彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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LrcoReco・of・the・Cocktail 前編

カフェリコリコ。

その前身はかつて喫茶リコリコとして東京の街、錦糸町の一角に構えられていた、和菓子と珈琲というミスマッチな組合せが売りの喫茶店である。

奇をてらっているように見えて、店主が入れる珈琲と丹精込めてこしらえた和菓子達は、緻密で繊細な計算のもとで見事な調和を生み、錦糸町の隠れ家として数少ない常連達の密かな憩いの場だった場所だ。

だがその店はその町にはない。

東京どころか日本にすらない。

ではどこにあるのか?

それは………

 

 

 

 

ハワイである。

 

 

「エンジョーイ!」

 

愛嬌のある声でカップを渡している黒髪の少女の声がキッチンカーに響く。

元来愛想が良いとはお世辞にも云えなかった彼女が、生来の感情のままに客と対話している姿は曲がり角で銃口を突きつけられた時とは想像もつかない変化といえた。

 

「千束、次お願いします」

「まっかせてー!」

 

一方、たきなの変化に最も影響を与えた少女は何時にも増して明るい。

日本よりも緯度が低いこの島国は只でさえ常夏の国だというのに、彼女がいるのといないのとでは気温も明度もまるで違う気がする。

それこそハワイアン・コーヒーのように苦味と甘味のバランスが取れていて、見ているだけで気持ちが温かくなるような笑顔を振りまいていた。

彼女は店主であるミカがいれた珈琲を受け取ると、わざわざ私を視界に捉えてこちらに赴いてきた。

 

「おーださく」

 

とニンマリとしたご機嫌な笑顔をつれて蓋のついた紙コップを私の方へと手渡す。

「ほら、お客さんに」

「…あぁ」

「もーそんな自信なさげな顔しないでさー。何事も経験! やらないと何もうまくならないよ!」

「善処する」

私は千束から渡された珈琲を手に取ると、彼女は視線を派手な水着の女性へと向ける。

どうやら、あの女性へと渡して欲しいということらしい。

私がその意図を理解したことに気づいたらしく、再び私を見つめると親指を立てたサムズアップをこちらに向けてくる。

その仕草に促されるように私はビーチチェアに座っている女性の元へと向かった。

それから数分後。

私はキッチンカーへと戻ってきた。

「おーやるじゃーん!」と千束はご満悦の顔で私の背中を叩いている。その傍らではたきながお使いを頼んだ子供が無事我が家に帰ってきたような表情を浮かべて小さく拍手をしていた。

「どう? 英語はちゃんと話せた?」

「全然だ。千束達みたいにできる自信が無い」

声をかける間をはかり損ねて、数分ばかりかかってしまった。これでは接客したとは云えない。

日本でいたときはまだ誤魔化しが利いたが、海をまたげばまた勝手が変わってくる。

千束は慣れれば簡単と謳っているが、私には十年過ごしても買い物すらままならないかもしれない。

「そんなことないですよ。十分話せてました」

たきなもまた、しがない私へのフォローを忘れてくれないのが心に染みる。

彼女達の温もりが無ければ、言葉も文化も分からない太平洋の中心で雑踏に揉まれて干からびるところだっただろう。

現に、こうして1人の客に声をかけて珈琲を渡すだけで古新聞みたいにくたくただ。

注文を取るなど果たしてできるのだろうか。

「織田作は難しく考えすぎなんだって。英語って簡単だよ? 単語だけで大体なんとかなるから」

「今夜もまた勉強に付き合いますよ」

「そうしてくれると助かる」と肩をすくめる。たきなも笑顔で応えてくれる。

だが千束だけは「あー!」と声を上げるのだ。

「たきなまた織田作と2人きりになろうとしてるでしょ! 抜け目ない!」

なんて恐ろしい子と、白目を剥いて青ざめる千束。

東京にいた頃に常連の名を連ねていた漫画家の女性が持ってきた少女漫画に悪役らしき女性が似たような表情をしていた。影響を受けやすい千束らしい反応だ。

「そっ、そんなことないです!」

「どーだかー? あの時も何しようとしてたのかぜーんぜん話そうとしないじゃーん!」

「それは…」

「ねぇねぇたきなぁ。そこんとこどうなのぉ? マジでどこまで云ったのぉ? ねぇねぇ~」

千束の云うあの時、という単語にたきなは露骨な反応を見せる。

私自身も少々耳が痛い話しなのだ。ハワイに渡航する前日、日本で過ごす最後の一日をたきなと過ごした際に起きた災難の連続。

よもや最終局面で千束がハリウッド並みのアクションシーンのごとく窓ガラスを突き破ってくるとは思わなかった。

あの半狂乱とかして非殺傷弾をばらまいていた千束の機嫌をなんとか取り持ち、こうしてカフェリコリコの営業にこぎ着けたわけなのだが。

ゲリラ豪雨に遭う直前に雑貨屋でたきなと選んでいた賄賂が辛うじて功を奏したのだ。

そのため今の千束は根に持ってこそいるが、たきなや私をミズキやクルミに混じってからかう程度に済ませくれている。

現にジト目でたきなにすり寄っている千束の首には今も私達が選んだチャームがかけられている。そんな彼女に抱きつかれ、引きはがそうにも引きはがせない困り顔のたきな。

まるでじゃれついてくる犬をやわらかい肉球で押しのけてあしらう猫のように見える。

その度、後ろにまとめた黒髪が猫の尻尾のように靡くと同時に、へアゴムについた藍色のリボンが可愛らしく揺れる。

これも私が彼女に贈ったものだ。

 

日本で過ごした最後の思い出として渡したのだが、2人とも身につけてくれているのを見れば、お互い乳繰り合っている姿すら微笑ましく思えてくる。

 

だが、こうして女子らしい交流をしているわけにも、はたまた、眺めているわけにもいかなくなる。

その知らせを店の奥にいたミカが「お前らなぁ」と呆れた声で私達を制止させた。

「…客が来てるぞ?」

「へ?」

まず反応したのは千束、後れてたきな、最後に私という順番でキッチンカーに設けられているカウンターの奥へと視線を向けた。

そこには私の対応を待つハワイの旅行客が長蛇の列を組んで待っているではないか。

「わー! Sorry!」

千束とたきなは慌てて目の前の客人達と向かい合う。

対応は彼女らに任せて私はドリンクの製作に勤しもう。言語の壁がある以上、この状況で私の練習にお客を付き合わせるわけにはいかない上、役割分担をすればこの人数でも捌けるはずだ。

特に、愛想の良い千束と迷いの無いたきながいれば百人力だろう。

一つ問題点をあげるとすれば……

 

「千束、カフェオレ二つ上がった」

「あれ? それアメリカンじゃない」

「……そうだった」

 

こういう時に不器用さを発揮してしまう情けない私が彼女達の足を引っ張りかねないことだ。

接客業における繁忙期の慌ただしさは、もはや裏社会におけるマフィア同士の抗争の方がまだ平和に思えるほど凄まじい。

それもひっそりとたたずむ隠れ家という雰囲気を売りにしていた店が、観光地の激戦区に足を踏み入れたのだ。店の前を通る観光客達で溢れかえっている。

そんな中で無能を晒している事実に胸が苦しくなるばかりだ。

 

「織田作さん、そのカフェオレ捨てなくて良いです。今オーダーが入りました。クルミがもらいに来ます」

 

たきなは私にため息をつく暇も与えてはくれない。だが助かった。

流しに捨てられる運命だったカフェオレ達に、天使の手が差し伸べられたのだ。

「ありがとう」

「アメリカン二つです、急いで下さい」

彼女の言葉に甘えて、私は急ぎ注文された品を作るべくコップを手に取ると、ケトルの口からコーヒーを注ぐ。

幸い、今度は間違えることは無かった。

これ以上千束やたきなの邪魔をせずに済んだ。

 

「織田作も結構鈍臭いところあるよね~」

「千束も大概ですけどね」

「え~! 酷いよたきなぁ」

 

呼吸の一つすら満足にできないこの状況で、痴話げんかを挟みつつ注文と受け渡しを同時にこなしている彼女達には頭が上がらない。

しかも私と違って彼女たちは英語も話せる。これではまるで、私だけが劣等生だ。

こんな私にどうして2人は慕ってくれているのか、不思議でならない。

ふと、カウンターから見える風景を見渡す。

相変わらず人は多いが、先程までより捌けてきたらしい。

「少しは落ち着きましたね」

「まだお客さんいるけどね~」

とても元気だ。

十代というのは総じてバイタリティに溢れている。

私など古新聞など通り越して、もはや窓ガラスを拭いてすり切れた垢のような痕すら身体からふきでそうだ。主婦の裏技と云えば聞こえは良いが、新聞紙にも多少の慰労を与えても良いんじゃ無いだろうか。

それに引き替え2人の若々しさと来たら、年の差が一桁とは到底思えない。

洋食屋で匿っていたあの子達と大差ないどころか上回っている。

そんなことを思えば、自然と口元が緩んでしまう。

「織田作さんもありがとうございます。おかげでなんとかなりました」

「寧ろ足を引っ張っていたように見えるが」

「そんなことないよー。途中からちゃんとできてたじゃん」

千束がそう云うのなら、そうなのかもしれない。

私は自分の仕事を全うしたのだと、そう思いたい。

「でももう少し効率よく動けるようにして下さいね」

手厳しい指摘が耳に刺さる。

たきなを納得させるにはまだまだ弱輩者らしい。

未熟な身分の上、これから学んでいこう。

「もう、私がいないとダメなんですから」

優しい声色で諭してくれるたきなに癒やされる。私のような者のために微笑みを浮かべて話す彼女にまた千束は目を開かせる。

「あー! またなんか良い感じな雰囲気だそうとしてるー!」

「千束、それを言い出すとまた客であふれかえるぞ?」

自分が言えた事ではないが、主力の2名が再びじゃれ合い始めれば鈍臭い私と足の悪いミカではとても手に負えないのだ。

これ以上の痴話喧嘩は勘弁願いたいのが私のささやかな願いだ。

「むー! じゃあ織田作はどーなのさ?」

だが、無情にもその矛先は私へと向いた。

「どうとは?」

「だーかーらー! 結局織田作は、どっちが好みなのって話!」

「どっちってのは、どれとどれだ?」

「たはぁーっ!」と千束は額に手を当てて天井を仰ぎ見る。

こういう時の口先の駆け引きは彼女はあまり得意としないのか、単刀直入と云わんばかりに私の前に立ちはだかるのだ。

たきなは何故か顔を赤くして必死の剣幕で止めまいとしているが、客の応対に追われてそれどころではない。

「私とたきな、どっちが好きって話!」

「ちょ! 千束! それはっ……!」

「たきなも気になるでしょ~? そこんとこ、今後のためにハッキリさせたほうがいーと思うんだけどー!?」

どうやら答えを出さないと千束は納得しないらしい。

こうなると引かないのを私は重々承知している。

手を止める事はしないが、思考を巡らせる。

紙コップに入れた珈琲の水面が私の顔を映している。

店の喧噪とは裏腹に凪のように穏やかな黒い映し鏡に写る私の顔はなんとも言いがたい微妙な顔をしていた。

千束とたきな、どっちが好きか。

数秒ほど沈黙を返してしまったが、一応答えは最初から決まっている。

 

 

「どっちも好きだが? 2人とも、俺にとっては大切な仲間だ」

 

「あ…ありがとうございます」

「えへへ~そうなんだ~って、そうじゃないでしょー!?」

 

千束の叫び声は狭いキッチンカーどころか、太平洋の向こう側まで響き渡ったことだろう。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「レジ誤差ゼロ。ズレなしです」

「相変わらず早いねー」

「千束も織田作さんもこれくらいできるようにしてください」

照りつける太陽が西の海岸線へと沈みつつある。

昼と夜。

その間(あわい)にある黄昏の時間。

空が赤橙色と青紫色が入り交じり、幻想的な風景が眼前に広がっている。

その景色に負けず劣らず美しい夕日が水平線の彼方に落ちていく様を眺めながら、たきなは受け取った伝票とレジの中に収められたドル紙幣の数を合わせたところだ。

彼女達の奮闘により、店は無事に閉店時間を迎えることができた。

今は後片付けの最中だ。

私と千束は食器やカウンターやイス等の設備の後始末。

たきなにはレジ締めが一任されている。あまりの手際に私も舌を巻くが、同じ事をやれと云われると私の隣にいる千束と同様苦虫を噛みしめるような顔になってしまう。

露骨に現れたせいか、「嫌そうな顔しない!」とたきなからお叱りを受けてしまう。

最も早く作業を終えたたきなに、私達は碌な反論すらままならない。

至極全うな言葉である以上、真摯に受け止める他ないのだ。だが、今の私には雑用くらいしか出来そうに無いのが心苦しい限りだ。

「たきな、あんまり云ってやるな」

店の奥からのっそりと現れた色黒の男が彼女を制する。

東京ではその黒人特有の肌は少し浮いていたが、ハワイでは寧ろ私達の中で最も風景に馴染んでいるミカは杖をつきながら私達に声をかけた。

「今日は良く出来たじゃ無いか。ちゃんと店が回ってたぞ」

「ありがとうございます」

「もー嬉しいこと云ってくれるなーせんせーは!」

ミカの声色はお世辞も嫌みも無く、素直に感嘆するものだ。

彼の言葉はいつも真っ直ぐで、心に刺さる。

店主であるミカは今は敢えて後方に下がってもらっている。

奥で珈琲を淹れる作業に専念して、接客と店の運用は私達に一存させているのだ。

これも店の今後のため。

年配の彼にいつまでもおんぶに抱っこというわけにも行かない。

環境が変わったとは云え、私も彼女達と働き出して長い。たきなに至っては私よりも経験が浅いのにリードされている始末だ。

私自身の成長のためにも、これから先も頑張らねば。

「途中ひやっとしたけどねー」と運転席からバタンと扉が閉じる音。

癖のある鼠色の長い髪を揺らしながら現れたのは娼婦のような格好をした女だった。

「ミズキも接客してよー!」と彼女は千束に声を上げるが、ミズキは「アイドンスピークイングリッシュ!」と私でも分かる下手な英語で悪びれる様子もなく笑っている。

「織田作さんも頑張ってるんですからミズキさんもできますよ」

「そーだぞー! そもそも、そんな体たらくでどうやってバンクーバーのイケメンと結婚しようと思ったんだ-?」

今度はキッチンカーの裏手からブロンドの頭髪をした小さな少女らしき女性が顔を出す。

背中にはメニュー表を背負っており、それをたきなに渡しているところだった。

「うっさいわね! アンタも禄に仕事できないくせによく言うわ!」

「僕は電脳専門なので~」とクルミもまた開き直った態度で挑発している。

一時的に行われた喫茶リコリコ財政改革の時に、駆り出されたはいいが、私以上の不器用さで随分とミズキの眉間に皺の数を増やしたそうな。

最初は客に可愛いと云われてニンマリとしていたのに、今は看板を背負ってキッチンカーを周回するだけの、本物の看板娘と化している。

「そう言うわけなので、織田作さんには成長してもらわないと困るんです」

「……努力する」

「変な予防線張らないで下さい」

 

どうやら、ミズキやクルミに比べて私が一番伸びしろがあるようにたきなは見えるらしい。

私しかいないというのもそれはそれで不安が募るのだが、私を慕ってくれる彼女の期待には応えなければならない。

最悪、異能でも何でも使う覚悟がいるだろう。

 

 

「だがまぁ、一応順調ではあるな」

「そうですね」

 

多少の課題はあるものの、どれも改善の余地と発展の期待が持てるものばかりだ。

後はどれだけ実践で生かせるかどうかが鍵になる。

私1人では不安が無いといえば嘘になるが、彼女達がいるならば憂うことは無いだろうと、私とたきなは互いに微笑み合う。

「いーや! まだ足りないと思うね!」

それに水を差したのは、我らがカフェリコリコの中心とも云える千束の声だった。

当然彼女の言葉に私達の視線は釘付けとなる。それだけ、彼女の存在は大きい。

「何が足りないんですか?」と首を傾げるたきなを千束は指差す。あまり人を指差すなと云いたいが、千束は何か話したいようなので後で叱ることとしよう。

「確かに環境は変わったし、お客さんの数も増えたと思う。でもさ、やってることって今までと変わって無くない?」

「それは…」

「確かに」

私とたきなにそうでしょと、千束は同意を促す。

彼女の云う通りだ。

ハワイという観光地に店を変えた事により変化した環境や提供形態、そしてハリケーンのように迫ってくる客足に気を取られていたが、その内実は東京にいた頃と変わっていない。

珈琲を入れて、甘味を差し出す。

私達の仕事の内容は変わっていない。寧ろ、席の数が減り、持ち帰りが主流になっている以上、やっていることが減ったとも云える。

これではわざわざ偽造パスポートまで作って海を渡った意味が無いと千束は云いたいのだ。

「となれば、どうすればいい?」

私の問いに、千束は満を持したように「そんなの決まってるでしょ?」と高らかに宣言した。

 

「新メニューを作ります!」

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