2月14日は土曜日、レースが行われる日だった。
レースのある日に、浮ついた雰囲気はよくない、ということで、2月14日がレースの日である場合、チョコなどの受け渡しは自重する、という文化がトレセン学園にはある。
そしてレース後の月曜日、2月16日に、待っていましたとばかりに、校内のあちこちで、大交換会が行われていた。
同じクラスの友達に。
憧れの先輩に。
いつもお世話になっているトレーナーに。
それぞれが思い思いの相手に、気持ちを込めたプレゼントを手渡す。
華やいだ空気が、学園全体を、優しく包み込んでいた。
御多分に漏れず、トウショウボーイも、先週のうちにいそいそと準備しておいたチョコを、友達らに渡すため、東奔西走。
「グラスちゃーん、ごめん! 待った?」
すでに待ち合わせ場所に着いていたグリーングラスが、手を振って応じる。
「そんなことないよー。今来たとこー」
というのは嘘で、実は30分くらい前から待っていた。
どうやら、時間を間違えていたらしい。
細かいことは気にしない質のグリーングラスは、そのまま近くのベンチに腰掛け、桜並木に止まっている鳥の行動を観察していた。
それで、あっという間に待ち時間がやってきた。
トウショウボーイが、カバンをガサゴソとする。
「…はい、これプレゼント!」
取り出したのは、簡単な包装を施した小さめの箱。
トウショウボーイの手作りチョコだった。
「形はアレだけど…味は! 多分! 大丈夫…なはず」
弱弱しく、消え入りそうな語尾。
受け取ったほうのグリーングラスは、ほんわかとした笑顔で、
「そんなことー、気にしちゃだめだよー。料理は、あいじょー! だよー?」
あいじょー! のところで、右手を高く天に突き上げる。
ただ、おっとり系のグリーングラスのすることなので、迫力はない。
「あはは、何それ」
今度は、グリーングラスがカバンをガサゴソとしている。
「私からもー、これー、あげるねー」
彼女が取り出したのは、お弁当箱サイズのタッパーだった。
「ごめんねー、ボーイちゃんみたいにー、包装はしてないんだけどー」
中には何やら薄い円形のクッキーのようなものが入っている。
ゴーフレット、かな? とトウショウボーイは推測。
「多分、食べたことないと思うんだけどー」
と、グリーングラスがちょっと恥ずかしそうに告げる。
ゴーフレットだったら、食べたことはある。
ということは、ゴーフレットじゃないのかな?
よくよく観察してみると、ゴーフレットにしてはちょっと厚みがある。
それに、ゴーフレットのように真っ平ではなかった。
中心部分にへこみがある。
フリスビー? のように見えた。
「これはねー、南部せんべいって言うんだー」
「なんぶせんべい?」
初耳だった。
「そうなのー。私ねー、母方の実家がー、岩手にあるんだー。南部せんべいはねー、岩手のソウルフードなんだよー」
「へー」
地元で有名な食べ物、ってことか。
東京出身で、親戚もほとんどが都会に住んでいるトウショウボーイにとって、「ソウルフード」というのは、あまり馴染みのない言葉だった。
タッパーのふたを、ちょっと遠慮がちに開けてみる。
瞬間、ゴマの香りが入り混じった、甘いにおいが鼻先を漂う。
「うわ、いい香り! これって、ゴマが入ってるのかな?」
「そうだよー。私はクルミを入れたのが好きなんだけどー、ちょっと手に入らなかったからー、ゴマを混ぜてみたんだー」
「嬉しい! ありがとうグラスちゃん」
「意外と日持ちしないからさー、早めに食べちゃってねー」
しばらく、お互いの手作りお菓子について、会話を弾ませた。
そのうち、話の内容は、レースに関してのことに移っていく。
「そういえば、グラスちゃんは、今週末の未勝利戦に出るんだっけ?」
「そだねー。今度はホントのホントに、マイル戦だよー」
えへへ、と恥ずかしそうに笑うグリーングラス。
先月おこなわれたデビュー戦で、トウショウボーイとグリーングラスは同じレースに出場した。
このときグリーングラスは、レースの距離を、実際には1400mのところ、1600mだと勘違いしていたのである。
トウショウボーイは、彼女が勘違いしている可能性を認識していたが、結局何も言えなかった。
そのときの罪悪感は、まだちょっとだけ残っている。
苦笑いを浮かべるトウショウボーイ。
気を取り直して、告げる。
「私もその日、条件戦に出る予定なの」
「そうなんだー。お互い頑張ろうねー」
「うん…でも、ちょっと心配なんだよね」
はてな? という表情のグリーングラス。
「デビュー戦でー、あれだけ圧勝したのにー?」
「そんな、圧勝なんて…次のレース、ダートなんだ」
ダートとは、砂のコースのことである。
通常、ダートコースは、踏み込んだ足が砂地にめり込む。その足を前に出すためには、つま先全体で、砂を掻き込まなければならない。芝のコースに比べ、足抜きが難しいレースになりやすい。
そのためダートでは、パワーのあるウマ娘が活躍する傾向にある。
「先生がね、腰の甘さは解消されてきたけど、足抜きの練習のために、一度ダートを経験したほうがいい、って言うんだ」
ふむふむ、と、ゆっくり頷くグリーングラス。
「確かにねー。ボーイちゃんのトレーナーさんってー、理論的だって言われてるよねー」
トウショウボーイは、自分が褒められたような気になり、いやぁそれほどでも…と言わんばかりに、テレテレ、と笑った。
「うん。先生の言うことには、ひとつひとつ意味があるんだ、多分。だから次は、ダートで頑張ってみるよ」
「私もー、次は勝てるように頑張るよー」
「うん、お互いにね!」
次走の健闘をお互いに祈り、二人は別れた。
「さて、と…」
クラスの友達には、あらかた渡せた。
トレーナーの安田にも、朝練の後に手渡した。
グリーングラスにも渡せた。
残るは、ただ一人。
「…テンちゃん、どうやって渡そう?」
トウショウボーイとテンポイントは、寮も違えばクラスも違う。
とはいえ、授業と授業の間の休み時間や、移動時間のときに、うまくいけば渡せるのでは? という希望的観測から、グリーングラスへのプレゼントをそうしていたように、カバンの中にずっと、テンポイントへのプレゼントも忍ばせていた。
しかし、昼休み前の時間帯では、テンポイントに接触する機会が、一切なかった。
かといって、テンポイントのクラスに直接持っていくのは恥ずかしいし、栗東寮に行く、というのは言わずもがな。
チキンなトウショウボーイは、ぐずぐずしていた。
「どうしようかな。テンちゃんって練習熱心だから、授業後はすぐに練習場に行っちゃうだろうし…」
美浦寮と栗東寮の所属ウマ娘は、それぞれ練習場が異なっていた。
そのため、放課後の練習時間になると、必然的に手渡すチャンスはなくなる。
結局、彼女はその後も逡巡するだけで、渡せずのまま翌日を迎えることになった。
朝から傷心気味のトウショウボーイ。
「…よし、このままズルズル翌日に引きずるのはよくないし、クラスに持っていこう!」
と、朝練のあと、意を決してテンポイントのクラスに赴いた。
朝のホームルーム前の教室で、すでに練習を終えて席につき、周りの生徒とおしゃべりをするウマ娘たち。
だが、その中にテンポイントの姿は見えなかった。
「あれ…テンちゃんいない?」
入口できょろきょろと落ち着かない様子を見かねた、そのクラスの一人のウマ娘が、トウショウボーイに声をかける。
「どうしたの? 誰か探してる?」
トウショウボーイは申し訳なさそうに、
「あ、テンポイントさんに会いに来たんですけど…」
と言った。すると、声をかけてくれたウマ娘は、あきれ顔を隠そうともせず、あーはいはい、と面倒くさそうに言う。
トウショウボーイは内心で、ですよねー、とつぶやいた。
おそらく、テンポイント目当てのウマ娘が、ひっきりなしに訪ねてくるのが、日常茶飯事なのだろう。バレンタインシーズンなのだから、なおさら。クラスメイトのウマ娘が辟易するのも、無理はない。
「テンポイントさんは、朝練を延長するから、ホームルームは欠席するって、届があったみたいだよ」
ほら、と黒板のほうを指す。
その方向を見やると、
「HR欠 テンポイント」
と、白いチョークで書かれていた。
トレセン学園には、トレーニングで通常の座学を欠席するのはご法度だが、朝のホームルームについては、練習を優先してよい、という不文律があった。
ただし、ホームルームを欠席してまで練習を続ける、というウマ娘は、まれだ。
それに、レース前ならまだしも、テンポイントは一昨日の日曜日、レースに出走したばかりだ。
そこまで練習する必要ある? というトウショウボーイの疑問は、自然なものだった。
とは言え、いないものは仕方がない。トウショウボーイは応対してくれたウマ娘に、自分の名前とお礼を伝えて、その場をあとにした。
放課後。再びテンポイントのクラスを訪れる。
しかし、彼女はすでに教室から姿を消していた。
入口のあたりに立ち尽くすトウショウボーイの姿を見て、「あ、朝の子だ」と、朝のホームルーム前に応対してくれたウマ娘が、彼女に近づいていく。
「あー、また来てくれたのにごめんねー。テンポイントさん、チャイムが鳴った直後に、走って練習場に行っちゃったよ」
やれやれ、という感じでトウショウボーイに告げる。
「え?」
意外な事実に目を丸くするトウショウボーイ。
彼女が放課後にまた来る、というのは、伝えてもらっていたらしい。
それでも練習に行っちゃった、のか。
彼女は少しショックを受けた。
そんなトウショウボーイの様子を見て、同情したのか、応対してくれた子は、申し訳なさそうに付け加える。
「なんか、日曜日のレースでふがいないレースをしちゃったから、もっと練習するんだ、って、そんなこと言ってたよ」
「ふがいない?」
そう聞いて、トウショウボーイは狼狽した。
テンポイントが出走したG3共同通信杯は、トウショウボーイもテレビで観戦した。テンポイントが勝利した。ただ、いつもと違うのは、それが僅差の勝利だった、ということだ。
直線で、二着に入ったウマ娘を、最後までちぎれなかった。
とは言っても、それはテンポイントが遅かった、のではなく、競った相手も強かったからだ、と彼女はとらえていた。
「うわ、こいつすげぇ執念深そうだなぁ」
寮の自室で、一緒に観戦していたテスコガビーも、思わずそうもらしていた。
テレビ越しだから、はっきりとまでは分からないが、二着のウマ娘も、相当な力を持っている。それは純粋な走力というよりも、気持ちの強さだ。最後まで、テンポイントに食らいついていこうとする、病的なまでの固執。意地。粘り強さ。
それを見たトウショウボーイは、一瞬背筋を冷やした。
(この子も、もしかしたらクラシックに出てくるかも…)
その二着のウマ娘こそ、クライムカイザーだった。
トウショウボーイは、再び応対してくれたウマ娘にお礼を言うと、教室を辞去した。
仕方がないので、自室に戻ることにした。今日の午後の練習は、レース後ということで、二日続けてお休みだった。
道すがら、彼女はテンポイントについて思いを巡らせる。
(二着の子が強かったのは、テンちゃんもわかっているはず。確かに着差は小さかったけど、テンちゃんは阪神以来のレースで、まだレース勘が戻ってなかったんじゃないかな。それでも確実に勝利をつかんだんだから、そう焦ることはないと思うんだけど…)
トウショウボーイは、まだ知らない。
その焦りの原因の一つが、自分の存在だということを。
(それにしても、二着の子も強かったんだよなー。なんて言ったっけ、クラ…クラ…クララ? いや違う、クライ…クライ…クライマーズハイ? いやいやいや…)
ゴシゴシと頭をかく。しばらく考えた末、
(…うん、まあ、いっか!)
トウショウボーイの、このあきらめの良さは、彼女の美点のひとつである。
決して物覚えが悪い、のではない。
週末のレース、トウショウボーイは、デビュー戦以上の5馬身差で快勝。
そしてグリーングラスは、
「えーん、1600もやっぱり短かったよー」
デビュー戦と同じ、四着に終わる。
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