全捜査員の目が、問うていた。なぜお前なんだ、と。
それを察した柊木旭も心から思った。俺が一番知りたい、と。
ほんの一時間ほど前、警視庁宛てに一通のメールが届いた。三件の警察官殺しの犯人であると名乗っており、それを証明するようにそれぞれの遺体の画像が添付、そしてSNSのアカウントが記されていた。それは即座に捜査本部へ通達され、警視庁の端末からSNSにアクセスすると、アカウントは当然のごとく承認された者しか見ることのできない鍵アカウント。メールのメッセージ通りに警察とわかるアカウントを作成し、フォローリクエストを送った。ほどなくリクエストは承認され、その内容が明らかになる。添付されていたものと同じ画像や、それ以外にも犯人であることを示唆する画像が流れ、捜査員たちはこぶしを握り締めた。警察への挑発ともとれる画像に、隠しきれない怒りが迸る。すぐさまアカウントから身元の特定を、と指示が下ったとき、新たなコメントが更新された。
『二時間後、警視庁に連絡を入れる』
ざわ、と動揺が走る。数秒とたたないうちに、またコメントが続いた。
『警視庁警務部監察官室監察官、柊木旭を指名』
そのコメントを見た全員が硬直した。名指しされた彼を、そのトラブルに愛される性質をよく知る同期たちは、そっと目元をおさえる。
『また巻き込まれたのかよアイツは……』
『旭ちゃんてばまじトラブル吸引体質……』
『もはやさすがとしか言いようがねえ……』
そして話は冒頭に戻る。
監察官室で通常業務に取り組んでいた柊木は訳の分からないまま捜査本部に呼び出され、電話の前に座らされた。一通りの事情を伝えられ心当たりはと尋ねられるが、まさか心当たりなどあるわけもなく。四方八方から疑惑の目を向けられ、柊木としては居心地の悪いことこの上ない。
まもなく、予告された時間になる。たとえ事件に関係ないと言い張ったとしても、犯人からの指名となれば逃げるわけにもいかない。とにかく犯人を刺激せず、なるべく話を長引かせ情報を引き出すように、と恐ろしい形相の捜査員たちに繰り返し言い含められた。
その捜査員たちの後ろに、柊木は彼らの顔を見つける。そこに見えた同情を含む目線に、柊木はほんの少しだけ眦を緩めた。
瞬間、電話の音が鳴り響く。非通知、と表示されたディスプレイに、捜査員たちは一瞬にして顔色を変えた。逆探知、と捜査員のひとりが叫ぶ。特定された場所は待ち合わせ場所として定番の、人通りの多い屋外だった。すぐに捜査員たちにその場に向かうよう指示が下った。
柊木はひとつ呼吸をして、通話ボタンを押す。
「はい」
まだ、名乗ることはしない。ひとことだけ応じて、耳を澄ませる。電波の向こうで、人混みらしい雑音が混ざる。
『……柊木さん?』
驚くことに、相手は変声期の類を使用していないようだった。柊木より幾分も若い、青年の声。多く見積もっても二十代の前半といったところだろうか。その話し方にもいくらかの幼さが感じられる。思わず柊木は自身の若い友人たち、よくふざけてベイカーストリートイレギュラーズと呼んでいる彼らのことを思い浮かべた。が、柊木の覚えている声の中にこの電話の主はいない。そう言い切れる程度には、自身の記憶力に自信があった。
「はい、柊木です。私をご指名くださったのは、貴方ですか?」
『そ。……まず、柊木さんが今話している様子を動画にとって、SNSに上げてくれる?』
「なるほど。わかりました、少し待ってください」
柊木が電話口から顔をあげると、いち早く萩原が柊木にスマホを向けていた。普段なら絶対に動画など撮らせはしないが、今回ばかりは仕方がない。
「今、動画を撮影しています」
リアルタイムで撮影されたことを示すため一言喋ると、動画上げて、と短く指示される。ええ、と柊木が返すと、萩原はひとつ頷いて撮影を終え、そのまま動画を転送する。動画はただちにSNSに投稿された。当然警視庁が作成したアカウントも鍵付きなので、柊木の動画は他には見えない。
「更新しました」
『……うん、確認できた。……柊木さん顔変わらなさすぎじゃない?』
「いつと比べてるんです?」
『変わってないことは否定しないんだ』
この野郎、と柊木は内心だけで呟く。
確実に、相手は柊木のことを知っている。いくらか前に会ったことがあるのか、それともただ顔を見たことがあるだけなのか。超速で記憶をたどりながら、柊木は犯人の心当たりを探る。
「お会いしたことがあるのでしょうか。すみません、思い出せなくて」
『いいよ。……ねえ柊木さん』
「何ですか?」
『もうひとり、殺すよ』
時が、止まった。
『警察の人を、もうひとり。他の三人と、同じようにね』
動揺を見せるな、と柊木は自身に言い聞かせた。少しだけ間をおいて、口を開く。まずは、会話の主導権を握ること。焦ることはない、普段から誰を相手にするときもしていることだ。
「まず、お名前を教えていただけますか?」
出来得る限り穏やかに、柊木は声をつくる。会話を作るのは柊木であって、相手であってはならない。「警察」と「犯人」という関係から、「ひと」と「ひと」の関係に持っていけるかどうか、信頼関係を築けるかどうか、それが交渉役にとって重要なことだ。
「本名でなくても構いません。何とお呼びすれば良いでしょう?」
『……思ったよりも冷静だね。いいよ、じゃあマツバって呼んで』
マツバ。名前をもじったものなのか、それ以外の何か意味があるのか、それともまったく意味はないのか。現状では探りようがない。しかし、こちらの要望に応じて教えてくれたという事実は大きい。少なくとも彼は、こちらの話に耳を傾けてくれている。
「ではマツバさん。わざわざこうしてもうひとりの殺害を予告してきてくださったのは、交渉の余地があるということでしょうか」
『交渉……うーん、どうなのかな。俺たちはね、警察のひとたちが大嫌いなんだ。だから殺したし、もうひとり殺すつもりでいる。けどね、逃げ切りたいとは思ってないんだ』
ざわりと、捜査本部に動揺が広がる。逃げ切りたいとは思っていないと、それはそう言った。それはつまり、捕まっても構わないと、そう思っているということだ。
マツバは注意深く言葉を選んでいる様子はない。その言葉に淀みはなく、思ったことを思ったまま話していることが伺える。それならばまだ聞き出せる、と判断して柊木は続きを促した。
「というと?」
『俺たちを捕まえてよ。何で俺たちがこんなことしたのか、全部調べ上げたうえで。名乗り出ることはしないけど、見つかっちゃったら抵抗はしないから』
ずっと変わらない、その平坦な声。長く犯罪者と立ち向かってきた刑事たちは直感する。脛に傷を持つ警察官を相手に聴取を繰り返してきた柊木も、断言できた。マツバは、嘘をついていない。もうひとり殺すという言葉にも、自分たちを捕まえてほしいという言葉にも、嘘や策略の色は感じられなかった。それゆえに、ひどく不気味でもある。
同じ声のまま、マツバは続けた。
『もうひとりを殺すのは一週間後。それまでに俺たちを捕まえてくれたら、そのひとは死なずに済むかもよ。まあ頑張ってね』
「マツバさん、」
『誰を殺すのかって質問には答えないよ。俺たちが何人いるのかも教えない。……けど、そうだな、それじゃあまりにもアンフェアだよね。だからヒントはあげる」
そこでマツバはひとつ息をつき、その声にどこか懐かしむような、そんな色を声に乗せて、「ヒント」を告げる。
『俺は柊木さんに会ったことあるよ。柊木さんが本当はそんな丁寧な喋り方しないのも知ってる。それから、……柊木さんは今まで殺した奴らとは違うんじゃないかと思ったから、こうして指名したんだ』
そして聞き返す暇もなく、電話はきれた。ツー、ツー、と無機質な電子音が捜査本部に響く。その時になってようやく現場に到着しました、と無線が入る。残念ながら雑踏の中にスマホが落ちていただけで、犯人の姿は影も形もなかったらしい。悔しそうな声がほうぼうで響いた。
会ったことがあると明言されてしまった柊木は、眉間にしわを寄せて視線を揺らす。その声から記憶を手繰り寄せ、「マツバ」を探すが見つからない。思い出せ、思い出せ、と脳みそをフル回転させていたところに、思いもよらぬ、しかし聞きなれた声がその部屋に響いた。
「警察庁警備部警備企画課課長補佐の降谷と申します。この捜査本部の責任者はどなたでしょうか」
丁寧に思えるが、その実非常に慇懃なその話し方。柊木には、同期たちには覚えがあった。自信という自信を詰め込んだような、その声、その態度。
金の髪に褐色の肌を持つ彼が、かっちりとしたグレーのスーツ姿で、そこに立っていた。その後ろには彼の部下であろう、公安部の人間と思われる捜査員たち。その中には見慣れた顎髭を生やした若い男や、黒縁の眼鏡をかけた長身の男の姿もあった。
公安、とその言葉を聞いた瞬間に、刑事部の人間が身構える。唯一、萩原だけが「あちゃーよりにもよってこいつが来たかー」と遠い目をしていた。責任者は私だが、としっかり眉間にしわを寄せた恰幅のいい男性が前に出る。降谷はまっすぐに彼に向き直り、堂々と告げた。
「この連続殺人事件は、我々公安で預からせていただく」
***
いえ、この言い方は正確ではありませんね、と降谷は感情という感情を打ち消した表情で続ける。
「公安部で捜査を進めますが、特例中の特例として今まで最前線で捜査にあたっていた一部の捜査員にはこのまま捜査を続けていただきます。被害者が警察関係者であることも踏まえ、一刻も早い解決のためには捜査を引き継ぐよりも継続の方がいいだろうという上層の判断です。ただし、捜査方針はこちらに従っていただく。そのおつもりでご対応いただきたい」
上層の判断と言われれば、異を唱える者などいるはずもなく。その後ろに控えていた風見が前に進み出て、捜査に残る者とそうでない者を選別していく。残ったのはおよそ半数ほどの捜査員で、指揮をとっていた者たちは皆捜査から外されていた。最前線を走っていた伊達、松田、萩原は当然のように残されている。
改めて降谷が前に出て、それぞれの顔を見渡す。
「改めて、指揮を執ることになった降谷だ。公安部・刑事部合同での捜査となったわけだが、この場においてはくだらない手柄意識は捨ててもらう。事件の早期解決のため、所属にかかわらず協力して捜査を進めてくれ。よろしく頼む」
その若さに似合わない気迫に、降谷を知らない捜査一課の人間は息をのむ。逆に彼をよく知る人間は、その唇の端に笑みを乗せた。降谷零は尊大な態度をとるときもあるが、それに見合うだけの実力をもっているということを知っているからだ。
降谷は、改めてそばに座る柊木に向き直った。
「それから柊木監察官、貴方にも当然協力してもらう。この事件が解決するまでは通常業務を停止の上、事件解決に向けて尽力すること。良いですね」
「もちろんです」
「結構。とはいえ貴方に最前線に出てもらうつもりはない。貴方は何としても、『マツバ』の正体を思い出してもらう」
挑むような降谷の視線を、柊木はいつもと変わらぬ自然体を受け止めた。
「警視庁から一時間内の場所であればどこに行っても構わない。自宅でアルバムをめくるののも、心当たりのある場所に向かうのもいい。しかしそれ以上離れる必要が出来た場合は必ず報告を。それから、諸伏」
「はい」
降谷の声を受けて、仕事用の無表情を貼り付けた諸伏が一歩進み出る。それにちらりと目をやって、降谷はまた柊木に目を戻した。
「公安部所属の諸伏捜査官です。貴方の警護兼補佐として共に行動をしてください。次に狙われるのが貴方ではないとも限りません」
「なるほど。よろしくお願いします、諸伏捜査官」
柊木の言葉に、諸伏は無言で頭を下げる。柊木はそれにひとつ頷いて、降谷に一言断って捜査本部を出た。諸伏もそれに続く。
無言のまま警視庁の廊下をふたりで進み、ひと気の少ないエリアで立ち止まる。柊木は後ろを振り向かないまま、口を開いた。
「……で、これはどういう配慮なんだ?」
「いやぁお前本当に運がないっていうか巻き込まれ体質だよなぁ」
「うるせえわ」
いつも通りの軽口に、柊木は付き合いの長い悪友に振り返る。自他ともに認める愉快犯の彼は、いつも通りの笑顔でけらけらと笑っていた。それに柊木は苦い顔で応える。
「公安が絡んでくるのは予想してたが、まさか合同捜査に持ち込んでくるとは思わなかったぞ」
「まあその辺はこの状況をつくった御本人に伺ってくれ」
「御本人?」
そう言われて柊木は考える。この特例だらけの状況を、つくることができる人物。そしておそらく、
柊木はおもむろにスマホを取り出し、一度しか使ったことのない連絡先を選択した。何度かコール音が聞こえたあと、古狸が感情の読めない声ではいと鳴く。
「官房長、柊木です。今お時間よろしいでしょうか」
『やあ柊木君。相変わらず人気者だね、君は』
溜息と反論が一緒に出そうになるのをぐっと堪え、柊木は唇を噛みしめる。
かつて柊木が一時的に公安に身を置いた際に出来た縁。監察官に戻って以降は当然交流などなかったし、どちらかというともう関わるまいと思っていた相手なのだが、そうも言ってはいられない。
官房長という言葉が出たとき、諸伏は正解とでも言うように笑顔で大きく頷いた。
「この状況、官房長の差し金ですか」
『わかるでしょ柊木君、僕は何としてもこの殺人事件をはやく解決してほしいだけですよ。これ以上犠牲者を出してはいけない』
柊木もわかっている。この事件は、警察官の命を狙った連続殺人だということが明確になってしまった。人道的な意味でも、警察組織の矜持という意味でも、これ以上長引かせるのは許されない。だからといって、この状況は。
「……降谷をトップにしたのも、俺に諸伏をつけて自由行動を取らせるのも?」
『おまけに君が使いやすい捜査一課の刑事たちも残してあげたよ。公安には風見君もいます。特命係も使っていいよ、降谷君にも黙認するように伝えてあるから』
柊木の能力をよく知る降谷が捜査指揮を執ること。
柊木の補佐の経験のある諸伏を警護につけたこと。
柊木と信頼関係のある人間を公安・刑事の両方に配置したこと。
そして、特命係まで。
「……俺にこの事件を解決しろと……?」
『これだけお膳立てしてあげたんだから、あとはよろしくお願いしますね』
そして耳に当てていたスマホが、ツー、ツー、と電子音を漏らす。それを聞いた柊木はすっと綺麗な笑顔を作り、その腕を振り上げ、そして―――。
「うわっ柊木スマホ投げるのは良くない気持ちはわかる落ち着こうな!!」
「るっせえあの狸ジジイ俺に全部丸投げしやがって!! 俺を監察官にしたのテメエのくせに事件捜査にまで俺を使おうとすんじゃねえっつーか投げるなら降谷に投げろ!!」
暴れようとする柊木を何とか抑え込みつつ、諸伏は苦笑する。この事件は、とにかく手掛かりが少なすぎる。捜査資料からこれまでの状況は見ていたが、彼の悪友たちのみならず、担当に当たっていた刑事たちが無能ということは決してない。にも関わらず全く容疑者の姿が浮かんでこないのは、それだけ犯人グループが周到だからだ。そんな中に初めて浮上した、柊木と「マツバ」との繋がり。
それは警察にとっては初めての希望の光と言えた。そしてもちろん、対組織の作戦において類まれなる能力を発揮した柊木の頭脳も駆使し、一気に解決まで持っていきたいというところだろう。柊木には悪いと思いつつも、諸伏は官房長の思惑にはおおむね同意していた。
「まあまあ、諦めて捜査と行こうぜ? 捜査本部で話し合われたことについては逐一俺に連絡くるようになってるから何かあったら聞いてくれ。とりあえず、『マツバ』について心当たりは?」
そう言うと、柊木はぴたりと動きを止める。スマホを投げようとしていた腕を下ろし、じっと考えるそぶりを見せるが、その眉間のしわが答えを物語っていた。
「柊木が覚えてないとか、本当に会ってんのかな」
「嘘をついている感じじゃなかったし、会っているという前提で考えるしかないだろ。丁寧な話し方をしないことを知ってるってことは非番のときに会ってんだと思うが……」
「とはいえ手掛かりが声だけってのも実際きついよな。しかも合成音」
あえて軽い言葉をかけるが、柊木の顔から焦る色は消えない。無理もない、と諸伏は思う。柊木さえ思い出すことが出来れば、それだけで捜査は一気に進むのだ。しかも一週間と期限が区切られ、それまでに思い出せなければひとりの人命が危機にさらされるかもしれない。そのプレッシャーは、いくら柊木とて軽くたえられるものではないだろう。
だからこそ、潰れないように俺が支えなければと、諸伏は柊木に見えないように拳をつくる。
「ま、根を詰めれば思い出せるってもんでもない。とりあえず飯でも食おうぜ、何にする?」
「レシチンとドコサヘキサエン酸にイコサペンタエン酸、それからブドウ糖」
「脳を活性化させたいのはわかったから頼む料理名言ってくれ」