酷い話
「全く、酷い話だ」
「えぇ、酷い話です」
そこは何の変哲の無いバー。
ひっそりとしたアナグマの巣のような店内に、カウンターと、スツールと、壁に並べられた様々な銘柄の酒。店員はいない。
スツールに腰をかけていた2人の男が全く同じ言葉を口にすると、示し合わせたかのように首を縦に振る。
「これじゃ、私がポートマフィアを抜けて探偵社に入社した意味が無いじゃないか」
と砂色のコートと体中に包帯を巻き付けている男は、カウンターに置かれた酒杯を指で弄びながら云う。
その声色は、呆れた与太話を心底鼻で笑うような、そんな色をしていた。
「僕たちの過去が、体の良い踏み台にされているのが実に不愉快ですね」
一方、その隣に座っている丸眼鏡に背広という学者風のかけた青年が、指先で眼鏡の位置を調整しながら同意する。
その表情は怒りに満ちており、その視線はまるで目の前にいる相手を射殺してしまいそうな程鋭いものだった。
「そもそも、彼女達のような女の子の間に入るのはある界隈ではタブーなんじゃなかったのかい?」
「それに、あれはなんですか。途中で探偵社の皆様方のご登場は。あれをやっておけば盛り上がるとでも思っているのでしょうか?」
つくづく安く見られた物ですね。
と青年は苛立たしげに吐き捨てる。
その瞳には怒りの他に失望の色も浮かんでいた。
彼らの不機嫌な会話とは裏腹に、店に小さく流れるジャズ音楽が、旅立つ友への祝福を謳う歌のように穏やかだった。
「蛇足とは全く言い得て妙だね。私達の話はあれで終わったからこその意味があるのに。この話を考えた馬鹿はちゃんと私達のことを知っているのかい?」
「その通りです。僕たちの今すら否定されている気がしてなりません」
2人は互いに顔を見合わせると、どちらからともなく溜息をつく。
それは落胆というよりは諦観に近い感情だった。
彼らにとって、過去の出来事とはただの記録ではなく、思い出であり、宝物なのだ。それを土足で踏み荒らされた気分である。
彼らはもう一度深いため息をつくと、同時に酒を煽った。
そしてまた、どちらからとも無く口を開く。
「すみません、少しお手洗いに」
「そうかい、じゃあ私はここでゆっくり飲んでるよ」
――――――
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―――
――
―
「……すみません。少し長くなりました」
戻ってきた学者風の青年に、男は「気にすること無いさ」と云いながら、片手にぶら下げられた蒸留酒を揺らしながら云う。
「今日の酒は、いつもよりしゅっぱいねぇ」
「なんで津軽弁なんですか」
それと意味が違いますよと、この状況でも突っ込みを忘れない青年の言葉を聞き流し、男はグラスを傾けると一気に飲み干す。
そして、そのままグラスの底に残った琥珀色の液体を見ながら、男はポツリと云った。
まるで独り言のように。
あるいは、懺悔をするかのように。
しかし、そこに悲壮感は無く、むしろ嬉々として語り出す。
「よかったね。織田作」
「えぇ、よかったです」
彼らが言葉を交わしているカウンター。
ある場所へと振り向いた。
そこには、丸い氷が浮かんだ蒸留酒があった。
グラスの縁には、二輪の彼岸花が寄り添うように飾られていた。
それは店の奥。
彼らが立ち上がって歩み寄れば、すぐに辿り着けるその場所を、彼らはただ眺めていることしかしていなかった。
まるで、全く別々の世界に分かたれているかのように、彼らとグラスには距離があった。
彼らは遠くから、そのグラスを覗き込むように見つめていたのだ。
そして、男はその光景を見て微笑む。
さながら、クレヨンで描いた絵をを家族に見せびらかす子供のような無邪気さで。
青年もまた、その男と同じ表情を浮かべていた。まるで、自分の家族を自慢するような誇らしさと喜びの混じった笑顔で。
「これで、少しは彼の云う素敵な生き方になれたかな?」
「さぁ、どうでしょうね」
「つれないぁ」
男は再びグラスの中身を飲み干すと、椅子に座り直す。
空のグラスを弄びながら彼は呟く。
その瞳はどこか寂しそうで、それでいて満足げな色をしていた。
青年は、その男の様子を見てクスッと笑う。
先ほどまでの不機嫌な様子はどこへやら、今は上機嫌だ。
「それで太宰君。今回の織田作さんの件。ちゃんと説明があるんですよね?」
「勿論さ安吾。なにせ全ての原因は私だからね」
白状をするときはもっと勿体ぶれば良いのに、と坂口安吾は内心思いながら、太宰治の次の言葉を待った。
男はそんな彼の態度に苦笑すると、グラスを置いて語りだす。
それは、何故彼が、彼女達の世界に流れ着いてしまったのかということについてだ。
ずっとひた隠しにされて、結びまで引き延ばされたのだ。
そろそろ納得のいく回答がないと皆様方に申し訳ない。
と、安吾は説法のように唱えるが、太宰はどこか他人事のように零した。
「とはいっても、正確には私じゃないんだけどね」
「と云いますと?」
「『本』といえばわかるかな?」
「それは…」
安吾は知っている。
全ての異能を管理する事が組織の存在意義である内務省異能特務課の一員である安吾には、それこそ嫌という程に聞き覚えのある名前だった。
それは一般的な書籍の呼称ではない。
世界で唯一無二の『本』
書いたことが現実になるとされる、白紙の文学書だ。
「まさか、君はそれを使ったんですか!?」
安吾の声が店内に響く。
その声は驚きと困惑の色に染まっていた。
ジャズが流れるこの空間に漂うのは彼らだけなのが、不幸中の幸いだった。
彼の反応は想定内と云った風に動じない太宰は意気揚々と供述を始めた。
「だから云っただろう? 私が原因だけど私じゃないと」
太宰は続けた。
「書いたことが現実になる、と云っても、厳密な意味では違う。『本』はこの世界の根源に近い存在。その中には、無数のありうる可能性世界。あらゆる選択と条件変化によって無限に分岐した世界の可能性全てが、折り畳まれて内在しているんだ。そして『本』のページに何かが書き込まれた瞬間、その内容に応じた世界が『呼び出される』。本の中の可能世界と現実世界が入れ替わるんだ」
つまり何が云いたいかというと、『本』に眠っている可能性の数だけ、太宰治という人間が同じ数内在しているということになる。
「だから私じゃない。『本』を使ったのは、別の可能性世界にいた私だ」
太宰は得意気に語る。
まるで、探偵が自分の推理を披露するかのように。
犯人を追い詰めた名探偵のように。
自分自身を。
彼の言葉の端々からは、平行した時間を漂っている別世界の太宰治を糾弾するようだと、安吾は感じた。
「可能世界の私は、『本』を手にしてしまった。あちら側にも、世界の根源近縁体である『本』は存在する。もっとも、こちら側の『本』とは違い、あちらのは謂わば排水溝だ。こちら側の呼び出し命令に応じ、本は世界自体を書き換えたり、廃滅させたりできる」
太宰は俯いたまま話す。
上機嫌だった声色が、徐々に悪態混じりのものに変わってゆく。
まるで、目の前にあるグラスの氷を砕きたい衝動を堪えているかのようであった。
その真意はすぐに口にされた。
「あちら側の世界の私はつかってしまったのだよ。『本』をね」
太宰と安吾が今こうして事情聴取をしているバーを内在している世界の『本』とは違い、太宰があちら側と云う世界の『本』には、先ほど述べた力の使い方は正しい用途ではない。
あくまで、呼び出されるのを待機している子機のようなものだ。
親機ありきで真価を発揮する物だというのに。
それを使ってしまえばどうなるか、太宰が知らないわけがなかった。
「あちらの世界の私は、織田作が死なないという風に書き込んだのだろう。例え、自身がいる可能世界が壊れてもね」
いや、正確にはそれも違うかも知れないと、太宰は挟んだ。
「おそらくは、子機である『本』に書いた内容を親機の『本』に送ろうとしたんだ。こちら側の世界で、織田作が生きているとするために」
だが、それが叶うことは無かった。
排水溝としての機能しか持っていない『本』が書き込まれても、本来の機能が果たされるはずがない。
合理的さもない、一時の感情に身を任せた博打に出た自分自身に、太宰は心底軽蔑の意を醸し出していた。
「本当に愚かだよ。そんなことをしても、何の意味も無いと理解しているはずなのに」
わかっていても、あちらの世界の私はしたんだ。
書き換えればその時点で、今いる可能世界が壊れることを、最初から知っていたはずなのに。
と、太宰は呟く。
その声色はどこか自嘲めいていた。
そんな可能性が自身にあると云う事実に、嫌悪するかのような表情を浮かべながら。
だけどね、と太宰は付け加えた
「例え不完全であったとしても、壊れてしまったとしても、『本』の効果は機能した。つぎはぎだらけで中途半端だけどね」
「まさか、それがジイドまで彼女達の世界に来た理由ですか?」
「ご名答」
織田作とジイドが、教会で話していた世界転移の理由。
ジイドは特異点が原因と仮定したが、それは正解でもあり誤りでもある。
『本』というのは、書き換えたい内容が膨大であればあるほど、具体的に、細かく書く必要がある。
そして、物語の辻褄が最低限合うようにしなければならないのだ。
そうでなければ、こちら側の世界にも影響が出る。
「『本』は自動的に、描写不足や矛盾が生じるところをつじつま合わせをした。世界の分岐点が最も乱れる一点に、全てを押しつけた」
「それが…異能力の特異点」
「流石は異能特務課のエージェント。話が早くて助かるよ」
織田作とジイドが殺し合った決戦の場所。
あの洋館の舞踏室で発生した同じ異能力を持った者同士が起こした特異点。
世界の結線のバランスが『本』以外の力で歪むその瞬間に、『本』の力が機能した。
世界が壊れないようにしつつ、大筋の辻褄を合わせるように。
だから織田作とジイドは、彼女達がいる世界に飛ばされたのだ。
彼らがこちら側の世界で死なないと言うより、『本』の外側にある全く別の世界に追い出した方が、負担が少なかったからだ。
「でもこれは奇跡と云って良いほどの産物だ。最悪、こちら側の世界にも影響が出かねない。それだけ大きな矛盾だったのだよ」
それに、と太宰は云う。
「その使い方でも、織田作が死なない可能性はあったのだよ。かなり高い確率でね」
「それはなんです?」
「簡単なことさ。私と織田作が、最初から出会うことはなかったとすればいい。あの日、私は織田作の家の前にいなかった。もしくは、その日、誰も彼の家に上がらなかったとすればよかった」
そうすれば、万事解決だった。
人の生き死によりも、『本』の負担は小さいし、辻褄合わせも簡単だ。
太宰が一番最初に考えた、織田作之助が死なないという可能性。
それは、織田作がポートマフィアに入らないようにすればいい。
ただそれだけだった。
「でも私はしなかった。安全な方があるとわかっていたのに、愚かな方を選択したのだ。ただ――」
ただ、彼と過ごした記憶。
彼と友人になった時間。
彼と、隣にいる安吾と、太宰が確かにそこにいたという事実そのものを手放したくなかった。
ただそれだけのために、彼はこのような愚かなことをしたのだ。
「だから酷い話なのさ。私にそんな女々しい可能性があるだなんていう馬鹿げた考えをしている奴は、本当に私のことちゃんと読んでいるのかね?」
「…どうでしょうね」
太宰の問いかけに、安吾は答えられなかった。
応えられるはずもない。
別の世界の太宰治の行動は、結果として安吾との絆も守ろうとしてたのだから。
だが、それを口にすることも、悔やむことも、彼自身は許すことはないだろう。
なぜならば、この酒場に確かにあった見えない何か――失った後の空白によって存在を知ることが出来る何かを壊す全てのきっかけを作ったのが、安吾自身だからだ。
出来ることは、精々、彼の話題を変えてやるくらいのことだろう。
「では太宰君。なぜ武装探偵社の方々が彼女達の世界にやって来ることができたのですか?」
「あぁそれについては簡単だよ。もうすでに答えが出ている」と、太宰は顔色を変えて、バーテンダーに注文した。
バーボンをロックで、と。
バーテンダーはそれに応えるべく、棚からグラスを取り出し、氷を砕き始めた。
カランと、心地よい音が店内に広がる。
「彼女達の世界は私達がいる『本』に呼び出された世界とは全く別の世界だ。だけど、織田作とジイドが『本』によって流れ着いたことで、縁が出来てしまった」
異能力者2人が、特異点を基盤として全く外の世界と繋がった。
その獣道のような足跡は、確かに残っている。
それを辿るだけで良い。
「ある世界の私は、自分の異能で意図的に特異点を発生させて、私と記憶を接続したんだ。同じ理屈で特異点を発生させれば、短い間だけなら、複数人の異能力者を彼女達の世界に呼び出すことはできるとね」
「それ、具体的に何したんです?」
怪訝な顔した安吾は、グラスを傾けながら問う。
『本』とか『特異点』とか、何かと都合のいい理由付けに使われるほど便利な代物じゃない。
後始末や発生後の対処、隠蔽工作など、安吾の慢性的な睡眠不足を悪化させる一方でしかない。
そんなとあるロボットのお腹に張られたポケットと一緒にしないで欲しいというのが、安吾の切なる願いだった。
それで、肝心の太宰が行った具体的な方法というと…?
「とにかく滅茶苦茶頑張った」
「……やっぱり酷い話だ」
その回答を聞いて、安吾は心の底からの本音を漏らした。
その努力の半分でも、真面目にやってくれたのならば、どれだけ良かったことだろうか……。
だが、安吾の言葉を聞いた太宰は、いつものようにへらりと笑った。
そして、グラスの中の琥珀色の液体を眺めた。
「でもまあいいじゃないか。彼は幸せそうだし。何より、向こうには異能力なんてないしね」
「ジイドはいますけどね」
「彼はもう大丈夫さ」
「あの後、ジイドはどうなったんでしょうか?」
「それは今後のお楽しみ」
そう言って、太宰はまた酒を飲んだ。
あぁでも、と太宰は零すように呟いた。
「彼の小説が読めないのは、少し悔しいな」
「…そうですね」
安吾もまた、グラスに口を付けた後に、ぽつりと答えた。
2人は、静かに夜が更けていくのを感じた。
そして、1つの物語が終わったのだと理解する。
彼と彼女達の未来は、まだ誰にもわからない。
だが、その物語は、誰かの記憶の中に残り続ける。
例え、どんな形になろうとも。
「ところで安吾、最終的に織田作はどっちと結ばれると思う? 私はやっぱり千束ちゃんを推すんだけど」
「いきなりなに下世話なこと云うんですか? そうですね、織田作さんはあぁ見えて結構適当なところがあるので、たきなさんのようなしっかりとした女性が隣にいてあげた方が……って太宰君! カメラまだ回ってます!!」
「あ! やばぁ!!」
もうちょっとだけ続くんじゃ。