その日、中山の直線を、流星が駆け抜ける。   作:兜士郎

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さあ、伝説を始めよう。


第一章 メイクデビュー その6(第一章 完)

 各ウマ娘、続々と本バ場入り。

 大外十八番枠のトウショウボーイが、最後に本バ場に入場する。

 他のウマ娘を追って、ゲートに向かった。

 トウショウボーイは、ゲート試験も難なく一発でクリア。苦手意識は特にない。

 中には閉所が苦手でゲート入りを嫌がったり、膠着(こうちゃく)癖を出してなかなかゲート入りしなかったりするウマ娘もいるが、このレースは落ち着いた枠入りが進んでいった。

 まずは、奇数番のウマ娘たちの枠入り。

(グリーングラスさん、九番か。ちょうど真ん中だね)

 奇数番が枠入りを済ますのを待つ偶数番のウマ娘たち。

 中でもトウショウボーイは、大外枠のため、枠入りは最後になる。

 まだ先だなー、と思っているトウショウボーイは、急に左方向から、誰かに見られている気配を感じた。

 見られている、どころではない。凝視、という印象だった。

(? 誰だろ)

 視線を感じた方向に目を向け、直後に背筋に悪寒が走る。

(な、何、この子…?)

 グリーングラスと同じ、つやのある黒髪のロングのウマ娘が、()め回すような目つきで、トウショウボーイを見つめている。

 口元には、心なしか、よだれが垂れているように見えた。

 すぐに視線を元に戻すトウショウボーイ。

(お、落ち着けトウショウボーイ…)

 なんとなく、身の危険を感じた。

 そのウマ娘も、枠入りを終えた。

 ただし、視線は相変わらず、トウショウボーイのほうに向けられている。

 両目から放たれる光の禍々しさが、尋常ではない。

(こ、こわい!)

 最後にトウショウボーイが枠入りを済ませた。

 先ほどの強烈な視線の印象を頭の中から追い出し、レース前のミーティングで安田に言われたことを思い出す。

 作戦は、なし。

 他の子のことは特に気にせず、自分の走りに徹する。

 それがこのレースで果たすべきミッションだった。

 両手で二度、頬をパンパンと叩く。

 …よしっ!

 

 ガシャン!

 ゲートが開き、全ウマ娘が勢いよく飛び出した。

 トウショウボーイも抜群のスタートを切ることができた。

 気を付けるべきことは、最初の直線でまず先頭に立つこと。

 コーナーの入り口は坂になっているけど、出口に近くなると下り坂になるから、外側にふくれないように気を付けること。

 何度も頭の中で反復したシミュレーション。

 それをなぞりながら、トウショウボーイは落ち着いて先頭に立った。

 彼女の快速に並びかけるウマ娘はいない…

 はずだった。

(え、何このプレッシャー?)

 恐ろしい勢いで、先頭のトウショウボーイを追いかけるウマ娘がいた。

(もしかして、グリーングラスさん? でも、あの子のんびり屋さんっぽかったし…)

 一瞬、振り返ってみた。

 すぐに後悔した。

 追ってきていたのは、先ほどトウショウボーイを、嘗め回すように見つめていた、黒髪ロングの女の子だった。

 内ラチ沿いいっぱいを激走していた。

 相変わらず、両目から禍々しい光を放っている。

 まるで、ターゲットをロックオンし、舌なめずりをする魔物か何かだ。

 口元にはやはり、よだれが垂れていた。

 全力で走っているので、当然、そのよだれはキラキラと光りながら、後続のウマ娘たちに向けて、霧状に散布されていた。

(き、気色悪い!)

 トウショウボーイは、彼女の影を振り払うように、ギアを一段階上げ、疾走した。

 しかし、後ろの彼女も、それに合わせてスピードを上げる。

 うへへうへへ、という不気味な音を立てながら、ピッチ走法で近づいてくる。

(ひーー!)

 狂気。

 トウショウボーイは混乱した。

(こ、殺される!)

 何なの? ストーカーなの? 私、おいしくないよ!

 ひたすら逃げるトウショウボーイ。

 そのときグリーングラスは、中団に控え、先頭を行く二人の姿を追っていた。

(トウショウボーイさん、速いなー。私じゃ追いかけられないなー。大人数のレースだからー、囲まれるのをいやがってー、最初から飛ばしていく作戦なのかなー)

 確かに、作戦通りではあった。

 しかし、先ほど頭の中で思い返していたレース前のシミュレーションは、すでに雲散霧消してしまっている。

 第三コーナーの入り口手前からの、緩やかな上り坂は、難なくクリアした。

 そして、早くも最終コーナーに差しかかる。

 ここで、下り坂。

 外に膨らまないように、と言われていたが、無理だった。

(まだ追ってくるー!)

 相変わらず魔物は内ラチ沿いを、恐ろしいスピードで走り、トウショウボーイに迫っている。殺気が今まで以上に増しているようだ。

 生理的に無理! と感じた彼女は、こらえきれず、やや外側に膨らんだ。

 徐々に離れていく彼女に対し、黒髪ロングが、何かを必死に伝えようとしている。

「と、とうしょうぼーいさん…」

 はっきりとは聞こえなかったが、どうやら自分の名前が呼ばれているようだった。

(な、なに?)

 不気味に感じるトウショウボーイだったが、聞かないでいるのも気持ち悪いので、一時耳を澄ませてみた。

「と、トウショウボーイさん!」

「は、はい?」

 思わず、返事をしてしまった。

 

「す、好きです!」

 

「無理です!」

 

 即答。

「え!」

 コーナーの出口。直線に入る。

 ごめんなさいをしたトウショウボーイは、一気にギアをトップに入れ、フルスロットル。

 爆発的な加速によって、黒髪ロングをきれいに置き去っていった。

「ま、待ってくださあああい…」

 涙声の入り混じった叫びが、ターフに悲しく響く。

(もう、追ってこないよね?)

 ちらっと後ろを振り返る。

 黒髪ロングの影は、はるか彼方に消えていった。

(…よし、あとはこのままのペースで…)

 まだ、トウショウボーイの足は、十分に残っていた。

 

 黒髪ロングの少女は、名を、シービークインという。

 このレースに出るまで、トウショウボーイのことは知らなかったが、パドックで彼女を見たときに、

 一目ぼれしてしまった。

 以降、彼女はトウショウボーイと再び走るため、精力的にレースに参加し、実績をあげることになるが、最後まで再戦はかなわなかった。

 しかし、現役を引退後、トウショウボーイとは不思議な縁で結ばれることになるのだが…

 それはまた、別の話だ。

 

 レースはそのまま、トウショウボーイが先頭でゴール板前を駆け抜けた。

 グリーングラスも直線必死に前を追ったが、四着。

 シービークインは逃げバテたが、それでも五着に残った。

 しかし、トウショウボーイからは二秒近くも離されていた。

 トウショウボーイの驚異的な力だけが、観衆の脳裏に強く焼き付くレースだった。

 スタンドのどよめきは、レース後もなかなか収まらない。

 

 ゴールしたあと、息を整えるトウショウボーイのもとに、遅れてフィニッシュしたグリーングラスが近づいてくる。

「やあー、すごかったねー。二人の逃げ比べ。シービークインはバテちゃったけどー、ボーイちゃんは最後まで走り切ったねー」

 シービークイン、っていうのか、あの子。

 覚えておこう。

 …二度と近づかれないようにするために。

「グリーングラスさんは、四着だったんだね。お疲れ様」

 うんうん、とうなずくグリーングラス。

「なんかさー、距離が短かったような気がしてさー。あれー、もう終わりー? って感じー。あはは」

 …やっぱり距離、勘違いしてたのか。

 言ってあげればよかったな。

「グリーングラスさんは、長い距離が得意そうだよね」

 と、フォローすることで、罪悪感を紛らわす。

「そだねー。あ、私のことは、グラス、でいいよー。私も勝手にー、ボーイちゃんって呼んじゃってるしー」

「うん、ありがとう、グラスちゃん」

「えへへー」

 おっとりした感じでも、積極的だ。とても話しやすい。

 今までにないタイプの友達ができて、トウショウボーイは新鮮に感じた。

「ボーイちゃんはー、クラシックを目指すのー?」

「うん、そのつもりだよ」

 いいなー、と羨ましがるグリーングラス。

「私はー、皐月賞やダービーはー、このままだと無理そうかなー」

「距離が長いのが好きなんでしょ? 秋の菊花賞を目標にすればいいんじゃない?」

「そだねー。うちの先生にも、お前は夏を越して、秋以降が勝負だ、ってー、言われてるんだー」

 おそらく、その先生の声色を真似して。茶目っ気がある。

 そのとき、トウショウボーイはあることを思い出した。

 そういえば、安田先生がレースの出走予定を伝えてくれたとき。

 あのとき私は、警戒するべき子はだれか? って先生に尋ねたんだった。

 結局、安田先生は、私の走りに徹すればいい、って言ってくれたけど、その前に一瞬、何かを言いかけてたんだよね。

 …あれってもしかして、グラスちゃんのことだったのかも。

 秋に行われる、クラシック三冠の最終レース、菊花賞は、距離3000メートル。

 トウショウボーイにとって、楽な距離ではない。

 一方で、目の前のグリーングラス。

 長い脚。そこから繰り出されるであろう大きなストライドは、いかにも長距離向きだ。

 彼女が菊花賞に出走してくるとすれば、トウショウボーイにとって、もちろんテンポイントにとっても、大きな脅威となる。

「でもー、その前にー、まずは一勝しないとだねー」

「グラスちゃんなら、大丈夫だよ。頑張ってね」

「うんー。ありがとー」

 そうして、二人はともにトラックから引き揚げていった。

 シービークインは、ゴール板近くで突っ伏して、グロッキー状態のままだったが、誰一人、彼女に声をかける者はいなかった。

 

 トウショウボーイが予感したように、グリーングラスはその後、トウショウボーイ、テンポイントの前に立ちはだかった。

 彼女たち三人のライバル関係は、その頭文字をとって、「TTG」と呼ばれた。

 その中で、最も早く明確なライバル関係を築いたのは、トウショウボーイとテンポイントの二人だった。

 しかし、実はトウショウボーイとグリーングラスは、彼女たちがテンポイントと対戦するはるか前に、すでに邂逅(かいこう)を果たしていたのである。

 後にトウショウボーイと奇妙な縁で結ばれることになるシービークインを含め、三人が対戦したこのレースは、後に「伝説のメイクデビュー」と呼ばれることになる。

 

 レース結果を安田に報告するトウショウボーイ。

 二人でささやかに喜びを分かち合ったあと、彼女はすぐに別の場所へと向かっていった。

 栗東寮である。

 学園内をタッタッタと軽快に走る。

 気がはやっていた。

 すぐにでも彼女に会い、お礼を言いたい。

 寮の入り口に差し掛かる。

 すると前方に、金色の長髪を風になびかせ、ベンチに座り読書をしている少女の姿が見えた。

 見間違えるはずがない。

 テンポイントだった。

「テンポイントさん!」

 彼女に呼びかけるトウショウボーイ。さすがに息切れをしていた。

 彼女は本を閉じると、トウショウボーイに

「やあ、久しぶりだね」

 と声をかける。

 はあはあ、と肩で息をするトウショウボーイだったが、次第に呼吸が整うと、万感の思いを込めて、言った。

「あ、ありがとうございました! おかげでデビュー戦、勝てました!」

 喫茶店では十分に言えなかったお礼。

 色々なことを知り、壁を乗り越えた今は、素直に伝えられる。

 するとテンポイントは、にっこり微笑んで、

「よかったね。おめでとう」

 とトウショウボーイをたたえた。

 おめでとう、という言葉が、頭の中で何度も繰り返される。

 じわっと、こみ上げるものを感じた。

 慌てて目頭をごしごしとぬぐうトウショウボーイ。

「テンポイントさんには、レースに出るウマ娘にとって、大切なことを気づかせてもらって…、どうお礼を言っていいか…」

 テンポイントはふふっと笑う。

「そんな、おおげさだよ。君が勝利できた、それだけで十分さ」

 な、なんてイケメン!

 …あ、女の子だった。

「でも、あのときテンポイントさんが教えてくれなかったら、私…」

 そこまで話して、ふと思い立ったトウショウボーイ。

「あの、これからは…あなたのこと、テンちゃん…って、呼んでも、いいかな?」

 恐る恐る言ってみた。

 先ほどのグリーングラスとは、お互いに「ちゃん」付けで呼び合うことが、スムースにできた。

 私はもっと、テンポイントさんと、いやテンちゃんと、仲良くなりたい。

 こんなにキレイで、レースに真剣で、そして実績もあって…

 こんなウマ娘と一緒に、レースで戦いたい!

 そのために、まず、お互いの距離を縮めたい。

 …いきなりすぎたかな?

 しかし、その心配は無用だった。

 テンポイントは笑顔で了承してくれた。

「ああ、もちろんだよ」

 胸の中にふわっと、嬉しさが浸透していく。

「うん、ありがとう! これからもよろしくね!」

 ぐっと近づけた気がする。

 名前の呼び方をかえただけで、こんなにも。

 トウショウボーイはワクワクとドキドキに包まれていた。

 そのとき、テンポイントのほうが、ちょっと困った顔をする。

「…うーん、同じように君のことを呼ぶとなると…とうちゃん、になってしまうな」

 トウショウボーイは、思わず噴き出した。

 この子、冗談言えるんだ。意外。

 でも、嬉しいな。

「だから君のことを、これからは、ボーイと呼ぶことにするよ。どうかな?」

 トウショウボーイは満面の笑みをテンポイントに向け、大きくうなずく。

「うん! 大歓迎だよ!」

 よかった、とテンポイントは言う。

「では、皐月賞でぜひ対戦しよう」

 笑顔の中にも、真剣さが隠れている。

 彼女は本気で、私を負かしにくるつもりだ。

 …望むところ!

「うん! 一緒に走ろう!」

 二人は固く握手をした。

 

 こうして、トウショウボーイとテンポイント、二人のウマ娘が、ともにクラシック戦線を歩みだした。

 

 皐月賞まで、あと三か月。

 日本ダービーまで、あと四か月。

 そして、菊花賞まで、あと十か月。 




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