彼岸花と迷い犬   作:黒ゴマアザラシ

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前中後と分けた意味が……ンゴゴゴゴ


LrcoReco・of・the・Cocktail 後編

「おほぉ~相変わらず質素な部屋だねぇ」

部屋の中に入ると、真っ先に千束はそう呟いた。

一周回って安心するとも付け加えられたが、私のような男の部屋のどこにそんな癒やしがあるのかはわからない。

きっと千束なりに気を遣ってくれているのだろう。

「織田作さん、少しの間冷蔵庫借りますね」

「あぁ」

たきなは手慣れた様子で買い出した材料達を収納していく。

もとよりその日に採る食事の材料しか入っていないため、大したものはない。

せいぜい、水と氷くらいのものだ。

鮮度が命である果実も大量に仕入れたし、これからやることを考えれば、今日の夕食はフルーツジュースになりそうである。

「さぁてと、それじゃあ作りましょっか!」

千束は意気揚々と腕まくりする。

キッチンの一等地に構えているテーブルには、千束が食器棚から降ろしたであろうグラスやミキサーが並べられている。

マドラーやクリームの類いは、おそらくキッチンカーから拝借したものだろう。これも仕事の一環であるため、ミカも咎めはしないはずだ。

「ところで、肝心な事を聞き忘れていたんだがどんなカクテルを作るつもりだ?」

私は市場で話していた内容で語られていない部分について尋ねた。

それは新メニューとして考案された私達を模したカクテルの内実だ。

ミカは自身と向き合う形で作ると云っていたが、それを差し引いても5人分。

試行錯誤の時間を加味すれば膨大な時間を要するのは想像に難くないが、2人にはある程度案が固まっているらしい。

しかし、聞かないことには始まらないと私が問うと千束は上機嫌に鼻を鳴らし出す。

「ふふーん、よくぞ聞いてくれたね。口で説明よりも実際に作ってみた方が早いと思うから見てて!」

中々どうして自信満々だ。

だが虚勢を張っているようには思えない。現に千束もたきなも普段からドリンクのオーダーは星の数ほど受けている。

そんな彼女が胸を張って取りかかるのだ。

自然とこちらも期待で高鳴ってしまう。

「じゃあ、お手並み拝見といこうか」

 

千束がグラスとマドラーを手にキッチンへと消えてから数分後、テーブルに置かれた代物に一同は目を見開くこととなった。

 

「千束、これは?」

「…えっとぉ」

「これは誰をイメージしたんだ?」

「……ミズキ」

「中々面白い色合いをしているな」

グラスに注がれている液体は、議題に上がっていた綠とは程遠い毒々しいくすみを内包した灰被った茶色となっていた。浮かんでいる果実で彩られた装飾だけが綺麗に並べられている分、その不気味さに拍車をかけていた。

ある意味、将来の伴侶を求めては挫折してを繰り返し、燻る炭のように嘆く彼女の姿を端的に表している。如何せん、グラスに写る茶色い風景が爽やかさに影を落としているのがキズだ。

ミズキと最も長い仲である千束ならではの案だ。

問題は味だ。試しに口に含んでみる。

ほのかに感じるライムの風味とジンジャーエールの辛味がマッチしていて、喉越しも良い。

何より炭酸の刺激が疲れた身体に染み渡るようだ。

「意外といけるな」

「えぇ…」

「あ~変なフォローしないでぇ! 失敗したのぉ!!」

私の感想を聞いて、自分の作ったものが受け入れられなかったと思ったのだろう。

千束は頭を掻きむしりながら叫び散らす。

確かに個人で飲む分には楽しめるだろうが、客に出すには憚られるだろう。

何より、これを見たミズキの目の色を私は想像したくない。

「まったく、千束は仕方ない人ですね」

そう言って呆れた表情を浮かべるたきなの手にはグラスが握られていた。

どうやら次は彼女が作るらしい。

材料とマドラーを持ってたきなはキッチンの奥へと消えていく。手にしていた材料やジュースの色合いから誰を模した物かはすぐに想像がついた。

果たしてどうなるか。

私と千束は固唾を呑んでたきなの帰りを待った。

 

 

「……できました」

 

 

再び数分後、感情を感じさせない目つきでダイニングに現れたたきなの両手にあるお盆に載せられていたグラスの中身を見た私達は息を飲む。

 

「たきな、これは誰を?」

「……クルミ、です」

「ぶっ…ぶははははは!」

堰を切ったように千束は笑い出す。

グラスの仲に注がれていた液体は、墨を落としたかのように黒ずんでいた。例に及ばすグラスの上のホイップや散りばめられた胡桃の配置すらも洗練されている分、液体の色合いにばかり意識が向かってしまう。

埃が立ちこめる狭い押し入れの中、精密機器に囲まれていたクルミを暗に示しているかのような品だ。

「たきなも人のこと云えないじゃーん!」

「千束に云われたくないです!」

「とりあえず味を見てみるか」

テイスティングに入ることにした。

バナナと牛乳を主軸にした優しい甘さは、まるで子供部屋で絵本を読み聞かせられているような安心感を与えてくれる。

この二つは定番こそある分、相性は折り紙付きだ。

十分すぎるほど美味だ。

だが客の前に出すにはいささかくすんでいるのだけが難点なのだが…。

「い、意外と難しいですね」

「珈琲とかカフェオレなら簡単なんだけどねー」

 

気を落としているが2人とも下手では無いのだ。

味はすぐに客に出しても喜ばれる域にまで達している。問題は見た目だ。

珈琲を主体で回していた分、細かな混ざり具合や分量、液を淹れるときの力加減で決まるカクテルは千束達には荷が重かったのだろう。

「たきな、この二つのレシピってわかるか?」

「え? はい。この通りです」

彼女はこういう時本当に頼りになる。

私達全員が効率よく作れるように細かい分量から手順を記された紙を二枚受け取った。

それらにあらかた目を通した私は席を立つ。

後れて二つのグラスを持ってキッチンへと移動した。

レシピに記されている材料達も忘れずに。

 

そして数分後。

 

「こんなもんか?」

「わお…」

「すごいです」

 

テーブルに置かれた二つのグラスには、エメラルドのように輝く緑色の中に浮かぶ炭酸の泡が弾ける様は実に艶やかだった。

グラスに注がれている液体は色だけ見れば、ミントのような清涼感のある緑色をしていた。

片方は真っ白な牛乳と混ざり合ったバナナが穏やかな黄色を醸し出している。

もう片方は鮮やかな黄色の中に白いクリームが浮かび上がり、まるで宝石のように輝いていた。

その二つを眺めていると、千束は喉を鳴らして目を光らせる。

それはたきなも同じで、彼女もまた瞳に星を宿らせていた。

「織田作、こんな特技あったんだ」

「よく通っていたバーでマスターがいれるのをよく見てたからな」

「いやそれにしたって」

口々に褒めちぎってくれるが、これも客の前に出せる代物では無いのだ。

その証拠はグラスの上層部にある。

本来ならば切り分けられた果物やホイップクリームでさらに見栄えするはずだが、切り口は乱れているし、クリームは歪んでいる。

不器用な私は彼女達のようにはできないだろう。

入れ方くらいなら教えられるだろうが、彼女達は飲み込みの良いのにくわえて、装飾の飾り付けは私など足下に及ばない。

すぐに追い抜かれて足を引っ張ってしまう情けない光景が今から目に浮かんでしまうと思うと悲しくなる。

今から情けないことを云う私に千束は「そんなことない」と声を上げる。

「私とたきなが教えてあげるから織田作もできるよ。だから、織田作も私達に教えて欲しいな」

「はい、やることはいつもと変わりません。出来ることと出来ないことを補い合いましょう」

2人の言葉が心に染みる。

まるで天使のささやきのようだ。

私のような男には身に余る優しさだが、それを無碍にするほど私は堕ちてはいない。

ありがとう、と呟く。

そして2人はグラスを手に取り、口に含んでいく。

千束は一口飲んでから頬を緩ませ、たきなはゆっくりと噛みしめるように味わいながら嚥下していく。

「次は、千束とたきなのだな」

ミズキとクルミのカクテルはある程度骨組みが決まった。

デザインや味の方向性も合致したため、次に駒を進める。

それが千束とたきなを模したカクテル作りだ。

「材料が勿体ないので、最初は織田作さんに作ってもらいましょうか」

「えーたきなのは私が作りたいのにぃ」

「ちゃんとできるようになってからにしてください」

「たきなもできてないくせに~」と千束は茶化す。

「はいはい」とあしらうように受け流すと、彼女はムッとした表情で口を尖らせた。

「じゃあ、まずはたきなのから始めるか。レシピは?」

私はたきなの方を向いたが、紙を渡されたのはあらぬ方向からだった。

千束からだった。

これには少々面を食らってしまう。

しかし、彼女の意図はすぐにわかった。

「だって、自分で考えたイメージより他の人から見たイメージの方が大事でしょ?」

「成る程」

「千束のは私が考えたんです」

たきなも同調していた。

確かに的を射ている。

自らの輪郭ほど、本人自身は捉えにくいものだ。だからこそ、他者からの客観的な視点から見える姿こそ、その人物の模った姿を掴みやすいだろう。

とりわけ、その点においてこの2人は相性が良い。

お互いがお互いのことをしっかりと見て理解している。

「よし、始めようか」

「お願いします」

「よろしくねー」

まずはたきなのカクテルから手を出すことにした私は、千束から受け取ったレシピに目を通した時に暗礁に乗り上げる事になる。

思わず眉をひそめてしまったのだ。

「どーしたの?」

「千束、これは少し困るな」

そばに寄ってきた千束に私は彼女お手製のレシピに記されたある一節を見せた。

カクテルの主軸である部分は特に問題は無い。だが目を惹いたのは飾り付けのクリームだ。

茶色いチョコレートクリームを載せると書いているが、あまりオススメはしない案故、待ったをかけた。

後れてたきなが顔を出してレシピを見ると声を上げた。

「ちょっと千束! なんでチョコのクリームが蜷局を巻いているんですか!?」

「えー? たきなといえばこれじゃん」

「あのパフェは止めてってあれほどいったじゃないですか!」

「でもこれはパフェじゃ無いしー」

どうやらたきなが以前作った特製ホットチョコパフェを連想してのものらしい。

発売当初は大好評で、リコリコの顔役にまで上り詰めた一品だが、何かに気がついた彼女が慌てて止めると言い出した悲しき思い出が詰まった代物でもある。

私はついぞその意味を知り得ていないのが寂しさを感じるが、たきなは一向に教えてくれない。

聞くと千束やミズキのお手つきをもらうので聞けなくなった側面もあるのだが。

「千束、チョコクリームはよくない」

「そうですよね!」

「このカクテルは透明感が売りだろう? 混ざったら最大の強みが無くなる」

「いや、織田作さん、そう言う意味じゃ無くてですね…」

元々、このカクテルのベースとなるシロップは海のように澄んだ青色だ。

それが濁るのは私も看過できない。

クリームソーダというのもあるが、それはバニラのような白を基調としたクリームがあって初めて成立する。

千束が選んだチョコクリームでは先ほどの失敗作のような歪な色合いになってしまうのだ。

「でもさーたきなと云えばこれは外したくないんだけどー」

尚も食い下がらんとする千束。

だが分からないわけでも無い。

たきなが考案したパフェの評判は上々だったし、私も妙なノスタルジーを感じる。太平洋を渡った遠い日の思い出が蘇ってくるような、そんな不思議な魅力のある。

どうにかして折衷案を設けられない物か……。

 

「……そうだな。これならもしかしたら」

 

ふと脳裏に浮かんだ考えに一縷の望みを託した私はグラスを手にかけて、キッチンへと赴いた。

そこから数分後、出来上がった品を2人の前に献上した。

 

「これ、ココアパウダー?」

「そうだ」

 

グラスに注がれた液体は、たきなが市場で見つけた透明感のあるシロップをベースとし、泡立つ炭酸が弾ける様子を眺めながら、千束は不思議そうな表情を浮かべていた。

その上に載せられているお世辞にも形が良いとは云えない渦巻いたクリームに、茶色い粉がふんだんに塗されている。

「これなら混ざっても溶けないからな」

「なるほど」

チョコレートクリームを使わない代わりに、ココアパウダーで上書きすることでその存在感を際立たせることにした。

千束は早速ストローで中身を吸い上げていく。

口当たりの良さを味わうように、彼女は目を瞑ってゆっくりと喉へ通していった。

そして、味覚と嗅覚の両方から堪能したのか、千束は笑みをこぼす。

「うん、美味しい。それに混ざると味に深みが出るね」

「だろ?」

混ざり合っても透き通った青とクリームの調和を邪魔していない。寧ろ、その色相を鮮やかにする役割を担い、味わいをより豊かにしているのが分かる。

咄嗟に思いついた割にはなかなかの出来だと自負がある。

これで決まりと云って良いだろう。

「……」

たきなだけがなんとも言えない目つきだということを除いては。

「…どうしてまたこんなことに」

「まぁいいじゃん! これもまた人気メニューになるかもしれないし」

「良くないですよ!」

「…そうか。なら仕方ないな」

たきなが嫌がるなら無理強いは出来ない。

理由は如何せん分からないままだが、自分を模した品に納得がいかないならいくら味や見た目がよくても意味が無い。

その証拠にたきなの表情が明るくなる。

どうやら、よほど嫌だったらしい。

「俺はたきなにぴったりだと思ったんだが…」

「え? そうなんですか?」

花色の瞳が丸くなる。

 

「透明感のある青もそうだが、混ざってできたクリーム色も、優しいたきなみたいだ」

何より、ほのかに香るココアパウダーの苦みが適度に甘えさせてくれない凜とした姿勢がほのめかされている。

私がそう伝えると、たきなの頬が朱に染まる。

 

「そ、そういうことならこれでいいです」

「そうか」

 

照れているのか、嬉しさを隠しきれない様子でそっぽを向く彼女を見て、私は思わず微笑んでしまう。そんなやり取りを横目に見ながら千束は黙々とグラスを空にするとコンッと音を立ててテーブルに置く。

「はぁーい! 次は私でしょ!」

たきなよりも少しばかり荒っぽい動作で置かれたグラスをまじまじと見つめた。

私とたきなのやりとりが、どうやら彼女のお気に召さなかったらしい。

というか、ハワイに渡って以来この光景はよく見る。

私とたきなが話していると横やりを入れるように割って入ってくるのだ。

それもいつもの事と云えばそうなのだが、最近は露骨というか千束らしさが欠けているように感じたのが正直な感想だ。

「じゃあたきな、レシピを見せてくれ」

「あ、はい。わかりました」

今それをとやかく言うのは憚られるため、一先ずは仕事に集中することにした。

たきながカウンターの上に用意していたレシピを受け取り、それを元に材料を揃えていく。

当然、市場で千束が見繕った品も忘れずに。

レシピの内容に不備は無い。

しっかり者のたきならしいわかりやすいところばかりだ。千束のカクテルはなんの障害も無くスムーズに仕上がった。

「出来たぞ」

「待ってました!」

完成したカクテルは、まるで夜空に咲く花火のように鮮やかな赤だった。

それはまるで千束の性格をそのまま映し出したかのような色をしている。

「でももうちょっと果物載せていいんじゃない?」

「これ以上は予算オーバーです」

すかさず釘をさすたきな。

確かにこれ以上の装飾を加えるとなると値段も跳ね上がる。

これでも千束スペシャルのごとく、煌びやかな飾り付けを施してあるのだ。

しかし、私の心配とは裏腹に、千束はあっさりと引き下がった。

どうやら、今回は最初から諦めていたようだ。

それでも千束は満足げに口元に弧を描く。

やはり千束らしく、どこか子供じみた表情に私は自然と笑みがこぼれてしまう。

しかし、ほんの僅かな違和感がある。

それはグラスの中に漂う濁り。

彼女が選んだブラッドオレンジをベースにしたカクテルは、他の飲み物で割っても主張がかなり残っていた。

派手で明るく、人の目を惹く一品だが、グラスに残る色濃さが彼女の胸の内に秘められている何かを暗に示しているようでもあった。

「じゃあ今度は私が味見しますね」

そう言って、たきなはストローで中身を吸い上げる。

口の中に広がる風味を噛みしめるようにゆっくりと飲み込んでいく。

そして、彼女は笑みを浮かべながら口を開いた。

「はい、すごく美味しいですよ」

「そうか。良かった」

「でも、もう少し柑橘系の香りがあっても良いかもしれませんね」

「ふむ。分かった」

色の濃さに気圧されて少しだけ分量を見誤ったらしい。その辺りは後々調整をくわえていけば問題無い。

こうして、ある程度の屋台骨が決まったわけだ。

 

「じゃあ後は」

「そうですね、後は」

 

グラスに向かっていた2人の視線が、同時に一つの箇所に集中する。

言わずもがな私だ。

私のだけ、形どころかベースとなる色すら決まっていない。その原因も2人によるものであったため、私は咄嗟に声を上げた。

「そろそろいい時間だし一先ず飯にしないか?」

閉店直後の海岸や、喧噪でごった返していた市場ならともかく、この狭い部屋で再び言い合いになったらと思うと背筋が凍る。

真剣な面持ちの2人には悪いが、たった一日にしては随分な進捗だ。

一度休憩を挟んでもバチは当たらないだろう。

返答を待つ私は、2人の様子を窺う。

「そういえばもうそんな時間でしたっけ」

「そうだね。私も飲み物ばっかでお腹減ったや」

すると、2人はお互いに顔を合わせてから、ほぼ同時に席を立った。

どうやら休戦してくれるらしい。

「それでは」

「うん! ご飯にしよ!」

「……ああ」

安堵のため息を吐いた私は、そそくさとキッチンに向かう。

過去に敢行した共同生活以来となる3人で囲んだ食事だ。

以前と違うところがあるとすれば、私達全員の手際が数段良くなっていることだろう。

前は千束が得意のジャンケンが猛威を振るい、たきなに全ての家事が集中するという異常事態が起きていたが今は2人とも釣り合った生活を維持しているらしい。

聞くところによると、彼女達は一つの部屋をシェアして、ベッドも同じと聞く。

いつもの事ながら仲の良いかぎりだ。

とは言ったものの、皆一様に液体で胃袋が満たされているため軽い物で済ませることにした。

だが久しぶりに賑やかな夕食だったこともあり、満腹感以上に満たされる物があった。

夕食後、私は1人ベランダに出ていた。

手には一回り小さなグラスがぶら下げられている。

それはロックグラスだ。

中には丸い氷が浮かべてある蒸留酒が入っていた。

日はすでに落ちきっており、海からベランダへと吹き付ける風が髪を撫でる感触に浸りながら私はグラスを傾ける。

部屋からは、水道から水か滴る音と、食器が重なり合う音が聞こえてくる。

その音を聞きながらベンチに腰掛けている私は、静かに月明かりに照らされた海面を眺めた。

「おーださく」

後ろを振り返ると、そこには千束の姿がある。

彼女の代名詞と云える暖色混じりの白髪と赤いリボンが海風に晒されて靡いている。

ハワイに渡って以来、制服や和装では無い薄手の衣類に身を包んでいる故、私が贈った首に提げられているチャームが月明かりに照らされて輝いていた。

「千束か」

「隣、座ってもいい?」

「ああ、構わないぞ」

「やった」

千束は嬉しそうに微笑むと、私の横に腰を下ろした。

2人分の体重を乗せた木製の椅子が軋む。

「それ、お酒?」

「あぁ、ハワイの醸造所で買った」

「大人だねぇ」

千束はグラスの中の琥珀色の液体を見ながら呟く。

彼女の言う通り、仕事終りや翌日が遅番の日に、海に沈む夕日や夜風に当たりながら傾ける蒸留酒の味といったら堪らないものがある。

「その氷、丸いけどどうしたの?」

千束はグラスに浮かぶ氷に目をむけた。「あぁこれか?」と私はグラスを掲げて応える。

「百均で買ったんだ。ハワイにもあるなんて驚いたよ」

水を入れて蓋をすれば丸い氷ができるという代物だ。

この手の酒が好みの私には重宝する品であるため躊躇いなく買ってしまったのだ。

「普通の氷じゃダメなの?」

「小さい氷だと溶けやすいからな。塊を丸く削るのも大変だし」

買ってみれば意外と便利で重宝している。冷凍庫から出てくる氷よりも寿命が長い上、見た目にも美しい。

これを現地で醸造した酒にいれ、夜風や夕日を楽しみながら傾けるのがハワイに渡った私が見つけた日々の安らぎの一つだ。

「飲んでみるか?」

「え? いいの!?」

千束は目を輝かせて私の手元に手を伸ばすが、凜とした声がその手をピシャリと止めた。

「千束」

顔を上げると窓を開けたばかりのたきなが立っていた。きっと皿洗いが終わったから来たのだろう。

その声色は普段よりも少し低い。

「もう、ダメじゃないですか。未成年なのに。織田作さんもしっかりしてください」

「え~ちょっとくらいいーじゃーん」

頬を膨らませながら不満を口にする。まるで子供のような態度。

「少しくらいならいいじゃないか」

「そうだよね!」

「ちょっと織田作さん!」

私は止めなかった。

何かに興味を持った彼女を止める手段など持ち合わせていないし、未成年でも多少なら害はない。

嬉しそうにグラスを手にした千束は、宝石のように目を輝かせた後、グラスの中に浮かぶ氷を揺らして目つきを変える。

さながら映画俳優のような顔色だ。

きっと雰囲気を作っているのだろう。

やがて千束はグラスを口に付けた。

それに、彼女の好みな味覚を知っている私は、どうなるかわかっていた。

異能を使わなくてもわかる。

アレもダメこれもダメというよりか、試してみて身に染みて分かった方が納得しやすいからだ。

「…………う゛ぇっ! にっが! 何コレ! うわっ! 苦っ! マズっ! 喉が!!」

ほら見たことか。

彼女は口に含んだ瞬間にグラスを口から離すと、顔を歪めてグラスを見つめた。

そして、そのままグラスをテーブルに置く。

「これはダメだよ。飲めたもんじゃない」

「やっぱりか」

予想通りの反応だ。

私とて、最初はこんな感じだった。

しかし、慣れれば癖になる。

「そんなに不味いか?」

「うん。無理。絶対にムリ。吐きそう」

そこまで言わなくとも良いと思うのだが、彼女の口から出た言葉に嘘偽りはないだろう。

「うぅ~口の中まだ変な感じがする~」

千束は口直しになるものを探して部屋に駆けだして行った。

残された私は再び海を眺める。

すると、隣にたきなが座った。

 

「今日はありがとうございました」

「礼を言われるようなことはしてない」

「そんなことないです」

たきなの言葉に、私は首を傾げる。

別に礼を言われる筋合いは無い。

だが、たきなは微笑みながら言った。

その笑みは月明かりに照らされて美しく、私の心を掴んではなさなかった。

「…あの、私も飲んでみていいですか? それ」

「あぁ、構わないぞ」

「ふふ、やった」

「一口だけな」

「わかってますよ」

たきなもまたグラスを手に取ると、それを傾げて中の氷を揺らす。

「氷、丸いですね」

「あぁ、ハワイで買った」

「そうなんですね」

そう言うと、たきなはグラスを傾け、唇を付ける。

琥珀色の液体が彼女の中へと入っていくのが見えた。

「…………」

「どうだ?」

「意外と美味しいかも知れません」

「本当か?」

 

驚いた。

まさか、彼女の舌に合うとは思わなかった。

ハワイで醸造された蒸留酒は、日本で売っている酒よりもクセが強く、飲みやすいとは言えない。

それは私が身をもって体験したことだ。

「はい。大人の味がします」

「それは良かった」

だがたきなが未成年であることには変わりはない。

あまり多く飲ませたことがバレればミカやミズキに何を言われるかわからない。

それも彼女はわかっているのか控えめにグラスをテーブルに置いた。

夜風がまた吹いてたきなのしなやかな黒髪を撫でる。

この瞬間を切り取れば美術館に並ぶ名画のよう。

私ももう暫くこの空気に浸っていよう。

「あ、そうでした。私、これで思いついたことがあるんです」

「思いついたこと」

「それはですね――」

だがドタドタというけたたましい足音がその手を止めた。

「千束が来ましたー!」

窓が開き、そこから千束の顔が現れた。

赤い缶を片手に持って。

「戻ったのか」

「飲むならベランダの方が風情があるからね~」

何故か異様にご機嫌な千束はそのままベランダに上がると赤い缶を傾けて喉を鳴らす。

そして、ぷはーっと息を吐き出した。あまりの天真爛漫に、何か言おうとしていたたきなも少しだけ眉を顰める。

「これおいしい!」

「そうか」

やはり、千束には酒はまだ早いようだ。

ジュースとか珈琲の方が彼女に似合う。あの味がわかるにはもう少し時間が掛かるだろう。

ベランダの向こう側を覗いている千束を眺めていると、ふとテーブルに置いたグラスへと目を向けた。

「あ、そーだ! 私いいこと思いついたんだ!」

 

いいこと、という単語に私は首を傾げる。

「奇遇ですね。私もです」

なぜか意図を察知したたきなも同調した。

その真意を確かめるべく尋ねれば、とにかく部屋に上がってと云われたので引き上げることとした。

忙しなく現れたと思えば、すぐに戻るなんていうのが、なんとも彼女らしくて面白い。

果たして、千束とたきなが考えついた妙案とは一体なんなのか。

知るにはとにかく部屋に上がる他ないらしい。

部屋に戻ると、二人は既に奥のキッチンに立っていた。

千束の手には白い箱状の物が握られている。

「織田作が話してたのってこれ?」

「あぁ」

私は首を縦に振る。それは私が丸い氷を作るために買った器だ。

水を入れて蓋をし、冷凍庫に入れれば丸い氷ができるという百均の便利用品。

「これ、カクテルに使えないかなって思ったんだけど少し借りてい?」

「別に構わないが。それをどうするんだ?」

未だに状況を把握できない私に代わってたきなが千束の補助に入る。

彼女は用意していた赤色の内容物が入った瓶を器に入れだした。

それは千束のカクテルを作るときに使ったブラッドオレンジジュース。

容器に並々と注ぐと、千束が蓋をした。

中から多少液が溢れてくるが、シンクに深紅の液体が零れてしまうことは無かった。

どれほどの量が必要か、目測で分かるのはたきなぐらいのものだろう。

「それで、これを凍らせます」

「その後はどうするんだ?」

「それは凍ってからのお楽しみです」

たきなも微笑む。

何やら悪戯をする子供のような表情だった。

彼女がこんな表情をするのは珍しい。

なにか素晴らしい妙案が浮かんだと見える。

「よしっ、じゃあいれるね~!」

千束はそう言うと、その液体を冷凍庫へと入れた。

「これ、どのくらいで凍るかな?」

「3時間くらいでしょうか」

「じゃあ映画一本いけるね!」

映画に目が無い千束は嬉々として言った。

確かにそれならば丁度いいかも知れない。

それにしても、何故わざわざそんなことを思いついたのだろうか。

その答えも、映画が終わる頃には出るはずだ。

腰を落として酒でも飲みながら待つとしよう。

思い至った私はテーブルに置いたグラスを探した。

まだ酒が残っており、丸い氷はまだ原型を保ったまま浮かんでいるそれは確かにテーブルに置いたはずだった。

だがそれがない。

落としたのかと肝を冷やした私だが、すぐに心臓を捕まれる思いをすることとなった。

なぜならば……

 

「……やっぱりこれ美味しいですね」

 

手持ち無沙汰だったたきなが残っていた酒に口を付けていたからである。

「おいっ」

思わず声を上げてしまった。

だがたきなはそれを気にも留めずグラスを傾けている。

「え? なんれす?」

飲み干してしまった彼女は、きょとんとした顔で私を見つめてきた。

呂律がすでにおかしなことになっている。

未成年の上に度数の高いウィスキーだ。しかも氷はほとんど溶けていない。

つまりほぼ原液を飲んでいることになる。仮に溶けていても並の安酒より度数も周りも早いに決まっている。

その証拠に耳まで顔を赤く染め上げてふらついている。

「もう飲むな」

「らいじょうぶれすよ~」

大丈夫なはずがない。

完全に出来上がっている。

「千束、お前も止めてくれ」

足音が耳に入った私は、キッチンから戻ってきたであろう千束に救援を求めるべく声をかけた。

だがすぐに息を飲んでしまう。

「え~おださくぅ~どしたのきゅうにあわててぇ~」

 

千束も出来上がっていた。

覚束ない足取りで近づいてくる。

馬鹿なと内心で叫ぶ。

彼女は一口しか飲んでいないしほとんど吐き出したようなものだ。

下戸だったとしても微々たる量で酔いが回るわけがない。

だがその根拠は千束の片手にある赤い缶が示してくれた。

 

「あ…」

 

思い出した。

千束が市場で見せびらかした赤い缶。

それと同じ物だった。

赤いラベルには下に何かの比率を表す文字が印字されている。

アルコール度数であることが伺えた。

そう、つまり千束が口直しにと飲み干していたのは酒だったのだ。

それも、かなりきつい部類の奴である。

「おい、二人とも正気に戻れ」

「なにがぁ~?」

「なんですかぁ?」

「頼むから」

私の懇願など聞こえないとばかりに二人は近寄ってくる。

そして、近くにいたたきなが、先に抱き着いてきた。

「おださくさぁん、このまえのつづきぃ、こんどこそしてくだしゃいねぇ」

舌足らずになりながらも甘えるように体を押し付けてくる。

普段の彼女からは想像できない行動だ。

「あ~だめだよたきなぁ! ぬけがけしないってやぐそくしたじゃあん!」

遅れて千束がたきなを剥がしにかかる。

だがたきなは離れようとしなかった。

「うるさいです。ちさとはちょっとだまっていてください」

「ひどいっ、いつものかわいいたきなはどこにいったの!?」

まるで姉妹喧嘩のように言い合う二人の少女。

それを眺める私は途方に暮れる他なかった。

一体どうしてこうなったのだろうか。

唯一の大人である私の監督不行き届きと云ってしまえばそれまでだが、千束もたきなも肝心な所はしっかりしていたはずなのに。

思考を巡らせても打開策が浮かばない。浮かぶわけが無い。追撃を与えるべくたきなは、「おださくさぁん」と首に腕を回してきた。

「ちょっ、落ち着け」

「やでーす」

頬を擦り付けてくる。

甘い匂いが鼻腔をくすぐり、彼女の体温を感じてしまう。

「頭、なでてくだふぁい」

上目遣いで見つめられる。潤んだ瞳に見つめられる。

「……わかった」

「えへへぇ」

観念して頭を撫でると、彼女は気持ち良さそうな表情を浮かべた。

嬉しそうに声にならない声を漏らす。それな喉をゴロゴロとならしている猫のようであった。

その表情は普段の凛々しい姿とは全く違うもの。

本物の小動物のようで愛らしくもある。

「ふあぁ……」

強い酒を一気に飲み干したせいか、たきなは眠くなってきたらしい。

欠伸をすると、そのまま私にもたれかかってきた。

膝に顎を乗せる。

体重を預けるように寄り添ってきた。

たきなは目を瞑っている。

完全に眠りに落ちているようだ。

規則正しい寝息が聞こえる。

「たきな……?」

呼びかけるが返事はない。どうやら本格的に夢の世界へと旅立ってしまったようである。

「あ~またたきなばっかり構ってるぅ」

千束は不満げに口を尖らせていた。

たきながじゃれついていたことが面白くないようで、その態度は拗ねた子供のそれだ。

あるいは、構ってもらえない子犬が吠えているような印象を受ける。

そんな千束も私にすり寄らんと近づいてくる。

「私にも何かしてよぉ」

酒に酔っているのか足取りはおぼつかない。しかし今の私の足下にはたきなが寝息を立てているため動かせなかった。

私をしっかりと視界に捕らえた千束は、手をつきながらにじり寄ってくる。

「……」

淺日色の瞳が私を顔を映している。

はっきりと私の目を見ていた。

「…おださく?」と私が何も云わずまじまじと見つめているのが気になったのか千束は止まって首を傾げる。

何故か私にはそれが酷く寂し気に見えた。

 

「…千束」

私は彼女の名前を呼ぶ。

なぁにと艶のある声で返される。

千束が何を考えているかはわからない。

だけど、何か不安に思っているのは伝わってきた。

だからこそ、確かめなければならない。

私は口をゆっくり開いて云った。

 

「……お前、酔ってないだろ?」

 

一瞬だけ、淺日色の瞳が揺れる。

 

「えへ~そうだよぉ? こんな簡単に酔うわけ無いじゃ~ん」

 

千束は身体を揺らしながら笑みを零す。

本来酒に酔っている人間が云うときの常套句だが、私には妙に白々しく聞こえた。

その意味を分かって使っているような、演技をしているような。

そして、何より、千束らしからぬ不自然さが浮かんでいたからだ。

 

「…そうだな。だってお前が飲んでたの酒じゃないからな」

「え!? そんなはず!」

 

千束は慌てて手にしていた空っぽになっている赤い缶のラベルを見た。

そしてそれが酒であることを再確認して、大きく息をついた。

安心して肩を落とした千束は、再び私の顔を見た。

「……」

 

数秒にしては随分と長く感じられる沈黙の後、後れて千束は悟ったらしい。

時すでに遅しであるということを。

酒こそ入っていれど、たきなのようなへべれけではない。

意識は明瞭のはずだ。

つまり、自分が何をしているのかも自覚しているはずだ。

私は千束の淺日色の瞳を注視する。

揺れている瞳孔に後れて、首筋が頬が、耳の先までもが赤く染まっていく。

やがて、耐えきれなかったように千束は両手で顔を隠した。

「うぅうううううぅぅ~なんでこんな時ばっかり察しがいいのぉ~~!!」

自身が酒に酔っているのを繕っていたのがバレてしまったことに羞恥心を覚えているようだ。

恥ずかしさに耐えきれず悶える千束の姿に、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 

「いや、いつも一緒にいるんだから分かるだろ」

「おださくは鈍感だから分からないと思ってたもん! 絶対気付かないって思ってたのにぃ……」

そう思っていたなら何故わざわざ酔っているふりをしたのだろうか。

その疑問を口に出す前に、千束は勢いよく顔を上げた。

「おださくが悪いんだよっ!!いっつもたきなばかり構うし、いつも良い雰囲気つくってさぁ!……」

捲し立てる様に千束は云う。

「あの時だってたきなを選んだし! ホテルで何があったか全然話してくれないし!」

淺日色の瞳孔には涙が溜まっていた。今にも溢れてしまいそうである。

千束はそれを拭おうともせず、真っ直ぐに私の目を見つめていた。

そこで私はようやく気付く。

千束の気持ちに。

「…お前まさか、焼き餅焼いてたのか?」

「っ…」

私の言葉に千束は肩を揺らす。

もはや演技も取り繕いもできないらしい彼女はうなる様な息を漏らしながら零すように呟いた。

 

「うぅぅ…そうだよぉ…悪い?」

その言葉を聞いて、なんだか可笑しくなってしまった。

普段から私に対して、好意を隠すことなく接してくる彼女が。

そんな彼女も私とたきなが親しくしていたことに嫉妬していたなんて。

それが最近ずっと匂わせていた千束の違和感の正体だったのだ。

その事実に愛しさすら覚えた。

「だってさぁ、たきな最近おださくにぐいぐいいくしさぁ。おださくもまんざらじゃなさそうだしさぁ。でもわたしはどう接すればいいかわかんないしさぁ」

「どうって、いつも通りでいいんじゃないのか?」

「できるわけないでしょぅ…いつも命令でわがままばかりいってるから、たきなみたいなはなしかたできなくなっちゃったんだもん」

 

千束は口を尖らせて拗ねるように云った。

私と千束の関係は、元を辿ればリコリスと犯罪者の関係だ。

千束がDAやマフィアから私の身の安全を保障するという名目で私は彼女のそばにいた。

故に千束は私を好きに出来たわけだが、心優しい彼女が私の尊厳を無視した命令を出来るわけが無い。

たきなは対称的にそのような関係が無い。

確かに銃を向けられたという因縁こそあるが、私達の世界ではよくあること故もはや気にも留めていなかった。

だからこそ共に過ごす仲間として対等に話すことが出来ていたのだ。

千束には逆に難しかったのだ。

 

「それにさ、私みたいな適当でいい加減で、わがままで、強いだけの子より、たきなみたいにしっかりしてて、ちょっと真面目で危なっかしい子の方が織田作も好きなんじゃないかなって思ってさ…」

千束は俯く。

「私なんか嫌いになったのかなって…」

先程まで赤かった顔色はもう見えなくなっていた。

私はそんな彼女にゆっくりと近づいて、頭を撫でた。

優しく、労わるような手つきを意識して。

千束が安心するように。

そして、勇気づけられるように。

「千束」

千束は顔を上げる。

「こっちこい」

私はまだ潤んでいた淺日色の瞳に向かって云う。

意図が分からないのか千束は首を傾げながら這い寄ってくる。

ある程度距離が縮まり、手が届くほどの間合いになった時に私は動いた。

「ぁ…」

私は千束の身体を引き寄せた。

千束の背中に手を回し、強く抱きしめる。

千束の体温が直に伝わる。

「大丈夫だ。俺はお前のことが好きだぞ。どんな千束だって、千束のことは嫌いになったりしない。それは約束する」

耳元で囁くようにそう告げると千束の肩が小さく震えているのが分かった。

千束の表情を見ることは出来ない。

けれど、私の服を掴む小さな手が全てを物語っていた。

私はそのまま続けた。

今度はしっかりと、伝わるように。

私がこうして生きていられるのは、生きてゆけるのは千束の明るさと勇気、そして優しさがあったからだ。

何度も私は千束に救われている。

それなのに、恩返しも何も出来ていない。

せめてもの感謝を。

千束のおかげで救われたのだという想いを伝えるために。

「ありがとうな」

「っ……おださくぅ……」

声を押し殺すようにして泣く千束の声を聞きながら、私は暫くの間そうしていた。

どれくらい時間が経っただろうか。

千束は落ち着きを取り戻していた。

「ごめんね、いきなり泣いたりして……」

千束は鼻声で云う。

目元は赤く腫れているが、涙自体は止まっているようだ。

私は千束の髪を指で弄りながら答えた。

「気にしなくていいさ。たまには弱ってる千束も見てみたいしな」

「むぅ~! おださくはそういうところずるいよねっ!」

千束は怒ったように頬を膨らませる。

「でも……うん、そうだね。たまにはこういう時があっても良いかも。こんなに素直になれる機会なんて滅多にないしさ」

「そうだな。いつもの千束も魅力的だが、今の千束も可愛いと思うぞ?」

「な、なにさ急に……」

「ん? 本音だよ。普段からこうならもっと可愛くなるだろうなと思ってな。勿論、普段の千束も十分魅力的なんだがな」

「もう……織田作はやっぱり織田作だねぇ」

「どういう意味だ」

「褒めてるんだよー」

千束はくすっと笑う。

私もつられて笑った。

「でも、ありがと。元気出たよ」

「ああ、俺の方こそ悪かったな。変な勘違いさせちまって」

「うぅん、いいのいいの。わたしも悪いんだから。それより、さっきの約束忘れないでね?」

「さっき?」

「ほら、その……私のこと好きって言ってくれたじゃん……あれ、その……凄く嬉しかったというか、安心したというか……」

段々と尻すぼみになる言葉を聞いて、私は千束が言いたいことを理解した。

「ああ、わかってる。ちゃんと覚えてるぞ。千束は大事な仲間だからな。好きとか嫌いとかないぞ」

「あはは、もう遅いってば」

千束は呆れたように笑って私の胸を小突いた。

「じゃあさ、これからはもう少し仲良くしてもいいかな。今まで通りでいいんだけど、ちょっとだけ歩み寄る感じでさ。駄目、かな……」

不安そうな顔で千束は問う。

私はそんな千束に微笑んで、 頭を撫でた。

そして、答える。

私達の関係は何も変わらない。

けれど、ほんの少し、何かが変わるような気がしたのだ。

「さてこれからどうする? 映画でも見るか?」

「…もうちょっとこのままがいい」

「わかった」

 

 

 

―――

――

 

 

いつの間にか私達は寝ていたらしい。

痛む首と肩に鞭を打ちながら身を起こすとすでに千束とたきなは目が覚めていたようで、2人とも朝食の準備をしていた。

「おはよう、2人とも」

「おはようございます。ごめんなさい。昨日は勝手にお酒飲んでしまって。少し記憶が曖昧なんですけど、迷惑かけてませんでしたか?」

「いや、特に問題はなかったぞ」

「それなら良かったです」

ほっとした様子を見せるたきな。

迷惑はかけていなかった。

それに、面白半分で飲ませてしまったのは進めた私の不始末だ。

覚えていないなら無理に思い起こさせる必要もないだろう。

しかし、千束の様子がおかしい。

妙にそわそわしながら食器やら水やらを用意している。

しきりと私の方を見て、目が合うと逸らすということを繰り返していた。

 

「朝ご飯もう出来るので織田作さんはイスに座っててください」

「悪いな」

私は千束の隣に座った。

千束は私の方をチラリと見ると、すぐに視線を逸らしてしまった。

たきなが料理を皿によそっている最中でしばらくは食卓には来ないことが察せられた。

「織田作」

耳元で千束の囁く声が聞こえた。

私は耳を傾けた。

「昨日のことなんだけどさ」

おそらく、千束は覚えているのだろう。

それをたきなに話さないか気が気で無いのだ。

仕方ないが、無理をして演技をしただけじゃなく、ずっと胸の内に秘めていた本心を聞かせてくれたのだ。

この秘密は、私と千束だけの物にしよう。

「わかってる。2人だけの秘密な」

「うん、約束だからねっ」

そう云って千束は満面の笑みを見せた。

「お待たせしました」

3人分の食事を持ったたきなが現れた。

千束の顔はいつものように笑顔だった。

いつもより距離感は近いものの、千束は普通に振舞っていた。

私はそんな千束を微笑ましく見ていた。

「ありがとう、たきな」

「いえ、これくらい大したことありませんよ」

「じゃあ食べよう!」

千束の合図で私たちは手を合わせた。

いただきますと、声を合わせて。

 

「千束、昨日のことなんだが」

「っ!」

「凍らせたあれは結局どうするんだ?」

「え? あ、あ~あれね」

昨日という単語を出した途端露骨に肩を揺らした千束だが、勘違いとわかると安心したように息を吐いた。

「そうだね。朝ご飯片付けたらやろうか。たきなもいいでしょ?」

「はい、大丈夫ですよ」

肩の荷が下りたちさとは「ふー」と大きくため息をつく。

「ところで、千束は昨日の夜何してたですか?」

「え!? いやぁ…それは」

「千束も悪酔いして寝てしまったんだ。俺が舐めさせた酒が回ってきたんだと」

私が助け舟を出すと、千束はほっと安堵した表情を浮かべる。

たきなは納得したようで、それ以上追求することはなかった。

 

その後、3人で談笑しながら朝食を摂った後、私は部屋に戻り着替えを済ませた。

そして、再びキッチンに戻ると千束とたきなは準備を終えていた。

「それで、どんな妙案を思いついたんだ?」

よくぞ聞いてくれたと云わんばかりのご様子で千束達は用意していた材料を手に取る。

私が使っていたロックグラス。たきなが気に入った青いシロップと、丸い氷が込められている箱。中には千束が選んだジュースがしっかりと凍っていた。

 

「まずはこれをいれてと」

 

千束は箱から丸く凍ったジュースをロックグラスに入れる。深紅よりも濃い色合いの球体はまるで天を舞う太陽のようにまぶしい。

「次にこうします」

それに連動したたきなは瓶に詰まっていた青いシロップとトニックウォーターを注いだ。

透き通った青色とトニックの透明感が絶妙に交じり合っていて、それが静かに凪いでいる海を映しているようだった。

「これで完成!」

千束とたきなは満面のご様子でグラスを見せる。

真っ赤でまぁるい氷が、透明感のある青の水面に浮かんでいるのが、太陽が西の海岸線に沈んでいくように見えた。

「これは?」

「織田作のカクテルだよ!」

そういえば、元々そういう議論だったと今更になって思い出す。

だがこれがなぜ私を模したカクテルとなるのかを聞いてみることとした。

「織田作さんがウィスキーを飲んでたのをみて思いついたんです」

「それに、このまますぐ飲むんじゃ無くて、氷が徐々に溶けていくと青色のカクテルと混ざっていくんだ。それが夕日みたいに見えて綺麗かなって」

2人は説明してくれた。

話している間にも凍った果汁は溶け出して、青い海と混ざり合っている。

それが昼と夜の間(あわい)が徐々に曖昧になり、幻想的な赤橙色と青紫色が夕日に染まるハワイの海のようにグラデーションを描いていった。

本当に素晴らしい出来だ。

だが、懸念点がないわけではない。

「でも、これ店で出せるか?」

ネックはジュースを凍らせること。

普通の氷とは違って丸い氷で無いと意味が無い。

となると、凍らせるのに手間が掛かるし個数にも制限が掛かる。

他のカクテルより使い勝手が悪いのではと尋ねたが予想外の返答がきた。

 

「ちっちっちっ、それは逆だよ織田作」

「というと?」

意図を尋ねるとたきなが答えてくれた。

「敢えて個数を制限させるの。提供する時間にも限定させる。そうすれば問題無いです」

「限られた数、短い時間でしか頼めない幻のカクテル。なんか特別感あるでしょ!」

 

2人の云う通りだ。

人間というのは期間限定や数量限定で付加価値がつく商品を好む傾向にある。

ただでさえ美味しいものなのにさらに希少価値が加わることで味はより引き立つ。

最初に提示していた特別感。

確かにこれはカフェリコリコでしか味わえないだろう。

「なるほどな」

私は感心した。

この発想は私には到底浮かばないものだ。

「凄いな2人とも、思考がくるくる回る」

「えへへ」

「それほどでもないですよ」

照れている2人を見て微笑ましく思った。

そして、2人が私の為にここまで考えてくれているのが嬉しかった。

「よし、これで全員分揃ったね!」

「あとは細かい調整だけですね」

「ミカを忘れてはいるがな」

「先生はだいじょーぶだよ」

きっとそうだろう。

もし彼が何か行き詰まれば、私達が手を貸してやれば良い。

それが私や彼女達にはできるのだから。

「よぉし、今日もお店はお休みだし皆で映画でも見よっか!」

自由時間が増えた千束はご機嫌そうに伸びをするが部屋の片隅からピリリリリという着信音が鳴る。

千束の携帯だ。

私達の思い出が詰まった彼女の宝物でもあるそれから鳴る音は、人物によって決められている。

この音はミズキからの通話だろう。

「もしもしもしもし? 千束だけど? え? うん、わかった」

手短に通話を切った彼女は顔を上げて私達を見渡した。

「皆、凍えたペンギン。お客さんだってさ」

「こんな朝から珍しいですね」

この合い言葉は裏の仕事の依頼を意味している。

つまり、喫茶リコリコから続く、困っている人を助ける仕事だ。

前のようなフラガールで任務に赴くか否かはさておきとして、本業の時間がやってきたらしい。

「急を要する依頼かもな」

「なら、急がないとね!」

「すぐに支度しましょう」

 

私も拳銃が入ったレザーハーネスを羽織るといつものベージュの外套に身を包んだ。

「織田作」「織田作さん」

ふと、私の名が呼ばれた。

2人の瞬発力には敵いそうに無い。数分と経っていないのにもう準備が終わっている彼女達はすでに玄関で私のことを待っていた。

「あぁ、今行く」

私は部屋を後にする。

氷が沈んでいく音が部屋のどこかで聞こえた。

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