クラシックレース戦線の始まりを告げる、4月が到来した。
第一弾の桜花賞を明後日に控える金曜日、トウショウボーイは自室で、ルームメイトのテスコガビーとともに、トゥインクルシリーズの特集番組を見ていた。
画面の向こうから、リポーターの元気な声が届く。
「クラシック展望! 一冠目はだれの手に? はい、この番組では、クラシック戦線の口火を切る桜花賞、そして皐月賞に出走する予定の、有力ウマ娘の皆さんにインタビューし、今のお気持ちを、それと自信のほどをうかがっていきたいと思います!」
画面が、トレセン学園に切り替わる。
美浦寮の入り口の前。
リポーターの隣に、二人のウマ娘が立っていた。
一人は、光沢のある茶髪が印象的な少女。
もう一人は、
(あ、この子確か、テンちゃんが勝ったレースで、二着だった)
見覚えのある、黒毛のドレッドヘアー。
クライムカイザーだった。
「それではまず、皐月賞トライアルである弥生賞を勝利したクライムカイザーさん、二着に入ったボールドシンボリさんにお話をうかがいます。クライムカイザーさん、弥生賞はお見事でしたね」
面倒くさそうに答えるクライムカイザー。
「どうも」
見たままの塩対応に、思わず苦笑いするリポーター。
「ええと、二番人気に推されたクライムカイザーさんは、一番人気のボールドシンボリさんを、2バ身抑えての快勝でした。皐月賞への手ごたえはどうですか?」
人気、のところにカチンときたようだ。
「あぁん? 人気なんてカンケーねえ、実力がすべてだろ? オレは先頭でゴールして、この嬢ちゃんは二着だった。それが力の差だっつーの。皐月賞だって、俺が他の奴らとの力の差を見せつけてやんよ」
嬢ちゃん、と言われたボールドシンボリが、いささかムッとした表情になる。
ますます苦しくなるリポーター。
「えー、それではボールドシンボリさんはどうでしょう? 皐月賞では挽回できそうですか?」
おほん、と咳ばらいをするボールドシンボリ。
クライムカイザーとは対照的に、いかにも良家のお嬢様風の彼女は、茶色のロングヘアーを左手でかき上げると、すました口調で答えた。
「ええ、弥生賞では後れを取りましたが、本番では私の真の実力をお見せできると思いますわ。シンボリの名に恥じない走りをね」
隣で「ケッ」と吐き捨てるような音。
それを聞き逃さず、「なんですの?」とにらみつけるボールドシンボリ。
なんだ、やろうってのか? ああン? とメンチを切るクライムカイザー。
滅茶苦茶である。
困り果てたリポーターは、早々に締めようとする。
「ええと、お二人とも気合十分ですね、はい! 本番、頑張ってくださいね!」
また画面が切り替わった。
どうやら、今度は栗東寮のほうで撮影しているらしい。
リポーターの隣には、テンポイントが立っていた。
相変わらず、息をのむくらい、美しい金髪。
背後からは、かすかに「キャーキャー」という声が漏れ聞こえる。
非公認ファンクラブの面々だろうか。
「さて、次にもう一つのトライアルレースである、スプリングステークスを勝利した、テンポイントさんにお話をうかがいます。テンポイントさんは、昨年無敗で阪神ジュニアステークスを制し、今年もここまで二戦二勝。無敗で皐月賞に挑むことになりますね! 事前人気アンケートでは、堂々の1位です。今のお気持ちをお聞かせください」
テンポイントが答える。
「ええ、アンケートで一位になったことは、とても嬉しく、ファンの皆さんには感謝しています。しかしここ二戦、ジュニア級時代とは違い、接戦が続いています。焦りがないと言ったらうそになりますが、よきライバルたちに囲まれていると受け止め、日々実力の向上に努めているところです」
言い終えると、ふたたび後ろのほうから甲高い歓声が聞こえてきた。
「謙虚ですね! テンポイントさんにもし油断や隙があれば、他の出走ウマ娘にとってはチャンスになると思うんですが、そんな余地はなさそうですね?」
やや煽り気味に尋ねるリポーター。
テンポイントはまじめな表情を崩さない。
「いえ、私自身も挑戦者の気持ちで臨みたいと思っています」
三度黄色い声。
「頼もしいですね! 皐月賞、期待しています」
画面が切り替わる。
「おっ、きたきた」
テスコガビーがニヤニヤとしながら、トウショウボーイの方を見る。
「うぅ…恥ずかしい…」
「次は、トライアルレースには出走していませんが、なんと! テンポイントさんと同じく、無敗で皐月賞に挑むウマ娘がいます!」
リポーターが向かった先は、またもや美浦寮の前だった。
画面が横に移動していった後、トウショウボーイの姿が現れる。
画面の向こうも、こちら側も、顔を赤く染めている。
「デビュー戦と条件戦で3戦3勝、平均着差が4バ身という好内容で、皐月賞に駒を進める、トウショウボーイさんです!」
ぱちぱち。一緒に番組を見ているテスコガビーが、隣で拍手をしている。
ますます赤くなるトウショウボーイ。
「さて、トウショウボーイさんはデビューが遅めでしたが、そのデビュー戦を快勝後、二度の条件戦も見事な圧勝でした。しかし、トライアルレースを経験していませんが、不安はありませんか?」
「は、はい。先生と相談して、無理なく皐月賞に臨もう、ということになって、このようなローテーションになりました、はい」
ガッチガチに緊張していた。
テレビを前にして、両手で顔を覆うトウショウボーイ。
「トウショウボーイさんのトレーナーは、若手で一番の手腕を持つといわれている、安田先生でしたね。どうですか、安田先生の指導は?」
顔をキラキラさせながら答える。
「はい! 安田先生の指導は分かりやすくて、ためになります。それに、ええと、かっこいいです! …あれ、何言ってるんだろ私…」
一気に変な雰囲気になった。
腹を抱えてゲラゲラ笑うテスコガビー。
トウショウボーイは顔を覆ったまま「もうやだ…」と漏らす。
「た、確かに、もてそうですよね! それでは最後に、皐月賞に向けての決意表明をお願いします」
両手の拳を身体の前でギュッと握り締める。
「はい! おかげさまで、順調に調整が進んでいます。テンポイントさんに胸を借りるような気持ちで、が…がんばりましゅ!」
言い終えた瞬間、硬直。
テスコガビーは「ひぃひぃ…」と、苦しそうに腹をよじらせる。
トウショウボーイは、泣いていた。
「カットしてくれるって言ってたのにぃ…えええん」
「…全ウマ娘を、この女王テイタニヤの前に、ひざまずかせるわ!」
番組は、桜花賞の有力候補、テイタニヤの紹介で幕を閉じる。
言葉もさることながら、ポージングも派手。
テンポイントの噛み噛みインタビューなど、一瞬にしてなかったことになるくらいの、壮絶なオチがついた。
画面は、トレセン学園から、再びスタジオに切り替わった。
かしこまった表情でアナウンサーが話し始める。
「それでは次に、URAと、中山レース場職員組合の間で行われている、労使交渉の…」
ピッ。
アナウンサーが言い終える前に、テスコガビーがテレビの電源を切った。
どすん、とベッドの上に腰を落とす。
「それにしても、この番組のプロデューサー、よく今の内容でOK出したね…」
トウショウボーイもあきれたように応じる。
「はい、最後のテイタニヤさんのとこなんて、放送事故ですよね…」
テスコガビーは、
「それを言ったら、クライムカイザーとボールドシンボリのやり取りもそうだし」
ここで、トウショウボーイの方を向き、
「あんたのインタビューだって、十分事故ってたんじゃないかい?」
と言って、再び笑い出す。
「もう、先輩! からかわないでください! こっちはまじめだったんです…」
はぁ、とため息をつくトウショウボーイ。
(これ、クラスでもからかわれるんだろうなあ…)
そう思うと、胃がきりきりと痛む。
トウショウボーイは、3月下旬におこなわれた条件戦、れんげ賞で、5バ身差の快勝を果たしていた。
番組でリポーターが触れていたように、デビューから3戦での着差は、3バ身、4バ身、5バ身と、平均4バ身。
重賞勝ちはおろか、オープン特別の勝利もないものの、その怪物っぷりを評価され、事前の人気アンケートでは、テンポイントに次ぐ2位に支持された。
美浦寮所属のウマ娘の中では、堂々の一位である。
身に余る光栄に浴して、トウショウボーイは身が引き締まる思いだったが、同時に大きなプレッシャーも感じていた。
そして、期待もあった。
テンポイントとの、初対決。
同じ無敗馬同士、世間の注目度も高い。
しかしトウショウボーイは、勝敗ではなく、一緒に走れること、そして、貴公子と呼ばれる彼女が、どんな華麗な走りを見せてくれるのか、それがとても楽しみだった。
(どんなレースになるんだろう…)
皐月賞へのエントリーを済ませてから、トウショウボーイの心は落ち着かなかった。
そして彼女は、今も落ち着きなく、壁にかかった時計の針を、何度も確認していた。
テスコガビーが言う。
「そういえば、皐月賞にエントリーしている子は、トレーナーと一緒に会議室に呼ばれているんだってね?」
トウショウボーイはうなずく。
「はい、何か重要なお知らせがあるそうです。詳しくは、分からないんですけど」
指定の時間が迫っていた。
「そろそろ行ったほうがいいんじゃないかい?」
「はい、そうしますね。じゃあ、行ってきます」
トウショウボーイが立ち上がると、テスコガビーは手を振って応じた。
会議室の入り口の前で、安田と合流した。
集まっている他のウマ娘たちの様子をうかがうと、どの子も落ち着きなくそわそわしているようだった。
見ているこちらも、落ち着かなくなってきた。
安田が優しく諭す。
「心配ないよ。落ち着きなさい」
安田にそう言われると、不思議なことに落ち着きを取り戻せる気がした。
「はい」
「どんなことがあろうと、君は今のところ順調にきている。そしてそれは、この後も変わらない。いいね?」
そう励まされ、拳にギュッと力をこめる。
「はい!」
会議室に用意されていた椅子は、瞬く間にウマ娘とトレーナーたちで埋まった。
急遽用意された演台。
時間になると同時に、トレセン学園の理事長が入室。
神妙な面持ちだ。
演台に上がると、ひとまず全体をゆっくりと見渡し、揃っていることを確認し、重々しく口を開いた。
「えー、皐月賞にエントリーしているウマ娘の皆さん、並びにトレーナーの皆さんに重要なお知らせがあります」
会議室が緊張に包まれる。
「えー、今月18日に行われる予定の皐月賞ですが、URAと中山レース場職員組合との間の労使交渉が現在不調でして、このまま進展がない場合、開催日を25日に順延、場所を東京レース場に変更する可能性があります」
あちこちからざわめきがおこる。
おほん、と理事長が咳ばらいをする。「お静かに」ということだろう。
再び会議室内が静まり返った。
「えー、皆さんには多大なご心配をおかけすることになりまして、まことに恐縮ではありますが、ひとつの可能性として、お心の内にとどめておかれますよう、お願いいたします。詳細は書面でお伝えしますので、係の者からお受け取りください。なお現時点で、このことは一切、外部への公表を禁じます。マスコミ関係者に何か尋ねられた場合、一律にノーコメントを貫いていただきたいと思いますので、重ねてよろしくお願いいたします」
話を終えた理事長は、早々に退室した。
理事長の姿が見えなくなった直後、会議室内は喧騒に包まれる。
「またかよ…」
「調整、どうしよう…」
あたりに渦巻く焦燥と不安。
近くにいたクライムカイザーは、「チッ」と言いながら、机を軽く蹴飛ばしていた。
不安に襲われるトウショウボーイ。
栗東寮所属のウマ娘たちが座っているほうをうかがう。
テンポイントは落ち着いているように見えた。
安田が声をかける。
「ここじゃなんだから、事務所のほうに移動しようか」
皐月賞の順延は、何も初めてのことではない。
つい2年前にも、同じ理由で1週間の順延になったばかりだった。
その過去を知っているトレーナーたちの頭の中には、二つの考えが存在した。
ひとつは、2年前に同じことがおきたばかりだから、さすがにURAは同じ轍を踏まないであろう、レースは予定通り18日に行われる、という考え。
もう一つは、労使交渉の不調は一筋縄では解決しない、今年も2年前と同じように、順延になる可能性が高い、という考えだ。
「…そういう噂があったから、人づてにいろいろ情報を集めてみたんだけど」
安田は自分の事務所で、トウショウボーイをソファに座らせ、見解を伝えた。
「おそらく2年前と同様に、順延になる可能性が高いと思う」
それを聞いて、ごくりと唾を飲み込むトウショウボーイ。
今までケガもなく順調に来ているだけに、トラブルには不慣れだった。
しかも自分事というよりも、自分の与り知らぬところでの騒動だ。
どう対応すればよいのか、これが分からない。
不安を全身から滲ませている彼女をいたわるように、安田は優しく告げる。
「大丈夫だよ。とりあえず、トレーニングは予定通り進めていこう。もともと強めに追い切るつもりはなかったから、何も予定は変わらないよ」
追い切り、とは、レース前に負荷をかけるトレーニングをすることで、目標に向けて調子を上向ける、トレーニングの仕上げのことである。
追い切りがピタッとはまれば、レースに絶好調で臨むことができるが、タイミングを間違えると、出走前に調子のピークを過ぎてしまうことにもなりかねない。
今頃、他のウマ娘とトレーナーも、皐月賞前の調整をどうするかで、頭を悩ませているだろう。
安田は、調子の向上を追い切りに求めず、適切なレース間隔と、ルーティン化したトレーニングの反復によって、調子を維持していくタイプのトレーナーだった。
そのことはトウショウボーイもよくよく承知していたので、安田の言葉を聞いて心底安心できた。
「わかりました。よろしくお願いします」
「うん。くれぐれも体調には気を付けるんだよ」
所変わって、大川の事務所。
彼の教え子のテンポイントと、大川自身が、対峙していた。
「…だから俺は反対だ。順延の可能性はゼロじゃない。今追い切って、順延なんてことになったら、目も当てられないぞ」
渋い顔でテンポイントに告げる。
一方のテンポイントは、怒りとも困惑ともつかない、複雑な表情で反駁する。
「いいえ。私は追い切るべきだと思います。皐月賞には、まだ見ぬ強豪たちがたくさん集まります。その中で、調子の面でも後れを取るわけにはいきません。仮に順延になったとしても、そのあと再び追い切ればいいだけのことです」
ますます渋い顔をしながら、大川が言う。
「それだと疲労がコントロールできないだろ。お前の身体の弱さは、まだ解消しきっていない。今追い切って、レースまでに間隔があいてしまったら、調子が下降線をたどることは必至だ」
それでも納得がいかないテンポイント。
「先生、私を信用してください」
「いや、とは言ってもだな…」
「ここ二戦、ギリギリの勝利が続いています。ジュニアチャンピオンとして、不甲斐ない走りは見せられないのです。ここで追い切らず、予定通り皐月賞が行われ、万全ではない走りをするなんて…」
テンポイントは、身体の横におろしていた右手の拳を、ぎゅっと結んだ。
「…私には耐えがたい屈辱です」
大川は困った表情をしながら、テンポイントの目を見つめた。
長い沈黙のあと、観念したように言う。
「…わかった。では追い切りをおこなおう。ただし、クールダウンはいつも以上に入念に。無茶は禁物だからな」
「ありがとうございます」
深々と礼をするテンポイント。
しかし、このトウショウボーイ陣営と、テンポイント陣営の選択の違いが、皐月賞当日、両者の運命を決定的に分けることを、この時はまだ、誰も知らない。
後日、URAとトレセン学園の共同記者会見によって、正式な発表がなされた。
皐月賞、4月25日に順延。実施場所は、東京レース場に変更。
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