米花中央病院の入り口で無機質な冷たい床に背を付けたその人物。
長く公安が追ってきた指名手配犯であり、弱気を踏みにじり私腹を肥やす権力者を数多く葬ってきた、権力嫌いの爆弾魔。
「良かった、と仰いましたね。──江藤和久さん」
は、と息を吐いた江藤は、荒い呼吸を無理やり飲み込み、口元を歪ませて言った。
「都合のいい空耳だな、刑事さんよ」
「おや、そうでしたか」
「僕の耳にも聞こえましたけどね、都合のいい空耳」
「そりゃお仲間そろって仲良いこった!」
強気な姿勢を崩さない江藤だが、抵抗する力は弱々しい。
警察が得ている江藤の顔写真は十年は前のもの。その頃の江藤は、警察ともみ合いになっても逃げおおせた程度には体格も恵まれていた。
それを知っている神戸は、まるで別人、と声に出さずに呟く。
もはや四十路も過ぎた彼の顔には深いしわが刻まれているが、それだけでは説明できないほどに人相も変わっていた。もう何年も眠れていないような濃い隈に落ちくぼんだ眼窩。頬は痩せこけ、手足はもはや枯れ木のようだ。
かつては精悍な青年だった江藤が、今、死人のような顔で虚勢を張っている。
「……はいはい、どうでもいいけど、これはもらうね」
そんな江藤に呆れながら、神戸はたやすくボストンバッグを奪い取る。それを受け取った杉下は床に置き、中をあらためた。
入っていたのは、間違いなくテディベアがもっていた写真のものと同じ形状の爆弾。
機動していないことを確認し、杉下はすぐにそれを近くに控えていた爆発物処理班にそれを渡した。
同時に神戸は江藤の身体を確認し、本当に丸腰だ、と呆れたように言う。
「凶器の所持はありません」
「結構。──さて、江藤さん」
這いつくばったままの江藤を、杉下は静かな目で見下ろした。
「貴方が来ることはわかっていました。これが誰の指示を受けての犯行なのかも」
「指示? 俺が誰の指示を受けたと?」
「おや。では貴方は、自分こそが許斐葉太と接触し、警察関係者連続殺人の計画を授けた張本人だと?」
「ああ、そうだ」
「柊木監察官と会話し、今日の爆破を予告したのも?」
「しつけえな。そうだと言ってる」
あくまでも、事件の黒幕は自身だと主張する江藤。
それを警察が信じないことは百も承知。だが同時に、
「あーあ、捕まっちまった。ここを選ぶなんてわかりやすすぎたか? 派手に爆破してあのお綺麗なツラ、歪ませてやりたかったのになァ!」
わざとらしく宣った江藤は、これで終わりとばかりに力を抜いた。
なるほどと頷いた杉下は、変わらぬ声色で刃を返す。
「派手にと仰る割にはいつも通り小型の爆弾でしたねえ。あれでは打ち上げ花火にも劣る火力でしょうに」
あ、と江藤の口から低い音が漏れた。
それを意にも介さず一歩引いた杉下はそのまま江藤に背を向ける。ゆるく持ち上げられた片手が、杉下の思考にあわせて緩やかに揺れた。
「我々の考えている筋書きはこうです。江藤さん」
杉下の口から語られる、これまでの事件の流れ。
周到な計画のもとに実行された、復讐の相手を入れ替えた交換殺人。許斐葉太が抱えていた自責の念。許斐を心酔させ、操った「あのひと」の存在。
そして、と言葉を切った杉下は、振り返ってまっすぐに江藤を見つめた。
「貴方もまた、操られているひとりだと」
江藤は口をつぐんだまま、何も言わない。
ビー玉のような眼を覗き込むように、杉下は片膝をついて言葉を続ける。
「貴方がかばっている相手のこともすでにわかっています。彼女はこれまでの犯行でも度々痕跡を残していながら、父親の権力によって見逃されてきた」
日本でも有数の警備会社、そのトップの一人娘。
その名前を杉下が口にしても、江藤はまだ顔色を変えない。
「彼女が許斐たち実行犯を唆し、貴方もまた彼女の指示に従って病院を爆破する。爆破が成功すればそれでよし、失敗しても貴方がすべての罪を被る、そういう流れだったのでしょう。しかしそう考えたとき、ひとつの疑問が浮かびます」
最初にそれを指摘したのは、降谷の陰で今回の作戦の絵図を描いた当の本人だった。
*
紫煙を纏った
「口は上手いんだろうな。いや口というか文字? 他者のコントロールが中途半端に得意で、IT関係の知識がある」
あと特出してんのは性格の悪さくらい、と資料のページをめくった。
「親の権力で今まで見逃されていたに過ぎない。甘く見るつもりはないけど、正直そこまで手強いと思ってない。ただ、黒幕がその程度の犯罪者だという前提で考えたとき、ひとつだけ腑に落ちない点がある」
柊木は手に持っていた資料を閉じ、次のファイルを手に取る。
今回の連続殺人の捜査資料とはまた別の、公安部が何年もかけて調べ上げてきた情報が詰まった捜査資料だった。
「
ネットが得意だから、では理由にはならない。許斐たちのように「警察に恨みをもっている人間」を捜すことはできても、ネットの海から特定の個人をあぶり出して接触するなんて広大な砂漠から一粒の砂を探し出すようなもの。
過去の痕跡から辿っていった? それが可能ならとっくに公安が特定している。
では江藤から接触を? 確かにこれまで江藤が一般人に爆弾を融通した際には、自分からそれらしい個人へ接触を図っていた。可能性はゼロではないが、これも公安が幾度となく罠を仕掛けては空振りで終わっているうえに、江藤が許斐でなく黒幕とのみ接触をもっている点が不可解だ。江藤が爆弾を提供するのは、あくまでも「社会権力に憎しみを抱く人間」なのだから。
そもそも江藤は数年前に起こした爆弾テロを最後に、一切の消息を絶っている。民間人への爆弾の提供も確認されていない。活動の痕跡が見られないからこそ、公安の捜査は手詰まりに陥り、手の届かない海外へと逃亡したのだと考えられていた。
それなのに黒幕は爆弾の提供を受け、あまりに気軽にその名前を利用している。
「……俺は、日本警察の捜査能力を舐めていないよ」
公安警察が見つけられなかった存在を、ただ言葉とネットが得意なだけの人間が捜しだしたとは思えない。
まして、親の庇護の元でのうのうと生きる世間知らずの小娘程度に。
「それなら考えられる答えはひとつ。黒幕と江藤和久の間には爆弾の授受以上の繋がりがあったんだ。おそらくはこの連続殺人が計画される前から、」
今も、ずっと。
そう言ってファイルをテーブルに置き、煙草をくわえた柊木は口元を歪めた。
「その手がかりはちゃんと捜査資料にあった。こっちの裏取りは俺がやるよ。うちの上司や先輩がツテをもってそうだし、最悪官房長に頼むから」
しれっと使えるものは全部使うと言い放った暴君は、だからそっちは、とにこやかに続ける。冷酷無慈悲に、ひとかけらの容赦もなく、心からの
「総員あげて爆破の日より先に捜し出せ。この俺に本名でプレゼントを送りつけた、身の程知らずの傲慢野郎をな」
*
柊木くん、仲間内では暴君って呼ばれてるそうですよ、なんて神戸の言葉が思い起こされ、ふと杉下の口元に淡い笑みが浮かぶ。
何年かけても見つからなかった人間をたった数日で見つけろと無茶を言った暴君だったが、それを「可能」と判断するだけの材料は確かにそろっていた。
まず、柊木に送りつけたプレゼントの発送場所。身を隠すように現れた客のことを荷物を受け付けたスタッフは覚えており、江藤の顔写真を見て「かなり痩せていたが似ている」という証言も得た。さすがにそのすぐ近くに潜伏しているとは考えにくいが、防犯カメラや目撃情報を追えばある程度の足取りは追える。
それから、もうひとつ。
柊木が「お前たちなら見つけられる」と言い切った、最大の理由。柊木が江藤の経歴と黒幕周辺の情報を見比べて気付いた、大企業の令嬢とテロ行為も辞さない過激な活動家を繋ぐもの。
「
また、と杉下は畳みかける。
「貴方が今日まで使っていた潜伏場所は藤藁警備保障の息が掛かったマンションでした。それも、藤藁氏の腹心の秘書が同じマンションに居住しています」
江藤さん、と杉下は呼吸を置く。
「貴方が本当に庇っているのは彼女ではなく、藤藁一彦氏ですね?」
ここでようやく、江藤の身体がかすかに揺れる。その反応を察知した神戸は、視線をあげて杉下と目を合わせた。
その視線に小さな頷きで応えた杉下は、穏やかに、しかし確かに逃げ場をなくすように言葉を重ねていく。
「貴方と藤藁氏に接点がある可能性から、貴方がテディベアを発送した近辺を中心に藤藁警備保障と何らかの関わりがある物件を洗い、貴方の潜伏場所に辿り着きました」
事もなげに杉下は言ったが、もちろんそれは生半可なことではなく。
藤藁警備保障が所有している物件や警備を請け負っている建造物、あるいは関連企業の、またその関連の、と縁をたどれば際限がなく、しかもそれを指示した
それでも特定することができたのは、捜査官たちの執念の結果というほかなかった。
何か一部は「
「貴方は藤藁氏の援助を受け、テロ行為を行っていた。とはいえ、大学在学当時から強い関わりがあったわけではないのでしょう。在学時からテロ行為に手を染めた貴方はすぐに大学に行かなくなり、藤藁氏も起業のために奔走していた」
接触があったのは、おそらく江藤がテロ行為に手を染めて数年後。
すでに数回の爆破事件を成功させ、江藤和久の名前が知れ渡ったあとだろうというのが柊木の推測だった。
あくびを噛み殺した柊木が目を潤ませながら言ったところによれば、ちゃんと捜査資料を見てみれば案外わかりやすかった、とのこと。
『それまで短絡的で運まかせだった計画が、ある時点から妙に頭と金を使い始めています。足取りも追いにくくなってますし』
何より、と柊木はもはや無感情に吐き捨てた。
『明らかに
警察上層部、あるいはOBの人間が捜査を妨害・攪乱している様子があったのだという。これについては当時を知る人間からの証言も得ていた。
序列にうるさい組織の一員としては迂闊に動けなかったのだろうというのが柊木の言だが、そりゃ柊木くんみたいな怖いもの知らずの
頭と足を使った地道な捜査と、建前や圧力など気にも留めない精神。その両方があってようやく、この逮捕劇にこぎ着けることができたのだ。しかし、それでもまだ
は、と息を吐いた江藤は、目元を引きつらせながら叫ぶ。
「よくそこまで調べたもんだ! たいしたもんだよ、ケーサツなんざ無能の集団だと思ってたが、少しは頭の働くやつもいるんだな!」
言葉だけは強気だが、その眼はまるで懇願しているようにも見える。
もう触れるな、やめてくれ、早く俺を逮捕して終わらせろとでも言っているような。見ているほうが苦しくなるような、そんな慟哭だった。
「ああそうだ、藤藁だろ? 会わねえうちにずいぶん偉くなってるって聞いてな、少し金でも融通してもらおうと思って近づいたんだよ! 本人はなかなか捕まらなかったが、秘書に俺と藤藁が肩組んでる写真見せた顔色を急に顔色を変えてよォ! 清廉潔白で売ってる藤藁が俺に付き合いがあったって世間にバレるのは困るってんで、自分が俺の面倒を見るって言ってくれてなァ」
藤藁も幸せだよ、あんなに忠実な秘書をもって!
やはりそう来た、と杉下は目を細める。
警察とも付き合いのある藤藁にしてみれば、指名手配犯である江藤と交友があったことは公にはしたくない。この事実をもって藤藁の秘書を脅し、協力させていたのだと言えば確かに筋は通る。
藤藁は徹底して江藤の面倒を秘書に見させていたらしい。さすがにこの短期間では、ふたりの間に直接的な接点がある証拠は見つけられなかった。
すべては秘書が藤藁と会社を思って勝手にやったこと。そういうシナリオを用意してくることはすでに予想していた。
その可能性を杉下に指摘されると、柊木は当たり前のように頷き、言った。
『藤藁のほうも手は打ったので、ここで無理に江藤の口を割らせなくても何とかなると思うんですけど。とはいえ、そのまま逮捕してやるのも癪ですし、』
とりあえず、心くらいはへし折ってやろうと思います。
そう言った柊木の瞳は、眠そうながらも輝いていた。
五月に人生初の同人イベントに出ることを決めまして、それまでにこれを書き上げようと必死です。締め切りこわい。