
私はそんな2人を眺めつつ、ノートを閉じる。
「そういえば、2人とも何でフラガールなんだ?」
「これは千束が着ろって云ったんです」
「そりゃあ東京の迷彩が制服なら、ワイハの迷彩はフラガールでしょ!」
「そういうものなら、仕方ないな」
「織田作さんも何か言ってくださいよ」と、たきなは困った顔で訴える。
どうやら、依頼人の前で千束がこれを披露し、依頼人含め店の面々から総スカンをくらったらしい。
真面目なたきなが嫌がる訳だ。
だが、私は首を横に振って否定した。
「2人とも綺麗だぞ。よく似合ってる」
「えへへ~ありがと~」
「…あっ、ありがとう…ございます」
千束は嬉しそうに笑い、たきなは恥ずかしそうに顔を背けた。
この2人はいつもこうだ。
私が褒めるとすぐにこうして照れる。
素直に喜んでくれて良いのだが、あまりストレートには受け取ってくれない。
それが少し寂しい。
だが、そんなことを思ってしまう時点で私は相当、この2人に毒されているのだろう。
私はそんなことを考えながら、ノートを開く。
休憩もこのくらいにしたほうがいい。
「あ! そうだ!」とテーブルに広げられたノートを見た千束は声を上げた。
椅子を持ってきて私の隣に腰掛けてくる。
気がつけば、反対側にはたきながいた。
彼女も右に同じで椅子を用意している。
「ねー織田作、次はどんな小説書くの?」
「止めてくれ。まだ形になってないんだ。見ないでくれ」
「じゃあどんなお話かだけ教えてよ!」
「私も気になります」
なるほど、挟み込んできたのはこのためか。
私の異能でも逃げられない。
この2人の連携は、もはや数秒の未来予知程度では対処しきれない。せめて五分は欲しいものだ。
「ねーどうなのー教えてよー」
千束はそう云いながら私の腕を掴んで揺すってくる。
たきなは触れてこそ来ないが首を傾げながら愛らしい仕草でこちらをじっと見つめてくる。
こうなると訊かないのも、彼女達の美点であり、面倒なところだ。
それが嫌いでない私もきっと変わっているのだろう。
それに、二人とも美人なのが頂けない。
特に最近は二人とも目に見えて綺麗になっている。
これではつい、話したくなってしまうじゃないか。
「仕方ないな」
私はあらましを話し出した。
それは、ある2人の少女の物語だ。
全く考えの正反対の少女達が出会い、共に戦い、時にぶつかり合いながらも、お互いを認め合い、大切な相棒同士になっていく。
強くて、儚く、とても優しい少女達が、与えられたモノでは無く、自分達が選んだまぶしい未来をつかみ取る。
そんな前向きな物語だ。
と伝えた。
「へぇ、面白そうだね」
「なんて言うお話なんですか?」
「題名か? その小説の名は……」
リコリス・リコイル
文豪ストレイドッグス
この2作に向けて、最大の敬意と感謝と愛を。