スマホの画面に指を滑らせた柊木は、ひとつ息をついてそれを仕舞った。
「終わりましたか?」
そう背後から声を掛けられ、柊木は笑顔で振り向いた。
その先に佇むのは、白衣を羽織った好々爺。柊木は彼が「電話が」という意味で尋ねていないことは理解していた。
「おかげさまで、無事。ご協力に感謝します」
院長、と柊木の口が動く。
米花中央病院の院長室、そのわりには意外と簡素なしつらえの部屋で、柊木はそれぞれの報告を受け取っていた。
ゆったりと柊木の隣に立った院長は、笑い皺の目立つ目元を柔らかに緩ませる。
「御礼を言うのはこちらのほうですよ。皆さん、本当に楽しそうです」
そう言って院長が視線を向けた先には、中庭に面した大きな窓。院自慢の芝生のうえで、たくさんの患者たちが顔一杯の笑顔を咲かせている。もてなすはずの刑事たちまで一緒になってはしゃいでいる様子に、柊木はつい苦笑した。
「あれはもう完全に一緒に遊んでますね。まったく、犯人が捕まったとはいえ警備に変わりはないのに」
「おや、義務感で相手をされても相対すれば伝わってしまうものですよ。一緒になって楽しんでくれる、それが良いんです」
そういうもんですかね、と柊木は中庭を見渡した。
芝生の中心で子どもを肩車する伊達に、少女たちに囲まれてままごとをしているらしい萩原、手元を覗き込まれながらオモチャの修理をする松田に、苦心しつつも一生懸命に絵本を広げる相良。バルーンアートを披露する隣で犬の着ぐるみが風船を配り、ハーモニカの音色に子どもたちが手を叩いている。そこにギターをもった諸伏が加わり、さらに賑やかさが増した。
いつも険しい顔で捜査に臨む刑事たちには珍しい、気の抜けた笑顔。
「……また当院が狙われると伺ったときはどうなることかと思いましたが」
無事で何よりと院長が言い終わるより先に、柊木は院長に向き直る。そのまま、勢いよく頭を下げる。
「一度ならず二度までも事件に巻き込んでしまい、本当に申し訳ありませんでした」
今回もかつても、犯行のきっかけは警察にあった。そうでなくとも、もっと早く犯人を捕まえていれば。もっと早く証拠を掴んでいれば。
かつての事件で患者に負担を強いたことを悔いていたのは松田や萩原だけではない。避難誘導にしろ患者への気遣いにしろ、もっと自分にできたことがあったのではないかと、柊木もまた何度も当時の行動を振り返っては考えていた。
この「警備」は、柊木にとって贖罪でもあった。
「……頭を上げてください、柊木さん」
静かだが反論を許さない声に、柊木はゆっくりと頭を上げる。
変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた院長は、柊木と目が合うと同時に頭を下げた。
「一度ならず二度までも、怪我人のひとりも許すことなく事件を解決してくださいました。当院を代表して御礼を申し上げます」
日々平穏を守るべくご尽力なさっている、すべての警察の方に。
思いもしない返しに、柊木の喉元で息が詰まった。え、と間抜けな声が出てしまったのを誤魔化すように、ぐっと息を飲み込んでから口を開く。
「……それが、我々の職務ですから」
何とかひねり出した無難な返しに、院長はからからと笑いながら頭を上げる。
「御礼の言葉くらい素直に受け取ってはいかがですかな?」
「全警察官への謝意を私ごとき若輩が簡単に受け取るわけにはいきませんよ。せめて、その言葉を一番に受け取るのは最前線を走る彼らであるべきです」
そう言ってまた、柊木は中庭へと視線を下ろす。
相変わらず、気の抜けた笑顔が芝生のあちこちで咲いていた。
「ここにいる彼らも、別の場所で犯人確保にあたった捜査官たちも、非常に優秀かつ勤勉で正義感に溢れる警察官です。彼らの存在がなくては事件解決など不可能でした」
作戦の骨子を作ったのは柊木だが、それを現実のものとしたのは彼らだった。
警察を忌避する関係者に懲りることなく会いに行き、殺された警察関係者の怠慢と意識の低さに憤慨し、手を下した犯人たちへの同情を押し殺して手錠をかけ、不眠不休の捜査でこの大都会から目的のたったひとりを捜し出した。
それを成し遂げた彼らを、どうして評価せずにいられるだろう。
「……本当に、よくやってくれました」
柊木旭は理解している。この国の警察は優秀だと。
権力だの保身だの、捜査を邪魔する余計な要素のことごとくさえ潰してやれば、どんな事件にも立ち向かえるはずと。
もしまた異動するならそういう立場も面白いかも、と頭の片隅で考えながら柊木は改めて隣の白衣に向き直り、すっと右手をあげる。
お手本のような敬礼を示した柊木は、にっこりと微笑んで言う。だから、と心からの
「何かお困りのことがあれば、いつでもご連絡ください」
日本警察の誇る精鋭たちが、責任をもって解決して見ませしょう。
そう大口を叩いて見せた柊木に、これは心強い、決して甘くはない好々爺は歯を見せて笑ったのだった。
「では、こういった慰問をまたお願いすることは可能ですかな?」
「……えーと、私の一存ではお答えしかねますので要検討ということで」
短めですが、これで事件は一区切り。