彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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最期の一日 後編

「あの、ありがとうございます。服、貸して下さって」

 

部屋の奥からバスタオルを持って戻ってきたたきなに、私は「気にするな」と短く答えることしか出来なかった。

今の彼女を真正面から堂々と拝むなど、とてもじゃないが憚られる格好をしていたからだ。

たきなは私が着ていた襟衣に袖を通している。

延空木の決戦後、入院していた私にミカ達が用意してくれた物だ。

なぜか普段着と同じ黒地に白いボーダーが走った一着なのだが、今はたきなの小さな身体を包み込んでいる。

私の方はコートが雨粒から守ってくれたため、濡れが少なかったが彼女はそうではない。

薄手の上着では内側の衣まで雨粒が染み渡っていた。翌日の渡航で風邪を引かせるわけにはいかない故、こうして私の衣服を渡したのだ。

正直、彼女の華奢な肩幅では大きすぎたようで、手元が完全に袖で隠れてしまっている。

裾の方に至っては膝にまで届きそうになっており、まるで裾の短いワンピースを着ているようだ。

だが、そんな彼女の愛くるしさがより一層際立っているように思えた。

「すみません……。こんなことになって」

「謝ることは無いだろう? それよりも、たきなに何かあったら大変だ」

私の言葉にたきなは一瞬だけ目を丸くすると、すぐに俯いてしまった。

何か変なことでも言っただろうか? 首を傾げる私だったが、不意に彼女は歩き出す。

見下ろしたままスタスタと迷い無い歩調で私の元に歩いてくると、何故か私の隣に小さく腰を下ろした。

隣合うという言葉すら生やさしいほどの距離だ。

お互いの肩と肩、腰と腰同士が触れあっている。

襟衣の薄い布地から、お湯を浴びたばかりで熱を持った肌の温度を感じる。

そしてふわりとした甘い香り。

シャンプーなのかボディソープなのかは分からないが、女性特有の優しい匂いが鼻腔を刺激する。

僅かに濡れている黒くて長い髪が、私の肩口に掛かり、こそばゆい。

まるで恋人同士のような密着具合に私は戸惑うばかりだった。それに、触れあうほど隣にいると、彼女の毛先には私が思っている以上に癖がわかる。

彼女は何も言わない。ただ黙ったまま、私の顔を見つめているだけだ。

その瞳はどこか虚ろで、今にも涙が溢れてしまいそうなほど潤んでいる。

私はどうしたらいいのか分からず、彼女に話しかけることすら出来ずにいた。

ただひたすら沈黙が流れるばかりだ。

「その……どうしてこんなことを?」

結局耐えきれなくなった私は疑問を口にした。

たきなが一体何を考えているのか全く読めなかった。

今までの彼女ならば、私に対してここまで大胆な行動を取るとは到底考えられない。

そもそも、今回の逢い引きも誘ってきたのは彼女からだ。

私も何かしてあげたいとは思っていたが、思いも寄らない展開の連続に少し参っている。

もしかしたら私は知らぬ間に彼女の地雷を踏み抜いてしまったのかもしれない。

私は不安になる。

もしかするとこのまま嫌われてしまうのではないかと。

「織田作さん、ありがとうございました。私を選んでくれて」

だが、それは取り越し苦労だった。

彼女は消え入りそうな声で答えてくれた。

「……その、今日だけはずっと一緒に居たくて」

それが何を意味するか、私は直ぐに理解出来た。

あの時、千束と言い争ってあんな風に叫んでこそいたが、内心では不安でいっぱいだったのだろう。

私は彼女の頭を撫でる。

少しでも安心させたかった。

彼女はゆっくりと私の胸元に頭を埋めてきた。

小さな頭が私の身体に寄りかかってくる。

「たきな…」

身を預けてきた彼女に対して、少しだけ驚いた私は彼女の名を呼ぶ。

「ダメですか?」とたきなは私に問いかけてくる。

震えていて、ほんの僅かにでも風が吹けばかき消えてしまいそうな声だ。

潤んだ花色の瞳と共に、彼女は私に訴えかけてきている。

駄目だとは言わせてくれなかった。

云えば、子猫のようにか細い彼女の手を払い除けることになるからだ。

私は何も云わず、彼女の羽毛のように軽い身体を受け入れた。

今の彼女にとって、この温もりだけが唯一のよすがなのだ。

私とたきなだけの空間に雨音だけが響き渡る。

どうやらしばらくは止みそうにはないだろう。

だが、私はそれで良いと思った。

例え雨が降り続いていても、彼女と一緒なら悪くはないと思えたからだ。

「…あの」

どれくらい時間が経っただろうか。

たきなが不意に口を開いた。

先程までよりも、幾分落ち着いた様子だ。

だが顔はまだ真っ赤にしたまま。

痺れを切らしたかのように、たきなは私に尋ねてくる。

「私って、そんなに魅力ありませんか?」

降って沸いた彼女の問いに「何?」としか応えることが出来ない。

魅力が無いわけがない。

ひいき目に見なくても、たきなは美人の部類に入る。

しなやかで艶のある黒髪。淀みない輝石のような花色の瞳。つり上がって形の良い瞼。

鼻先から指先に至るまで、とても銃を持って人を撃っている少女とは思えないほど整っている。

それに、彼女の仕草一つひとつがとても可愛らしく思える。

「い、いや。そんなことはないぞ」

「…ならその、もっとないんですか?」

私の答えが不満なのか、随分と曖昧な問いが帰ってきた。

女心というのは兼ねてから分からない物だと友人の間でも良く話題になっていたが、年頃のそれもティーンエイジャーの少女の話題は上がったことすらなかったのだ。

「その、もっとってなんだ?」

分からない以上は聞くしか無いが、燻った炭のような吐息が漏れるばかりだ。

私とたきなの間に再び沈黙が流れる。

彼女は相変わらず顔を赤くしている。

だが、その表情は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない。

私は必死になって考えた。

だが、いくら考えても彼女の真意は掴めない。

いよいよ耐えかねたのはたきなの方で、とつとつと漏らすように話し出す。

「…私だって、男の人のことわかりますよ。リコリスですし」

「……それは」

口を挟もうとする私に、「普通思いませんか?」と彼女は釘を刺す。ようやく意味が分かった私の逃げ道を塞ぐように。

「凶悪犯やテロリストを殺してたんですよ? 失敗すればどうなるかくらいわかってます」

制服に身を包み人に紛れ、麗しい少女の見た目で油断させて相手を殺める彼女達リコリスが、もししくじるようなことがあればどうなるか。

彼らのような裏側の存在にその正体がバレればどうなるか、愚かな私でもわかることだった。

彼女のような華奢な少女に何をするかを。

「任務でもそうです。そう言う目で見られたことはよくあります。だからこそ、私達も必死になって殺すんです」

でも貴方はそうじゃないじゃないですかと、たきなは続ける。

具体的に言葉にはしないが、その声色には言語や文字なんかよりもよっぽど現実味を帯びていた。

たきなも見たのだ。

自身が受けていなくても、そうなってしまった同僚達を彼女は見てしまっている。

そして、自身はそうならないように殺す技術を高めるしか無い。

そういう風に教えられてきた。

「俺にそういう目で見られるのは嫌じゃ無いのか?」

「…貴方は別です」

 

――貴方以外の人なんて考えたくも無いです。

 

とたきなはさらに身体を寄せてくる。

だが私にとってたきなは仲間だ。

共に背中を預け、命を預け合った友だ。

一時の情欲に身を委ねて傷つけるなどあってはならない。だが決して彼女に魅力が無いわけではない。

大切で、かけがえのない存在だからこそ、安易に触れることができないのだ。

 

「千束、ですか?」

 

だがその意図は、歪んだ形で彼女に伝わることになる。

違うと口にしようとしたが、たきなの声に制される。

「私が、人殺しだからですか?」

彼女は続ける。

花色の瞳が、昼間に見せた時以上に激しく揺れている。

その瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。

「千束と違って、私はたくさん殺しました。貴方にも銃を向けました。それも二度も」

ようやく悟る。そして自身の愚かさを悔やんでしまう。

私が最も留意しなくてはならなかったことにだ。

DAに拾われて、リコリスとして殺しを重ねてきたたきなには元より千束に対しての劣等感を感じていた。

それは、銃弾を避ける才能とか、強さとか、理屈抜きで自身の求めている物を全て持っていたとか、そんな子供じみた嫉妬では無い。

もっと早く、気付くべきだった。

彼女もまた、私と同じだというのに。

「私が…人殺しだから、そう言う風に思えないんですよね?」

それは、自身がリコリスとして殺しを続けてきたという罪の意識だ。

幼い頃から富士の麓。

あんな監獄のような場所にいることが全てで、それが最も尊い物だと教えられてきた。

そんな彼女が、千束や私と出会って、外の世界に触れて、自身が正義だと信じ手を汚していた人間にも人生があることに、気がついてしまったのだ。

外に出て、街に出て、店で働いて、多くの人と会って、見て、訊いて、触れてきたのだ。

自身の手に握られている物で、その人達の人生を奪ってきたことを。

「たまに思います。私は千束や貴方と違うんだなって。だって…」

 

――私の手はすでに汚れている。

 

とたきなは震える声で呟いた。

彼女の顔は青ざめていて、今にも倒れてしまいそうなほどだ。それでも彼女は続ける。

「織田作さんは云いましたよね?」と問う。自身の喉元に鋭利なナイフを刻み込むような声で。

「小説を書くことは、人間を書くこと。どう生きて、どう死ぬかということって。だからですよね?」

「……たきな」

「千束は凄いと思います。でも、私にはそれしかなかった」

「たきな」

「でも殺したのは私の意志です。殺したのは私の決断です。それ以外になかったとしても、選んだのは私です」

「たきな、訊いてくれ」

「今日私を選んでくれたのも、無理してくれたんですよね? こんな人殺しに、ましてや貴方を殺そうとした汚い人間に、幸せになる権利なんて」

「たきな!」

それ以上は、云わせたくなかった。

云わせてはいけなかった。

だから叫んだ。同時に彼女を抱きしめる。

細くて花の茎のように華奢な身体は、まるで折れてしまうんじゃないかと思うくらいだ。

それでも私は力を込めて、強く、ただひたすらに強く抱きしめた。

そうしないと、彼女の心が放り投げられた水晶のように砕け散ってしまいそうだったから。

「離して下さい。私に貴方に抱きしめてもらえる資格なんて」

「それ以上話したら俺はお前を許さない」

その言葉で震えている彼女の肩がピタリと止まる。

厳しく、強い口調で私は言い切る。

その先を口にすることを私は許すわけにはいかないのだ。

「たきな、お前は人殺しに幸せになる権利が、善人になる権利がないと本気で思っているのか?」

なんて幼稚で浅ましく、思慮不足な考えだ。

全く馬鹿馬鹿しい。

その考えがいかに根拠薄弱か、1秒で証明してやる。

腕の中で震えているたきなに私は問うた。

「たきな、お前は今まで何人殺した?」

私の言葉に小さな肩が僅かに震える。それはきっと恐怖だろう。

自身の手で人を殺めた数など、今の彼女に訊く事がひび割れた心に金床を振り落とすほど酷なことだ。

だが私は問わなければならない。

そうでなければ、彼女を救えないからだ。

彼女は私の胸に顔を埋める。くぐもった声が胸を伝って鼓膜に届く。

「…正確な数字はわかりません。DAで調べればわかると思いますけど、少なくとも100人は殺しました」

「たかが100人くらいなんだ」

迷い事無く私は言い切る。

ほんの僅かの逡巡も無い。

数など関係ない。

例えその値が千だろうが万だろうが大差は無い。

 

「俺も殺し屋だった。丁度、たきながDAに拾われたくらいの歳から殺しの仕事をしていた」

かつての私にもそれしかなかった。

殺すこと以外でどうすればいいかわからなかった。

私の手はすでに汚れているのだ。

それでもあの人は、俺にあの本をくれた。そして、その続きをお前が書けと云ってくれた。

彼女の耳元に、確かな言霊を送る。

逃げられることのないように、聞き逃すことのないように。

だが結局、私は人を殺した。

彼女と同じように、自ら決断して彼らを殺めた。その時に全てが終わった。

「だけど、お前達がもう一度俺にその資格をくれた」

たきなが、千束が、私を始めさせてくれた。

終わった私に再び人生を書くきっかけをくれた。

そんな彼女が、幸せになる権利なんてないなんて云わせない。

善人なる権利なんて云わせない。

「たきな。その程度の命で、お前の美しさと釣り合いが取れるわけが無い」

私は知っている。

彼女の強さを。美しさを。

あの時、彼女が焦がれていた噴水の前で言い切った時に見せた決める強さを。

「たきな、お前は汚れてなんか無い」

とても綺麗だと、私は言い切る。彼女に負けないくらいの迷いの無い言葉で。

だから、もう泣くな。

そう言って私は彼女の頭を撫でる。

嗚咽混じりの声は次第に小さくなり、やがて消えていく。

彼女の手が背中に回され、強く抱きしめられる。

「……ごめんなさい」

「謝るな」

「……ありがとうございます」

「礼を言われるようなことはしていない」

「……でも」

「……なら、これからも一緒にいてくれ」

「……はい」

たきなは私に顔を埋めていたが顔を上げる。

涙は止まっていたが、潤んだ花色の瞳が私を見上げてた。

「……織田作さん」

「どうした?」

「私を――」

彼女がその先の言の葉を口にする瞬間、私の脳裏に映像が見えた。

天衣無縫。

数秒先を予見する私の異能力が見せる未来の風景だ。

私の脳内を覗ける人間がいれば、その映像を見た時の私の頭の中はきっと狭い通路に幾千の人々が押し寄せてひしめき合っていることだろう。

文字通り血の気が引く思いだった私はすぐに動いた。

 

「きゃっ!?」

 

私は腕の中にいるたきなの身体を引き寄せてベッドに倒れ込んだ。

 

「お…おお織田作さん!? えっと、あの…まだ心の準備が」

たきなは耳まで赤くしたまま虚ろな目で手を振っているが私は構わずベッドに手をかけた。

掴んだのはシーツだ。

それを広げて私とたきなの身体を包み込む。

「え…いや、その、私もそう言うつもりではあるんですけどえぇその」

部屋の空気と遮断されたベッドの上では、たきなはまだ何か話していたが私には聞こえなかった。

何故ならば、あとほんの1秒で私が見た未来の光景が現実の物となるからだ。

そして、その時は来た。

 

けたたましい音と共に、部屋の窓ガラスが砕け散る音が聞こえた。

9mm弾やライフル弾、ましてやマシンガンのような小粒のような物が窓ガラスを割ったのではない。

大砲よりも大きなものが窓ガラスを突き破ったのだ。

シーツに身を潜めた私には見えなかったが、予知でそれが誰の仕業による物なのか、検討が付いた。

それは――

 

「たきなぁ!! 織田作ぅ!! なぁにしてんのぉ!!」

 

 

暖色混じりの短髪と深紅のリボン、そして灰色のスカートを激情に身を任せながら揺らしているその少女の名は千束だ。

どういうわけかここまで嗅ぎつけてきて、ワイヤーショットを巧みに使い、壁をよじ登って飛び込んできたのだ。

私がシーツを広げて覆い被さったのは、たきなを飛び散るガラス片から守るため。

襟衣しか身につけていない彼女には十分すぎるほど危険な物だ。

だが、それ以上に恐ろしい物が部屋に入って来た。

 

「はぁぁあぁ~~っ!」

 

どうやら私とたきながベッドにいることを目の当たりにしたのか、肺から穴が開いたような声を上げた千束は、カチャリと銃を構える音を出す。

おそらく私の頭に向かっているはずだ。

私はシーツとその上に乗ったガラス片を取り払って後ろに立つ彼女に向かって叫ぶ。

「千束! 落ち着け!!」

「なぁんでたきなを押し倒してるのさぁ!!」

「お前が飛び込んできたからだろう!?」

「ち、千束!? なんでこんなところに!?」

「たぁきなぁ! あぁんたなぁにしてんのさぁ~!!」

「ちょっと待ってくれ、千束」

「おださくは黙れーぃ!!!」

「千束、お前は何をしに来たんだ」

「決まってんじゃないのさぁ。リコリスとしてぇ未成年に手を出す不届き者をとっちめに来たんだよぉ!!」

虚ろな瞳の千束は片手に持っていた銃を再び私に向け始めた。

千束はまずい。私の予知をある程度凌駕できる彼女の銃弾は驚異だし、只でさえ銃も、ましてや防弾装備も用意してない今の私には非殺傷弾でも最悪明日の渡航に支障が出るほどの怪我を負う可能性がある。

いや、そもそも彼女が私をハワイに連れて行ってくれるかすらもはや怪しくなっているのだが。

「ち、千束! とにかく落ち着いて下さい!」

起き上がったたきなは慌てながらも私と千束の間に入り仲裁を測ろうとする。

だが、たきなの身に包まれている物を見た千束は、さらに血相を変えた。

「うそ…彼シャツ? もしかしてもう手遅れ?」

「ち、違います! これは雨で濡れたから貸してもらっただけでまだ」

「まぁだぁ!? それってなに!? これからやろうとしてたってことぉ!!?」

「それは…」

たきなよ。なんでそこで堂々と否定してくれないんだ?

なんで顔を赤らめたまま俯いているんだ。

そんな事をされたら余計千束がヒートアップするじゃないか。

 

「もぉ怒ったぁ! 未成年に手を出した犯罪者は私が死なない程度にぶっ飛ばしてやるー!!!!」

 

ふと走馬燈が見えた。

この状況と似た風景が私の記憶にあったからだ。

あぁ、思い出した。

フロント企業の役員が愛人と妻に挟まれている修羅場をその場で仲裁したことがあった。

ポートマフィアの最下級構成員として体の良い何でも屋をして大抵の仕事はこなしていたが、あの時ばかりは舌を噛み切りたくなった。

もういっそのこと噛み切ってしまおうか。

ふと舌を歯にあてがってみるが、うまくいかない。別の方法を考えた方が良さそうだ。

この時、アイツなら体の良い自殺方法を考えつくのだろうと、私はどこか他人事のようにかつての友人の顔を思い出していた。

 

 

「織田作のばぁかぁ!!!!!!」











※その後、無事(?)、ハワイにたどり着くことは出来ました。
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