各ウマ娘、続々と本バ場入り。
大外十八番枠のトウショウボーイが、最後に本バ場に入場する。
他のウマ娘を追って、ゲートに向かった。
トウショウボーイは、ゲート試験も難なく一発でクリア。苦手意識は特にない。
中には閉所が苦手でゲート入りを嫌がったり、
まずは、奇数番のウマ娘たちの枠入り。
(グリーングラスさん、九番か。ちょうど真ん中だね)
奇数番が枠入りを済ますのを待つ偶数番のウマ娘たち。
中でもトウショウボーイは、大外枠のため、枠入りは最後になる。
まだ先だなー、と思っているトウショウボーイは、急に左方向から、誰かに見られている気配を感じた。
見られている、どころではない。凝視、という印象だった。
(? 誰だろ)
視線を感じた方向に目を向け、直後に背筋に悪寒が走る。
(な、何、この子…?)
グリーングラスと同じ、つやのある黒髪のロングのウマ娘が、
口元には、心なしか、よだれが垂れているように見えた。
すぐに視線を元に戻すトウショウボーイ。
(お、落ち着けトウショウボーイ…)
なんとなく、身の危険を感じた。
そのウマ娘も、枠入りを終えた。
ただし、視線は相変わらず、トウショウボーイのほうに向けられている。
両目から放たれる光の禍々しさが、尋常ではない。
(こ、こわい!)
最後にトウショウボーイが枠入りを済ませた。
先ほどの強烈な視線の印象を頭の中から追い出し、レース前のミーティングで安田に言われたことを思い出す。
作戦は、なし。
他の子のことは特に気にせず、自分の走りに徹する。
それがこのレースで果たすべきミッションだった。
両手で二度、頬をパンパンと叩く。
…よしっ!
ガシャン!
ゲートが開き、全ウマ娘が勢いよく飛び出した。
トウショウボーイも抜群のスタートを切ることができた。
気を付けるべきことは、最初の直線でまず先頭に立つこと。
コーナーの入り口は坂になっているけど、出口に近くなると下り坂になるから、外側にふくれないように気を付けること。
何度も頭の中で反復したシミュレーション。
それをなぞりながら、トウショウボーイは落ち着いて先頭に立った。
彼女の快速に並びかけるウマ娘はいない…
はずだった。
(え、何このプレッシャー?)
恐ろしい勢いで、先頭のトウショウボーイを追いかけるウマ娘がいた。
(もしかして、グリーングラスさん? でも、あの子のんびり屋さんっぽかったし…)
一瞬、振り返ってみた。
すぐに後悔した。
追ってきていたのは、先ほどトウショウボーイを、嘗め回すように見つめていた、黒髪ロングの女の子だった。
内ラチ沿いいっぱいを激走していた。
相変わらず、両目から禍々しい光を放っている。
まるで、ターゲットをロックオンし、舌なめずりをする魔物か何かだ。
口元にはやはり、よだれが垂れていた。
全力で走っているので、当然、そのよだれはキラキラと光りながら、後続のウマ娘たちに向けて、霧状に散布されていた。
(き、気色悪い!)
トウショウボーイは、彼女の影を振り払うように、ギアを一段階上げ、疾走した。
しかし、後ろの彼女も、それに合わせてスピードを上げる。
うへへうへへ、という不気味な音を立てながら、ピッチ走法で近づいてくる。
(ひーー!)
狂気。
トウショウボーイは混乱した。
(こ、殺される!)
何なの? ストーカーなの? 私、おいしくないよ!
ひたすら逃げるトウショウボーイ。
そのときグリーングラスは、中団に控え、先頭を行く二人の姿を追っていた。
(トウショウボーイさん、速いなー。私じゃ追いかけられないなー。大人数のレースだからー、囲まれるのをいやがってー、最初から飛ばしていく作戦なのかなー)
確かに、作戦通りではあった。
しかし、先ほど頭の中で思い返していたレース前のシミュレーションは、すでに雲散霧消してしまっている。
第三コーナーの入り口手前からの、緩やかな上り坂は、難なくクリアした。
そして、早くも最終コーナーに差しかかる。
ここで、下り坂。
外に膨らまないように、と言われていたが、無理だった。
(まだ追ってくるー!)
相変わらず魔物は内ラチ沿いを、恐ろしいスピードで走り、トウショウボーイに迫っている。殺気が今まで以上に増しているようだ。
生理的に無理! と感じた彼女は、こらえきれず、やや外側に膨らんだ。
徐々に離れていく彼女に対し、黒髪ロングが、何かを必死に伝えようとしている。
「と、とうしょうぼーいさん…」
はっきりとは聞こえなかったが、どうやら自分の名前が呼ばれているようだった。
(な、なに?)
不気味に感じるトウショウボーイだったが、聞かないでいるのも気持ち悪いので、一時耳を澄ませてみた。
「と、トウショウボーイさん!」
「は、はい?」
思わず、返事をしてしまった。
「す、好きです!」
「無理です!」
即答。
「え!」
コーナーの出口。直線に入る。
ごめんなさいをしたトウショウボーイは、一気にギアをトップに入れ、フルスロットル。
爆発的な加速によって、黒髪ロングをきれいに置き去っていった。
「ま、待ってくださあああい…」
涙声の入り混じった叫びが、ターフに悲しく響く。
(もう、追ってこないよね?)
ちらっと後ろを振り返る。
黒髪ロングの影は、はるか彼方に消えていった。
(…よし、あとはこのままのペースで…)
まだ、トウショウボーイの足は、十分に残っていた。
黒髪ロングの少女は、名を、シービークインという。
このレースに出るまで、トウショウボーイのことは知らなかったが、パドックで彼女を見たときに、
一目ぼれしてしまった。
以降、彼女はトウショウボーイと再び走るため、精力的にレースに参加し、実績をあげることになるが、最後まで再戦はかなわなかった。
しかし、現役を引退後、トウショウボーイとは不思議な縁で結ばれることになるのだが…
それはまた、別の話だ。
レースはそのまま、トウショウボーイが先頭でゴール板前を駆け抜けた。
グリーングラスも直線必死に前を追ったが、四着。
シービークインは逃げバテたが、それでも五着に残った。
しかし、トウショウボーイからは二秒近くも離されていた。
トウショウボーイの驚異的な力だけが、観衆の脳裏に強く焼き付くレースだった。
スタンドのどよめきは、レース後もなかなか収まらない。
ゴールしたあと、息を整えるトウショウボーイのもとに、遅れてフィニッシュしたグリーングラスが近づいてくる。
「やあー、すごかったねー。二人の逃げ比べ。シービークインはバテちゃったけどー、ボーイちゃんは最後まで走り切ったねー」
シービークイン、っていうのか、あの子。
覚えておこう。
…二度と近づかれないようにするために。
「グリーングラスさんは、四着だったんだね。お疲れ様」
うんうん、とうなずくグリーングラス。
「なんかさー、距離が短かったような気がしてさー。あれー、もう終わりー? って感じー。あはは」
…やっぱり距離、勘違いしてたのか。
言ってあげればよかったな。
「グリーングラスさんは、長い距離が得意そうだよね」
と、フォローすることで、罪悪感を紛らわす。
「そだねー。あ、私のことは、グラス、でいいよー。私も勝手にー、ボーイちゃんって呼んじゃってるしー」
「うん、ありがとう、グラスちゃん」
「えへへー」
おっとりした感じでも、積極的だ。とても話しやすい。
今までにないタイプの友達ができて、トウショウボーイは新鮮に感じた。
「ボーイちゃんはー、クラシックを目指すのー?」
「うん、そのつもりだよ」
いいなー、と羨ましがるグリーングラス。
「私はー、皐月賞やダービーはー、このままだと無理そうかなー」
「距離が長いのが好きなんでしょ? 秋の菊花賞を目標にすればいいんじゃない?」
「そだねー。うちの先生にも、お前は夏を越して、秋以降が勝負だ、ってー、言われてるんだー」
おそらく、その先生の声色を真似して。茶目っ気がある。
そのとき、トウショウボーイはあることを思い出した。
そういえば、安田先生がレースの出走予定を伝えてくれたとき。
あのとき私は、警戒するべき子はだれか? って先生に尋ねたんだった。
結局、安田先生は、私の走りに徹すればいい、って言ってくれたけど、その前に一瞬、何かを言いかけてたんだよね。
…あれってもしかして、グラスちゃんのことだったのかも。
秋に行われる、クラシック三冠の最終レース、菊花賞は、距離3000メートル。
トウショウボーイにとって、楽な距離ではない。
一方で、目の前のグリーングラス。
長い脚。そこから繰り出されるであろう大きなストライドは、いかにも長距離向きだ。
彼女が菊花賞に出走してくるとすれば、トウショウボーイにとって、もちろんテンポイントにとっても、大きな脅威となる。
「でもー、その前にー、まずは一勝しないとだねー」
「グラスちゃんなら、大丈夫だよ。頑張ってね」
「うんー。ありがとー」
そうして、二人はともにトラックから引き揚げていった。
シービークインは、ゴール板近くで突っ伏して、グロッキー状態のままだったが、誰一人、彼女に声をかける者はいなかった。
トウショウボーイが予感したように、グリーングラスはその後、トウショウボーイ、テンポイントの前に立ちはだかった。
彼女たち三人のライバル関係は、その頭文字をとって、「TTG」と呼ばれた。
その中で、最も早く明確なライバル関係を築いたのは、トウショウボーイとテンポイントの二人だった。
しかし、実はトウショウボーイとグリーングラスは、彼女たちがテンポイントと対戦するはるか前に、すでに
後にトウショウボーイと奇妙な縁で結ばれることになるシービークインを含め、三人が対戦したこのレースは、後に「伝説のメイクデビュー」と呼ばれることになる。
レース結果を安田に報告するトウショウボーイ。
二人でささやかに喜びを分かち合ったあと、彼女はすぐに別の場所へと向かっていった。
栗東寮である。
学園内をタッタッタと軽快に走る。
気がはやっていた。
すぐにでも彼女に会い、お礼を言いたい。
寮の入り口に差し掛かる。
すると前方に、金色の長髪を風になびかせ、ベンチに座り読書をしている少女の姿が見えた。
見間違えるはずがない。
テンポイントだった。
「テンポイントさん!」
彼女に呼びかけるトウショウボーイ。さすがに息切れをしていた。
彼女は本を閉じると、トウショウボーイに
「やあ、久しぶりだね」
と声をかける。
はあはあ、と肩で息をするトウショウボーイだったが、次第に呼吸が整うと、万感の思いを込めて、言った。
「あ、ありがとうございました! おかげでデビュー戦、勝てました!」
喫茶店では十分に言えなかったお礼。
色々なことを知り、壁を乗り越えた今は、素直に伝えられる。
するとテンポイントは、にっこり微笑んで、
「よかったね。おめでとう」
とトウショウボーイをたたえた。
おめでとう、という言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
じわっと、こみ上げるものを感じた。
慌てて目頭をごしごしとぬぐうトウショウボーイ。
「テンポイントさんには、レースに出るウマ娘にとって、大切なことを気づかせてもらって…、どうお礼を言っていいか…」
テンポイントはふふっと笑う。
「そんな、おおげさだよ。君が勝利できた、それだけで十分さ」
な、なんてイケメン!
…あ、女の子だった。
「でも、あのときテンポイントさんが教えてくれなかったら、私…」
そこまで話して、ふと思い立ったトウショウボーイ。
「あの、これからは…あなたのこと、テンちゃん…って、呼んでも、いいかな?」
恐る恐る言ってみた。
先ほどのグリーングラスとは、お互いに「ちゃん」付けで呼び合うことが、スムースにできた。
私はもっと、テンポイントさんと、いやテンちゃんと、仲良くなりたい。
こんなにキレイで、レースに真剣で、そして実績もあって…
こんなウマ娘と一緒に、レースで戦いたい!
そのために、まず、お互いの距離を縮めたい。
…いきなりすぎたかな?
しかし、その心配は無用だった。
テンポイントは笑顔で了承してくれた。
「ああ、もちろんだよ」
胸の中にふわっと、嬉しさが浸透していく。
「うん、ありがとう! これからもよろしくね!」
ぐっと近づけた気がする。
名前の呼び方をかえただけで、こんなにも。
トウショウボーイはワクワクとドキドキに包まれていた。
そのとき、テンポイントのほうが、ちょっと困った顔をする。
「…うーん、同じように君のことを呼ぶとなると…とうちゃん、になってしまうな」
トウショウボーイは、思わず噴き出した。
この子、冗談言えるんだ。意外。
でも、嬉しいな。
「だから君のことを、これからは、ボーイと呼ぶことにするよ。どうかな?」
トウショウボーイは満面の笑みをテンポイントに向け、大きくうなずく。
「うん! 大歓迎だよ!」
よかった、とテンポイントは言う。
「では、皐月賞でぜひ対戦しよう」
笑顔の中にも、真剣さが隠れている。
彼女は本気で、私を負かしにくるつもりだ。
…望むところ!
「うん! 一緒に走ろう!」
二人は固く握手をした。
こうして、トウショウボーイとテンポイント、二人のウマ娘が、ともにクラシック戦線を歩みだした。
皐月賞まで、あと三か月。
日本ダービーまで、あと四か月。
そして、菊花賞まで、あと十か月。
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