その日、中山の直線を、流星が駆け抜ける。   作:兜士郎

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流星の貴公子、颯爽と登場。


第一章 メイクデビュー その2

 トレーニングは予想以上に過酷を極めた。

 治療をしつつ、トラック練習もおこなうが、ぎこちない走り方はなかなか矯正されず、踏み込みがどうにも甘い。

 併せウマをしても必ず競り負け、それどころか十バ身ぐらい、並走相手に遅れてしまう。

 中には、そんな彼女のことを気の毒に思ったか、わずかに力を抜いて走る並走相手もいた。

 それが一層、彼女の心に暗い影を落とす。

 治療開始の二か月後には、十バ身の遅れが、やっと五、六バ身ほどに短縮されたが、それでも離されていることに変わりはなかった。

 とてもではないが、デビューできる状態ではない。

 我慢強さを自認するトウショウボーイではあったが、さすがに精神的にキツくなってきた。

(なんで……なんで思うように動いてくれないの、私の脚!)

 それにトレーナーが言ったように、同期の子たちはどんどんデビューし、中には重賞レースに勝利する者もいる。

 そのとき感じたのは、焦りではなく、自分自身のふがいなさだった。

「トレーナーさんがせっかく治療してくれているのに、情けないな…」

 それに先輩は、走りたいはずなのに、ケガのせいで今もリハビリ中。自分は治療をしながらだけど、まだ走れる分、先輩より恵まれている。それなのに、せっかく先輩を目標にしたっていうのに、まだデビュー戦に出られるような、満足な走りができていない。

 情けない、情けない、情けない。

 気持ちが沈んだままでは、治るものも治らない。安田に何度もそう言われた。

 気を紛らわすため、トレーニング後に、この喫茶店でコーヒーをすする。

 …のだが、いつもこうして、次第に自己嫌悪に陥り、半分も飲まないうちに、テーブルに突っ伏しては愚痴をもらす。

 そんな日々が何日も続いていた。

 

「ねえ、あそこにいるの、テンポイントさんじゃない?」

「え、ほんと? 見に行こ!」

 全面ガラス張りの窓の外から、かすかにそんな話声が聞こえてきた。

 この喫茶店は、建物の一階部分に入っているが、トウショウボーイが座っている窓側の席は、ちょうど通りの突き当りに面したところだ。

 その通りの先に目をやると、何やら黒山の人だかりができている。どうやらそこに、(くだん)のテンポイントなるウマ娘が来ているらしい。

(テンポイント? ああ、あの…)

 テンポイント。栗東寮所属のジュニア級。デビュー戦をレコード勝ちで飾ると、そのまま無敗で、先日おこなわれた、G1の阪神ジュニアステークスを制する。

 早くも来年のクラシック候補として、その名を知られていた。

 トウショウボーイは彼女を見たことがなかったが、とても美しいウマ娘だという噂で、栗東寮はもちろん、美穂寮にもファンクラブが存在するらしい。

 当然、どちらも非公認である。

(ま、デビューもしてない私にとっては、全然違う世界の子だけど)

 と、内心では無関心を装ってみたが、やはり興味がある。

(どんな顔をしてるんだろう? 噂では顔もスタイルもモデル並みって聞くけど……) 

 先ほどの人だかりが徐々に大きくなっている。こちらの方に近づいてきていたのだ。周りの女子生徒たちの黄色い声も、耳に入ってきた。

(ちょっと、見えないじゃん。取り囲んでる人、いい加減どいてよ)

 すると、彼女の願いが通じたかのように、突如、その人だかりが、映画「十戒」で、モーセが割った海のように、すすすーっと、左右にきれいに分かれた。

 その中から、黄金の輝きを身にまとうウマ娘が、神々しさをまといながら、姿を現す。

 遠目からもスラっとした高身長のウマ娘だとわかる、金色のロングヘアー。

 額にかかる前髪には、白い流星が流れていた。

 切れ長の目、おとがい細く、忘れ鼻。すっきりとした細い顔立ちには、女性とも男性ともとれる、中性的な魅力があった。

 トウショウボーイは思わず息をのんだ。

(すご…お人形さんみたいに白い顔! それにスレンダーな体…)

 彼女は、テンポイントの見目形に、一瞬にして心を奪われてしまった。

 トウショウボーイは、腰回りの肉付きもよかったが、肩幅もがっちりとしているほうで、年頃の娘として相応に、自分の体形を気にしていた。

(え、でもジュニア級三戦無敗なんだよね? しかもそのうちひとつはG1レースでしょ? この華奢な感じの身体のどこに、そんな力が…?)

 と、考えているうちに、窓越しに、トウショウボーイのすぐ近くのところまで、テンポイントがやってきていた。

 自然な流れではなく明らかに、何かに気づいて、目的をもって近づいてきたように見える。

 彼女はトウショウボーイの顔を見ると、おやという顔をした。

 不意に二人の目が合う。

 テンポイントはトウショウボーイに優しく笑いかけた。

 突然、笑みを向けられたトウショウボーイは、一瞬にして顔を真っ赤に染めた。胸が高鳴る。慌てて目をそらし、うつむく。

(やばっ! 目が合っちゃった! しかもなんか笑ってるし! …って私、なんでこんなにドキドキしてるんだろ?)

 コーヒーをすする。冷たい。熱い胸のドキドキは収まらない。うつむいて鼓動をおさえようとする。またコーヒーをすする。冷たい。ドキドキ。またうつむく…

 と、一連の動作を繰り返す。

 ただの挙動不審の女子高生だった。

 やがて、トウショウボーイは、隣の席に人の気配を感じた。

 おもむろにそちらを向くと、先ほどまで窓越しに見ていた、あの貴人が、自分の隣の席に座り、しかも自分のほうを向いて、にこにこしている。

 まるで瞬間移動をしてきたように感じた。

 そして、金髪の貴人は、

「やあ」

 いきなり声をかけてきた。

「へあっ!」

 素っ頓狂な声を上げ、のけぞる。

(あ、やばい)

 椅子の上にあるはずの、腰の位置が、宙に向かってずれる。

 席から転げ落ちそうになるトウショウボーイ。

 すると、

「おっとっと!」

 テンポイントは咄嗟(とっさ)に身を乗り出すと、すかさず右腕を回し、トウショウボーイの背中を支えようとした。

 彼女の背中が、きれいにテンポイントの右腕に収まる。

(え、何? 何何?)

 トウショウボーイの右手は、テンポイントの左手に取られていた。

 まるで「お姫様抱っこ」のように、彼女に体を預ける格好になったトウショウボーイは、自分が今、どういう状況にあるのか全く分からず、激しく混乱した。

(いやいやいや、何この王子様みたいな人?)

「大丈夫かい?」

 王子様がトウショウボーイを椅子に座り直させる。

 胸のドキドキが止まらない彼女は、あいさつともお礼ともつかない「ど、どうも」という、間の抜けた言葉をひねり出すのが、精いっぱいだった。

 テンポイントは目を細めた。

「よかった。君はトウショウボーイ、だよね?」

「へ?」

(な、なんで私の名前を知っているの、この人?)

 絶世の美人の登場からお姫様抱っこという、謎の超展開に、いまだ理解が追い付いていないが、彼女が自分ことを知っているはずがない、というのは理解していた。

 どこかで会ったっけ?

 もしそうなら、彼女に失礼なことを言っていることになるけど…。

 でも、記憶にないよ! 人違いじゃないのかな?

「…はい。私がトウショウボーイですけど、何か?」

 一瞬、ほっとしたような表情を浮かべるテンポイント。

「以前、走っている君を、トレーニングコースで見ていてね。そのときの走りが気になったものだから。知り合いに聞くと、美浦寮のトウショウボーイ、つまり君だって分かったのだけれど、あいにく私は栗東寮。なかなかお目にかかる機会がなくてね。今日は、たまたま君を見かけたのさ」

「はあ、私の走りを見て…」

 ああ、そういうことね…。

 渋い顔をするトウショウボーイ。

 そりゃ、印象に残るでしょうよ。なんてったって、併せウマで十馬身近く、毎回離されちゃうんだから。

 …私の黒歴史、見なかったことにしてくれないかな?

 お願いします、何でもしますから。

 トウショウボーイが口をとがらせているのも意に介さず、テンポイントは話をつづけた。

「君の走りを見たとき、どうにもぎこちなさを感じてね。君、もしかしてどこか、例えば関節が悪かったりしないかい?」

 関節、という単語が飛び出し、驚きを隠せない。

「え?」

 何、この人?

 安田先生と同じこと言ってる。

 走りを見ただけで、そんなの他人が分かるものなの?

 思い切り、不審げな顔をして見せるトウショウボーイ。

「…どうしてそれを?」

 テンポイントはまだ、自分のペースで話し続けていた。

「君の走りを見たときは、ふと思いついただけなんだけどね。それから何度か君の姿を見かけて、その都度君の足の運びを見て、違和感を持ち続けていたんだ。でも、今椅子から落ちそうになった君を見て、それが核心に近づいたかな。君、重心が安定していないよね。体幹が弱いというより、股関節のほうではないかなと思うんだけど」

 ………。

 トウショウボーイは、ようやく気付いた。

(この人…ヘンな人だ!)

 だって、他人の身体をしげしげと観察して、しかもその「診断結果」を本人に、何のてらいもなく披露するなんて、普通の人じゃない。

「股関節の調子が悪いんじゃない?」なんて、女の子が女の子に言うセリフじゃないよね?

 やっぱり、ジュニアチャンピオンにもなる人だと、頭のネジの一本も二本も、どっかに飛んでっちゃってるのかな?

 明らかに不審者を(とが)めるような目つきになっているトウショウボーイを見て、さすがにテンポイントも行き過ぎた言動を反省したか、頬をぽりぽりとかきながら「いやぁ…」と前置きし、

「実は、私も体が弱くてね…」

 と告白した。

「へえ、そうなんですか?」

 トウショウボーイはまだ警戒態勢を解いていない。

 テンポイントは肩をすくめた。

「私、見ての通り、一般的なウマ娘に比べて、華奢だろう? あんまり食べても太らないし、そもそも基本的に食が細くてね。なかなか筋肉がつかないんだよ」

 今度はいきなり自分語り(自慢)が始まった。

 …こちとらガチムチですが何か?

「一時期は膝に爆弾を抱えていたしね。トレーニングも先生の指示通り、無理せず慎重に、慎重にやっていたんだ」

「はあ、それは大変ですね(棒読み)」

 不幸話なら、よそでやってもらえませんかね?

 トウショウボーイはすっかり冷めてしまったコーヒーを再び口にする。味はほとんど感じない。

 テンポイントは続ける。

「このままだと私は、ウマ娘として大した成績も残せず、引退することになってしまうだろう。でも、それは嫌だから、ウマ娘の身体についていろいろ勉強したんだ」

「え?」

 勉強?

 トウショウボーイは、はっとした。

 彼女の反応を意に介さず、テンポイントはなおも続けた。

「自分の身体について、よく知っておきたかったからさ。トゥインクルシリーズで活躍するには、必要だと思ったんだ」

 必要。自分で知る。

 トウショウボーイの頭に、そんな発想は一切なかった。

 ただ、安田の言われるままに、「私は関節がよくないんだ」と理解したつもりになり、自分ではよく知ろうともせず、安田の言われるままにトレーニングをしていた。

 自分の身体のことなのに、人任せにしていた。

 今もこうして、情けない、情けないと、愚痴っているだけだった。

 本当に情けないのは、自分で何とかしようと考えなかったこと、知ろうとしなかったことじゃないか?

 何か大切なことに気が付きかけているトウショウボーイに、テンポイントは優しく笑いかけながら、告げた。

「君が走る姿は、なんだか半年くらい前の自分に重なるところがあってね。もし会う機会があれば、身体のことで苦しんでいるのは、何も君だけではないと、伝えたかったんだよ」

 そういうと彼女は、頼んだコーヒーの残りを口にした。いれたてのコーヒーの良い香りが、トウショウボーイの鼻先にも漂ってきた。

 そのコーヒーを飲み干す所作も、貴人の出で立ちにふさわしく、とても麗しい。

 カップをソーサーに戻し、「ふう」と息を吐くと、

「今日、こうして君と話ができてよかった」

 と言って、席を立とうとした。

「え、と、あ…」

 言いかけたトウショウボーイだが、そのあとの「ありがとうございます」が出てこなかった。その原因は、恥ずかしさが半分、自分の情けなさの本当の意味に、今まで気づけなかった、そのふがいなさが、半分。

「君のトレーナーは安田さんだろ? 実はうちの先生に紹介されて、私がスポーツ医学について師事したのが、安田さんなんだよ」

 安田先生が?

「そ、そうだったんですか?」

「うん、インナーマッスルの鍛え方とか、いろいろ教えてもらったんだよ」

「いんなーまっする?」

 初めて聞く言葉だった。

 テンポイントは口を開きかけて、いったん止めた。

 どうやら、インナーマッスルについて説明しようと思ったようだが、今、自分から説明しても意味がない、と考えたようだ。

 仕切り直して、言った。

「こうして今、トゥインクルシリーズで走ることができているのは、安田さんの教えによるところが大きい。だから、君も安田さんの下で、いろいろ学ばせてもらって、自分の身体とうまく付き合えるようになるといい。それが言いたかったんだ。…おっと、話しすぎてしまったかな? 私もトレーニングがあるので、これで失礼するよ。それでは」

 と言い、レジのほうへと向かっていく。

 遠ざかる彼女の背中に向かって、

「あ、あの、ありがとうございました」

 消え入るような声で、ようやく絞り出すことが出来た謝辞。

 テンポイントは振り返ることなく、すたすたと行ってしまい、それが彼女の耳に届いたかどうかは、定かではない。

 再び一人になったトウショウボーイは、天を仰ぎながら、今の会話を反芻(はんすう)していた。

 自分に足りなかったこと。

 走るために必要なこと。

 身体にハンデがあっても、それは乗り越えられる、ということ。

「…よし!」

 バチーン! と両の手のひらで、思い切り頬を叩く。

「頑張らないと!」

 冷めたコーヒーの残りを一気に飲み干し、「ごちそうさま!」と、店員に元気よく告げる。

 彼女は入店したときの重い足取りではなく、力強い一歩を踏み出し、自室へと戻っていった。




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