「こんなところにいたのか」
萩原が被疑者を追い詰めていた同時刻、降谷が喫煙室のドアを押し開けた。
ガラス張りの小部屋でひとり紫煙をくゆらせていた柊木は、降谷、と軽い声で悪友を迎える。
「お前のことだから特命係に挨拶に行ってると踏んで追いかけたのに、顔を出したら神戸警部補に一足遅かったねと笑われたよ」
「そりゃ悪かったな。連絡くれればよかったのに」
たいした用があったわけじゃない、と降谷は手に提げていた紙袋を差し出す。見慣れた喫茶店のロゴがプリントされたそれに、お前もか、と柊木は頬を緩めた。
「風見さんにおつかいでも頼んだのか?」
「そんなところだ。お前もってことは柊木も?」
「最近お前の幼馴染みマジで怖いんだけどどうにかなんない?」
「唐突に何だ。むしろお前は
「さてはすでに全部聞いてるな?」
俺としては殴られた方がずっとマシ、警察が気軽に暴力を承認するな、と互いに軽口を叩きながら柊木は差し出されたサンドイッチを受け取り、ついでにポケットに入れていた焼き菓子を降谷に渡す。差し入れで買ったものの中からくすねていたひとつだった。
さっそく封を開ける降谷を横目で見ながら、柊木は細く煙を吐き出した。ゆらり、と白いもやが天井に辿り着く前に解けて消える。
「今回はずいぶん余裕だったんだな」
ぱく、とマドレーヌにかじりついた降谷はおもむろに言う。
え、と瞬きした柊木に、降谷はにやりと笑って見せた。
「煙草。それ、
対組織のときは一日かからず吸い尽くしていたのに、と降谷は面白そうに灰皿のそばに転がるからの箱を指して言う。
降谷の言葉の意味を理解した柊木は苦笑し、少し考えるように視線を揺らした。
「……まあ確かに、今回はあんまり難しく考えずに済んだかな。あのときはそもそも選べる手段が少なすぎて、しかもどの策にもリスクがあったから」
選びたくない手段のなかから選ばなければならなかったときとは違う。今回、確かに柊木には
「何せ使える
あのときも、確かに頼りになる存在はいた。
降谷をはじめとする公安の捜査官たち、FBIやCIA、工藤家やその周囲。対組織の作戦において、彼らはそれぞれの有能さを遺憾なく発揮してくれた。柊木としてもそれを否定するつもりはない。ただ、今回の事件を通して実感したことがある。
とん、と柊木は煙草の灰を灰皿に落とした。
「ただ優秀な駒より、
たとえゴールが同じであろうと、それぞれの思想や信条が違えば辿る道のりは違ってくる。「組織を壊滅させる」という目的が同じだったとしても、「何のために」組織を壊滅させるのかが異なっているのなら駒の扱いには十分に気を付けなければならないのだ。CIAのミスターのような存在は極論ではあるが、決して例外ではない。
しかし今回盤上にあったのは、柊木にとって正しく「理想」の駒だった。
「優秀かつそれぞれ特性があり、まあ刑事と公安で少々の対抗意識くらいはあったかもしれないが、それでも足を引っ張ろうなんて考えない、──正しく被害者を想い、被疑者の逮捕を追い求められる駒。お前はちゃんと、そういう捜査官を選んでくれた」
志を同じくする同期たち、その部下、同僚、特命係。
官房長の指示があったとはいえ、捜査本部の人員を最終的に選出したのは降谷だ。そして降谷が選んだ捜査官は、誰もが確かに「警察官」だった。
だから、と柊木は煙草の火を見つめながら続ける。
「正直だいぶ気は楽だったよ。全員の一挙一動を監視しなくても、ちゃんと俺の思った結果に辿り着いてくれる。無茶な指示を出した自覚はあるけど、きっと応えてくれると思えたし、実際応えてくれた。子どもたちの笑顔を策に組み込むことにちょっと罪悪感をもてる程度には、良心を投げ捨てずに仕事ができた」
つまり僕のおかげか、とそれはそれは大真面目な顔で彼は言う。
「……そう解釈しちゃうの、お前は」
「何だその目は。そういうことだろう」
「あー……うん、まあそれでいいわ。たぶんそうなんだろ」
「適当に流そうとするな。……柊木」
ん、と視線を寄越した同期の口元から短くなった煙草を奪い、灰皿に押しつける。おい、と柊木が言い終わるより先に、そのポケットからするりとライターを抜き取った。
「……公安ってスリの技術も叩き込まれたりする?」
「お前は公安を何だと思ってるんだ」
いやだって、とけげんな顔をする柊木に構わず、降谷は手の中のそれを見つめた。
何の変哲もない、安っぽい銀のライター。かつては諸伏にとって「黒」に染まるためのトリガーであり、今は柊木にとって「甘さ」を切り捨てるための。
投げ捨ててしまいたい気持ちを抑え込み、降谷はそれを自分のポケットにしまった。
「これは
かつても今回も、降谷は柊木の力を借りたことを後悔していない。今回に関して言えば、ようやくともに戦うことができたと誇らしくさえ思っている。
ただ、だからといって柊木に煙草を吸わせたいのかと言われればそうではなかった。
彼らが「甘さ」と呼ぶそれは、本来は美徳といえるはずのもの。人間ならばもつべきとされる、言うなれば「善」のこころ。
降谷や悪友たちにとっても好ましい、「人間」のやさしいひとかけらだ。
「──もう誰もこれを使わずに済むように、俺が努力する」
その言葉に込められたあらゆるもの──それはひとりの警察官としての矜持であり、降谷零というひとりの人間としての意地とも言えた。
それを理解した柊木は、思い切り眉をしかめて手を伸ばす。
「……は? ふざけんな返せ。何ひとりで格好つけてんだ」
「嫌だ。僕が預かる」
「俺は同意してない。返せ馬鹿」
「返さない。何を熱くなってるんだ、ただの決意表明で戒めだよ。深い意味はない」
「深い意味しかないように聞こえるが?」
「気のせいだろ」
「だいたい俺が守ってやるみたいな言い方が気にくわない。何様?」
「はは、
片手にサンドイッチの紙袋を持ったまま口元をひん曲げて手を伸ばす柊木に、余裕の笑みで軽くかわす降谷。運悪く宥める人間のいない状況で始まってしまった意地の張り合いは、ここしばらくの鬱憤を晴らすかのように白熱していく。
いい歳の大人が無駄にレベルの高い鬼ごっこを繰り広げるガラス張りの部屋の外で、そんなふたりを眺める影がふたつ。
事件が一区切りしたら柊木が隠し持っていた不正の証拠について事細かに報告させようと決めていた大河内と、降谷に捜査報告をしようと探していたら鉢合わせてしまった風見。中のふたりに声を掛けようとしたタイミングで始まってしまった鬼ごっこを、何とも言いがたい顔で見つめている。
「……何をしてるんだろうな、あれは」
「……何を、しているんでしょうね……?」
珍しくはしゃいでいるらしいふたりは、いまだに見られていることに気付かない。
確か風見くんと言ったな、と大河内は正面を見たままため息交じりに口を開く。
「……きみも苦労するな」
「は、……いえ、そんなことは」
「心配するな、他言はしない。……まったく、どこまでも図太いというか」
──
そう言ってドアを押し開けた大河内の横顔は、確かに笑っていたように見えた。
今話をもってハーメルンではひとまず完結とします。
お付き合いありがとうございました。
この本編に序章や伊松萩諸(+相良)それぞれメインのSSとオマケを入れ、全体のバランスを見て修正を加えたうえで本にするつもりです。
SSを見て頂けたら本編の印象ももうすこし変わってくるかもしれません。
ご縁がありましたら嬉しいです。