警視庁のある一室、公安部のあるフロアにて、二人の男がファイルを開いていた。その片方が、最近改めて生やしている顎髭を撫でながら、自分が持っていた捜査資料を目の前の幼馴染兼上司に渡す。
「事件の担当、あいつらだってよ」
面白そうに笑う彼に、もうひとりの褐色の男はそうか、と軽く頷いた。刺殺に爆殺、毒殺となれば、彼らの悪友たちが動いていてもおかしくはない。受け取った捜査資料を開き、ざっと目を通す。
「とりあえず爆破事件は公安でもらう。が、もし連続殺人だった場合は他二件についてもこっちで引き継ぐことになるだろうな」
爆破事件で使用された爆弾はそう複雑なものではない。知識さえあればホームセンターで販売しているもので十分に作成することが可能だ。ただし、その爆弾の作りというものには、製作者のクセというものが出る。そして、今回に至ってはその部品の破片から指紋さえ検出された。
「……権力嫌いの爆弾魔、江藤和久、ねえ」
「公安が長年追ってるテロリストが、こんなところで顔を出すとはな」
「ま、本人が直接関わってるかはわからないけど」
社会権力というものを根本から否定する、過激な思想をもつ爆弾魔のことは、長く公安もマークしていた。この数年は海外に逃亡していたと見られており、その足取りは途絶えている。この爆弾魔の面倒なところは、自分が爆発物を仕掛けるだけでなく、その知識や爆弾を他に提供するところにあった。
「江藤は自分が気に入りさえすれば一般人相手でも爆弾を提供するんだっけか」
「本当に厄介なやつだよ。警察関係者を狙うと言えば二つ返事で知識も材料も提供しただろう」
とはいえ、数少ないテロリストの手掛かりには変わりない。この国の秩序と安寧を守る公安としては、何としてもこの事件から彼の尻尾を掴みたい。萩原属する捜査一課特殊犯係からその爆破事件を引き継ぐことはもう決定していた。捜査を横から奪うことになるので特殊犯係からの心証は悪いだろうが、知ったことではない。それもまた公安としての職務だ。
「で、どうする? とりあえず爆破事件だけ先にもらっとくか?」
諸伏の言葉に、ふむ、と降谷は顎に指を当てた。そして改めて、捜査資料に目をやる。萩原も、松田も、伊達も、それぞれ非常に優秀な刑事だ。捜査資料を見てもその有能さが十分に伺える。本来ならテロリストの関与が認められた爆破事件だけでもさっさと公安で引き継ぐべきだが、しかし。
これら三件の殺人事件が連続殺人かどうかはっきりするまで、その「有能な刑事たち」に頑張ってもらうのもひとつの手かもしれない。知らず、降谷の口角が上がった。
「もう少し、様子を見よう」
我らが同期たちのお手並みを、ゆっくり拝見させてもらおうか。そう言った降谷に、うっわ悪い顔してる、と返した彼の幼馴染もまた、同じ顔で笑った。
***
しかしその「有能な刑事たち」も、さすがに焦っていた。
それぞれの交友関係を洗い直し、事件現場付近にいた者全員に再度話を聞き、監視カメラや個人のスマホの類を漁れるだけ漁った。しかし、何も出てこない。犯行自体が可能な者は幾人もいる。死の瞬間に傍にいた者も、犯行現場付近にいたことがわかっている者も。だが、殺人を行った証拠もなければ、殺害に及んだ動機すら見つからないのだ。あまりに八方塞がりな状況に、さすがに担当刑事たちは頭を抱えている。
小休憩と言って捜査一課の自分のデスクに突っ伏す松田と萩原に、伊達は缶コーヒーを差し出した。
「お前らも難航中か」
「伊達……」
「お、さーんきゅって加糖じゃん……俺ブラック派なんだけど」
「そんだけ頭使ってりゃ糖分足りてねえだろ。飲んどけ」
「そいつは確かに」
ぷしゅ、と松田はプルタブを開ける。陣平ちゃん俺のも開けてーという馬鹿の声は綺麗にスルーし、外していたサングラスを指でいじりながら伊達に声をかける。
「お前んとこも収穫なし?」
「ああ。こっちはほとんど通り魔みてえな犯行だが、それでも驚くほど目撃証言がなくてな。付近の防犯カメラから通行人を割り出したが、誰も彼も確たる証拠もなければ被害者との接点もねえ。お前は? SNSはどうだったんだよ」
「見るか?」
心底嫌そうな顔をした松田は、書類の束を伊達に差し出す。被害者が今までにSNSに投降した記事を全てプリントアウトしたもののようだ。何年分あるのか、ずっしりとした重みを感じる。ぱらぱらと数枚めくり、伊達は眉間に皺を寄せて目を閉じた。
「……あー……何て言うんだったかこういうの、……パリピ?」
「まさか伊達の口からそんな言葉が」
けらけらと萩原が笑い、まあ間違ってはないかな、と言葉を続けた。同じく眉間に皺を寄せた松田はもう見たくもないと言いたげにがしがしと頭をかいた。柔らかい癖毛が手の動きに合わせてぐしゃぐしゃと動く。
「ひたすら理想の結婚相手を探すだけの女のSNSを全チェックするなんていう拷問乗り越えたのに何も出てこねえってどういうことだよ柊木あの野郎!!」
「いやそこは柊木のせいじゃないだろ」
わかってる! とほとんど怒鳴るように言って、松田は甘い缶コーヒーを一気に呷る。
正直なところやけになる気持ちはわからないでもなかった。伊達の知る限り松田はSNSの類は肌に合わないと言って触れようとしないし、興味のない話を真面目に聞いてやるような付き合いの良さを持ち合わせてもいない。持ち前の生真面目でおそらくこの記事のすべてに目を通して調べ上げたのだろうが、相当な苦痛だったのだろう。派手派手しい画像や絵文字に埋め尽くされた紙の束に、伊達は思わず松田に同情する。
「投稿された画像に写ってたやつ全員洗って収穫ねえんだぞふざけんなよ」
「……それ結構な人数だったんじゃ?」
「三ケタ超えたわ!」
空になった缶が大きな音を立ててゴミ箱に投げ込まれる。コラ松田! と離れたところから叱責が飛び、すんません! と松田は同様に怒鳴り返した。
「犯行時参加してたパーティも婚活パーティだったとかで、全員被害者とは初対面。パーティを主催した企業の社員にも、会場になったホテルの従業員にも接点があるやつは皆無で、毒物を持ち込んだ形跡も見つからねえと来た」
今日び、毒物すらネットを使えば手に入れられる時代だ。毒の入手経路を探ることも出来ず、調べられるものは調べつくしたというのが現状らしい。
そんな松田を見つつ、萩原もまたため息をつく。
「こっちもさー、手掛かり見つかってないってのもそうなんだけど、何か不気味で」
「ああ、公安か?」
「そ。絶対口出してくると思ったのに」
爆発物の破片から見つかった、要注意人物の指紋。通常ならそれが発覚した時点で事件は公安部預かりになるのが常というもので、萩原もあーあとため息をついていたところ。しかし正式に捜査資料を渡すまでは自分の事件、ぎりぎりまで捜査を続けて少しでも成果を上げようと息巻いていた。だというのに、成果も出ないなら公安がやってくる気配もないと来た。捜査を続けられるのは良いのだが、萩原としてはなんとなく釈然としない。
「まさかあいつらに公安何考えてんのって聞くわけにもいかないしさー」
「知ってても教えねえだろ、仕事となると頭かてェから」
「オイオイ、それが普通なんだからそういう言い方しないでやれよ」
あいつらとは同期兼悪友、公安部所属のふたりのことだろう。やさぐれる萩原と松田を伊達が苦笑しつつたしなめるが、わかっていてもぶつくさと文句を言いたくなるのは捜査が進まない焦り故か。
警察関係者だということを差し引いても、ひとが殺されているのだ。被害者の無念を晴らすためにも、遺族や親しかったひとびとの哀しみや怒りを少しでも和らげるためにも、一刻も早く犯人を捕まえねばならない。そして、決して次なる犠牲者を出してはならない。その思いだけが、ただただ三人を急き立てる。
と、そのとき、にわかに周囲が騒がしくなる。ばたばたと音を立てながら捜査一課に走り込んできたのは、しばらく前から松田の下についている新米刑事だった。
「松田さん! あっ伊達さんに萩原さんもちょうど良かった!」
「うるっせえぞ相良でけえ声出すな!」
「スミマセン!」
怒鳴られて反射的に姿勢を正す。もとは敬語すら上手く使いこなせていなかった新米も、松田に鍛えられて随分と成長していた。横暴な先輩に躾けられたともいう。その様子に苦笑した萩原がどうしたの、と助け船を出すと、相良ははっとして前のめりに口を開いた。
「三件の殺人事件の犯人を名乗る者から連絡がありました!」
一瞬にして、空気が切り替わる。
「ただちに会議室に来るようにとのことです!」
相良の一声で静まった一課に、それを早く言え馬鹿野郎、という声と、いやさすがに陣平ちゃん理不尽、という呑気な声、松田が教育係なんてお前も大変だな、とからかうような声が落ちる。その一瞬後には、複数の忙しい足音が響いた。
事態が、動き始める。
***
スマホの画面に、指を滑らせる。
これからやろうとしていることを仲間に報告した。勝手なことを、と罵倒されることも覚悟していたが、それぞれの反応は温かいものだった。
『君のおかげで僕たちは目的を遂げた。その君のやりたいことなら、任せる』
『貴方にはとても感謝しているの。大丈夫、貴方の思うままに』
『どんな結果になっても文句はないから』
彼の背中を押すメッセージの中に、もうひとつ。最高の「協力者」であるあのひとからも、ひとことが届いていた。
『本当にやるのか』
あのひとは、内心では反対しているようだった。だが、彼の決意は固かった。やるよ、と返事を打つ。いつもならすぐさまメッセージを返してくれるのに、今回はなかなか返事が来ない。何と言われてもやめるつもりがないことを理解してくれたのだろうか。
何から何まで手と知恵を貸してくれたあのひとの計画を歪めることに、申し訳なさがないわけではない。けれど、彼自身が納得してことを起こすには、どうしてもこの「迷い」に蹴りをつけなければならなかった。
目を閉じる。今でも鮮明に浮かぶ、あのときの記憶。
『うるっせえな何でもいいからとにかく立て!!』
投げられた粗野な言葉の裏にあった、使命感。引っ張り上げられた腕の、力強さ。顔を上げた先で目に入った、その真剣な瞳。ぴんと伸びた背中に見えた、頼もしさ。
顔しか知らなかったそのひとの名前を、彼は静かに口にする。
「柊木、旭」
再び目を開けた彼の顔を、スマホの画面だけが照らしていた。
***
特命係の小部屋で、杉下はホワイトボードに向かい合う。
使い古された白いそれには被害者の写真が並んで貼られ、死の状況等が書き込まれている。被害者の遺族や現場付近の住人にも話を聞いて回ったが、やはり情報が少なすぎる。杉下は改めてひとつひとつの情報に丁寧に目をやり、頭の中を整理していた。
巡査部長の刺殺。死亡推定時刻は深夜一時ごろ、その翌朝に通行人により発見。帰宅途中に路上で襲われたものと見られる。腹部を刃物で一突きされ、出血によりショック死。凶器は現場に残されており、周囲の血痕の様子を見る限り、発見されたその場で殺されたことに間違いはない。金品を盗られた形跡はなし。目撃者なし。
警視の爆殺。被害者の自宅に駐車していた乗用車の下に爆弾は仕掛けられていた。被害者の出勤時間に合わせて爆破させたと思われる。回収された爆弾の部品からはテロリストの指紋が検出されたが、本件との関係性は不明。被害者の自宅には防犯カメラ等のセキュリティはなく、不審な人物を見かけたという証言もない。
巡査の毒殺。婚活パーティ会場において、スタッフが配布していたシャンパンに毒物が混入しており、中毒死。立食形式でひとが入り乱れていたこともあり、どのスタッフが誰にシャンパンを渡したのかも証言が曖昧。防犯カメラの映像を解析するも、カメラの死角が多くはっきりとした映像はなし。当日の参加者、企画した企業のスタッフ、ホテル側のスタッフを全員聴取するも、被害者と接点がある者は見つからず、毒物を持ち込んだ形跡も出てこなかった。
杉下自身も、捜査の中でこれという手掛かりは得られていない。むしろ、引っかかっているのは柊木が覚えたという違和感の方である。
『警察らしくないな、と』
柊木自身も上手く言葉に出来なかった、その違和感。関係ないと思うとは言っていたが、どうも杉下には気になっていた。警察官であることにある意味誰より拘っている柊木がそう感じたというのなら、やはり相応の理由はあるはずだろう。今度は柊木が話を聞いたであろう被害者たちの同僚に話を聞くべきか、と考えていたとき、席を外していた部下が特命係に走り込んでくる。
「杉下さん、聞きました?」
「おや神戸君、どうしました?」
「その三件の殺人事件の犯人を名乗る者から警察に連絡が」
しかも、と驚愕と混乱のまざった表情で神戸は続ける。
「警察側の交渉役に、柊木君が指名されたそうです」
杉下の手にあったホワイトボード用のマーカーが、音を立てて床に転がった。