その日、中山の直線を、流星が駆け抜ける。   作:兜士郎

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テスコガビー先輩の前でカブラヤオーさんの話は禁句。


第一章 メイクデビュー その3

「ただいま帰りました!」

 勢いよくドアを開け、部屋に入る。

「おう、お帰り」

 ベッドの上で寝ころびながら雑誌を読んでいた、ルームメイトのウマ娘が応じる。

 だぼついた室内着を身に着けていたが、それは、コルセットを身体に装着させやすくするためだった。

 彼女の名を、テスコガビー、という。

 今年の春に、桜花賞、オークスという二大レースを、どちらも二位以下を大きく突き放して逃げ切り勝ちし、話題をかっさらった快速ウマ娘だった。

 特に桜花賞では、直線に入ると、他のウマ娘を全く寄せ付けず、「後ろからは何もこない!」と実況者が連呼したことが話題となった。

 レース後に、彼女の良さを尋ねられたトレーナーは、「テン良し、中良し、(しま)い良し」と答えた。

「スタートがスムースで、道中落ち着いてレースを運び、直線しっかり伸びる」という意味で、一般社会にも広く流行語として受け入れられた。

 彼女は、口調は荒っぽいが、性格は元来、非常におとなしく、体内に正確なラップを刻む時計を隠し持っていた。レースセンスは、美浦寮のウマ娘の中では、群を抜いている。

 現在は、トレーニング中に負ったケガの治療を終え、リハビリ中。しかし、なかなか復帰のめどは立っていない。

 トレセン学園では、寮の部屋割りは、生徒会による厳正な抽選によって決まる。

 厳正な、とはいうものの、その部屋割りは、何か不思議な縁を感じさせる結果になることが多い。

 トウショウボーイとテスコガビーも、その不思議な「(えにし)」によって結ばれたルームメイトどうしだ。

 雑誌から目を離し、トウショウボーイのほうに向きなおったテスコガビーは、トレーニングから戻ってきた彼女の表情を見ると、その変化を感じ取った。

 にやり、とする。

「あんなに嫌そうにトレーニングに向かってったっていうのに、なかなかいい面構えになってるじゃないの。何かあったのかい?」

 思わず苦笑いを浮かべるトウショウボーイ。

「そんな、嫌そうに、なんて…」

 やっぱり、いい顔つきじゃなかったんだな、私。

 喫茶店で邂逅(かいこう)した金髪の麗人の姿を思い浮かべる。

「さっき、栗東寮のテンポイントさんに会ったんです」

 その名を聞いて、反応を見せるテスコガビー。

「ほう、あの阪神ジュニアステークスを勝ったやつ、だったっけか?」

 トウショウボーイは彼女に、テンポイントとの会話を聞かせた。そして自分もウマ娘の身体について勉強して、デビューに向けてもっと頑張ってみよう、と決意したことも。

 真剣な表情で話を聞き終えたテスコガビーは、大きく息をつく。

「…なるほどね、その子も身体の問題を抱えているんだ」

「も」というのは、もちろんテンポイントのことを指しているが、それと比較されるのは、テスコガビー自身でもあるし、トウショウボーイのことでもある。それに、彼女が知らない、また別のウマ娘のことでもある。

 それだけ、身体に異常を抱えているウマ娘というのは多い。

 ヒトとそれほど変わらない身体構成をしているにも関わらず、驚異的な脚力を持っているウマ娘たちである。異常が発生しないほうがおかしい、とも言える。

「…はい。で、その話を聞いて、私も自分の身体のことは自分でよく理解しないといけないと思って。せっかく安田先生に指導してもらっているんだから、もったいないなって」

 それを聞くと、テスコガビーは苦い顔になり、頭をぽりぽりとかく。

「耳が痛いね。あたしも、自分のことを過信して、今の状態を招いちゃったわけだからね」

 意に反したとらえられ方をしている気がして、トウショウボーイは慌てて弁明する。

「いやいや! 先輩のことを言っているのではなく!」

 あたふた。

 ハハッと笑うテスコガビー。

「別に気にしちゃいないよ。…ただ正直なところ、私はいつ復帰できるか分からないし、あの頃のような速さで、レース場を駆けることができるか、不透明だしね」

 トウショウボーイは何も言えなかった。

 先ほどまでの明るい雰囲気に少し、かげりが生じる。

 テスコガビーは、ゆっくりベッドから立ち上がり、簡易キッチンにおいてあるコーヒーカップを二つ取り出し、保温中のポットを持ち上げて、中身のコーヒーを注いだ。

「ケガするまえに気づけて、よかったじゃないか。ほれ」

 トウショウボーイの前にカップを差し出す。

 それをゆっくり受け取るトウショウボーイ。

「ありがとうございます」

 じわりと、温かさが手に伝わる。

 喫茶店で、頼んだコーヒーを冷ましてしまったことを、今になって後悔した。

 テスコガビーもコーヒーカップを口元に運んだ。

 一口すすると、ふうっと息をはく。

 遠い目をしている。

 彼女の心中に思いを馳せるトウショウボーイ。

(先輩も、早く復帰できるといいんだけど)

 元気づけたい、という気がして、思わず口にした言葉は、最悪のチョイスだった。

「いつか先輩もまた、カブラヤオーさんみたいに、快速逃げができるといいですね」

 言い終えたあと、ハッとした。

(やば、地雷踏んだ!)

 おそるおそる、テスコガビーの表情を覗く。

 …これが、苦虫をかみつぶしたような、っていうやつなのかな?

 それ以外にはとても表現しようがなかった。

「…その名を二度と口にするな」

 ああ、ガチだ。ガチで機嫌悪くなってる!

「ご、ご、ご、ごめんなさい!」

 テスコガビーは怒り狂ったようにまくし立てた。鬼の形相で。

「カブラヤオーのやつが何だって言うんだよ! さんざん比較されて、こっちは辟易(へきえき)してるんだ。ルームメイトのあんたにまでその名を口にされたら、いったいあたしはこの学園のどこに居場所を探せばいいんだよ?」

「すみませんすみませんすみません…」

 必死ですみませんを繰り返すトウショウボーイ。DPSは高そうだ。

 はあっ、と大きなため息をつくテスコガビー。

「座れ」

 座ってます。

 とは言えない。

 トウショウボーイはおとなしく正座に直る。

 これがテスコガビーの「お説教」を賜るときの、基本姿勢だった。

「大体な、同じ逃げウマ娘って言ったって、あたしとあいつじゃ、そもそも逃げの概念が違うんだよ」

(その話はもう何度も聞きました…)

 とは、口が裂けても言えない。

 カブラヤオーとは、今年のクラシック戦線で、皐月賞と日本ダービーを制した、テスコガビーと並ぶ美浦寮のエースである。

 その二つ名は、「狂気の逃げウマ娘」。

 どこにその必要があるのだ、というくらいの、異次元のハイペースで逃げ、他の出走ウマ娘を置き去りにし、常に先頭でゴールする。皐月賞では無理やり競りかけに行ったウマ娘が怪我をしてしまい、翌日の新聞には「カブラヤオーの殺人ラップ」と書かれてしまった。

「人間じゃない」

「キ○ガイ」

「首都高も生身で走れる」

 さんざんな言われようだった。

 テスコガビーが言う。

「あいつの逃げはな、あたしの逃げと違って、他のウマ娘と並んで走るのが苦手だからなんだよ。要するにビビりなんだ、あいつは」

 カブラヤオーのこれまでの戦績は、9戦8勝、2着1回。

 敗れたのはデビュー戦だけで、このレースでは、まだ「逃げ」ていなかった。

 そしてテスコガビーの言う通り、カブラヤオーは極度の「ビビり」だった。

 テスコガビーにとっての逃げとは、周りが彼女のスピードについてこられず、仕方なく先頭に立つという意味での逃げだが、カブラヤオーの逃げは、「一人になるため」の逃げだった。

「もういやです、みんなと一緒に走るのは無理です!」

 デビュー戦のレース後に、わんわん泣きながら訴えるカブラヤオー。

 お店で「買って買って!」と駄々をこねる幼稚園児、にしか見えない。

 周囲のウマ娘とトレーナーたちはドン引きしていた。

 必死になだめるカブラヤオーのトレーナーは、万策尽きた後、苦し紛れに、

「そんなに嫌なら、いっそのこと、ゲートを出たらすぐ先頭に立って、そのまま逃げ切っちゃえばいいんじゃないか?」

 と言った。

 それを聞いていた周りのトレーナーは、誰もが、

(そんなの簡単にできるなら苦労しねえよ…)

 と言いたそうな表情をしていた。

 しかし、カブラヤオー本人だけが、その言葉を真に受けた。

「あ、そうですね」

 いつの間にか泣き止み、けろっとしている。

「…え?」

 二戦目は、トレーナーに言われた通りゲート開扉(かいひ)直後に先頭に立ち、そのまま3バ身差で圧勝。

 それを見ていた彼女のトレーナーをはじめ、その場にいた全トレーナーが、口をあんぐり。しばらくの間、スタンド内に硬直して突っ立っていた。

 職員の一人が、その光景について、「まるでモアイ像が並んでいるみたいだった」と評したとか、評していないとか。

 三戦目になると、スタートから先駆けするまでの、一連の動きがさらに洗練され、6バ身差の圧勝。

 四戦目は10馬身差。

 全くもって、訳が分からない。

 五戦目の共同通信杯には、テスコガビーも出走していた。

 逃げウマ娘どうしの対決ということで注目を集めていたが、スタート直後はテスコガビーがハナをとった。しばらくすると、いつの間にか大外に回っていたカブラヤオーが、かわって先頭に立つ。

 テスコガビーは、強引に競りかけ、ハナを奪い返してもよかったが、何やら悪い予感がしたので、そのまま二番手で追走することにした。

 彼女の予感は、直線に入ってから的中する。

 さすがにハイペースで息が上がってきたカブラヤオーを、テスコガビーが外側から一気にとらえようとした、次の瞬間。

「いやああああああ!」

 カブラヤオーが悲鳴を上げながら、大きく外側によれた。

「うおっ?」

 テスコガビーに追突しそうになる。

 どうやら、内側から迫ってくるウマ娘の存在を感じ取り、おびえたらしい。

 驚異的だったのは、よれたカブラヤオーが、すぐに体制を立て直し、さらなるラストスパートをかけたことだった。

「くっ、こいつ、化け物かよ?」

 いったんブレーキがかかってしまったテスコガビーも、必死に二の足を使うが、及ばず二着だった。

 熱い戦いを目にすることができ、その日東京レース場にいた者には僥倖(ぎょうこう)だったが、テスコガビー本人にとっては、悔いが残る一戦となった。

「他のウマ娘たちが怖くて、まっすぐ走れないなんて、危なすぎるだろ? だからあたしは、あいつと一緒になんて走れないと思って、皐月、ダービーじゃなく、桜花賞、オークスを選んだんだ」

 カブラヤオーは、皐月賞もダービーも逃げきったが、テスコガビーも桜花賞、オークスを逃げきった。

 今年は、逃げ馬がよく目立っている。

 ちなみにカブラヤオーも、現在ケガでリハビリ中だった。

 話し終えたあと、テスコガビーが「そう言えば…」というような表情に変わり、トウショウボーイに切り出す。

「あんたも、逃げてみれば?」

「え? 何ですか、いきなり」

 実はさ…と、思わせぶりに前置きする。

「あんたの練習を遠目で見てたんだけどさ」

 …なんだろう、私っていろんな人にマークされてるの?

 FBIとかに監視されて、ないよね? 私、シロだよね?

「一人で走ってるときは、そこそこいいフォームで走ってるんだけど、併せをするときに、なんかカタいなーって思ってたんだよね」

 !

 …そう、なのかな?

 でも確かに、併せウマのときに限って、自分の納得のいく走りができていないような気がする…

 テスコガビーが続ける。

「あんたもさ、カブラヤオーみたいになれってわけじゃないんだけど、他の子のことなんて気にせず、まっすぐ先頭を目指して走れば、ちっとは違うんじゃないの?」

 目からうろこだった。

 併せだから、競り勝たなければいけない、と、無意識に思っていた。

 競り勝たなければいけないというのは、プレッシャーだった。

「…何か、いろいろ見えてきたきがします…」

 神妙な面持ちで、トウショウボーイは言った。

「ありがとうございます先輩! 私、変われる気がしてきました!」

 勢いよく立ち上がる。

「うん、それならよかったよ」

「私、先生に相談してきます! 明日からの練習、気持ち切り替えてやってみます」

「ま、参考程度にな。期待してるよ」

「はい! ありがとうございます!」

 意気揚々と、再び部屋を飛び出していくトウショウボーイ。

 入ってきたとき以上に、けたたましく。

 バン! という大きな音に、軽く顔をしかめるテスコガビー。

「…ったく、あんだけ強い力があるんだ、走れないわけがないじゃないか」

 幾分、嫉妬が混じっているような口調だった。




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