桜の矜持   作:ふみどり

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 相良幸人は、自分が要領のいい人間でないことは承知していた。

 勉強も得意でなければ、身体を動かすことだって特別優れているわけでもない。何をするにもひとよりもずっと時間がかかるし、同じだけの成果を出すには何倍も努力が必要だ。

 それは人付き合いについても同じで、誰とでも話が出来るほど立ち振る舞いが上手くはない。ひとの顔を覚えるのは得意でも、せいぜいが失礼にならないように振る舞えるという程度。相手の人生がかかっている取り調べで真実を吐かせることが出来ると言えるほど、自分を過信してはいなかった。

 そもそも、取り調べの経験も数える程度にしかない。

 

『俺だって取り調べ得意じゃねーんだよ』

 

 相良の教育係である先輩刑事は、難しい顔をして言った。得意ではないと言いながら、彼とて幾人もの人間から有力な情報を吐き出させてきた実績がある。

 

『そもそも俺は気が長い方じゃねえ。粘り強く話を聞いて、相手に根負けさせるなんて手法は俺には使えない。だから別の方法を考えたってだけだ 』

 

 この刑事、気は短いが頭の回転が早い。相手の供述のひとつひとつをパズルのピースとして、少しでもずれるところがあればすかさずその隙を突く。論理に論理を重ね、矛盾を見つければそれを手がかりに相手の真実を暴いていく。

 言っちゃなんだがこの方法はお前には向かねえぞ、と言われて相良は頷くしかなかった。アウトローな振る舞いをしながらも、この教育係、相良の数倍頭が良いのだ。その頭脳を前提とした取り調べを真似できるとは、さすがに相良も思わなかった。

 がっくりと肩を落とした後輩に、松田は仕方ねえなぁと頭を掻く。話を通しておいてやるから、ほかの刑事の取り調べでも見学してこい、とその背を叩いた。

 

『それで俺らに? ま~可愛い後輩のためだしね、いいよ見学くらい』

『いろんなやり方知っとくのはいいことだしな。参考になればいいんだが』

 

 軽く見学を許可してくれたのは、やはり何かと面倒を見てくれる松田の同期たちだった。このふたりもまた、確かな実績をもつ優秀な刑事だ。今度こそ参考に、と相良はメモを片手に見学に挑むが、またもや肩を落とす結果となる。

 その強面を存分に活用し、飴と鞭を上手く使い分けて相手の信頼を得る伊達はまだともかく、自他共に認める取り調べの名手と言われる萩原については、もはや何が起きているのかもわからなかった。いつのまにか相手の口から真実がぽろぽろと零れおち、取調室を出る頃には、当人すらも何故話してしまったのかわからないという顔をしている。しかも、何が起きたんですかと萩原に尋ねれば、ふつーに聞いただけよとさらっと返される始末。これで何を参考にしろというのか。

 さらに頭を抱える相良に、さすがに悪いと思ったのか、それとも面倒くさくなったのか、松田はまた別の同期を引っ張り出した。畑は違うがやってることは一緒だからアイツに聞いてみろ、と言われ、相良は久しぶりにその連絡先を表示させる。

 

『ああ、取り調べな。全然参考にならなかったろ、特に萩原』

 

 本当に参考にならなかった、と素直に返せば、電話口から零れる笑い声。笑い事じゃないんだけど、と相良が重ねれば、笑い声はさらに大きくなった。ひーらぎさん、と語調を強めれば、悪い悪いと軽く返された声。

 

『うーん、俺はどっちかというと松田のやり方に近いから、俺のやり方聞いてもあんまり参考にならないと思う。だけど、そうだな、多分幸人の場合、あんまりごちゃごちゃ考えない方がいいんじゃないか』

 

 それは考えるのが向いてないってこと、とふてくされたように言えば、まあそういうことだ、と柊木はあっけらかんと答える。

 

『お前は頭で考えて相手の言葉を引き出せるほど器用じゃないよ。まあ、今後を考えればそういうやり方も出来るように訓練はした方がいいとは思うけど、訓練の結果が出るのを待ってくれるほど仕事は優しくないだろ。だから、まずは幸人にとって成果の出しやすいやり方でいくべきだと思う』

 

 お前にはお前の武器があるだろ、と柊木は言う。

 そう言われても、相良にはこれと言えるものが思いつかなかった。松田のような論理的思考も、伊達のような懐の深さも、萩原のような神がかり的コミュニケーション力も、相良にはない。もう簡単に投げ出したりしない、と覚悟を決めた分、根性くらいは持ち合わせていると思いたいが、せいぜい相良が取り柄と言えるのはそれくらいだ。

 黙ってしまった相良に、柊木がふ、と小さく笑った気配がした。

 

『お前は、お前が思ってる以上に、単純馬鹿に見えるんだよ』

 

 唐突に売られた喧嘩に、低い声が出た。うわその声久々に聞いたな、と柊木はひるむ様子もなく続ける。

 

『だから、お前の言葉は疑いにくい。それは欲しくてもなかなか得られない武器なんだよ、幸人。たとえば萩原相手には言葉の裏を読んでしまう相手も、お前の言葉だったらすんなり信じるかもしれない。お前なら絡め取れると思って、相手が油断してボロを出してくれるかもしれない。単純馬鹿に見えるってことは、お前の言葉(こころ)を信じてもらいやすいってことでもあるし、余計な警戒をされないってことでもある』

 

 自分の武器を上手く使えよ、とその言葉を最後に、通話は終わった。そのときからずっと、幸人は自分のもつ武器について考え続けている。今も、まだ。

 人形のような、何の感情も浮かんでない瞳を、相良はまっすぐに見据えた。正直、彼の口から真実を話させる策や算段があるわけではなかった。それでも、どうしても彼と話がしたいと思って、無理を言った。

 普通なら切って捨てるだろう新人の無謀を、松田はふたつ返事で頷いた。あまりにあっさりと頷かれたので、思わず聞き返してしまったほどだ。松田はただ、やってみろ、と言った。成果は期待してねえから好きにやれと、松田らしい捻くれた励ましを添えて。

 任せてもらったこの時間を、無駄にするわけにはいかない。

 

「許斐、葉太くん」

 

 相良が名を呼んでも、許斐は一切の反応を見せない。

 聞いていないわけではないのはわかっている。犯行の供述については淀みなく喋ったというのだから、精神的に問題があるわけでもない。

 ただ、相良をはじめとする《警察》の言葉が彼にはもう響かないだけ。きっと、せいぜいがひーらぎさんの声くらいしか響かないんだろうなと、相良にはそう思えた。同時に、何故だか笑いが込み上げてくる。

 そう、きっと、柊木の声は届くのだ。警察が憎くてたまらない彼にも、何故だか、柊木の言葉だけは響いたのだ。そのくせ当人は、そんな自分のことを一切自覚していないのだ。

 何て無責任なひとだと、相良は笑う。そのまま、目の前の彼に話しかけた。

 

「……ずるいよなぁ、あのひと」

 

 俺たちの価値観ぶっ壊しといて、全然そんなつもりないんだぜ、と。

 ぴくり、と許斐の肩が震えた。その黒い瞳が、初めて目の前に座る年若い刑事に向けられる。

 

「勝手に憧れさせて、勝手に信頼させて、でも責任は全く取ろうとしないんだ。お前らが勝手に懐いたんだろって言わんばかりの態度でさ。そのくせ、何か結果的に俺たちのこと助けてくれるんだよ。あくまでも結果的にな? そんで俺はやるべきことをやっただけで、別に助けたつもりはないって平気な顔で言うんだ。ひどいひとだろ?」

 

 それは、とぎこちなく動く口から、小さな声が漏れる。

 

「柊木さんの、こと?」

 

 相良はそっと息を吐いて、笑う。

 取調室で向かい合った刑事と被疑者が、ただのふたりの青年に変わった瞬間だった。

 

 

 ***

 

 

 頭の片隅に《刑事》としての思考を残し、それ以外のすべては許斐と同じく柊木に影響を受けた人間として、相良はぽつぽつと思い出を語った。

 柊木と出逢ったときのこと、それからの交流、冤罪から助けてもらったことも、ひとつひとつ、辿った。勉強の面倒を見てもらって、そのおかげで大学に進み、こうして今は警察官になっているということも。

 こうしてエピソードだけ言うと、本当にあのひとめちゃくちゃいい人に聞こえるんだよな、とは口にしなかった。ただの善人であったならば、相良は決して柊木に懐いたりはしなかっただろう。

 

「……柊木さんって、そういうひとなんだ」

「あ、俺結構いい部分ばっかり選んで喋ってるから。その辺はよろしくな」

「え、ああ、うん、それはわかってる、と思う」

「わかってんだ?」

「だってただの《いいひと》だったら、いくら俺が避難するの嫌がったからって、腕つかんで怒鳴ったりしないでしょ」

 

 ひーらぎさんの言う穏便て何、と内心で盛大にツッコミをいれながら、相良は遠い目をした。おそらく隣の部屋で話を聞いているだろう先輩刑事たちが爆笑しているような気がしてならない。そしてそれは正しい。

 あのひと沸点は低くないけどめんどくさがりではあるんだよな、と思わず漏らせば、初めて許斐は目元が少し柔らかさを帯びた。お、と思いながら相良は言葉を続ける。

 

「腕つかんで怒鳴られて、でも言うこと聞いたんだ」

「……うん」

 

 警察官として、ほっとくわけにはいかないって言われたから。

 ぽつんと落とされたその言葉に、どれだけの想いと葛藤が込められていたのか。相良には想像することしか出来ないが、軽くはないことくらいはわかる。

 自分たちを裏切った警察官と、絶対に見捨てないと言い切った警察官。どちらが《警察》なのだと、許斐は惑っただろう。

 警察とひとくちに言っても決して一枚岩ではなく、どちらも間違いなく《警察》であることが、むしろ相良には恥ずかしく思えた。後者(ひいらぎ)が《警察》なのだと、そう言い切れないことが悔しかった。

 机においた相良の手に、力が籠る。

 

「……例の巡査には、警察官の不祥事を取り締まる専門のひとが話を聞いてる。そのひとたちも警察の身内ではあるけど、身内だからこそ容赦はしないひとたちだって聞いてる」

「うん、それは聞いた」

「ひーらぎさんもそこのひとだから、多分全力でそのひと締め上げてると思う。あのひとそういうの本当に嫌いだし」

「……うん」

「巡査が何を言おうと、そんで君が公判で何をどんなふうに証言しようとも、まず間違いなく処分なしはありえないって。どの程度の処分になるかは、これから議論される」

 

 うん、とか細い声が響く。

 その声色に、相良は確信した。どうやら自分が彼に伝えたいと思っていたことは、さほど見当違いではないようだ、と。

 どこか許斐は、自分や、かつての仲間たちに似ているところがある。だから相良は、考えていた。もし自分たちが彼と同じ状況に追いやられたら、何を思うだろうか、と。そのうえで相良は、この席に座ることを望んだ。

 もし彼が本当にそう思っているなら、全力で否定しなければならないと考えて。

 

「……あのさ、」

 

 言葉を選ぶ余裕も、相良にはなかった。ただ相良の頭にあったのは、柊木から受けたアドバイスとも言えない言葉のみ。

 単純馬鹿が武器だというなら、余計なことは考えるだけ損だ。

 

()()()()()()()()()()

 

 許斐の瞳が、大きく見開かれた。

 

 

 ***

 

 

 いや今回の事件については悪いけど、と相良は言葉を続ける。衝撃冷めやらない様子の許斐を注意深く見つめながら、言い聞かせるように言った。

 

「俺たちとしては本当に恥ずかしい話だけど、その巡査も『警察』だ。お前たちは頼って当然だし、そいつはお前らの助けに応じなければならなかった。たとえ何らかの事情があって自分の身動きが取れなかったとしても、せめて自分以外の誰かを助けに寄こすとか、何かしらの対処を取らなければならなかった。それを怠ったせいで、お前たちに大怪我を負わせてしまった」

 

 いや、それ以前に、助け方にももう少し何かあっただろと相良は思う。学校という狭い世界で起きている犯罪(いじめ)だからこそ、被害者を守るために最大限の配慮をすべきだった。じゃあどうすれば良かったのか、と言われれば相良とて即答は出来ない。即答できるほど、簡単な案件ではない。

 だからこそ、対応を徹底的に考え、模索し、議論を重ねるべきだった。ただ学校に処分をけしかけるだけなんて、安直な手を選ぶのではなく。

 そんなのただの自己満足だと、相良は心の中で吐き捨てる。

 

「……戸松和也くんの自殺についても、そうだよ」

 

 がた、と許斐の座っている椅子が音を立てる。

 

「ふたりの間で、どんな会話があったのかは、わからない。だけど、……巡査のお見舞いの直後に亡くなっている以上、無関係だなんてことは、ありえないだろ。被害者と会って話すからには、それ以上彼の心を傷つけないように配慮をしなきゃいけなかった。もともと親しい関係だとか、プライベートだとかは関係ない。犯罪被害にあった被害者を守る立場にある警察官として、絶対に許されちゃいけない失態だ」

 

 罪なき民間人の安全を守るためにいる警察官が、彼らの信頼に応えることもできず、守るどころか死に追いやった。それはまぎれもなく、罪だ。()()()、罪なのだ。

 

「悪いのは、巡査だ。()()()()()()

 

 椅子を蹴る大きな音が響いた。同時に、相良の襟元が掴みあげられる。書記として座っていた補佐官が慌てて立ち上がりかけるのを、相良は片手で制した。

 相良の目の前には、怒りと悲しみがないまぜになったような表情を浮かべた青年の顔がある。入室してきたときの人形みたいな顔とは大違いだ、と相良は心の内で呟いた。もともとが活発な性格だと聞いているし、病院では柊木に怒鳴って反抗したくらいだ、大人しい気質ではないのだろう。

 興奮で息を荒げる許斐をじっと見つめながら、相良は彼の言葉を待った。

 

「……お、れが、」

 

 俺が、あんなやつ、信じなきゃ良かったんだ。

 絞りだされたその言葉に、やはり、と相良は静かな視線を返す。許斐の心を占めるもの、それは警察への憎悪ではなく。

 

「……お前は、罰を受けたかったんだよな。幼馴染の自殺について、きっと誰もお前を責めなかった。だけど、お前はお前自身を責め続けた。だから、……今度こそ罰を受けるために、今回の事件を起こした。巡査を殺すこと以上に、公判で真実を暴く以上に、……それが、お前の目的だったんじゃないか?」

 

 ぐ、と許斐が震える唇を噛む。その目は、わずかに潤んでいるように見えた。

 相良は、首元にある許斐の手首に触れる。

 

「だけど、それは違う。お前がそいつを信じたのが間違いだったんじゃない、その信頼に応えられなかったそいつが悪いんだ。俺たちは、警察官は、助けるのが仕事なんだから。……お前は、自分が悪いとかそんなこと考える前に、警察にでも裁判所にでも、メディアにだっていい、そいつが悪いって訴え出ればよかったんだ。お前だって、被害者なんだから」

「お、れだって加害者だ!」

「違う」

「違わない! だって、あんなやつに頼ったのは俺なんだ!!」

 

 許斐の脳裏に、もう何度も回想した過去が浮かぶ。

 いじめで人見知りに拍車がかかっていた戸松の肩をたたきながら、その巡査と親しく言葉をかわし、相談をもちかけたのは許斐だった。自分たちにも軽く声をかけ、地域のひとびとからも慕われていた彼なら、戸松の現状を打破する手伝いをしてくれるかもしれない、と。

 実際に巡査は親身になって話を聞いてくれたし、自分からも学校に働きかけるから安心しろ、と胸をたたいてくれた。いじめの加害者たちが学校から追い出されて、これでもう大丈夫だと、許斐は笑った。戸松はまだ少し不安そうな様子だったが、いじめの経験から臆病になってしまっているんだと、いつものように許斐は彼を励ました。

 その矢先に起きてしまった、暴行事件。

 戸松からの連絡を受けて、道を走りながら許斐は巡査に何度も電話を掛ける。電話は繋がらなかったが、留守電にメッセージはふきこんだ。きっとこれですぐに助けに来てくれる、それまで何とか持ちこたえられれば、と戸松のもとに駆け付けた許斐は、とにかく堪えた。堪えて、戸松に声をかけつづけた。あの人がすぐに来てくれるから、と。

 しかし彼は、来なかった。

 

「る、すでんにメッセージいれただけで、助け呼んだ気になって、和也に堪えろって、言い続けて。結局ふたりして、死にかけて、……そいつが、病院に見舞いに来たって時も、俺は、のんきに寝てて、」

 

 許斐の目から、涙があふれる。嗚咽交じりに紡がれる言葉はひどく悲痛で、ただ、つらかった。

 

「起きて、和也の病室行ったら、あいつ、首つってて。そりゃ、和也も、だいぶ精神やられてたけど、でも、自分で死ぬような度胸あるやつじゃなかったのに! 後になって、俺のとこに、和也から手紙が届いて、」

 

 そこには、見舞いに来た巡査と戸松が交わした会話の内容が書かれていたという。

 その日、巡査は昇進の内示を受けて、休みを利用して異動の支度をしており、スマホを見ていなかったということ。そうでなくても、休みの日は署からの連絡以外あまり鳴らないようにしているということ。自分がいつでも駆け付けられるとは限らないので、何かあったときは110番に掛けたほうが確実だということ。

 何より、謝罪や、心配や、そういった言葉より、自分の昇進を喜ぶ心情のほうがよく見えたと、その手紙には綴られていた。その昇進を戸松や許斐に喜んでほしいと思っているようにも見えて、絶望するしかなかったのだと、確かに記されていた。

 

「あんときの和也、誰の、どんな言葉でも悪いほうに受け取っちまうようなとこあったから、本当はどうだったのか、もう俺にはそれすらもわかんねえ! けど、やっぱ、あいつが和也の自殺のきっかけだったことは間違いねえんだ! そんな、そんなやつを、俺は信じて、頼って、和也を追い込んで、俺の、せいで…っ!」

「……そう、言われたのか?」

 

 ぎくりと、許斐の肩が震える。

 許斐の手首をつかんだ手に、力が籠った。怒りの一言では言い表せない激情が、相良の心に込み上げる。

 自責の念は、ずっと許斐の心を蝕んでいたのだろう。だが、その罪悪感を煽り、許斐を犯罪へと走らせたのは、おそらくはこの一連の事件の黒幕。苦しんでいる人間の手を引き、さらなる奈落へと導いた。

 その事実が、許せなかった。

 

「誰に、言われたんだ」

 

 相良の低く、唸るような声。許斐は怯えたように手を離した。相良もそっと、許斐の手首から手を離す。しかし、目だけは逸らさなかった。

 

「誰が、お前にそんなことを吹き込んだ?」

 

 あ、と声にならない声が、許斐の口から漏れる。

 湧き上がる怒りを抑え込みながら、相良の頭の片隅に残っていた刑事の思考が告げる。あと一押しで、落とせる。そう思って相良が身を乗り出したそのとき、ノックの音とほぼ同時に取調室のドアが開かれた。

 入ってきたのは、捜査権もないのに何故か今回の捜査への参加は許されている、そのふたり。

 

「失礼、少しだけよろしいでしょうか」

 

 さすがに空気読めよ、と相良は思った。

 

 

 ***

 

 

 何となく空気を察した神戸が、少しばかり申し訳なさそうな視線を相良に送る。相良は死んだ魚のような目でそれに応えるが、特命係とは言え階級も年齢も上のふたりにものを申せるほど肝は据わっていなかった。

 そんな相良の様子など気にもとめず、杉下はふたりが向かい合う机にさっと近づき、いつもの調子で話しかける。

 

「申し訳ありません、急を要する事態だったものですから。つい今し方、柊木監察官のご自宅に、正体不明の小包が届いたそうです。依頼者の名前は、江藤和久」

 

 その名を聞いて、ふたりは目を見開く。

 江藤和久、ふたつめの事件に爆弾を提供した、権力嫌いの爆弾魔。その彼から送られてきたものということは、つまり。

 先に口を開いたのは、許斐だった。

 

「そんな、そんなはずはない!! ()()()()が、そんな、」

「あのひと、というのは江藤和久のことですか?」

「違う! 江藤は爆弾くれただけで、俺たちのことも柊木さんのことも知らないはずだ!」

「では、あのひととは?」

 

 ぐ、と許斐は押し黙る。自分が迂闊を踏んだことにようやく気づいたらしい。その様子を見てふむ、と一瞬考えた杉下は、改めて問い直した。

 

「そのひとは、柊木監察官のことをご存じなのですか?」

 

 悔し気に顔をゆがめた許斐は、零れた涙を乱暴に袖でぬぐい取る。そして何か決心した顔で、再び杉下を見た。

 

「……俺が話して、初めて知った、はず」

 

 その様子に、杉下はひとつ頷いた。

 

「では、そのひとには柊木監察官、あるいは警察官を狙う理由は?」

「俺が知る限りは、ない。あのひとは、俺たちに同情して、いろいろ、手伝ってくれただけ。けど、……江藤と柊木さんの両方を知ってて、このタイミングで何か送ってくるなんて、そんなの、……あのひとしか、」

 

 苦悶する様子を見せる許斐に、もういいでしょう、と見かねた神戸が前に出る。それ性格のいいやり方じゃないですよ、と苦言を呈し、杉下は心外だと言わんばかりにおやおや、と言葉を返す。

 構わずに神戸は言葉を続けた。

 

「柊木くんの家に中身のわからない荷物が届いたのは本当。その依頼者の名前が江藤和久だったっていうのもね。だけど、たぶん危険物のたぐいではないっていうのが、柊木くんからの報告」

 

 え、と相良と許斐の声がそろった。

 神戸が言うには、つい数十分前に柊木からあくび交じりの報告があったのだという。曰く、仮眠中に来客のチャイムで起こされたと思ったら、小さな小包が宅配で届いたのだと。さして重くもなければ中から機械音がするわけでもなく、ついていた宅配の伝票を見ても日時指定がされておらず、天地無用の記載すらもない。加えて今回の事件の黒幕の性根の悪さを考えるに、せいぜいが簡単なトラップ、あるいはただのフェイクだろうと眠そうな柊木は語った。

 

「でも万が一がないとは言い切れないから、とりあえずひとを寄こしてくれって話になって、今危ないものの処理の専門のひとたちが柊木くんの自宅に向かってる。遠隔操作対策にアルミホイルで徹底的に梱包して待ってるとか言ってたみたいだし、まあ柊木くんは大丈夫だと思うよ。好奇心に負けて箱を開けるタイプじゃないしね」

 

 だから心配しないで、と言うと、ほっとふたりは息をつく。そんな様子を見て、神戸は少し眦を緩めた。取り調べの刑事と被疑者の両方に心配されるなんて本当に変なこだな、とお気に入りの後輩を思う。

 しかし、のんきなことばかり考えてはいられない。

 おそらくは黒幕が、自ら動いた。しかも、どうやらその矛先は、柊木に向いている。

 

「改めて聞くけど、柊木くんが狙われる心当たりはないんだね?」

「……ない、と思う。けど、」

「けど?」

「……言われてみれば、あのひと、……やけに柊木さんに興味はもってた、かもしれない」

 

 それだけわかれば十分だ、と神戸は頷き、相良に目をやる。神戸は何も言わなかったが、その視線は何よりも雄弁だった。

 相良はぐっと奥歯を噛みしめ、頷く。改めて身を乗り出し、正面に座る彼を、まっすぐに見つめた。許斐、とその名前を呼ぶ。

 

「そのひとのこと、話してくれるな?」

 

 許斐の心に、もう迷いがなかったとは言えない。たとえ相良に揺さぶられようとも、許斐の心の深くに浸透している呪いは、そう消えるものではない。まだ、《あのひと》を信じたい気持ちも当然あった。

 だが、柊木が狙われているかもしれないという事実は、大きかった。同時に、自分に真剣に向き合ってくれた目の前の刑事にとってもそうだということが、痛いほどわかるからこそ。

 

「……話します、全部」

 

 自分を見捨てなかったひとたちを、裏切るようなことだけはしたくない。許斐にとっては、ただその一心だった。

 

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