桜の矜持   作:ふみどり

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 任意同行を求められた彼らは、粛々と聴取に応じた。それぞれ一切の抵抗もなく、恨み言もなく、自身の犯行の証拠を携えて。マツバこと許斐葉太も、目の前に示された警察手帳を見ても騒ぐことはなかった。柊木さんはいないんだ、と一言だけ呟いて、後はすべて指示に従ったという。

 彼らはただ、自らの犯行について語るのみだった。一年以上前から足がつかないように必要なものを揃え、殺意をひた隠しにして微笑むことを覚え、ただただ実行の日を待った。自分の憎い相手に、仲間が鉄槌を下してくれることを信じて。

 

「迂闊に動かない方がいい、と言ったんですよあの男は。本当に安全かどうかもわからないのに、体調が悪そうなお子さんを連れ回さない方がいい、自分が様子を見て、屋上の安全を確認してくるからここで待っていてくれって言ったんです。信じますよ、警察手帳を見せられながらそんなことを言われたらね。だから屋上に繋がる扉の前で待っていました。しばらくしたら、ヘリのプロペラ音が近くに来て、誰かが何か叫んでるのが聞こえたから、我慢できなくなって屋上に出たんです。そしたらね、……信じられます? 警察手帳を振りかざしながら、まず俺を助けろってその男が叫んでるんですよ。他に逃げ遅れた人はいないのか聞かれても、そんなことどうでもいいからまず俺を救助しろってさ。……うちの息子だけじゃない、年配の人や子どもだって他にもいたのに」

 

 そんな姿見せられて、結果として息子も妻も喪って、逆恨みすんなって無理ですよと彼は笑った。昏い、笑い方だった。

 許せませんでした、とホテル火災で家族を喪った彼は自身の動機を語る。

 

「波に足を取られたのは彼自身で、彼が亡くなったのは事故です。不幸な事故。わかっています。小さな海水浴場だったからか監視員もいなくて、救急車は呼んだけど、そのままじゃ手遅れになるのは私だってわかりました。見よう見まねで必死に心臓マッサージして、人工呼吸して、……ご存じですか、本当の本当に必死なときって、意外と周囲の声って聞こえるんですよ。こっちを窺ってた人だかりの奥に、派手なカップルがいたんです。その男の方が、彼女に向かって言ってたんですよ。かおるちゃんならシンパイソセイホウとかで助けられるんじゃないの、警察なんでしょって。……一瞬でも希望を持っちゃった自分が、情けなくって恥ずかしくって嫌になりますね。彼女、笑ったんです、下品な、馬鹿みたいな笑い方で。今日のあたしは警察じゃなくてたっくんのカノジョだから無理、ですって。ええ、ただの逆恨み。でも、憎くて憎くて仕方なかったの」

 

 すべてを認めるのでどうぞ罰してください、と彼女は笑顔で涙を流す。もう終わったからいいんです、と。

 許せなかったんです、と事故で婚約者を喪った彼女は自身の動機を語る。

 

「なかなか救助が来なくてね、こんなところで死ぬのかなってもう諦めかけてたんだよ。そりゃ怖くて仕方なかったけど、……自分にすら強がってたというかね。寒くてほとんど動けないし、窓の外は真っ白だしで、絶望しかなくてね。なのに突然、車のドアが開いてね、大丈夫ですかって声をかけられたときはもう、神様でも来てくれたのかと思ったよ。これで助かったって心の底から安心して、エンストしたことや、救助を頼んだことをね、寒くてほとんど動かない口を必死に動かして伝えたんだ。そしたら彼、人の好い顔で笑って、じゃあ大丈夫ですねってさらっと言うんだよ。近くでそれらしい車見たんできっとすぐ救助きますよって。俺も家族が待ってるんですぐ帰らなきゃですし、じゃあお気をつけてって、冷めかけのカイロだけ俺の手に握らせてね。天国から地獄ってこういうことかって思ったね、引き留めようにも身体は満足に動きもしなかったし。……助ける気がないなら最初からほっといてくれりゃ良かったんだ。そしたらまた絶望することもなかった。……それで二度と会わなけりゃ、いつかは忘れられてたのかもしれないけど、見つけちゃってね、彼を。何の因果か、職場に聞き込みにやってきてさ。……俺を絶望に叩き落としたやつが警察官って、何だよ笑えないって、思っちまってなぁ」

 

 人ってわりと簡単に殺意持つんだなぁ、と軽薄に、酷薄に彼は言った。殺さなきゃ、俺が俺じゃいられないくらい憎くなったんだ、と。

 許せなかったんだよ、と真冬の山道で凍死しかけた彼は自身の動機を語る。

 

「全部、俺がやりました。警察を憎んでる人たちをSNSで見つけて、憎しみを煽って、この計画に巻き込みました。計画を立てたのは俺です。俺が殺す前に捕まっちゃったけど、ちゃんとあいつを殺すつもりでいました。あいつの毎日の動きも調べて、ナイフもちゃんと用意してたのに、まさか本当に俺を見つけるとは。……あいつはどうしてるんです? 取り調べを受けてる? ……そうですか」

 

 あくまでも主犯は自分で、明確な殺意をもっていたと語る、許斐葉太。かつて柊木に見せたように激高することはなく、ただ事実のみを並べ立てる。非常に冷静で、どこか機械的だったと、取調室で彼と向かい合った松田は語る。

 捜査本部が置かれた会議室とは少し離れた喫煙所で、松田と萩原、そして伊達は小休憩を取っていた。ただし他二人と違い、伊達の手には煙草ではなく缶コーヒーが握られている。

 

「よく禁煙とか出来るね、愛の力ってば偉大」

 

 紫煙をくゆらせながら、萩原は軽くからかう。結婚以来煙草を控えるようになった伊達は、うるせ、と軽く苦笑した。俺はぜってー無理、と松田が続き、俺もだわ、と萩原も笑った。

 軽口を叩きながらも、その空気はどこか重い。警察に身を置いていれば、胸の悪くなるような事件の話などいくらでも耳に入ってくるものだが、それでも特に今回の事件はくるものがあった。煙でも吸って気晴らしをしなければ、やっていられないほどに。

 何となく重い沈黙が降りたとき、ここにいたのか、と喫煙室に入ってくる姿があった。

 

「よ、お疲れ」

「おう諸伏。お疲れさん」

「お疲れ~。あれヒロくん、ひとり?」

「ああ、護衛もお役御免か」

 

 松田の言葉に、護衛ってほどのこともしてないけどなぁと諸伏は笑った。煙草を吸うつもりはないらしく、手の中で缶コーヒーを転がしている。とん、と壁に寄りかかり、無糖のコーヒーのプルタブを開けた。

 

「一応事件も一区切りだからな。柊木はもうすることないから帰って寝るってさ。まあその前に上司の仕事ぶり見てくって言ってたけど」

「旭ちゃんてば、それはひと眠りする前に例の監察対象をいじめ抜いて締め上げとくって意味?」

「あはは、俺の口からはなんとも。まあすげえいい笑顔で去ってったとだけ言っとく」

 

 やる気だな、と伊達は遠い目をするが、まあ柊木ならそうだろ、と松田は新しい煙草に火をつける。

 今おそらく柊木の前で震えているだろう巡査部長がどういう人物なのか、許斐と戸松に対して何を行い、何を行わなかったのか、その詳細はまだわかってはいない。だが、まず間違いなく彼は、何らかの形で責任を取らねばならないだろう。仮に彼の根底にあったのが本当に善意だったとして、それが人の命を奪ったことに変わりはないのだから。

 

「……簡単に調べた限りだけどさ、ほんとに評判良かったんだよ、そいつ。使命感あふれる警察官で、人当たりのいい好青年だって。ま、空気の読めないところはあったらしいけど」

「じゃあそれが悪かったんだろ」

「ていうか被害者と会って話すのに空気が読めないって致命的じゃない?」

 

 ばっさりと切り捨てる松田と萩原。容赦ねえなと言いつつ、伊達もたしなめようとはしなかった。だよなぁと諸伏も苦笑しつつ頷き、言葉を続ける。

 

「その巡査部長の人となり聞いた柊木が言ってたんだけどさ、」

 

 記憶をたどるように、諸伏の目が少し揺れる。少し面白そうに、懐かしそうに、彼は柊木の言葉をたどった。

 

「……どんなにいい奴だろうと、やる気があろうと、」

 

 相手の気持ちも考えられない奴が、警察官やっちゃいけないよな、と。

 その言葉にピンと来た伊達は笑った。本当にあいつら仲良いな、というその言葉で、松田と萩原も思い出したようにああ、と声を揃える。

 

「そういやそんなこと言ってたな、アイツ」

「覚えてる覚えてる、あれだ、警察学校の騎馬戦のあとの!」

 

 教場対抗で行われる、警察学校の体育祭。彼らの教場は騎馬戦で最強を誇り伝説となったが、そのきっかけを作ったのは、ライバル教場の同期の言葉。柊木の過去も知らないまま無神経にその顔について言及し、見事に柊木の地雷を踏んでしまったことにある。

 柊木自身は騎馬戦で完全勝利を叩きつけることで鬱憤を晴らしたが、同班の仲間だった彼らの気はそれでは収まらなかった。せめて一言くらいくれてやろうと、改めて五人は当人の前に立つ。そして降谷はそのとき、彼にこう言った。

 

《相手の気持ちも考えられないような奴が、警察官なんて目指すなよ》

 

 その場に柊木はいなかったが、どうやら考えていることは同じだったらしい。捜査中だったのに懐かしくて笑っちゃった、と諸伏は言う。

 

「捜査会議ではあんなにバチバチ火花散らしてたのにね」

「風見さんが胃を押さえてて気の毒だったな」

「あれは何なんだよ諸伏、エリートは嫌味飛ばさないと会話できないとかあんの?」

「あるわけないだろそんなもん。まあお互いちょうどいい八つ当たり相手なんだろ」

 

 お互いを殴っても壊れないサンドバックだと思ってる節があるよな、と諸伏が言えば、確かにと大きく頷く三人。絶対に巻き込まれたくないな、と全員が心から思った。

 ところで、と萩原は短くなった煙草を灰皿に放り込む。

 

「話は変わるけどさ、ヒロくん、降谷ちゃんからなんか聞いてる?」

「なんかって?」

「やだ~わかってるくせに~」

 

 新しい煙草を取り出し、口にくわえてポケットを探る。自身のライターを取り出すより先に、諸伏がどこからかライターを取り出した。手を伸ばして、彼の口元に火を近づける。

 さんきゅ、と軽く礼を言い、萩原はす、と煙を吸い込んで表情を改めた。

 

「……この事件、本当にこれで終わりだと思う?」

 

 そんなわけないだろ、という意思が言葉の裏で響いた。諸伏はゆるく微笑んだまま、無言を通す。それが何よりの返事だった。

 細く紫煙を吐き出した松田が、続く。

 

「あのガキ、全部自分が糸引いてたとか言ってたが、どう見てもあんな計画立てられる奴には思えねえな。毒物の入手やテロリストとの接触が全部ネット上ってのを百歩譲って信じたとしても、警察を恨む人間見繕って憎悪を殺意にまで育て上げるなんて芸当が出来るほど器用な人間じゃねえよ、あれは」

 

 犯行に及んだ三人は、全員が《マツバ》から計画を聞かされ凶器を与えられた、と語る。自身の憎悪の理解者として彼を語り、どこか崇拝するような様子さえ見えた。ただ憎むことしか出来なかった自分に、行動を起こすことを教えてくれた恩人だと。

 こりゃ相当に洗脳されてるな、というのが松田が受けた印象だ。時間をかけて丁寧に話を聞き、欲しい言葉を与え、彼らを心酔させたのだろう。しかし、どうしても彼らの言う《マツバ》と、機械的な供述をする許斐葉太の姿は結びつかなかった。

 松田の言葉に、伊達も頷く。

 

「許斐が使ってたSNSのアカウントのログイン履歴を調べたが、複数の端末からログインされた形跡があった。そのうちのいくつかが海外のサーバーを経由してログインしていたらしくて、端末が辿れなかった」

 

 許斐はそれも自分の仕業だと言い、どうやって行ったのかという点の供述もはっきりしていた。そのときログインに使った端末は飛ばしのスマホで、もう捨ててしまったと証言している。供述自体におかしなところはなく、サイバー課の専門捜査官に供述調書を見てもらっても、その手法なら確かに可能だろうとお墨付きは得ていた。

 だが、と伊達は言葉を続ける。

 

「あんまりにもよどみなく説明するもんだから、むしろ怪しくてな。先輩刑事がサイバー課の知り合いを取調室に引きずってきたんだ」

 

 今では階級こそ抜いてしまったが、かつてよく面倒を見てくれた先輩刑事のことを伊達は心から信頼している。もちろん、彼が経験の中で培ってきた、刑事の勘というものも。

 そんな彼が引きずってきた専門捜査官は、心底迷惑だという顔をしながらもその先輩刑事の頼みを了承し、許斐の供述を真剣に聞いてくれた。その彼が下した結論は、こうだ。

 

「《まるで教科書の文章をそのまま暗記したような供述》だとよ。言ってることは間違ってねえが、この分野について深く理解しているわけではない。案の定、専門捜査官さんがいくつか質問したら答えに詰まってたよ」

 

 つまり、少なくともそのアカウントに別端末からログインした人物は、許斐ではない。もちろん、犯行に及んだほかの三人にも、そんな専門知識はなかった。

 

「少なくとももうひとり、犯人はいる。むしろ、黒幕はそっちなんだろうな。あの分じゃ許斐も、殺意を煽られた人間のひとりだ」

 

 伊達がそう言葉を締めくくると、諸伏は苦笑して口を開いた。俺を睨まれても困る、と肩をすくめる。

 

「黒幕は別、それについては同感だよ。ゼロもそう思ってる」

「じゃあ、」

「だけど、証拠がない」

 

 今のところ、黒幕の存在を証明するものは何もない。許斐に専門知識が欠けているとはいえ、一応手法の供述はできている。それを根拠に黒幕の存在を主張するのには、さすがに無理があった。

 許斐に黒幕についてカマをかけたりもしてみたが、そんなやつはいないの一点張り。このまま送検となれば、引き続きこの事件の捜査をするのは難しくなる。

 

「降谷も上に掛け合って、まだ捜査が続けられるように動いてはいるらしい。だけど、警察の面子を気にする上としては、一刻も早くこの事件は解決しましたって世間に言いたいわけだ」

「まーたそういうめんどくさい事情を……まあそのための異例の合同捜査だったんだろうが」

 

 伊達が大きくため息をつくと、萩原が駄々をこねるようにええ~と声を上げる。

 

「ちょっと降谷ちゃんってば権力が足りないんじゃないのォ? ちゃっちゃと出世してその辺何とかしてよ~」

「萩原が出世するって手もあるよ?」

「心にもないこと言わないでよヒロくん、俺そういうの無理」

「真顔で言うな。……とにかく、急いで黒幕がいるって証拠を探し出さないと、事件解決で捜査本部は解散だ。物証が難しいなら、せめて許斐の口から証言は欲しいな」

 

 おそらく、黒幕の存在を知っているのは許斐だけだ。何としても彼の口を割らせ、彼にこの計画を授けた人間がいることを証言してもらわなくてはならない。降谷が時間を稼いでいるとはいえ、そう長くはもたないことは明らかだった。

 ふと、珍しく黙って話を聞いていた松田に気づき、伊達は声をかける。

 

「どうかしたか、松田。何か考えでもあんのか?」

「あ? あー……いや、何つーか、……」

「何よ陣平ちゃん、歯切れ悪いね」

「……ただの勘なんだが、」

 

 多分大丈夫な気がする、と松田は言う。松田にしては珍しい、何の根拠もない言葉だった。しかし煙草をくわえるその口元には笑みが浮かんでおり、妙に自信はあるように見える。

 煙草を手に持ち、改めて自分に納得したように、松田は頷く。

 

「多分、この後許斐は口を割る、気がする」

「……珍しいな、お前が勘でものを言うなんて」

「いやな、うちの新米が妙にやる気出しててよ」

 

 おそらく今頃は取調室の掃除をしているだろう、まだまだひよっこの新米刑事。取り調べは何度か経験させているとはいえ、これほど大きな事件の容疑者の相手は任せたことはなかった。しかし、本人たっての希望で、この後の取り調べでは彼が調べ官を担当することになっている。

 許斐と話をさせてください、と言ってきた彼の顔は、もはや新米刑事のそれではなかった。

 

「ま、若い容疑者の相手は歳が近いほうがいいっていうセオリーもあるしな。……なんか、うまくいく気がするんだよ」

 

 許斐の話を聞いて、その境遇にはいろいろと思うところがあったらしい彼。誰のことを言っているのかわかった伊達と萩原は、少し苦笑して、頷く。

 まだ彼と面識のない諸伏は、へえ、と面白そうに笑った。

 

「お手並み拝見、かな」

 

 ちなみにその新米刑事こそが自分の命の恩人だと諸伏が知るのは、この一連の事件が終わってからのこと。警察入る前から人ひとりの命を救ってんならそりゃ将来有望だよな、と諸伏は楽しそうに笑った。

 

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