桜の矜持   作:ふみどり

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 警視庁内の捜査本部から少し離れた廊下で、まるで裏取引でもするかのようにふたりは向かい合っていた。別にこそこそと隠れる必要はないのだが、何となく堂々とはしづらい。ふたりの間を行き来するのは何てことないライターだが、そこにはライター以上の意味があった。

 これ、と諸伏が示したライターに、柊木は悪いな、と手を差し出す。

 受け取ろうとしたライターは、手のひらに乗ろうとした瞬間にまた宙に浮いた。驚いて顔を上げると、にこりと微笑んだ諸伏と目が合う。

 視線の高さまで持ち上げられたライターが、窓から差し込む光を受けて鈍く光った。

 

「……諸伏?」

「なあ、柊木」

 

 柊木に向けられた笑顔は、どこまでもいつも通り。いや誰が見ても「いつも通り」だと思うだろう。おそらくその笑顔に寒気を覚えるのは長い付き合いの同期くらいだ。

 ちり、と柊木の首元に虫の知らせが突き刺さる。

 

「今回は、ひとりで全部考える必要はないんだよな?」

 

 ぞわ、と冷たいものが柊木の背筋を走った。柔らかに投げられた言葉を受けとめ、咀嚼し、かつて指揮を執った大事件の記憶をざっと思い起こした上で、そっと視線を斜め上に外し、また諸伏の顔に戻す。諸伏の笑顔にはわずかの変化もない。

 ぎこちなく笑顔をつくって、柊木も口を開いた。

 

「……ひょっとして怒ってる……?」

「別に?」

 

 にっこり、とさらに強い笑顔が向けられる。ぴっと肩に力が入った。

 そのまま数秒硬直して、いや、と思い直す。あの事件の指揮のことはすべて諸伏も納得していたはず。だから、諸伏は怒っているのではない。

 柊木は肩の力を抜き、浮かべていた笑顔に少しの苦みを足した。諸伏への申し訳なさと少しのくすぐったさを抱えたまま、答える。

 

「……俺ひとりで考える気はないよ。降谷もお前も、伊達や松田や萩原、特命係のおふたりや風見さんだっている。もちろん捜査員の皆さんも頼りにさせてもらうし」

 

 そこで一瞬、言葉を切る。すう、と小さく息を吸って柊木は微笑んだ。

 

「心配かけてごめん。無理はしない」

 

 ふ、と諸伏も小さく息をつく。強い笑顔は一瞬で引っ込められ、柊木の手にライターが置かれた。ついでに、といつぞやよく吸っていた銘柄の煙草も添えられる。

 

「煙が充満した部屋で隈を作るお前はもう見たくないな」

「わかってる。どちらにしろそんな大袈裟な作戦考える必要はないと思うし」

「へえ?」

 

 どうやら柊木の頭の中にはすでに作戦の概要はできているらしい。まだ推測の部分も多いけどとは言いながらも、ある程度の自信はもっているようだった。

 手の中でライターと煙草のケースをいじりながら、じゃあ喫煙所行くかなと諸伏に背を向ける。

 

「諸伏、捜査資料全部喫煙所にもってきて」

「……え、全部?」

「全部。喫煙所の周囲の人払いもよろしく。あと追加で欲しい資料もメッセージ投げとくからそれもな。今さら公安の捜査資料は見せられないとか言うなよ、もし隠蔽や改ざんをしようとする馬鹿がいたら報告あげて。後でつるしあげる」

「待って」

「それが終わったらお前も少し休めよ、今降谷が他の捜査員たちにも今日は休むよう指示出してるはずだから。ただし明日から事件解決して事後処理が終わるまでは不眠不休だと思えな」

「それつまり俺に休む暇はないってことかな?」

「諸伏の処理能力次第だろ。できるできる休める休める」

「いろいろ雑なんだよお前は」

 

 じゃあ俺喫煙所にいるからと平気な顔で背を向けた柊木に、そういえばアイツ暴君だったなあと半分現実逃避をしながらしみじみと諸伏は思う。しかし今回は、柊木がひとりで背負い込む必要がないように、諸伏もまたひとりで柊木の補佐をする必要はない。

 

「……同期(あいつら)にも手伝わせるか」

 

 一緒に柊木の圧政に文句を言ってくれる仲間がいることが、どれだけ心強いか。

 とても気を抜ける状況ではないことは十分に理解しながらも、諸伏の足取りはどこか軽かった。

 

 

 ***

 

 

「おっまじで吸ってるね、新鮮~」

「柊木お前な、喫煙所を私物化するやつ初めて見たぞ」

「これ後で問題にならないか? お前のキャラ的にも」

 

 聞こえてきたいつもの声に、柊木は緩やかに天井へ向かう紫煙から目を離してひらりと手を振る。どうせ諸伏や降谷と一緒に来るだろうとは思っていた。想像していた通り、同期五人は仲良くファイルの山を抱えながら柊木の待つ喫煙所に現れた。

 伊達が小脇に抱えてきた簡易な折りたたみテーブルの上にどさどさとファイルを置き、これでいいのかと松田は面倒そうに言葉を投げる。

 

「ああ、さんきゅ。諸伏、さっき送った資料の手配は?」

「風見さんがやってる。何とかするって泣いてたよ」

「そうか。読めさえすれば涙で濡れてても構わないから」

「暴君モードの旭ちゃんマジ容赦ないね?」

 

 けらけら笑いながら自分も煙草を取り出す萩原を余所に、やれやれと降谷は首を振った。

 

「捜査員に休むように指示は出してきたぞ。明日の朝から本格的に動く算段でいいんだな?」

「ああ。今しか休めないだろうし」

「てことはやることだいたい決まってんだな」

 

 逮捕、できるのか。

 真犯人の事情についてはすでに降谷から伝えられている。どれだけ犯行が明らかでも、どれだけ明確な証拠や証言があったとしても、それでも犯人が捕まらないことはある。現場を走る立場ではどうしようもない葛藤や苦しみ、それをよく知るからこその言葉だった。

 重く響いた伊達の言葉に、それぞれの視線が柊木に集まる。手近なファイルを取ってぱらぱらとめくっていた柊木は、顔を上げることもなく軽く答えた。

 

「する」

 

 できるできないではなく、する、と。

 当たり前だと言わんばかりの様子で降谷も腕を組む。

 

「ここまで来て取り逃がすわけにはいかない。柊木としても爆弾所持の可能性があるストーカーを放置はできないだろう。名前に職場、住所までバレている最悪の状況だぞ」

「ねえ降谷何でそこでそれ言うの? 煙草使ってまで頭切り替えて考えないようにしてたのに何で言うの?」

「待ってライター返せってそういう理由?」

「そういや萩原、お前いい縁切り神社の噂聞いたって言ってなかったか」

「女の子たちから評判いいトコ聞いたから事件解決したら一緒にお祓い行こーね旭ちゃん!」

「そりゃ柊木にとっては死活問題か……」

 

 気の毒そうな視線を振り払うように、勢いよく柊木は紫煙を吸い込む。やけっぱちの様子で大口を開けて煙を吐き出し、また煙草をくわえ直した。煙草のフィルターにはくっきりと噛み跡が残っている。

 まあそう拗ねるな、と伊達の腕が柊木の首にまわった。

 

「お前がその気なら何も言うことはねえよ。で、何から始めんだ?」

「とりあえず一番の問題は十日後の爆弾なんだろうけど……なあ、爆弾の場所ほぼ一択な気がすんの俺だけ?」

「いや、萩原だけじゃないと思うよ」

「黒幕とやら、頭よさげに振る舞っちゃいるがやってることはてんでガキだからな」

 

 少しばかり呆れた様子の萩原、苦笑気味の諸伏に、松田はさらに不機嫌そうに言い捨てる。確かになあと視線を浮かせた伊達もまた、同じ意見であるらしい。

 ゼロ、と諸伏の視線を受けた降谷も、不敵な顔で頷いてみせた。

 

「ああ、それについては柊木とも意見が一致している」

 

 十日後の正午、大勢の民間人のいる場所。そこは警視庁から一時間とかからないという。確かにそれだけでは到底場所を絞り込むことはできない。

 しかし、それ以上に黒幕は大きな手がかりを残していた。

 

「とにもかくにも旭ちゃんが好きすぎるよね、今回の黒幕ちゃん」

「柊木の顔が悔しさで歪むところが見てぇなんざ、柊木と関係がある場所を爆破しますって言ってるようなもんだろ」

 

 柊木旭は基本的にインドアに分類される人間だ。ただでさえひとの多い都心の街並みを好きこのんで歩くことはしないし、そのぶん思い入れがあるような場所は限られている。仕事で外に出ることもそう多くないのだから、選択肢は限りなく少なかった。

 その前提と、黒幕が確実に握っている「柊木旭」という人間のひとかけらを考えれば、おのずと結論は見える。

 

「普通に考えて、一度守った場所をもう一度狙われるなんて屈辱も屈辱だからなぁ」

「ああ、民間人が多い場所という条件にも合ってるし」

 

 萩原に松田、伊達に諸伏。それぞれが思う場所も一致していた。

 力強く降谷も頷き、同意を見せる。

 

「犯人の狙いは、かつて柊木が爆破から守った場所。―――米花中央病院だ」

 

 いや爆弾解体したの俺だけどな、という当時やらかした自覚のある元問題児の本音は真っ白な煙草の煙に溶けて消えた。

 

 

 ***

 

 

 米花中央病院―――柊木本人にとっては思い入れというほどの思い入れがあるわけでもなかったが、周囲からすればそう思われてもおかしくはない。そうでなくても病院で爆弾など、どれだけの被害になるのか想像もしたくなかった。

 まあ爆破なんかさせねーけど、と内心で呟きながら柊木は紫煙を細く吐き出す。

 

「そっちのことは俺が考えるからお前らは考えなくていい」

「いいのか?」

「二、三日のうちに警備案つくるから、降谷、人員の調整だけ先に打ち合わせの時間くれ。詳細は病院側に話通してから説明する」

「わかった」

 

 実際、狙いと爆発の日時がわかっているのだからそう悩むことはない。もとは警察庁で警備課に所属していた経験のある柊木にとっては得意分野ですらある。病院側と面識もあることを考えれば確かに柊木に任せるべきか、と降谷も頷いた。

 じゃあ、と続けて口を開いたのは諸伏だった。

 

「俺たちは総出で黒幕の方?」

「でも近づいちゃだめなんしょ? 本人に悟られないギリギリのライン攻める?」

「まどろっこしい、上から文句言われる前にとっ捕まえて吐かせりゃいいんじゃねえの」

「柊木の査問を受けたいなら好きにしていいぞ、松田」

「……………」

「そういうことだ。萩原、伊達、しっかり見張っておいてくれ」

 

 降谷からしっかりと刺された釘に、松田は煙草をくわえたままふてくされる。その様子に小さく笑った柊木は、伊達の腕を外さないままテーブルの上からまた違うファイルを手に取った。

 急いでまとめられたのか、少し乱雑に綴じ込まれた資料。しかし、求めていた情報はきちんとまとめられていた。いまだ推測の部分が多い「それ」が、柊木の頭の中で徐々に真実味を帯びていく。

 にい、と柊木の口角が上がった。うわ、と察した諸伏の頬が僅かに引きつる。

 

「黒幕の方についても情報は集めて欲しいが、最低限でいい。経歴、家族構成、現在の様子、その警備会社と社長についても。けど本当に探っているのを悟られないレベルで十分。それよりも調べて欲しいことがある」

 

 調べて欲しいこと、とほぼ頭上から繰り返された声に、ああ、と柊木は軽く応える。

 贔屓目を抜いても、柊木は日本警察の捜査力を決して舐めてはいなかった。他国の警察組織に比べ荒事が苦手な傾向はあるが、それは大前提として凶悪事件の発生がそもそも少ないがゆえに経験値と訓練の優先度が低いから。単純な捜査能力、特に人捜しにかけては、日本警察は世界各国の警察と比べても決して劣ることはない。まして、刑事部と公安部の選りすぐりの優秀な捜査員たちが文字通り不眠不休、血眼になって捜索に当たったならば。

 まさか見つけられないはずがないよな、と煙草の煙に起こされた暴君が心からの()()を笑顔に乗せる。

 

「うちに送りつけられたテディベア、あれの()()()送り主だよ」

 

 よろしくなと微笑んだ暴君の声の温度に、あるひとりは不敵な笑みを浮かべ、あるひとりは遠い目でこの十日間の地獄を覚悟し、残りの三人は背筋に冷たいものを感じた。

 ごく稀に見られる、柊木の人形じみた「綺麗すぎる」笑顔。長い付き合いの悪友ともなれば、その意味は嫌というほどによく知っている。

 

「そういうことだな? 柊木」

「ああ。頼りにしてるよ、降谷」

 

 じゃあ捜査方針の確認といこうか、とあくまでも柔らかな声が喫煙所に響いた。

 

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