おじいちゃんに連れられて初めて登った雪山。暖かい家をわざわざ飛び出し、凍てつきそうな中険しい山道を辿って、山頂へ至ったとき、俺は感動を覚えた。
いつもなら煩わしいはずの朝日が、とても綺麗に見えたから。
その日から俺はよく山を登るようになった。ときにおじいちゃんに連れられて、ときに一人で、何度も何度も登っては朝日を浴びた。
あの雪山にモンスターが現れるようになってからも、その習慣を止めることはなかった。
その日は、いつもの登山ルート近くで狩猟が行われるというので、洞窟近くの別のルートを通ることになった。
本来立ち入り禁止のこの雪山だが、案外監視の目はザルなのでいくらでも通れてしまう。そんなんでいいのかギルドと思ったが、この際気にしないことにする。
慣れない道、新鮮な風景。いつもと違うルートは楽しかった。それでも危機管理は忘れずに。雪山の環境は変わりやすい上に、モンスターだって移り住んできている。いつもより五感を働かせる必要があった。
だからだろうか、子供の泣く声が聞こえた。
こんな場所に子供がいるはずがない、そう思いながらも身体は既に動き出していた。
場所は洞窟中。ここら辺はギギネブラの巣になってたはずだ。
あれ?ギギネブラって確か・・・。
「えぇぇぇぇぇぇん!!えぇぇぇぇぇぇぇん!!」
───なるほど、ギィギか。おおよそ、母親が命の危機を感じて住処を移動して、置いていかれたって感じか。
「どーすっかな」
ハンターでもない限り、モンスターと関わるのはタブー。それに関しては今ここにいること自体ダメだし今更ではあるんだけど。それに、いくら目の前の女の子が人の姿をした怪物だとはいえ、見捨てるのは心が痛む。
結局俺は、ギィギを連れ帰ることにした。
あれから早2年。俺は舐めていたんだ、モンスターの成長速度を。
「おはようございます、
「うん。ありがとう」
俺の腰ほどの身長だったこの少女は、今では立派な妙齢の女性の姿に育っていた。
いっそ病的なまでに白い肌、起伏に富んだ蠱惑的な肢体、怪しく輝く紫色の瞳、肩口で切り揃えられた銀髪。正直どストライクをぶち抜いた容姿をしていた。
更にはこの献身的な性格。本人曰く俺を真似たとの事だが、料理の腕は既に俺を越えている。洗濯を任せれば次の日の洋服はお日様の匂いがするし、掃除を任せれば埃一つ残さない。
俺なんかには勿体ない女性だ。
ただし、欠点一つ。
「
「ああ、行く」
「お供させていただきます」
俺に引っ付いて離れないことだ。ちなみに、旦那様と呼んでいるが別に婚約を結んだわけでもなければその予定もない。
拾ってきたのは俺だが、それでも自然の者は自然に帰さなければならない。人とモンスターは、分かたれないといけないんだ。
いずれは・・・、と思ってはいたが、この状態だと一抹どころじゃない不安を感じる。とはいえ話をしてみないことには始まらない。どんな結果になろうとも、彼女の独り立ちの第一歩としよう。
そんな覚悟で臨む山道。いつもと違う、あの日彼女を拾ったルートを辿る。
心なし、足が重い。
2年と少しという短いようで長い時間は、多くの思い出を残してくれた。
「ええ、いろいろとありましたね」
「あ?口に出てたか?」
「それはもうしっかりと」
彼女は、静かに笑っていた。
「初めて食べた旦那様のご飯は美味しかったです」
「そうか?あのときあるので適当に作ったんだが」
「不安なときの温かいご飯ほど、心を溶かしてくれるものはありません」
「不安かー、そりゃあんなに暴れ回るよな」
「忘れてください。恥ずかしいです」
見た目が人とはいえ、その本質はモンスター。ギギネブラというモンスターは、壁も天井も関係なしに縦横無尽に動き回ることができる。
そんな彼女が暴れるということは、まぁ、そういうことだ。
「まさか家の修繕に3日かかるとは思わなかった」
「ですから忘れてくださいと」
「悪かったよ」
リスみたいに頬を膨らませる前にやめておこうか。
「懐かしいなぁ」
「そうですね」
道は、洞窟に差し掛かる。
「────ところで、どうして急に思い出話を?」
心臓を摘まれたような気分になった。どこか確信を得ているような問い質しに、少しだけ恐怖した。
「人が過去を振り返るときは、大きく分けて2つあると認識しています。1つは、何かを成し遂げたとき。もう1つは、大きな決心をしたとき。旦那様の場合は後者でしょうか」
喉が渇く。視界が歪む。
「旦那様、まさかとは思いますが───」
身体が、熱い。
「───私を捨てようなどとは思っていませんよね?」
「あっ」
遂には立っていることもできなくなり、彼女に身体をもたれかけてしまう。
「何をした、って顔ですね。旦那様も知っているでしょう?ギギネブラには毒腺があるって。ああ、ご安心ください。致死毒ではありませんので」
ダメだ、だんだんと頭が回らなくなってきた。
「───きっと旦那様の考えは正しいのだと思います。
ゆっくりと手が回され、抱きしめられた。
「ですが、申し訳ございません。あなたから離れるには、私は些か依存しすぎました」
それは、きっと彼女なりの告白なのだろう。
「産まれて初めて感じたのは、冷たさでした。頼れる者もなく、︎飢えと寂しさと冷たさに震えて泣くことしかできなかったのです。だから、あなたの優しさが、暖かさが、私の拠り所になりました」
「旦那様、私はあなたから多くの暖かさを頂きました。ご飯の暖かさ、お風呂の暖かさ、布団の暖かさ、そして人肌の暖かさ。全部、私の大切な物」
「お願いです。それを私から奪わないでください。取り上げないでください。遠ざけようとしないでください。わたしを、ずっと傍に置いてください」
「けれど、それは叶わない。あなたは認めてくれないでしょう?ええ、我儘は言いません。私は人の世界から離れます」
「代わりに、あなたを人の世界から奪います」
「旦那様、どうか私に攫われてくれませんか?」
耳朶に触れる吐息が、鼓膜を撫でる囁きが、肌から肌に伝わる熱が、理性を溶かし心を侵していく。
正常さを失った思考が、甘い言葉に堕ちた。
あれから、数年後。俺は、ハンターとの戦闘行為を避けるために、人里離れた遠い山奥で暮らしている。近所にはいわゆる番持ちのモンスターたちも暮らしており、文明から途絶されていながらも充実した生活ができていた。
朝から昼にかけて木を切っては薪に変え、暖炉を灯して軽食を食べる。夕方になれば狩りに出た彼女が戻ってくるので、その食材で一緒に夕飯を作る。
まぁ、なんだかんだ幸せな人生だと思う。
もうすぐ娘も産まれるし。一応言ってはおくが、
もうそろ襲うみたいな話はされた。
閑話休題。
こんな生活だが、娯楽が少ない分どうしても暇というものができてしまう。そんなときに、友人からノートと万年筆を譲り受けた。
ちょうどいいので、俺と同じ境遇の人の話を書き記そうと思う。
まずは、そうだなぁ。このノートをくれた友人の話から。
ギギネブラ娘
凍土在住洞窟暮らしの女の子。フルフルと起源を同じくするらしい。この世界では毒腺は致死毒ではなく媚毒を生成する。手料理に混ぜるも良し、マウストゥーマウスで直接叩き込むも良し。甘く蕩けさせて番にする。