彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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最後の一日 中編

「あ゛ぁ゛~! おだざぐのばぁかぁ~~~!!」

 

泣き叫ぶ声が、店の裏側に構えてある居間に響き渡る。

熟れすぎたトマトのように真っ赤に染まっている頬の上を、大粒の涙が絶え間なく滴っているのを、クルミとミズキはただ呆れたように眺めていた。

「日頃の行いだな」

「今まで結構我儘云ってたから自業自得ねぇ」

クルミとミズキはお互いの顔を見合わせながら頷く。

千束がこうして惨劇をまき散らしている原因は、ほんの数時間前に起きたことだ。

織田が日本で過ごす最後の夜。

それを誰と過ごすかでもめた結果、織田はたきなとでかけることを選んだのだ。

迷った挙げ句、咄嗟に選んだのがたきなだったのだ。

2人はその時、千束が見せたこの世の終りみたいな表情を、カウンターの裏側から一部始終を覗いていたため知っていた。

「う゛ぇぇぇん。ごんなことだったらいつもみたいに命令しとけばよがっだ~!」

「お前、それで選ばれても後々嫌われるぞ?」

「そもそもそう言う所が原因でたきなに持ってかれたんじゃ無い?」

2人の辛辣な言葉が胸に突き刺さり、千束は更に大声で泣き出す始末。

日本で過ごす最後の夜が、まさかここまでの修羅場に発展するとは思わなかったと、内心彼女達と織田の関係にニヤついていたミズキも深いため息を吐いた。

「そんで、クルミ。アンタは何してんのよ?」

ミズキは居間の脇に並べられたハワイ渡航の荷物を漁っているクルミに声をかけた。

クルミが取り出したのは愛用しているゴーグルと薄い板上の端末。そして愛用のドローンだ。

彼女ほどのハッカーになると、このVRから口頭で各種コンピュータに操作を促すことができるように組み込んでいるのだ。

ウォールナットとしては生活道具というよるかは生命線の必需品。

なぜそのような物を出発前日にまた引っ張り出して来たのかというと…。

「何、たきなと織田作の様子を見てみようと思ってな」

「おぉ、アンタも中々あくどいわね」

「無知は嫌いなんだ」

と云いながら窓からドローンを放り投げる。

身体を動かすのは専門では無い彼女のフォームは、腕や足がどれもバラバラの方向へと曲がっていた。

しかし、高性能のドローンはその僅かな滞空期間で安定した飛行を可能とし、千束達が過ごしている錦糸町の街へと飛び立ち始める。

その光景をミズキも乗り気で眺めている。

結婚願望が高すぎるが故に、優れた容姿の部類であれど幾度となく理想の相手を見つけ損ねている彼女からすれば、自分を差し置いて誰かが誰かとくっつくなんて言語道断の事態だが、あの冷徹なたきなが千束と真っ正面から争って勝ち取ったデートなのだ。

面白いことが起きないわけが無い。

「お、いた」

「どれどれ……っておわ!!」

クルミの手にある端末を覗こうとしたミズキの身体を、「見せて!」と押しのけたのは千束だった。

ミズキは居間の畳に身体を打ち付けながら、二つの大きな乳房を揺らすが誰も目に留めていない。

千束は食い入るように画面を見つめると、そこには確かに織田とたきなの姿があった。

丁度お互いが待ち合わせの場所にたどり着いたタイミングだったようだ。

指定された駅前に立っていたたきなに、織田が声をかける。

『すまない。遅くなった』

『いいえ、問題ありません。想定内です』

いつも通りの抑揚の無い返事に、織田も少し困ったような笑みを浮かべている。

薄い端末に映し出された2人は、本当に恋人同士かと感じられるようなやりとりから始まっており、それが千束の心を深くえぐっていく。

「ったく、女子を待たせるなんて何考えてんのよホントにこの馬鹿は!」

女性よりも後れて待ち合わせ場所に着くという、ミズキが理想とする男の挙動とはかけ離れた現状にうなる様な声を上げているが、千束の耳にはどこか遠くへとすり抜けていくだけだった。

『今日は近所のお婆さんに話しかけられなかったんですか?』

『確かに話しかけられたが、断った。何度も引き留められたが、謝り倒して振り切ったせいで後れた。本当にすまない』

千束でも予想外の発言に、液晶越しのたきなの表情も「そうですか」と花色の瞳を丸く見開いている。

普段の彼ならば、振り切れずに3時間は捕まってしまうこともざらだというのに。

『お婆さんには悪い事をしたが、今日はたきなとでかけるからな』

織田の言葉に、たきなは僅かに彼から目を反らしている。

ドローンが撮影しいてるのが上空のため、俯いたたきなの表情を伺うことは叶わないが、千束にはたきなが照れて喜んでいると確信が持てた。

彼がたきなのためにそこまでしたという事実に、千束の心が締め付けられる。

『あぁそれと、今日の服、よく似合ってるぞ』

『……ありがとうございます』

『特に…その…なんだ、その…青色の上着は凄く可愛いと思う』

不器用ながらに言葉を紡いでいる織田にたきなは「無理しないで良いですよ」と云いながら微笑む。

流ちょうな言い回しでは無いが、出かける前に言い含めていたミズキの教えを実践したのだろう。

普段から頭が回るくせにこういう時だけ言葉が出て来ない彼に、教えた本人は呆れているが、云われたたきな自身は満足げだ。

「まぁ及第点といったところね」

「そうやって点数で差し引きしているから男が出来ないんじゃ無いのか?」

「なんだテメェやんのかこら!」

「ちょっと2人とも止めて! 動画が見れない!!」

 

もはやデートそっちのけで争い出すミズキとクルミを制するかのように端末を保護する千束。

彼女は已然、端末の映像から目が離せない。

現にたきなの様相は千束から見てもかなりお洒落だ。

それも千束が知らない服。

喫茶リコリコに来るまで、いや、過ごしている間も任務と仕事中心のたきなはお洒落や服装に頓着することはなく、それが千束の悩みの一つであった。そのはずなのに、今のたきなはどこへ行っても恥ずかしくない格好をしている。

そんな彼女の姿を目に焼き付けるように眺めていると、映像の中の織田が口を開いた。

『じゃあ行くか』

『はい』

そう言って2人は歩き出す。

数歩も歩かないうちにたきなは織田の隣につく。

彼の横側を歩く彼女は、自由になっている手を伸ばしたり引っ込めたりの動作を繰り返している。

だがそれもすぐに止み、腹をくくった彼女はコートのポケットに手を入れている織田の腕に抱きついた。

『たきな、どうした?』

『あの…ダメですか?』

不安げな顔で見上げているたきなの視線は、織田から見れば愛らしい上目遣いに見えたことだろう。

織田は彼女の儚げな表情に露骨に狼狽える様子こそ見せないが、わかったと一言呟くとそのまま寄り添って歩き出す。

その光景に千束は胸を押さえている。

それはまるで、心臓を直接掴まれてしまったかのような痛みだった。

『その服、本当によく似合ってるよ。千束と選んだのか?』

端末から聞こえる織田の声に後れてスピーカーから聞こえたのは拗ねた猫のような声だった。

『違います。全部自分で選びました』

『…そうか』

『今は千束の名前出さないでください』

たきなはさらに自分の身体を彼の腕に密着させる。

その様子はまさに飼い主に甘えている子猫のような愛らしさとはかなさがあった。

端末から見ているミズキ達にもわかるほどに、彼女の身体は熱を持っている。

普段は冷静沈着な彼女が、こんなに感情を表に出している姿を見たことがない。

千束はその光景に対して、唇を震わせることしかできてない。

「おぉう。たきなの奴、本気だな」

まるでバトル漫画のインフレについて来れなかった戦士が主人公達の戦いを解説混じりに拝んでいるような口ぶりで話すクルミに「いいや」と声を制したのはミズキだ。

「本気なんて生やさしいものじゃないわ」

彼女は本能的に察知した。

常に婚活雑誌を傍らに酒を飲み、お眼鏡にかなう男を日夜獣のように求めているミズキには、織田と寄り添って歩くたきなの背中から見えた。

その気配の意味を彼女は知っていた。

「あの子はただの生娘ですらない、殺ししか知らないリコリスですらない。今、あそこで織田と歩いているのは」

ミズキは断言した。

眼鏡を天井の照明で反射させ、その瞳の色は見えないがうつろな表情を濃くさせている顔つきで、端末を囲んでいる居間にその狂言を響き渡らせた。

「たきなの頭の中は、飢えた一匹の雌よ!!」

彼女の言葉に千束は絶句する。息を吸って吐く動作すら忘れるほど、その衝撃は大きかったのだ。

たきなが、女として織田を求めている。

そうとしか考えられないとミズキは付け加える。

「下品なこというなお前は。だから男に逃げられるんだよ」とクルミは冷静に諭すがミズキは止まらない。

リコリスの本来の存在意義は暗殺。

制服を着た少女というもっとも東京で目立たない存在に紛れ、愛らしい容姿で相手を油断させてテロリストや凶悪犯を殺す。

女が好みの男を落とすために、リコリスである自身の持てる全てを使っているその影は、もはやアラサーであるミズキには到底叶わない。

最凶の切り札と云える。

男なんて若くて可愛い娘に言い寄られれば簡単に籠絡できてしまうのだから。

「ど…どどどどどどーしようっ!」

千束はミズキの妄言を真に受けて惑わされてしまっている。

彼女にとって、たきなは良き友人であり親友であり、相棒だ。

なんとなく察しはついていたが、ここまで本腰をいれるとは思わなかったのだ。

「ヤバいわよ千束! これだと、このままだと最悪…」

「……最悪なに?」

「ホテル行くわね」

「っ……」

 

ミズキの言葉に声が詰まる音がした。

それはまるで空間に漂う空気が突然無くなってしまったと錯覚してしまうほど。

その瞬間、千束の頭の中ではたきなの笑顔や声や仕草が走馬灯のように駆け巡る。

その度に彼女の心はかき乱されていく。

もし仮に、織田がたきなを受け入れたらどうなる? たきなは、この先もずっと織田の隣にいて、2人で同じ時間を過ごしていく。

自分はどうだろうか。

千束はふと考える。

自分の隣にいるのは誰なのだろう。

「と、止めないと!」

協力してとクルミに声をかけるが、怪訝な顔で返される。

「いや、流石に水を差すわけにはいかんだろう」

「もしかしたらがあるかもじゃん!」

声を荒げる千束に落ち着けと諭し、ミズキには「あまり露骨な煽りをするな」とクルミは言う。

「たきなは未成年だし、織田が子供に手を出すとは思えん」

「そうだけど…」

「わかっかんないわよ~? 16歳なんて大人とそう変わんないだろうし」

若い方が良いに決まってると嫌な情報バイアスが掛かっているミズキの言葉にクルミは辟易している。

普段から千束に抱きつかれても動じない織田だ。

欲望に身を任せてたきなに覆い被さるなんて光景を、クルミの脳内で浮かび上がらせてもあまり現実味が無い。

それほどまでにあらゆる事に無頓着な男なのだ。

「とにかく、怪しい動きがあるまで何もするな。2人の同行は監視できてるんだ。何か起きてから判断しても遅くない」

と盛り上がる2人を冷静に諭すように端末を置く。

この小さな板よりも、もっと大画面の方が千束達の悲鳴が彼女の鼓膜を守ってくれるだろうからだ。

だが、それすらもはや叶わなくなる。

 

「あっ!!」

「え!? ちょっと画面見えなくなったんだけど!?」

 

突然、液晶の灯りが真っ暗になったのだ。

そして代わりに赤い文字で『No SIGNAL』という文字がデカデカと表示された。

それが何を意味するのか、職業柄、クルミはよく知っていた。

「誰かにドローンを壊された」

「誰に!?」

「わからん。どこかにぶつかったわけじゃないのは確かだが」

「クルミ! 早く次のドローン出しなさい! 続きが見れないでしょ!」

「待ってくれ。他のドローンは荷物の中なんだ。すぐに取り出すのはって千束! 何僕の荷物に突っ込んでんだ!」

「とにかく早くドローン出して!! このままじゃ大変なことになる~!!」

千束は半狂乱で居間の片隅に並べられたクルミの荷物に頭から突っ込む後れてミズキも便乗しだす。

「ここ? これじゃない!」

「クルミ! アンタどこにいれたのよ!」

「おい乱暴に扱うな! 繊細な物ばかりなんだぞー!!」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

空薬莢があるビルの屋上に設けられたコンクリートの床を叩く。

後れて、少女の耳に当てられていたインカムから声が聞こえた。

『エリカ。先ほどの発砲はなんだ? 許可を出した覚えないぞ?』

冷たく抑揚の無い声は山梨の富士の麓から彼女らリコリスを指揮している楠木の声だ。

まだ人の往来の激しい夜の帳が落ちたばかりの時間。

サイレンサーをつけているとはいえ、街中でむやみに発砲する物ではないのはエリカも知っている。

現に、今この東京には真島がばらまいた1000丁の銃が未だに眠っているのだ。

そんな中での発砲事件など民衆の不安をより酷くするものだ。故に、エリカの行動は完全に命令違反になるわけなのだが。

「申し訳ありません。楠木司令。不審な飛来物がリコリスを追跡していたので個人の判断で狙撃しました」

どんな処分も受け入れます。

とエリカは告げた。

だが、帰ってきたのはため息だけだった。

「…そういうことならいい。だが撃つならちゃんと指示を仰げ」

「はい、以後気をつけます」

リコリスを追跡されている。

つまりは、何者かが何らかの手段で彼女達の素顔を特定し、ドローンを用いて素性を調べている最中かも知れないのだ

現に、真島の一件で被害が出ている以上、エリカの行動に楠木は強く糾弾することが出来ないのだ。

「すぐに帰投しろ。撃つ瞬間が見られていない保証は無い」

「了解です」

エリカと呼ばれた制服を着た少女は担いでいた狙撃銃をギターケースに手慣れた手つきで収納すると、スッと立ち上がる。

「エリカ」

と彼女は背中から自身の名を呼ぶ声がしたので振り返る。

屋上に入る扉にはエリカと同じ色合いの制服を着た少女が立っていた。

波打った金髪に、濃い柑橘色のカチューシャをつけた少女のことをエリカは知っている。

「うまくいった?」

「ありがと、ヒバナ。観測手してもらって」

「お安いご用さ。それより、司令はちゃんと誤魔化せた?」

勿論と笑ってみせる。

そこにはもはや、自身の失態で人質になってしまい、その責任を全て仲間に押しつけて、その後悔と罪悪感に支配されて、その場で何もしないという選択をしてしまう、臆病な少女の姿はどこにもいなかった。

彼女は振り返ると、自身が放った弾丸の先にいるであろう少女の名を零す。

「たきな、頑張ってね」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「咖喱、美味しかったですね」

「あぁ、美味かった」

 

私は隣を歩くたきなと共に店を出た。

その店はこの近辺でもかなり老舗の咖喱店らしいのだが、たきなが調べて予約まで済ませていたのだ。

遊びの栞をあの短期間で用意し、予約を済ませる用意周到さにはいつものことながら驚かされる。

「だが、良かったのか? 咖喱は俺は好きだが出かけるならもっと洒落た店の方がいいんじゃなのか?」

年頃の女の子、それも小さい子供ではなくある程度分別のついているとなると、咖喱というのは男と仲睦まじく食すものではないように思えてくる。

特に千束とかは猛反対しそうなものだが。

「私も咖喱は好きですよ?」

「そうか?」

「はい、それに……」

と、俺の腕に抱きつく。

普段から千束にもやられていることだが、彼女の腕は細く柔らかい。

まるで小動物にじゃれつかれているような気分になる。

そんな彼女が少しだけ恥ずかしがりながらも、こう言った。

「貴方となら、どこへ行っても楽しいと思います」

そう言ってくれるのは嬉しい限りだが、私のようなくたびれた男にそこまでの価値があるのか疑問だった。

だがそれを口にするのは憚られた。

それは、彼女の想いを無碍にすることと同義だからだ。

私のような俗物の身に余る情ではあるが、精一杯受け止めることとしよう。

それが、私に出来る数少ないことなのだから。

不意に、ピロロロロとたきなの服の中から電子音がする。

電話とはまた毛色の違った音はこの逢い引きが始まってから数回。

絶え間なく鳴っている。

これはたきなが設定したアラームだ。

計画を立てて栞まで作った彼女は、その細かい時間を分単位で調整していた。

この音が鳴ったと云うことは次の予定の時刻が来たという知らせを意味している。

「行きましょうか」

「あぁ」

私の腕を引き、彼女は歩き出す。

次に向かう場所はたきなが作った栞の大トリだ。だが秘密と書かれておりその内実は伏せられたままだ。

真面目で実直。だがどこか型にはまっている彼女がこういう遊び心というのを覚えたのが、リコリスとして育てられた彼女ではなく、生来の井ノ上たきなとしての一端が見れた気がした。

 

 

「おぉん? どこかで見たことある面だと思ったらお前らじゃねぇか」

 

だが、私とたきなの時間が、喧しく品の無い男の声で水を差されることとなる。

その声の先を彼女とほぼ同時に見た。

そこには良くも悪くも印象に残っている男がいた。

筋骨隆々の両腕には、絡みつくように掘られている蛇の入れ墨が全身にわたって広がっている。

スキンヘッドに鋭い目つき。

どこをどう見ても堅気とは云えないこの男を私とたきなは知っていた。

「貴方は…」

「確か、バレットだったか?」

「おうとも」

彼の名はバレット。

夏に護衛の依頼を受けたときに、敵対していたジンという暗殺者が差し向けてきた刺客だ。

戦った私は勿論、たきなも彼のことを良く覚えているだろう。何せ自分を殺しかけた男だ。私の判断が僅かにでも後れていればたきなはこうして私の隣をあるくことはなかったはずだ。

それもあるが彼との戦い以来、たきなとの距離が縮まったように思えることもまた、彼を印象づける事象となっていた。

「こんなところで何をしている?」

「何って、バケーションさ。この国にも面白い裏試合があってな。それで圧勝したからその金で遊んでんのさ」

と両脇にいる香水の濃い女二人に視線を向ける。

どちらも美人であり、胸も大きく尻も大きい。

だが、たきなのような清楚さと可愛らしさ、そして儚さはない。

彼女らは娼婦なのだろうか。

いや、今はそんなことはいい。

問題は、彼がここにいる理由と、そして、なぜ私たちに声をかけたのか。

その理由が問題だった。

現にたきなは殺されかけた相手ということもあってか、私の腕にしがみついて離れない。

よほど怯えているのだろう。

「おいおい、そんな怖い顔すんなよ。俺からしたらお前の方が怖いっての」

そう言って肩をすくめる。

その仕草はとても似合っており、様になっていた。

「その嬢ちゃんにしたことも、俺は謝らねぇぜ? なんてったってそういう世界だ。よくあることだろ?」

「あぁよくあることだ。相手の返り血に染まることが売りな男が、自身の血で身体を染め上げることもよくあることだ」

と彼の戦いの内実を話すと意外にも大笑いで返してくれた。

どうやら、仕事とプライベートは完全に分けているらしい。

それにトーキーという異名に恥じないやかましさと陽気な性格の持ち主でもあるようだ。

ミカと個人的に付き合いのあったジンは自身の異名をクルミに煽られてただただ黙って眉間に皺を寄せていたのとは大違いだ。

「そうだ。前から思ってたんだ。お前、俺の紹介する裏試合に出てみないか? お前ほどの男なら欲しい物全部手に入るぜ?」

「生憎、その手の誘いには乗らない主義なんだ」

そうかい、と残念そうな顔をする。

下手に身の丈に合わない仕事と金は持つべきでは無い。

それに私達には彼女達がいる。そこが私の居場所だ。それ以外の別の場所に行くつもりは無い。

これも意外で、彼は変に食い下がる様子は無い。

代わりに私の隣で小さく威嚇しているたきなに目をやった。

「嬢ちゃんもいい女になってるじゃねぇか。初めて会った時よか一皮むけてんな」

彼なりの褒め言葉らしいが、たきなは何も云わず私の腕を更に強く抱きしめた。

それを見たバレットはなにやら悟ったような顔をしたあと、「じゃあな」と両腕に抱えた娼婦と共に歩き出した。

「さーて、次は吉原と腹切りショーが見てみたいぜ!」

「もーおにーさん、そんなの今の日本に無いですよ?」

「リアリィ!? 嘘だろおい!! じゃあ忍者はいないのか!?」

「いないわよ~」

「ガッテム!!!」

 

去り際も、トーキーの名に恥じない騒がしい声が聞こえてくる。

嵐のように現れ去っていった彼に呆気に取られていたたきながようやく口を開いた。

「ようやく行きましたね」

「そうだな」

まだ腕を離してくれないのが愛らしく思えた。

だがそれも仕方が無いだろう。

なにせ彼女は、あの男に殺されかけたのだ。

その報いはきっちりと払ってもらったが、彼のように陽気に流せる方がおかしい。

私も、そしてたきなも、きっとこれから先もずっとあの男のことを引きずることだろう。

だが、同時に彼女との仲が深まったきっかけでもある。

これは、切っても切り離せない、良い意味でも悪い意味でも、忘れられない思い出になるだろう。

「守ってくれてありがとうございます」

「俺は別に何もしてないが?」

「そんなことないです。織田作さんがいなかったら、怖くて銃を抜いてました」

それは確かに怖いなと笑ってしまう。

どういう意味ですかと頬を膨らませるたきなだが、安心しているはずなのに腕の力が緩まることは無かった。

「でも、やっぱり少しだけ怖いのでこのまま歩いてください」

「あぁ、分かった。たきなの気が済むまでこうしてよう」

「ありがとうございます」

そう言ってたきなは私の腕を抱きながら、次の目的地へと向かっていく。

その道中、私は彼女の歩幅に合わせて夜の街並みが照らす道をゆっくりと歩いた。

それは已然千束が見せてくれた恋愛映画の一瞬を切り取ったように思えるが、いささか年の差が離れていることだけが頭痛の種になりそうだ。

ふと、千束の顔が浮かんでしまった私は足を止めてしまう。つられて隣を歩くたきなの足も止めてしまった。

今、千束は何をしているのだろう。

咄嗟にたきなを選んでしまったが、あの絶望した顔を見たときは流石に後悔したものだ。だがやっぱり千束にするとも云うことなどできないため、こうしてたきなと最後の夜を過ごしている。

今頃、店でミズキとクルミに慰めてもらっているところだろうが、彼女ともこの国で過ごすのは最後になってしまう。

海を渡ってハワイに行けば、またそこで同じ時間は過ごせるだろうが、ここで、この街で、彼女と過ごした街で生きた証をもう一つくらい残したい物である。

「どうかしましたか?」

「あぁ、すまない」

首を傾げたたきなの声が思考の海から私を現の世界に呼び戻してくれる。

いけない。

今はたきなと過ごすと決めたのだ。

彼女も千束の名は出すなと云われた以上、足を止めるわけにはいかない。

別に明日もそれなりに猶予はあるのだ。その間に千束とは埋め合わせれば良い。

「…もしかして、千束のことですか?」

だが手遅れだった。止まったのは迂闊だった。

聡い彼女のことだ。

選ばれなかった千束のことを考えてしまったことを見抜かれたらしい。

「…すまない。今はたきなと過ごすと決めたのに」

「気にしないでください。私も少し悪い気がしているので」

「…じゃあ共犯だな」

「そうですね」

私の言葉にたきなはクスリと笑う。

口では千束の名は出すなと云ったが、やはり彼女にとって千束はかけがえのない相棒なのだ。

私程度の男がいたとして、その関係が壊れることはないだろう。

現に彼女達はあの最凶の亡霊を圧倒したのだ。たった2人だけで。

私ですら差し違えることしか出来なかった男を殺し得たというのが驚きだ。私も友人達もその手腕には舌を巻くことだろう。

それだけ、2人の絆は強く見える。

「でもそうですね、何か千束にお土産でも買っていきましょうか?」

「妙案だな」

それには賛成だ。

この国の思い出の一つも残していきたい。

それに千束も、きっと喜んでくれるはずだ。

だが問題は何を買うべきかだ。

こういう時、女性の喜びそうな物を選ぶセンスは無い。というより、女性にプレゼントをした経験すらほとんど無い。

どうしたものかと考えていると、たきなが「あ!」と声を上げた。

「織田作さん、あそこに寄ってもよろしいでしょうか」

「あぁ、構わない」

彼女が指差したのは、大通りの一角にある小洒落た店。

輸入雑貨を扱っているらしく、様々な商品が並べられていた。

店内に入ると、たきなは真っ先にショーケースの方へと向かった。

ガラス越しに見えるのは、小さな置時計やらオルゴール、それからアクセサリーの数々。

たきなはショーケースの中を眺めると、一つのネックレスを手に取った。

「これなんか良いんじゃないですか?」

「どれ?」

たきなの手の中にあるのは、銀色の鎖に花の飾りがついたペンダント。

シンプルではあるが、どこか惹かれるものがある。

花びらの形がどこか彼岸花に見えるのがそれをより強調した。

「前に付けてたチャーム、捨てちゃったんですよね」

「綺麗だが、値段が高いな」

「確かに、ちょっと高いですね」

たきなの言う通り、値札に書かれた数字は中々のもの。

少々痛い出費になるのは間違いないが、クルミが返してきた私の全財産を持ってすれば問題無い。

「だがまぁ、これなら千束も機嫌を直すかな」

彼女が已然付けていたチャーム、それはアラン機関が支援したアランチルドレンの証。

あの日、吉松と決別した彼女には無用の品。

だが、何か首にかけてあったほうが彼女らしい。

「じゃあこれにするか」と私は置くにいる店員に声をかけた。

愛想の良い女性は笑顔で対応し、すぐに梱包のために奥へと消えていく。

「たきなも、何か欲しいものはあるか?」

「いいんですか?」

どうやら自身にも買ってくれるとは思っていなかったらしく花色の瞳を小さくさせている。

そんなの当たり前だと伝えると、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべて再び陳列された商品を見つめ始める。

私も一緒になって見ているのだが、ふと、とある物が目に入った。

思わず手に取ってみると、たきなの興味を引いたのか私の元へ駆け寄ってくる。

「それは……」

「髪留めだ」

「可愛いですね」

「あぁ、そうだな」

たきなが手に取り、しげしげと見ているのは藍色のリボンが付いた可愛らしいデザインのヘアゴムだった。

たきなはしばらくそれを見てから、決心したように私に向き直り、

「これも買っていただけませんか?」

と訊いてきた。

私としても断る理由はない。

彼女の分も合わせて会計を済ませると、たきなは大事そうに袋を抱えて微笑んだ。

「ありがとうございます」

「礼を言う必要はないさ」

私が勝手にしたことなのだ。

むしろ、こんなことで彼女の機嫌が良くなるのならば安いものだ。

そう思ってのことだったのだが、たきなにはそれが伝わったようで、「そういうところですよ」と呟いた。

「何がだ?」

「何でもないです」

たきなは微笑みを浮かべながら私の隣に並んで歩き出す。

そして私達は店を後にする。

「そう言えば、最後の予定は大丈夫なのか?」

店を出て数分、多少の寄り道をしてしまったが本来の予定があったはずだ。

元はと言えば私が余計な考えを巡らせたせいだ。

彼女に申し訳が立たないところだが、彼女は首を横に振って否定する。

「大丈夫です。織田作さんのことですので何かあると思ってある程度猶予を開けておいたんです」

「それは本当に申し訳ないことをした」

彼女には私の妙な体質まで完全に網羅されているらしい。

この調子だと、金銭や生活環境すらも管理されるような気がしてならない。

そこまでしてもらう理由は無いというのに。

そう思いながらも、私は彼女に感謝した。

「じゃあ行きましょうか」

「あぁ」

と再び歩き出そうとした私に異能が発現した。

数秒先に見える未来の映像が私には見える。

一見すると無敵とすらいえる異能力だが弱点もある。

特にこの手の手合いの攻撃には無力だ。

それは――

 

たきなの果実のような頬に、雫が一つ。

そして次の瞬間にはどの重火器や艦砲射撃でも不可能な絨毯爆撃が街中を襲った。

雨だ。

それも大粒のゲリラ豪雨。

天気予報は晴れだったというのに。

 

「たきな!」

 

私は隣で歩く彼女の手を掴んで走り出すが無情にもその5秒が到達してしまった。

空からは無数の雨粒が私達に襲いかかる。

とにかく近くの庇まで行かなければならない。せっかくのお土産も、彼女がこの日のために用意した洋服も全て濡れてしまう。

全身がすでに水浸しになりつつあるなか、私はたきなの手を握ったままある一角へと逃げ延びた

そこは随分と派手な装飾が施された建物の入り口。

場所を細かく指定できなかった私は背後で息を荒げているたきなに声をかけた。

「すまない。濡れなかったか?」

「いえ…大丈夫ですよ」

 

膝を手についていた彼女は顔を上げる。気丈に振る舞っているが、髪も服もびしょびしょになっている。

だが、幸いなことにたきなが持っていた荷物は無事だった。

雑貨屋で買ったお土産だけは死守しまいとしていたのだろう。

だが、問題はこれからだ。

私は目の前にある建物の入り口を見る。

看板に書かれた文字は、"ラブホテル"。

私はそこで初めて、自分の犯した失態に気づいた。

私は慌てて弁明しようとするが、それよりも先にたきなが口を開いた。

だが、それは予想していたものとは全く違うものだった。

彼女の口から発せられた言葉は、私を責めるものではなかった。

彼女は云った。

まるで言い訳や口実を作るような口ぶり。

作られたたどたどしい口調で。

 

 

「その、濡れたままだと風邪を引いて明日に障りますし……その…」

 

 

 

雨宿りしませんか?

と。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

喫茶リコリコのホールに身を映した千束達は、旅行鞄の中から引っ張り出した精密機器で出かけている織田とたきなの足取りを探っていた。

何者かの妨害のせいでドローンを破壊されたため2人を見失い、1時間は野放しにされていたのである。

その一時間を発狂しながら過ごしていた千束はようやく準備が出来たクルミに声をかける。

「クルミ! 2人はどこ行ったの!?」

「あぁもう面倒だから街中のカメラハッキングしてやる!」

「それでどこにいるのよ!?」

「話しかけるな! 検索がバグるだろう。えっーとどこだ~あ、いたぞ!」

 

店のカウンターに置かれたディスプレイにある映像が映し出された。

3人はその光景をあの辺りにする。

それは、彼女達の仲間である織田とたきなが、ホテルに身を寄せようとしてるところが克明に映し出されていた。

 

「「「……」」」

 

その様子に、三者三様の反応を見せる。

クルミは絶句し、ミズキは怒り狂いそうになるのを唇を噛んで必死に堪えいる。

そして、最もこの2人の逢い引きに神経をすり減らしていた千束はと云うと――

 

 

 

「………………ひゅっ」

 

 

喉から奇妙な音を出して失神してしまった。

スツールからも崩れ落ち、あわや後頭部を打とうとしたが咄嗟にクルミが受け止めて事無きを得た。

「おい千束! 気を確かに持て! ん? おいミズキ! 千束の心臓が動いてないぞ!!」

「人工心臓だから鼓動なんてしないってーの!!」

















長くなったのと引きがいいのでこの辺で。
次回をお楽しみに。
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