崖から落ちたら千年前 作:優鶴
「それにしてもハリー、13歳まででも随分と大変な人生送ってきたのねえ……。」
しみじみとアリアドネが呟き、ハリーに目を向けた。苦笑を返したハリーはペンシーブに四年生から七年生までの記憶を全部ぶちまけた。もうここまで来たら全部吐き出して慰めてもらいたい、開き直った1000年後の英雄は強かった。
四年生から七年生、ノンストップ上映である。ボリュームが半端ない。帰ってくるのはまだまだ先だろうしあんなものノンストップ上映されたらたまらないだろうということでハリーはソファを増やし、自分もそれに寝転がった。同級生たちが戻ってくるまでねこける所存である。一カ月以上共に生活し、遠慮なんて文字は頭の中から吹っ飛んでいた。
ちなみに、記憶からはヘレナとのやり取りは抜いておいた。
******
しかし同級生たちの精神力をハリーはなめていた。
「……ねえハリー、まさか死んでいった人たちがみんなハリーのせいで死んだなんてこと考えてないでしょうね? 」
アリアドネにがっと肩を掴まれてそう聞かれ、ハリーは素直に首を振った。
「や、僕のせいで死んだと思ってるし、実際僕がいなければ……。」
「勝手にハリーを信じて勝手にハリーのために死んでいっただけよ。無責任な大人の死までハリーが背負う必要はないわ。……だいたいね、ハリー、あなた、守られなさすぎ。子供は大人しく大人に守られていればいいんだわ。いいえ、そうね、無条件に頼れる大人なんてほとんどいなかったのよね……。」
アリアドネはハリーの肩を掴んだままうううと項垂れた。
「ハリー、わたしたちはハリーの記憶を見てもあなたのことを英雄ともてはやしたりしないから安心してくださいませ。サラザール先生が英雄と呼ばれることにうんざりしていますから、わたしたち、誰かをそういった肩書だけで呼ぶのはやめましょうと決めていますの。」
一気に言い切り、リーベラが憂いの篩を消して扉を開け放つ。
「さあ、もうすぐ夕食の時間ですわ! ハリー、たくさん美味しいものを食べてくださいな! 」
記憶を見せてもあっけからんと受け入れてくれる友たちは得難いものであった。
******
「あら、ヘレナちゃんだわ。」
アリアドネの声にハリーは彼女の視線を負った。円卓のロウェナとサラザールの間にふたりの少女が座っている。片方はイレーネだ。とするともう片方はヘレナだろう。隣のイレーネと楽しそうに何事かを話している。両サイドのサラザールとロウェナは微笑ましげにそれを眺めていた。
「サラザール先生とロウェナ先生、家族みたいだね。」
ヘレナは母によく似ているし、イレーネは父似の要素が強い。円卓の一角で食事をとる四人は仲の良い両親と娘たちにしか見えなかった。
あそこで無邪気に笑っている少女が血みどろ男爵に殺されてしまうのだと少しいたたまれない気持ちになる。
と、ヘレナがイレーネに何事か耳打ちし、ふたりして親に話しかけ何か許可をとったのだろう、椅子を飛び降りると手を繋いでハリーたちの元に走ってきた。
「ハリー様、はじめまして! わたし、ヘレナ・レイブンクローです! 」
あずき色のきらきらした瞳に見つめられ、ハリーの口元が思わず綻んだ。目線を合わせるためにかがむ。
「はじめまして、ヘレナちゃん。」
「イレーネお姉様から聞きました! イレーネお姉様を説得してくださったって、イレーネお姉様とサラおじさまの仲直りに一役買ったって。ハリー様はすごいです! 」
何だこれ天使がいる。ハリーはそう思った。天使だ。癒しだ。隣でヘレナと手を繋いでいるイレーネもまごうことなき天使である。
「ハリー様、ハリー様、お母様には許可をとりました。だから一緒にご飯を食べてもいいですか? 」
「うん、もちろん。」
柔らかく母親と同じ夜空色の髪を撫でるとぱああっと顔に笑みが広がった。ハリーの右隣に座っているアリアドネは頬を綻ばせ、左隣に座っていたセプティマが席を立ってヘレナとイレーネにその位置を譲った。
「イレーネちゃんはヘレナちゃんの付き添い? 」
「そうよ。ヘレナがハリーの元に行くって言ったからわたくしも一緒に行こうと思って。わたくしもハリーと話したかったの、だってお父様と話すのを手伝ってくださったから。」
「イレーネお姉様は血が繋がっていないけど、わたしのお姉様なのです! サラおじさまはわたしの名付け親で、お母様はイレーネお姉様の名付け親なのです。」
どうやらロウェナ・レイブンクローとサラザール・スリザリンは創設者の中でもとりわけ仲が良いようである。お互いの娘の名付け親兼後見人であるというのだから。
「ハリー、ヘレナちゃんが生まれる前にロウェナ先生の伴侶たる殿方は他界されているの。だからヘレナちゃんはサラザール先生を本当の父親のように慕っているし、イレーネちゃんはロウェナ先生を本当の母親のように思っているのよ。」
アリアドネから耳打ちされ、なるほどとハリーは頷いた。ふと目をやると、ヘレナとイレーネがハリーの元に来たことであいた席にはゴドリックとヘルガが座り、空いていたその両隣を他の教職員たちが固めて何事か楽しげに語らっていた。どうやら興味を持つ内容だったらしく黄色のローブの生徒が緑色のローブの生徒を誘ってその会話に加わりに行っている。それを見て顔を見合わせた青色のローブの生徒たちが近くにいた緑色のローブの生徒を引っ張って加わりに行った。寮の確執など感じられない、なかなかに平和な光景だ。
「ハリー様は母君の瞳と父君譲りの容姿だと聞きました! 」
「うん、そうだね。」
「わたしとは逆なんですね。わたしは父譲りの瞳と母譲りの髪なんです。お母様と同じ瞳が良かったなあと思うこともありますけど、わたしもイレーネお姉様とサラザールおじさまの影響でお母様と話す機会がありました。それで、お母様は、お父様譲りの私の瞳はお父様を思い出せるしお父様との子供なんだって思えるから大好きよって言ってくださったんです。お母様にそんなこと言っていただけたのもハリー様のおかげです! 」
「……ヘレナも、ロウェナおばさまが忙しくて自分に構ってくれないのを寂しがっていたの。それでロウェナおばさまに愛されていないんじゃないかって悩んでいたの。ハリー、あなたのおかげよ。わたくしがお父様と話しあえたのも、ヘレナがロウェナおばさまと話しあえたのも。」
イレーネが柔らかく微笑んだ。
「全部、全部、ハリー様のおかげです。だから、わたし、たくさん勉強してお母様みたいに賢くなって、ハリー様に認めてもらえるように頑張ります! 」
ヘレナが満面の笑みを浮かべる。
「僕がヘレナちゃんを認める? 」
ぱちくりと目を瞬かせたハリーにヘレナは笑顔のまま頷いた。
「はい! だから早く大人になりますね。」
どういう意味かはわからなかった。ふとアリアドネの方を向く。青色の瞳が不安げに揺れていた。顔色も悪い。
「……アリアドネ? 体調が悪いなら、先生に……。」
「大丈夫よ。何でもないわ、ハリー。」
緩く首を振ったアリアドネに首を傾げつつも、ヘレナに袖を引っ張られたのでハリーは彼女の話を聞くことにした。
それから、アリアドネはどこか様子がおかしかった。リーベラとクリステアとセレナに問うてみてもはぐらかされるだけだし、アリアドネを追おうと思ってもヘレナに引き留められて一緒に本を読んだり一緒に実験をしたり一緒に魔法の練習をしたりした。
「ハリー様、わたし、これからお母様と一緒にご本を読む約束があるんです。だから、今日はハリー様と一緒にいられるのはここまでですね。」
名残惜しそうにヘレナが手を振る。彼女と別れたあと、グリフィンドール寮に戻る途中でハリーは金茶の髪が靡くのを見た。裏地が濃い黄色に染め上げられたローブが翻るのを見た。
ここ十数日、アリアドネとはまともに話せていなかった。ハリーがヘレナと関わるようになってからアリアドネはどこかハリーを避けているように感じられた。
もし、アリアドネがヘレナを避けているのなら。なぜ彼女がヘレナを避けるのかはわからないが、ともあれヘレナがいない今はアリアドネと話すチャンスではないのか。
「アリアドネ! 」
足早に歩き、追いついたところで声をかける。肩をはねさせてアリアドネが振り向いた。
「……ハリー。」
「アリアドネ、どうして僕を避けるのか聞いても? 」
「何でもないわ。気にしないで。ごめんなさい、私、ちょっと忙しいの。」
そう言って踵を返しかけたアリアドネの手を咄嗟にハリーがつかんだ。ここ十数日、アリアドネは始終こんな様子だった。
「―――何でもないわけ、ないよ。僕が何かした? 」
大切な友人だ。ありのままのハリーを受け入れてくれる、得難い友人だ。嫌われたくないし、避けられたくもない。
群青の瞳が伏せられ、ゆるゆると首が振られて否定の意が示された。
「いいえ、ハリーは何もしていないわ。」
「じゃあ、どうして―――。」
「……私、……なの。」
「え? 」
「呆れないで聞いてくれる? 」
ハリーが戸惑いつつも肯定の意を示すと、群青の瞳がハリーのそれをとらえた。彼女と目を合わせるのは実に十数日ぶりだった。
「……私、好きなの。」
「えっ? 」
「ハリーが好きなのよ。」
ハリーは思わず息をのんだ。ここ十数日のアリアドネの態度。あんなに避けられていたのは、どうしてだったのか、それは、そんな理由だった。
二カ月程度しか接していないはずのハリーに、アリアドネはどうして恋心を抱くに至ったのか。
「……焦ったの。だって、ヘレナちゃんだって、ハリーのことが好きだから。」
「ヘレナちゃんが僕を? ―――あり得ないよ。大体いくつ年の差があると思って。」
「いいえ。ハリー、あなたが鈍すぎるだけ。ヘレナちゃんがハリーにやたらと構ってくるのはあなたが好きだからよ。間接的にロウェナ先生との話し合いの機会をくれたハリーはヘレナちゃんにとっては王子様なんだわ。……ハリーに恋しちゃいけないってわかっていた。わかっていたわ、だってハリーは1000年後の人で、いつか戻るかもしれないのだから、この世界に縛るものを残していってはいけないのだって。」
「……アリアドネ。」
彼女はハリーに名前は何、とたずねてくれた。英雄ハリー・ポッターとして見ないで、ただのハリーとして見続けていてくれた。
「迷惑よね。……でもね、私は、ハリーが好きなの。私が作った料理を美味しいって言ってくれたわ。イレーネちゃんとサラザール先生、ヘレナちゃんとロウェナ先生。すれ違っていた先生方と娘さんたちをどうすれば話し合わせられるかわからなかったのに、ハリーはきっかけを作ってみせたわ。イレーネちゃんとヘレナちゃんは、前とは比べ物にならないくらい明るく笑うようになったわ。あなたのこと、すごいと思ったの。ハリーの意志の強い瞳が好きだわ。だからハリーが私たちに記憶を見せてくれた時には本当に嬉しかった。でも同時に嫉妬したわ。私だけに見せてくれれば良かったのにって。本当、醜い嫉妬よ。勝手に恋なんてされて迷惑よね、知ってるわ。……受け入れてくれなんて言わないし、私、こんなことでハリーを縛りたくなんてない。……お願い、迷惑だったら忘れて。ごめんなさい、ハリー……。」
言うだけ言って踵を返したアリアドネをハリーは今度は引き留めることができなかった。彼女を引き留めようとして空をかいた手を呆然と見詰める。
「アリアドネが、僕を……? 」
呟いた瞬間、後ろでがさりと草の音がした。
「ハリー? こんなところでどうしたんだい? 」
「あ、セプティマ……。」
セプティマを視界に収めた瞬間、正確にはその燃えるような赤毛を目にした瞬間、ハリーの脳内に恋人の姿がフラッシュバックした。
ジニー。
どうして彼女のことを忘れていたりなどしたのだろう?
「ハリー? 」
もう一度名を呼ばれる。はっと我に返り、もう少しでもその赤毛を目にしていたら気がおかしくなってしまいそうで、ハリーは慌てて身を翻してグリフィンドール寮の方に向かって走り出した。
戦いが終わって英雄として注目された。ジニーはハリーのことを愛してはいたのだろうが、英雄の恋人という肩書きを悪いなどとは思わなかったのだろう。彼女はハリーとはどうなっているのかだとかいうゴシップ記者の取材を拒否しなかった。ハリーはそのことに愕然としたものだった。
それを思い出した瞬間、ハリーの中のジニーへの思いが崩れ落ちていくような音がした。
アリアドネ。アリアドネは、最初にハリーに名前を聞いてくれた。ジニーのように英雄という肩書きに惹かれ、憧れて、知り合ったのではなかった。アリアドネはただのハリーに微笑みかけてくれた。ハリーが美味しそうに料理を食べるのを好きだと言ってくれた。母譲りの瞳を、それでもハリーだけの瞳を見てくれた。
でも、ここでアリアドネの思いを受け入れたりしたら、ジニーに失礼だ。彼女とはまだ付き合い続けている。別れも告げずにアリアドネと付き合うことなどできるはずもなかった。
グリフィンドール寮に帰り、談話室を抜けて自室のベッドに引きこもったハリーにトルニアンが何も言わずにいてくれたのがせめてもの救いだった。