桜の矜持   作:ふみどり

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 その作戦について説明した柊木は少しだけ素の顔に戻り、苦笑を浮かべた。

 

「神戸さんはこういうやり方、嫌いそうですよね」

 

 え、と面食らった神戸は言葉に詰まる。

 それはこの状況で好き嫌いを聞かれると思わなかったというのもそうだが、どこか否定しきれない部分があったからだった。

 神戸が言葉を取り繕うよりさきに、杉下が穏やかな声音で言う。

 

「しかし、きみは必要だと思うのでしょう?」

 

 その言葉に柊木もまた驚いたように瞬きを落とし、わずかに視線を揺らした。

 

「……どうでしょう」

 

 無意味だとは思わない。しかし、必ずやらなければならない理由があるかと問われれば、答えることはできなかった。

 もっとほかに良い方法があるのかもしれない。ひとの心を利用するようなことをしなくても望む結果を得られる方法が。まして、それを尊敬するひとにやらせるなど。

 しかし、この立案を後悔しているわけでは決してなかった。

 

「……官房長の許可も得ましたし、病院側との協議も済んでいます」

 

 何より、この件の責任者である降谷が頷いた。それでいこう、とさらりと言ったのだ。あまりに軽く頷いた降谷に、むしろ柊木の方が戸惑ったと言っていい。

 そんな同期の顔を見た降谷は、あのな、と呆れたように言葉を続ける。

 

『案を出したのはお前でも、採用したのは僕だ。だからそんな顔はしなくていい』

 

 どんな顔だよと柊木が返せば、降谷はからかうようににやりと笑う。

 

『迷子になった子どもみたいな顔だよ』

 

 降谷は柊木の軽く肩を叩いた。何も心配するな、と言うように。

 

『公安の人間からすれば生温いくらいの作戦だぞ。お前が考えたにしては平和的すぎて驚いたくらいだ。患者への配慮さえ徹底すれば問題はない』

 

 だから、と柊木のポケットから銀のライターを抜き取った降谷は、それを柊木の手に改めて握らせる。

 

『存分にやれ。僕が許す』

 

 柊木の視線が、特命係のふたりに戻る。すでにその表情は()()()()()()いた。

 

「本当に必要なのかどうかはわかりません。しかし、協力して頂きます」

 

 すべては、完全勝利のために。

 そのときの柊木の笑顔はまさに酷薄というに相応しかったと、のちに二人は語る。

 

 

 *

 

 

 あくまでも主犯は自分であり、藤藁の秘書を脅して協力させていたと主張する江藤。誰が見てもわかるほどの虚偽であっても、そうと否定できる証拠がないのも事実。

 ならば、と杉下は顔を上げる。神戸と目を合わせ、頷いた。神戸もその意図をくみ取り、江藤の腕をとって立ち上がらせる。

 ようやく連行か、と後ろ手に拘束されたままの江藤は口元を歪めた。

 

「ええ。……しかしその前に、もうひとつ。確認したいことがあります」

 

 ぴんと立てられた杉下の人差し指。

 杉下が述べた真実の、さらにもうひとつ奥にあったそれ。柊木が自身の上司や先輩、官房長のツテまで頼って調べ上げた()()は、この程度ではなかった。

 

「大学在学時以来、貴方は精力的にテロ行為を続けてきた。しかし、ここ数年はまったく表舞台に出ることはありませんでしたね。それは何故でしょう?」

 

 落ち窪んだ眼窩の奥が見開かれる。江藤の呼吸が一瞬止まり、すぐに忙しなく視線が揺れ始めた。

 その様子をじっと見つめたまま、杉下は言葉を続ける。

 

「貴方が起こした最後の事件──六年前の資産家親子爆破、」

「やめろ‼」

 

 まるで、空気が破裂したような叫び。さすがに驚いた神戸が、改めて江藤を拘束する腕に力を入れる。しかし江藤は暴れるでもなく、ただ身を震わせていた。

 やめてくれ、ともう一度呟く江藤。何とか保っていた強がりすらも消え去り、力が抜けそうになる膝を支えている。

 思わず憐れみすら感じてしまいそうな様子だが、杉下の目は冷ややかだった。

 

「やめろ、ですか」

 

 貴方はどこまで理解して、そう仰っているのでしょうね。

 は、と杉下の硬質な声に江藤が視線をあげたとき、三人のもとに駆け寄ってくる影があった。いやあすいません、と場違いなほどに明るく声を掛けた、気のいい声。

 

刑事(うち)の人手が足りないからって江藤の確保任せちまって」

「おや、伊達刑事」

 

 頭を掻きながら現れた伊達は江藤を一瞥し、神戸に目をやった。神戸は何とも言えない顔で片頬をあげる。その反応に委細承知した伊達は、そうか、と江藤に視線を戻した。そのまま、変わらぬ調子で口を開く。

 

「……杉下警部、江藤の連行なんですがね。大変申し訳ないんですが、用意しておいたパトカーがちっと不調みたいでして。いま別のを手配させてるんですよ」

「おやおや困りましたねえ、ではしばらく待機でしょうか」

「あらら。じゃあちょっと散歩でもしちゃいます? ()()()()みたいに」

 

 どこかわざとらしい伊達の言葉に、軽く乗る杉下と神戸。

 犯人を確保している警察官とはとても思えない様子に、江藤は訳がわからないという顔で三人の顔を見比べた。

 伊達はそんな江藤の様子などまったく気にすることなく、()()()()の話をすると松田が嫌がるから面白いんですよねえ、とのんきに歩き出した。それはそれは、と杉下も足を進め、神戸も江藤を拘束したまま歩き始める。背を押された江藤も、足をもつれさせながら後に続いた。

 

 

 *

 

 

 病院のロビーを抜け、無機質な白い床を進んでいく。

 こつり、こつりと硬い音が無人の外来受付の前を通り過ぎ、入院患者のいる棟につながる渡り廊下に差し掛かる。

 それまで妙に薄暗かった廊下とは打って変わり、掃き出し窓の外から明るい日光が差し込めていた。窓の外には、病院自慢の広い中庭が広がっている。

 そこで足を止めた伊達は、厚いガラスの向こうに向き直った。お、やってんな、と芝生の広がる中庭を指す。

 

「──ああ、楽しそうですねえ」

 

 つい、杉下の口からそんな言葉が零れる。

 太陽の光が降り注ぐ中庭には、大勢の子どもたち。身体に包帯を巻いた子、車椅子の腰かけている子、看護婦に背を支えられている子、さまざまだが──どの子も顔いっぱいに笑っている。中庭に面した病室の窓からも、大人を含む多くの笑顔が覗いていた。

 そして彼らの笑顔に囲まれる、珍しく普段着姿の病院とは縁のなさそうな大人たち。絵本の読み聞かせをする者や楽器を演奏する者、一緒に人形で遊ぶ者もいれば、両腕にしがみつく子どもを持ち上げアスレチックになっている者も。

 病室には険しい顔で頭を抱える大人の姿もあったが、うつむき気味で一点を見つめているので、おそらくは囲碁や将棋の相手をしているのだろう。その向かいに座っているひとの横顔は愉快そうに頷いている。

 厚いガラスのために向こう側の音はあまり聞こえてこない。しかし、向こう側が笑い声であふれていることだけは確かだった。

 

「は……?」

 

 とっくに避難していると思っていた患者たちが楽しそうに遊んでいる光景に、江藤は絶句するしかない。

 杉下と同じくつい笑みがこぼれた神戸は、少しおどけた様子で口を開いた。

 

「皆さん実は多才ですよね。にしても本当、張り切っちゃって」

 

 ()()()()()()()()()()()

 神戸の言葉に、はっと江藤が振り返ろうとして神戸に阻止される。後ろ手の拘束が強まったことにも構うことなく再び窓の外に顔を向け、けいじ、と音もなく口が動いた。

 ええ、と杉下がゆったりと頷いた。

 

「皆さん、とても情に厚い方々ですからねえ」

 

 

 *

 

 

 予告日より早く江藤を探し出し、その行動を逐一チェックすると同時に、徹底的に病院内を洗い、事前に仕掛けられた爆弾がないか調べ上げる。

 当日は江藤の確保は特命係に任せ、捜査一課は病院内の警備。ごく一部の人間のみで出入り口や監視カメラのチェックを行い、残りは全員患者の傍で警護を行う。この「警護」こそが、あまりにも前代未聞だった。

 降谷が説明したこの「警備体制」に多くの刑事が唖然とする中、いち早く賛同したのは意外にもこの男だった。

 

「じゃあ壊れたオモチャとかあったら出すように伝えといてください」

 

 俺直すんで、と軽く言った松田。

 一番に反対しそうな人間であっただけに、周囲に動揺が走る。

 対して松田に続くように、少しも驚いた様子を見せなかった幼馴染も手をあげた。

 

「オンナノコの相手なら任せてください。レディの相手は得意ですよ」

「おいおい、野郎の相手はしない気か?」

「そっちは伊達のが得意だろ? 元気の有り余ってる野郎の相手は頼むわ~」

 

 飛んできた同期からの野次に、何でもないように軽く返す。伊達もまた、まあ全力で相手するけどな、と力こぶをつくる。

 あまりに平然とした彼らに、いまだに驚きの抜けない刑事たちは戸惑うしかない。やれやれと首を振った降谷が改めて口を開くより早く、前を向いたままの松田が言った。

 

「あの事件のとき、……あとで体調を崩した患者が多く出たって話は聞いてます」

 

 その言葉に、何人かがはっとした顔を見せる。

 あの事件というのは言うまでもなく、数年前にこの米花中央病院に爆弾が仕掛けられた事件のことだ。柊木の指揮によって関係者の避難は滞りなく行われ、松田が爆弾を解体したことにより確かに負傷者は出ないまま事件は解決した。

 だが、完全な無傷とは言えなかった。

 

「そりゃあ避難と言ったって安静が必要な人間に余計な運動させちまったのは変わんねえし、いつもと違う空気に触れりゃストレスもかかる。特に子どもは敏感だ」

 

 発作が起きたり、熱が出たり、精神が不安定になったり。そういう患者が出たという話は、松田の耳にも届いていた。

 冷静さを欠いていたとはいえ、松田は当時の自身の行動や選択が間違っていたとは思っていない。しかし、だからといって後悔がないとは言えなかった。それは当然、萩原も同じこと。

 もし、もっと早く爆弾を解体していれば。

 もし、もっと早く犯人を捕まえていれば。

 こんな「もし」を数えればきりがない。意味もない。起きてしまった過去を変えることは誰にもできず、傷は癒えても傷を受けた事実は消えることはない。

 しかし、これからの教訓にすることはできる。

 

「爆破の確率を限りなくゼロにできるなら、患者への負担は極力減らすべきでしょう。んで、警備するにしてもこんな強面どもが近くで睨み利かせてたら、それこそ体調崩す患者も出るかもしれねえ」

 

 守るべき対象を、警察が苦しませるわけにはいかない。

 

「……同じ警備でも、怖え記憶より、楽しい思い出が残るほうがいい」

 

 ぽつりと落ちた、小さな呟き。それがすべてだった。

 

「……あのー、」

 

 松田の言葉を受けておそるおそる手をあげたのは、その隣にいた相良だ。

 

「本の読み聞かせとか、そういうのでもいいですか。実家にたぶん古い絵本なら残ってると思うんですけど……」

 

 その言葉を皮切りに、ほかの刑事たちも次々と声をあげはじめた。

 

「実は自分、ハーモニカなら少し……楽器もどうでしょうか」

「昔はよく倅とプロレスごっこしたもんだ。今もなまっちゃいねえよ」

「お、俺はさすがに子ども泣かせねえかな……」

「隠せばいいだろ、その顔。着ぐるみでも着ろよ、レンタルできるぞ」

「おいおい大人の患者の相手も忘れるなよ。囲碁好きな患者がいるなら相手できるが」

 

 徐々に声が大きくなっていく刑事たち。

 そんな彼らの様子を見て、降谷は思う。警護対象と遊びながら護るという突拍子もない警備体制を提案したのは柊木だが、柊木は捜査一課の刑事たちが反対するという心配は一切していなかった。捜査一課には人情派がそろっているからそれは大丈夫、と。まして松田や萩原、伊達が反対するわけない、と。

 本当だったな、と口角をあげた降谷はひとつ頷き、あれこれと案を出し続ける彼らを手で制した。

 それでは士気が高まったところで、とその整った顔に爽やかな笑みを浮かべる。それは柊木の綺麗すぎる笑みとはまったく違うようで、よく似ていた。

 

「それぞれの適性を考慮し、こちらで警備担当を振り分ける。きみたちにはその間に、入院患者の情報を覚えてもらう」

 

 え、と会議室にいた全員が硬直する。

 

「顔や名前、年齢はもちろん、怪我の具合や病状、病歴、接するときに気を付けなければならないことすべて。それから最低限の衛生の知識もだな。常日頃から犯罪者の顔や経歴を頭に叩き込んでいる諸君ならそれくらい余裕だろう?」

 

 運よく今は入院患者が少ないらしい、良かったなと笑顔で言い放った降谷。その表情は、やはり誰かと重なるものがある。

 

「さあ、捜査一課の底力を見せてくれ」

 

 その煽り方、それに笑顔。

 やっぱ降谷と柊木(こいつら)、似た者同士。

 長い付き合いになる悪友たちは、そう内心で声を揃えた。

 

 

 *

 

 

「そういえば事件現場も、ちょうどこういう状況だったそうですね」

 

 笑顔にあふれた光景とガラス一枚を隔て、静かな渡り廊下に杉下の声が響く。

 

「貴方が起こした最後のテロ事件。殺された資産家が主催した慈善パーティが事件現場でした。会場ではちょうどこのように、子どもたちが笑顔で過ごしていたと」

 

 あ、と江藤の口から湿った声が漏れる。

 病気がちの息子がいたというその資産家は、息子と同じく身体の強くない子どもたちに対する支援を積極的に行っていた。自身が多額の寄付をするだけでなく人脈も積極的に活用し、支援の輪を広げていた人道派と評判だった。

 そのイメージを隠れ蓑に不正を働いているというやっかみ染みた噂があったのは事実だが、確たる証拠があるわけでもなく。彼に不正があったという疑惑は、「江藤が狙った」という一点のみで裏付けられていた。

 

「被害者の不正の疑惑が弱かったのもそうですが、あの事件はそれまでと明らかに異なっていました。江藤さん、貴方もわかっているはずです」

 

 自作の小型の爆弾を使い、ターゲットがひとりになったところで確実にターゲットのみを仕留めるのが江藤の手口。しかし、この事件だけは違っていた。

 

「資産家()()爆破テロ──このテロ事件では一緒にパーティに参加していたご子息も巻き込まれ、命を落としました」

 

 あるいは江藤にとって、子息の死は想定外の事故だったのか。いや、そうではないというのが当時捜査に当たっていた公安の見解だった。

 

「彼はご子息を非常に大事になさっていた。ご一緒に外に出掛ける際はほとんど離れることもなかったそうです。何らかの手段でふたりが離れるタイミングを作ったならまだしも、そのような工作をした形跡も見つからなかった。よって、これは最初からふたりを狙っていたのだというのが公安の見解でした」

 

 権力者のみを狙っていたテロリストが、その子どもまでもターゲットにした。公安はこれを「対象の精神性の変化」ととらえたが、柊木の意見は違っていた。

 どう考えてもこれはおかしい、と資料を見ながら柊木は言う。

 

『当初の幼稚で短絡的な犯行や声明文をどう深読みしても、江藤はただの馬鹿です』

 

 言ってから「あれいま言葉間違ったか?」という顔をした柊木だったが、まあいいかと眠そうな目をこすり、言葉を続けた。

 

『江藤和久の根底にあるのはいわゆるヒーロー願望。それも法律そっちのけで弱きを助け強きを挫く、昔の任侠みたいなダークヒーロー気取りというか。自分の罪が誰かを救っていると信じて疑わない類の人間と読みます』

 

 自分の損得など関係ない、どこかで泣いている誰かを助けるためだけのテロリズム。権力嫌いの爆弾魔「江藤和久」は、それだけを柱に成立していた。

 だからこそ、それを曲げることを自分に許すはずがない。

 

『それがどうも気になりまして。この資産家の背景を洗いなおしました』

 

 そう言って柊木が見つけ出した、真実。

 自身をヒーローだと信じてきたテロリストが直視すべきもの。

 江藤さん、と杉下は窓の外を凝視する彼に語り掛ける。

 

「貴方は最初からターゲットだけでなくご子息ごと殺すつもりだったのですか?」

「ちが、……おれ、俺は、ちが、……こどもには、何の罪もない……!」

「ええ、仰る通り。貴方はあくまでもターゲット個人を狙い、無関係なひとを巻き込むことをよしとしなかった。今回この病院を爆破するのさえ、おそらくはひと気のない場所を選んで爆破させるつもりだったのでしょう。あの小型の爆弾なら、場所さえ選べば誰も傷つくことはないからと貴方の背後にいる人物から指示を受けた。しかしそれでも、無関係のひとに恐怖を与えることに違いはない。だから貴方は罪悪感に苦しみながらこの場に現れ、我々に確保されたことに安堵さえした」

 

 杉下はまくしたてるように言葉を放っていく。

 弾丸のような言葉の雨を受ける江藤は、また全身が震えだす。あ、うあ、と言葉にならない声を落としながら、それでも視線は窓の外から離せないようだった。

 

「貴方はご子息を巻き込むつもりはなかった。だから長く自責の念に駆られ、テロ行為に手を染めることができなくなった」

 

 その結果がこの数年の空白期間であり、死人のようにやつれた今の姿なのだろう。

 江藤は、文字通り死にそうなほどの罪悪感に苛まれていたのだ。

 

「しかし、──藤藁氏はそうではなかったようですよ」

 

 そこで初めて、江藤の視線が杉下に向く。

 杉下の強い瞳が、「自分」を見失った哀れな犯罪者に突き刺さった。

 

「その資産家の親子が亡くなったあと、巨額の遺産はとある親戚の手に渡りました。もしご子息が存命であれば、その遺産は彼の治療のために使われるよう手配されていたようですが」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 静かに杉下の言葉を聞いていた神戸と伊達が、同時に奥歯を噛みしめる。

 

「その親戚と藤藁氏は、今もずいぶん親しい関係にあるそうです」

 

 今度こそ、震える身体に耐え切れず江藤は膝をつく。

 

「この事実を知り、貴方の犯行を洗いなおした方がいます。貴方にスポンサーがついたと思われる時期まで遡り、それ以降のものをすべて」

 

 そして、断言した。

 

『江藤が殺した権力者の死は、──』

「──遠回りにですが必ず、()()()()()()()()()()()()()

 

 嘘だ、と叫んだ言葉はこだまがするほど響き渡った。暴れだした江藤を神戸が抑え込み、伊達もそれに加勢する。

 嘘だ、嘘だと喚きたてる江藤を、杉下はただ見下ろしていた。

 藤藁氏から衣食住を提供されていたということは、つまり藤藁氏に生活を管理されていたということ。入手できる情報も気づかぬうちに管理され、誘導されるままに「不正を働いた権力者」という「悪」を裁いていた。

 しかし「正義の味方」だったはずの自分が、実は「権力(あく)」の手先だった。しかもその事実を、「警察(あく)」が子どもたちを笑顔にしている光景の前で叩きつけられたなら。

 

『まあ心は折れると思うんですよね。藤藁を庇う余裕くらいは奪えるかなと』

 

 たぶんですけど、と無感情に言い放った暴君。

 その言葉は、正しく今の江藤の様子を表していた。

 

「ちが、そん、ふじわ、ちが、あいつ、おれは、」

 

 もはや呂律もまわらず、口の端からは泡が溢れ、虚ろな眼からは滂沱の涙が流れている。力の入らない身体で暴れるさまは、糸の絡まった操り人形のようだ。

 なおも否定を唱え続ける江藤を前に、すっと息を吸った杉下は、一気に吐き出した。

 

「──いい加減にしなさい!」

 

 雷が落ちたような迫力に、江藤の身体が大きく跳ねた。動き続けていた口も止まり、揺れていた目の焦点が杉下に合わせられる。

 怒りに身を震わせた正義の徒は、侮蔑とともに一喝した。

 

「いいですか、貴方がたとえどんなに尊い理想を掲げていたとしても、逆に誰に騙されていたとしても! そこにどんな理由があろうと、殺人は殺人、罪は罪です。殺人が許される大義名分など、決してこの国には存在しません。貴方はヒーローなどではない、ただの犯罪者です!」

 

 目を背けたかった現実が、白い廊下にこだました。

 一瞬置いて、見開かれた江藤の目元から力が抜ける。徐々に視線が下りていき、かくりと首が前に倒れる。完全に脱力した江藤は、神戸と伊達に両側から支えられていなければ倒れ込んでいただろう。

 は、とどこか嘲りを含んだ吐息が落ちる。

 

「……おれ、犯罪者か。……そうか、……そうだよな」

 

 呂律は少し怪しいが、意識ははっきりしているらしい。現実を受け入れたのか、それとも思考が停止しているだけなのか。

 しかしその横顔を見て、伊達はまるで憑き物が落ちたようにも思えた。

 

「……なあ、江藤さんよ」

 

 子どもを死なせてしまったことに対する罪の意識。

 自分は正しいことをしているのだという自己肯定。

 江藤の中には確かにその両方があって、だからこそ苦悩していた。

 杉下に言葉をぶつけられる前から、本当はわかっていたのではないかと伊達は思う。

 

「あんたが悔いているのは、子どもを殺したことだけか?」

 

 柊木の言葉を借りれば、たぶん江藤は「幼稚」で「馬鹿」。つまり、ただ「知らない」まま暴走して犯罪者になってしまったのだと伊達は理解している。

 なあ、と伊達は続ける。

 

「それとも、藤藁の言葉を信じたことか?」

 

 伊達の頭の中に、多くの言葉が溢れる。

 伝えたいことは山とある。言葉だけ伝えられそうもないことは拳を使ってでも教えて込んでやりたかった。

 それは、江藤にきちんと自分の罪と向き合ってほしいから。

 

「……ひとが死ぬってのは、絶対、誰かが哀しむんだ」

 

 それが善人であれ、悪人であれ。

 もしかしたら哀しむのは生きているひとではないかもしれないけれど、きっと。

 

「誰かが泣いて、誰かが苦しむんだよ」

 

 江藤は、誰かのために行動ができる人間だった。

 それだけは、確かな事実だった。

 

「弱いやつの味方になりたいと思ったんなら、あんたは誰も傷つけない方法の中から道を探すべきだった。それがどんなに険しい道でもだ」

 

 そう言ってくれる存在があんたにいなかったことを、残念に思う。

 それだけ言って、伊達は江藤を引っ張り上げる。何とか立ち上がった江藤の腕を、改めて神戸がしっかりと押さえた。

 ひとつ息を吐いた神戸が、それじゃ、と顔をあげる。

 

「そろそろ行こうか、もうパトカーも到着してるでしょ。ちなみに江藤さん、藤藁氏については黙秘しようが嘘を言おうが捕まることは決まってるから、ちゃんと正直に言った方がいいよ」

 

 何気なく言った神戸の言葉に、江藤はのろのろと顔をあげて無理やり口元を歪めた。

 

「もう、全部どうでもいい、が……仮に俺が正直に吐いても、あいつもお嬢さんも捕まんねえんじゃねえのか。お宅ら警察は権力の犬だろ、上には逆らえねえくせに」

「あ、今の認めたね? ご心配どうもだけど、最近息をするように上に喧嘩ふっかける犬がいてね。大変なんだよ、警察も」

「神戸くん、それは自己紹介ですか?」

「何でそうなるんですか?」

 

 江藤が抵抗の様子を見せないことを確認し、伊達はそっと手を離して一歩下がる。ポケットからスマホを取り出すと、片手をあげて江藤の身柄をふたりに託した。

 杉下はそれに頷き、行きましょう、と一言を残して歩き始める。神戸もまた、江藤の背を押すように杉下の後を追う。

 颯爽と歩いていく後ろ姿を見送り、伊達はスマホの画面に指を滑らせた。

 

「──ああ、俺だ。爆弾は無事回収、江藤も確保、証言も取って、──中庭じゃみーんな楽しそうに遊んでる。問題なしだ」

 

 任務完了だよ、と少し苦い笑顔で告げた伊達の視線が、ふと窓の外に向く。

 太陽の光を受け、きらりと反射した何かが見えたような気がした。

 

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