桜の矜持   作:ふみどり

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 そっと物陰でスマホの画面をいじる。まだ全員から返信が来たわけではないが、どうもめぼしい情報はなさそうだ。期待をしていたわけではないが、こうも手ごたえがないと溜息をつきたくもなる。

 やれやれと肩を落としたところで、その肩にずしりと重みがかかった。

 

「こんなとこでサボりたァいい度胸してんじゃねえか相良ァ」

「す、いませ……って松田さん」

 

 ぎくりと震えた相良の肩を、面白そうに松田は叩く。教育係としてそれなりに長い付き合いになる松田は、相良が捜査の合間にスマホでサボるような人間でないことはわかっていた。何かわかったのか、とその肩に体重をかけたまま言葉を続ける。

 

「昔の知り合いに『マツバ』の心当たりないか流してみたんですけど、現状当たりなしです」

「ああ、例の『不良少年ネットワーク』か」

「いつ聞いても微妙な気分になるネーミングですね、それ」

 

 かつて柊木が声を掛けていた、深夜の街をうろついていた少年たち。見放すことも懲りることも知らない柊木と交流を続けていくなかで、いつのまにか彼らはそのお節介を慕い、時に手を貸してくれる良き「街の目」となっていた。そのネットワークは、今ではその一員でもあった相良に引き継がれている。

 

「まさか仲間内にマツバがいるわけねえし、あんまりひーらぎさん……柊木監察官との繋がりは他で言わないようにしてたので、もともと期待はしてなかったんですけど」

「へえ、そうなのか」

 

 声を聞く限り「マツバ」は年若く、柊木と面識がある。それを聞いたとき、確かに一番に思い浮かんだのはそのネットワークの存在だった。しかし、松田が知る限りでも彼らは柊木のことを本当に慕っているし、第一たとえ声だけでもあの記憶力の鬼(ひいらぎ)ならすぐに名前を言い当てるだろう。だから松田は、そのネットワークの誰かを通して柊木の存在を知っている者の可能性を考えていた。が、相良はそれを軽く否定する。

 

「俺たちだって、ガキなりに柊木監察官がそこそこ地位のあるひとだってことは察してたんですよ。そんなひとと俺たちに繋がりがあるなんて損にはなっても得にはならないでしょ。そういうわけで一応黙っておこうっていう共通認識があったんです。だから俺たちと繋がりのあるやつって線は薄いかと」

 

 まあ一応こうして確認はしてるわけですけど、と相良はスマホの画面を示して見せた。その言葉を聞いて、松田はく、喉の奥で笑う。そして、心のうちだけで彼らに悪かった、と謝罪した。

 

「お前ら、阿呆だが馬鹿ではねえんだな」

「褒めてないですね?」

「褒めてるよ」

 

 またその肩を叩いて、松田は相良から離れる。面白そうに笑う松田に、相良は微妙な心持ちでその横顔を見た。俺たちだって一応考えてんですよ、と聞こえないように反論する。

 

「めぼしい情報あったら報告上げろよ」

「もちろんです」

 

 望み薄ではあるが、望みがないわけではない。現場とは無関係な立場から一転、いきなり犯人との繋がりを示唆されてしまった柊木のことを考えると、相良としては欠片でもいいから手掛かりを得てその重圧を軽くしてやりたかった。柊木の立場を理解してからはそうそうに声を掛けることもできなくなってしまったが、彼を慕う気持ちは変わらない。大きすぎる借りを少しでも返そうと、相良は再びスマホの画面に指を走らせる。

 そしてそれを横目で見た松田は、ふ、と唇の端だけで笑う。まだまだ半人前の相良ではあったが、その心根と根性は刑事向きだと松田は思っていた。何かきっかけのひとつでもあれば、一気に成長して一人前になるだろう、と。

 今回がそのきっかけになるかもしれねえな、と、真剣な顔でスマホを睨みつける相良を、松田はほんの少しだけ頼もしく思ったのだった。

 

 

 ***

 

 

 右腕たる風見が指示を出すのを聞きながら、降谷は改めて捜査資料を目で追っていた。官房長の指示に従い、柊木が動きやすいように手は打った。何か進展があれば、諸伏がすぐに連絡を入れてくれる手筈になっている。完全に巻き込まれてしまった柊木には気の毒に思いつつも、トラブルを拾って来るお前が悪いと開き直る。

 

「降谷さん、捜査員への指示は完了しました」

「ああ、聞いていた。あとは報告待ちだな。わかっていると思うが、諸伏から連絡があれば最優先で回してくれ」

「はい。……柊木さん、大丈夫でしょうか」

 

 本当に運のないひとですね、と風見にすら言われてしまう柊木に、降谷はく、と笑う。そしてその場が捜査会議室であることを思い出し、咳ばらいをして表情を戻した。

 

「どうせ今頃、官房長への呪詛を唱えながら飯でも食べてるさ。わかるだろう風見、この程度の重圧で潰れるやつじゃない」

「それは、……確かにそうですね。何せ、柊木さんです」

 

 そう言って、風見も苦笑をする。

 かつて、世界的犯罪シンジケートを相手にその辣腕を振るった柊木。謙虚な仮面の下に隠れたその実力、それに裏付けされた自信は風見もよくわかっている。あのひと、開き直ったら強いですよね、と小さく風見が零すと、降谷も口元に淡い笑みを浮かべた。

 

「とはいえ、あの柊木が即断できない相手だ。おそらく大した繋がりがあるじゃない。それこそ街ですれ違ったレベルの些細な縁じゃないかと思う。柊木が思い出せない可能性も考慮して……いや、その前提で捜査は進めよう」

 

 柊木旭は有能だが、万能ではない。そして、降谷はすべての責任を柊木に押し付けるつもりはなかった。あくまでも、この事件の責任者は降谷なのだ。仮に柊木が思い出せなかったとしても、降谷はこの事件を解決しなくてはならない。

 

「三つの殺人が連続殺人だということが明確になった。まずそれは大きな一歩だ。目線が変われば、同じ情報でも見え方が違ってくる。次の捜査会議までに、こちらも情報をまとめ直す。手伝ってくれ、風見」

「はい!」

 

 敬礼と返事を返した右腕に、降谷はああ、と思い出したように指示を付け加える。

 

「例の特命係はどうしている?」

「報告によると、どうやら毒殺事件の現場になったホテルに向かったようです」

「そうか。そのまま自由に捜査させるよう伝えてくれ」

「はい。……杉下警部と神戸警部補、でしたか。そんなに有能な方々なのですか?」

 

 その言葉に、降谷は少し考えて、言った。

 

「官房長が推薦し、柊木が尊敬する刑事だ。根拠なんてそれだけで十分だろう」

 

 

 ***

 

 

 同時にドアを開けて、神戸の車に乗り込むふたり。シートベルトを締めるなりすぐ、運転手席に座る神戸は口を開いた。

 

「あのひと、怪しくないですか」

「きみもそう思いましたか」

 

 ふたりの脳内には、全く同じ人物が浮かんでいた。幾人かの話を聞いたなかで、ひとりだけ、ひっかかるものがあった人物。

 婚活会場となったホテルの支配人でもなく、そのパーティの責任者でもなく、パーティで給仕をしていたというひとり。三十過ぎの、落ち着いた様子の男性であった。ホテルに勤める人間らしい、丁寧で穏やかな物腰。杉下の突拍子のない質問にも出来る限り真摯に答えていた。が、その会話のなかで、どことなく感じたもの。

 

「たぶんですけど、警察、嫌いですよね」

 

 笑みを浮かべる口元と相反して、欠片の温もりも感じさせなかったその目。それは通常業務の手を止めらせたことへの苛立ちや、雑談を重ねてくる相手への怒りでもない。そんな、生易しい感情とは到底比べ物にならないような、憎悪に近い昏い色があった。

 

「警察官が嫌われること自体は珍しくもありませんが、あのにじみ出るほどの憎悪は、少し、気になりますねぇ」

「調べてみますか」

「調べてみましょう」

 

 今は、どんな小さなことでも徹底的に調べなくてはならない。依然として手がかりは少なく、「マツバ」の正体は見えてこない。一週間、その間に彼らを捕まえなければ、またひとつ人命が失われるかもしれないのだ。どんな僅かな違和感も、今は徹底的に調べるしかない。

 警視庁に戻るために神戸は愛車のエンジンを唸らせる。

 

「……柊木君、大丈夫ですかね」

 

 つい、というように神戸のくちからそんな言葉が零れ落ちる。神戸は神戸で、能力があるくせにそれを驕ることもなく、それでいて素直に自分を慕ってくれる彼のことは気に入っていた。彼がちょっとやそっとで折れるような柔な精神をしていないことは百も承知だが、この突然の重圧を思うと、さすがに少しばかり心配にもなる。

 そんな神戸の言葉に、杉下もまた、そうですねぇと相槌を打った。

 

「しかし、大丈夫でしょう」

「……軽く言いますね?」

「こんな『理不尽』に負けるほど、彼のプライドは低くないと思いますよ」

 

 さらりと言った杉下の言葉で、神戸の脳内に「あのとき」の柊木の顔が思い起こされる。

「出向」から帰ってきた彼が、杉下に告げた言葉。いつもの場を弁えた表情でなく、子どものように笑いながら、杉下に礼を言ったあのとき、彼は言ったのだ。どんな理不尽にも負けない自分になるために努力してきたのだと。

 なるほど、と神戸の口元に笑みが浮かぶ。

 

「……確かに、そうですね」

「ええ。……とはいえ、彼ひとりに頼りきるわけにはいきません」

「はい。とりあえず警視庁に戻って彼の身元を調べますか」

「そうしましょう。……ああ、それと」

 

 確か柊木さん曰く、人の機微に敏いのは萩原刑事でしたね、と、杉下はスマホを取り出した。

 

 

 ***

 

 

 静かな小部屋に、ただただ彼の咀嚼音のみが響く。

 

「そろそろ鼻血出るんじゃないか?」

「まだ平気」

 

 いやまだ平気って何だよ、と諸伏は心の中で突っ込みをいれた。

 外での食事は魚料理で簡単に済ませ、近くのスーパーで片っ端から甘いものを買い込んだ柊木と諸伏は、何故か特命係の小部屋にいた。捜査会議の会議室では視線がうるさくて集中できない、しかし家に帰る気にもなれない、監察官室なんかにいたら追い出される、と柊木が主張するため、特命係くらいしか落ち付ける場所がなかったのだ。テーブルの上に買ってきた菓子を広げ、口の中に片っ端からそれを詰め込む柊木の目は、完全に据わっていた。

 ちなみに今は常に戦争の火種としてよく語られるチョコレート菓子を食べている。柊木は手が汚れにくいという理由できのこ派なのだが、そこだけは相いれないな、と諸伏は呑気なことを考えていた。閑話休題。

 

「頭は働いてきたかー?」

「うるさい」

「根詰め過ぎても脳は動かないぞー」

 

 興味深そうに広くもない小部屋を歩く諸伏の背後でガリィ、と嫌な音が聞こえた。チョコレートを食べ終わった柊木が今度は金平糖を盛大に噛み砕いたらしい。

 ここまで柊木が思い出せないのならやっぱり本当に会ったことないんじゃないか、と諸伏が思ったそのとき、諸伏以上に呑気な声が部屋の外から飛んできた。

 

「暇か? って、……あれ、確か……」

「! これは、失礼いたしました。組対五課の角田課長でいらっしゃいますね?」

 

 特命係の隣人であり彼らのよき理解者、そして暴力団や銃器、違法薬物を取り締まる部署で課長を務める、角田六郎警視そのひとだった。珈琲目当てによく特命係に顔を出すひとだが、柊木と顔を合わせるのはこれが初めてだった。もちろん、諸伏とも完全な初対面である。

 慌てたように頭を下げる角田に、同じく慌てて立ち上がった柊木も苦笑するしかない。

 

「今話題の柊木監察官殿じゃないですか。こりゃこちらこそ失礼しました」

「よしてください、階級が同じとはいえ大先輩には変わりありません。敬語も結構です。むしろこちらこそお見苦しいところをお見せしました。あ、彼は公安の諸伏警部です」

「どうも」

「ああこりゃどうも……ってこちらさんは公安。やっぱあの事件関連で?」

「すでにお聞き及びなんですね……。ええ、どこにいても落ち着かないので、場所をお借りしています。あ、無断なんですけど」

 

 その柊木の言葉に、角田は二、三度瞬きをして楽しそうに笑う。なぁに構わねえさ、と言葉を崩して鷹揚に言った。常備されているサーバーからパンダのカップに珈琲を注ぎ、柊木の正面の椅子に座る。柊木もまた椅子に座りなおした。

 

「面倒な状況になっちゃってんだって? 必死で思い出そうと甘いもん食い散らかしてるわけだ」

「恥ずかしながら仰る通りです……」

「焦る気持ちはわかるけどねぇ、そればっかじゃ精神やられちまうよ?」

「それはそうなんですが……」

 

 お、と諸伏が内心で声を上げる。柊木の目が普段の色を取り戻した。何を言ってもいい(と柊木が判断している)諸伏相手とは違い、礼をもって対応しなければならない角田を相手としたために、少しは冷静さを取り戻せたらしい。

 

「一週間という期限の区切りがあり、しかも捜索と逮捕を考えると早く思い出すことに越したことはないでしょう。そう考えるとなかなか呑気にはなれなくて」

「そういうときこそ冷静になんないとさ。まあ俺も当事者じゃないからこういうふうに言えるんだろうけどね」

 

 はい、と落ち着いた様子の柊木に、諸伏は口角を上げる。適当に棚からカップを拝借して、角田と同じように珈琲を注ぎ、柊木の手元に置いた。あ、ありがと、とほとんど素に近い調子で柊木が返す。

 

「ん? 何、ふたりとも仲良いの」

「同期で悪友です」

「それもあって柊木監察官の警護にあてがわれたようで」

 

 そりゃありがたいじゃない、と軽く笑う角田に、柊木と諸伏も軽く目線を交わし、笑った。重かった空気が、少しずつ軽くなっていく。

 ひとつ息をついた柊木が、改めて思考をまとめるように口を開いた。

 

「被疑者はおそらく二十歳前後の男性。顔が変わっていない、という発言から俺との接触はおそらく数年前で、そのとき俺は敬語を使っていなかった」

「となると仕事外での接触?」

「そうだな、勤務中に敬語を外すことはほとんどない。……なのに、俺が警察関係者だと知っていた?」

 

 はっと柊木が視線を巡らす。へえ、と角田も相槌を打った。

 

「何、事件捜査でもしたんじゃないの? 捜査権ないだろうに、特命の真似しちゃダメよ?」

「ははは……してませんよ、そんな。……とはいえ、勤務外でそんな、警察関係者だとわかるようなことは……」

「警察手帳でも見せたか、警察だと名乗ったか」

「……ないとは言わないけど……」

 

 ないとは言わないが、そもそも外に出歩くことすら稀な柊木のこと、そう多くはない。すぐに思い当たるのはやはり「非行少年ネットワーク」だが、彼らの声ならたとえ誰であっても柊木は即断できる。何より、あの中にこんなことを企むようなやつがいるとは到底柊木には思えなかった。

 何か、浮かびそうで浮かんでこないのがもどかしい。再び柊木の眉間にしわが寄ってきたとき、まあまあと角田がテーブルの上の菓子をひとつつまんだ。

 

「焦っても逆効果だからそう考え込みなさんな。こういうのは何も考えてないときのがぽんっと出てくるもんよ」

 

 ほらお前さんも食べな食べな、と手の上にがさりと菓子が零れ落ちる。おっと、と受け止めたそれは、有名なロングセラーのチョコレート菓子。さまざまなコアラのイラストがクッキー生地にプリントされている。呑気なコアラの顔に苦笑した柊木だったが、ふと、そのイラストのひとつが目についた。

 何かの企画のイラストなのだろう、コアラが西洋風の甲冑に身を包んでいる。それを見て脳裏に浮かんだのは、数年前に起きた「例の」事件。

 

「……あっ」

 

 ひとつの可能性が、柊木の頭をよぎった。

 

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