目の前に広がる光景に、風見は安堵すら覚えたと言っていい。
いつぞやの事件では遺憾なく「暴君」を発揮していた有能すぎる指揮官と、日頃から無茶ぶりが過ぎる有能すぎる上司。彼らに振り回されてしまう一番の原因は自分の能力不足にあるのではと疑っていたのだが、やはりそれは違うのだと。
疲労困憊という顔で地図や書類と向き合う彼らの同期たちを見るに、やはりおかしいのは自分でなく
「……な? 大変だろ?」
「『な?』じゃねーんだよヒロの旦那ァ!! あいつら絶対俺らの体力とか休息とか計算に入れてねえだろ!!」
「入れててこれなんだって。諦めよ」
「そんな死んだ眼で言わないでヒロくん!! 確かに刑事ってそういう職だけどさぁ!!」
「お前ら叫ぶ元気あるなら早くチェック終わらせろ……」
「ほら一番の体力自慢ですら憔悴しきってるし!!」
彼らと長く付き合いのある同期たちですらこの様子なのだから、自分がついて行けなくとも無理はない。そう自分を慰めながら、風見もまた霞む目を擦りながら捜査の進行度を確認していく。
柊木が立てた作戦に則り、降谷の指揮のもとで捜査官たちは昼夜を問わず走り回っていた。風見としても降谷を通して示された捜査方針に異論はない。まさか、とは思ったが内容自体は納得のいくものだった。ただ、限られた期間、限られた人員で行う捜査としてはあまりにも無茶が過ぎないかと思うだけで。
風見さん、と呼ばれた声に顔を向ける。目の下に薄く隈をつくった伊達がチェックの入った書類を差し出していた。
「こっちのリストは完了です。どうも南側の線は薄そうだ」
「ああ、北ももう少し範囲を広めるべきかもしれないな」
「今でも人員足りてねえのにマジかよ……!」
「頑張るけどさー……さすがに抜けが出ないか心配かな」
「雑な捜査になって勘付かれたら元も子もねえしなぁ」
時間もねえ、と伊達は次に洗う区域の地図を手に取った。確かにね、と諸伏も難しい顔で手元の書類をめくる。
降谷の指揮は確かに的確だった。捜査員それぞれの適性を踏まえた上で班を振り分け、最効率の動きで捜査を進めている。それは誰もが認めるところだろう。
ただ、それでも今回は手が足りない。本来なら数ヶ月かけるべき「人捜し」だが、タイムリミットの日までに見つけられるかどうかで最後の
間に合うのか。いや、間に合わせなくてはならない。多くの命が懸かっている。
はー……と大きく息を吐きつつも書類から目を離さない松田は、こめかみに血管を浮かせながら口を開いた。
「……柊木のやつ無茶言いやがって、事件解決したらしこたま酒奢らせてやる」
「本当にね。というか見つけ出さないと久々にマジの説教くらいそうでヤダ」
「や、柊木のことだから説教よりも嫌なものがくるんじゃないかな」
「何だよ説教より嫌なもんって」
うげえという顔をした松田に、諸伏はいつもと変わらぬ笑み……に見えるが、その場面を想像したのかこめかみにはわずかに血管が浮いていた。
「
「、うっわ言いそう! いや言う! 旭ちゃんそういうとこある!!」
「やっぱあのイケメン一回殴らねえと気がおさまらねえ!!」
「……あ、ボールペン折っちまった」
「……俺のを使うといい。予備がある」
こりゃすんません、と朗らかに笑う伊達も、その口元はわずかに引きつっている。それぞれが柊木に向ける厚い
途端に熱の入った会議室の空気に割り込むように、景気よくドアが開かれる。
「何だ、そろそろ疲れているかと思ったが大丈夫そうだな」
呼び戻しといて遅えよ
見慣れたグレーのスーツには若干の皺が浮いて見えるが、それでも蒼の瞳は爛々と燃えている。
「杉下警部と神戸警部補から朗報だ」
ばっと全員が覗き込んだ書類の束には画質の悪い画像がいくつか並んでいる。
防犯カメラの映像を切り取ったものと思しきそれには、帽子を目深にかぶり俯いて歩くとある人物。個人を特定するには難しい画質だが、その背格好と服装には覚えがあった。
それぞれがすでに頭に叩き込んでいる「犯人」、柊木宛のテディベアを発送した人物のものと完全に一致している。
来た、と全員が直感した。
「降谷、これを撮影したカメラの場所は?」
「ああ。風見、地図を」
「はい!」
それも、対象を捉えた画像は一枚ではない。異なる場所で撮影されたそれらには、少しずつ服装を変えた対象が捉えられている。一応の尾行対策のつもりだったのかもしれないが、一度目を付けられてしまえばその対策は怪しさを煽るものでしかない。
逸る気をおさえられない降谷のペンが地図の上を走って行く。増えていく黒の丸、それを繋いでいくことで浮かびあがっていく足取り。たった数枚の画像だったが、これだけでエリアはかなり絞られる。
書き終えた降谷は、よし、とペンのキャップをしめた。
「神戸警部補曰く、これまた警察嫌いの民間人を杉下警部があの手この手で言いくるめてチェックさせてもらったらしい。そこを起点にたどっていったそうだ」
「あ、ここ覚えてるわ荷物の発送場所からそんな遠くない民家のじゃん。うわマジ落ち込むんだけど、俺完全に門前払い食らって諦めたのに」
「萩原がオトせなかった相手をオトすか……やっぱすげえなあのひとは」
「は、ダセェな
「はい陣平ちゃんうるさ~い」
いんだよこの後大活躍するから、とじゃれる幼馴染みたちと素直に感心する伊達にに苦笑しつつ、それで、と諸伏は指揮官に次の指示を仰ぐ。
「一度捜査員みんな呼び戻す?」
「いや、この場で担当場所を振り直すからすぐに伝達のうえ各所を徹底的に洗ってくれ。こちらの捜査が気付かれてるとは考えにくいし、次の爆破までそうそう場所を変えるとは思えない。絶対にこの近辺に潜伏しているはずだ」
「降谷さん、これがその近辺の対象物件のリストです。最後の画像の場所から近い順にリストアップしました」
「よし。それから近辺の所轄署にも極秘で協力者を出させた。あくまでもサポートだが、柊木のお墨付きの精鋭を指名済みだ」
「柊木のお墨付き?」
「あいつ所轄にコネとかあんの?」
本庁勤務の柊木が何故、という視線には降谷も苦笑を返すしかない。
降谷も先ほど同じ質問をしたが、別件を調べてたときに話を聞かせてもらったことがあるだけ、と本人はいたって軽い様子だった。
『どの組織にもひとりくらいはいる、能力はあるし目端も利くけど建前と体裁が嫌いなタイプの曲者だよ。独自のネットワークや情報をもってることも多いし、本庁以外にも関係する不正とか調べるときはそういうひとに聞くと話が早いんだ』
最初はめちゃくちゃ警戒されたけど味方に付ければ有り難いひとたちだよ、と軽く言った自称「人間関係に苦手意識がある」柊木旭、かつての「不良少年ネットワーク」と言い、そろそろその自己認識を改めるべきだと降谷は思う。閑話休題。
その地域のことはそこを管轄する人間に聞くのが一番早い。もしかしたらこちらが掴んでいない致命的な情報も、彼らなら知っている可能性がある。
また、降谷は見当たり捜査班の協力も取り付けていた。懐に顔写真のリストをしのばせ自身の目と記憶で数々の指名手配犯を見つけてきた彼らに、対象地域に優先的に立ってもらうように手配を済ませている。
打つべき手は打っている。優秀な人員も、情報も整ってきた。あとはもう、走るだけだ。
「では担当の振り直しは以上、……ああそうだ、柊木から伝言がある」
事務的な言葉のあとに、にこりと降谷は微笑みを添えた。どこか
何かを察したように無言で視線を向けた全員に向けて、降谷はあえてゆっくりと口を開いた。
「『え、病院の警備の話進めたかったのにまだ見つかってないの? 皆ならすぐだと思ったのに、どうしたんだよ体調悪い?
「よォしあいつぶっ飛ばァす!!」
「旭ちゃんマジでそういうとこだから!!」
「『体調悪い?』とかどの口が言ってんだ柊木ィ!!」
「風見さん、オレも捜索に出るので事務作業よろしくお願いします」
「ああ、任せろ。一瞬でも早く見つけ出してくれ」
叫ぶと同時に椅子を蹴った彼らは、熱気渦巻く会議室からドタドタと大きな靴音を立てて飛び出していく。
念のため書いておくと、柊木が言うところによればこの言葉に悪意など微塵もない。現場を走る彼らのやる気が増すのならモチベーションの種は何でも構わず、事件解決後に数発殴られるくらいのことは一向に構わないという合理主義がほんの少しくらいはあったかもしれないが、あくまでも怒らせるつもりはなかったと主張している。
***
同時刻、警察庁の高層階のとある一室でにこにこと微笑む暴君兼問題児がひとり。
自身のデスクに腰掛けて書類をめくる古狸はふうんと頷き、問題児の上司は真剣に頭の痛そうな顔で眉間にくっきりと皺を刻んでいた。
何でもっと早くに報告しないんだと上司は歯噛みするが、隣の問題児は官房長の方を向いたまま。ただただ微笑むだけで口を開く気配はない。
なるほどね、と官房長は書類を置いてふたりに向き直った。
「柊木くん、これ、いつから調べてたの?」
「特にいつからということはありません。出向から戻る際に『数年である程度綺麗に』とお言葉を頂いておりましたし、常日頃から監察官としての職務を精一杯果たしておりますので」
「じゃあ、今までこれを黙ってたのは?」
「上層の椅子に座る方がいきなり何人も首をすげ替え……失礼、入れ替わるのは影響が大きいと上司より指導を頂きました」
「大河内くん、きみ意外と柊木くんをコントロールできてたんだね」
「……恐れ、入ります」
これをコントロールと言っていいのかと心底思いつつも、大河内としては頷くほかない。
柊木が提出した病院の警備案、それを含んだ今事件を解決に導く作戦案、そして作戦成功の根拠として示した数々の
官房長はそっと目を閉じて眉間を揉んだ。これらが全て上手くいけば、確かに大きな問題なく事件のすべては片がつく。おおいにリスクも孕んでいるが、ある程度は事前の準備で解消ができるはず。当然、柊木もそれは検討しているだろう。
ならば、と目を開ける。
「……いいでしょう」
やる価値はある、と官房長は頷いた。
どこか圧を感じる古狸の重い視線を、柊木は正面から受け止める。
「前例もないめちゃくちゃな作戦だけど、許可します。病院側にも話は通してあるんでしょう?」
「もちろんです。患者の方々にも影響が出ないよう、細心の注意を払って警備にあたります」
「うん。……この作戦、
「ええ、杉下警部が手がかりを見つけたと先ほど報告がありましたし、刑事・公安ともに優秀な人員が揃っていますから」
きっとすぐに見つけ出してくれることでしょう、と自信満々で宣った柊木の言葉を彼らが聞いていたら、さて何と言っただろうか。
柊木としては、万が一、億が一に見つからなかった可能性も考慮にはいれている。もちろんその場合でも大きなズレが出ない策を練った。が、それはあくまでも一応考慮にいれただけであって、本当はその必要がないことを確信していた。
笑顔をつくっていた表情筋がわずかに揺れる。そう、
「必ず、やってくれます」
柊木旭は理解している。
自身がそうありたいと思っているように、彼らもまた誰よりも
***
そして、運命の日が訪れる。
嫌味なほどの快晴の下、ボストンバッグを提げた人影がひとつ、米花中央病院の自動ドアをくぐり抜けた。落ち着かない様子で風除室に入り、荒い息づかいでほとんど駆け込むように内側の自動ドアが開くと同時院内に足を踏み入れた、そのとき。
「おやおや、お辛そうですねえ。顔色もずいぶん悪いように見えますが」
眼前に進み出たのはオールバックの髪を丁寧に撫でつけた初老の紳士。急に話しかけられて驚いたそのひとは、反射的に一歩後ずさる。
今度は背後から、肩口を覗き込むように現れたハンサムな男性。
「でも困りましたね、今日は外来お休みなんですよ、この病院」
は、と思考が停止する。ボストンバッグを落としかけた手を反射的に握り直した。咄嗟にその場を逃れようと足を踏み出すも、神戸がそれを許さない。
一周まわって天井を向いた視界に、掲げられた黒い手帳。その人物は唐突にすべてを理解した。
「初めまして、警視庁特命係の杉下と申します」
「同じく、神戸です。もう諦めた方がいいですよ」
「ええ、その通りです」
全部、わかっていますから。
真上から告げられた杉下の言葉に、その人物は思う。思ってしまったのだ。決して認めたくはなかったけれど、もはや口が勝手に動いていた。