崖から落ちたら千年前   作:優鶴

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「……。」

 

「…………。」

 

アリアドネが勢い余ってハリーに告白した翌日の放課後、ハリーとアリアドネはふたりきりでグリフィンドールのハリーの私室にいた。

 

ちらちらとお互いを見ては、目が合った瞬間に慌てて何事もなかったかのように視線を逸らす。

 

そもそも何故ハリーとアリアドネがふたりきりでグリフィンドール寮にいるのか。それには理由があった。

 

 

それは昨晩のことである。

 

ハリーはアリアドネからの告白に戸惑い、眠れない夜を過ごしていた。もちろん戸惑ったばかりではない。嬉しかったし、それでもジニーのことを考えればアリアドネと付き合うわけにもいかなかった。

 

ジネブラ・ウィーズリー、ハリーの初めての恋人。キスこそ交わしたものの、付き合って何年か経ちふたりとも卒業しても身体の繋がりはなかった。

 

ジニーは不満そうだったがハリーは闇祓いとしての任務に奔走し、英雄としてしか自分を見ない周りにうんざりし、心を疲弊させていてとても恋愛どころではなかった。それでも別れを切り出さなかったジニーを裏切ってこのままアリアドネの思いを受け入れても良いものかと悩んだ。

 

アリアドネは最初にハリーの名前を聞いてくれた。友達になる第一段階をきちんと踏んでくれた。柔らかい金茶の髪も青い瞳も、アリアドネに告白されてからハリーの脳裏を離れなくなっていた。花が咲いたような可愛らしい笑顔を好ましく思っていることに今更気づいてしまった。

 

そしてもう一つの衝撃的なカミングアウト―――ヘレナ・レイブンクローが、ハリーに想いを寄せているということ。女性の勘というのは侮れないものだということをハリーは何となく知っていた。アリアドネが言うなら、ヘレナはハリーに想いを寄せているのかもしれない。

 

しかし、ホグワーツの決戦の時に灰色のレディと交わした会話がお世辞にも友好的といえるわけではなかったことをハリーは思い出していた。1000年の時をゴーストとしてホグワーツで過ごした灰色のレディと、今の幼いヘレナは違うと頭ではわかっている。しかし灰色のレディとしての姿を知っている分、ハリーはヘレナに想いを寄せられたとしてもそれに応えられる気もしなかった。それに、ヘレナはあまりにも幼すぎるのだ。真っ当な大人なら幼女の求愛など本気にしない。

 

そもそもアリアドネの想いを受け入れるかどうか。セプティマを見てジニーを思い出して、それなのにすぐにアリアドネに応えることなどできようはずもなかった。

 

それでも、英雄ハリー・ポッターではなく、ただの“ハリー”を見ての告白―――それに心が揺れ動かないといえば嘘だった。

 

もしジニーがいなければ、アリアドネの想いを受け入れてしまっただろうというくらいにはハリーは彼女のことを好意的に見ていたし、ただの“ハリー”を見ての告白は魅力的なものだった。

 

トルニアンにおやすみの挨拶をされて消灯されても、ハリーは目が冴えて一向に眠れそうになかった。薄着のまま談話室に出て窓を開け、夜風に当たる。そのままアリアドネの告白のことを考え悩んでいるうちに、ハリーは薄着で夜風に当たっていたせいで風邪をひいたのだった。

 

そして、朝ソファの上でぐったりしているところをトルニアンに見つけられて部屋に引き戻された。今日の授業は休め、とトルニアンに怒られたハリーは素直にベッドの上で丸まっていた。そのまま授業が終わる時間までベッドの上で療養していたハリーの部屋の扉からノックの音がした。

 

「……あの、ハリー。起きてる? 」

 

「アリアドネ……。」

 

揺れる金茶の髪にハリーは思わずベッドから身体を起こした。頬を染めたアリアドネが決まりわるげに左下に視線を逸らす。

 

「……風邪をひいたって、聞いたの。みんな私が校癒になりたいって話を聞いていたから、いい機会だから看病の練習をしろって言われて……その……断れなくて……。」

 

気まずい雰囲気が漂った。

 

「……あ、うん、ありがとう……。」

 

そして、冒頭に戻る。

 

「……アリアドネ。」

 

意を決してベッドの上からハリーが声をかけるとびくりとアリアドネの肩が震えた。

 

「昨日の、ことなんだけど……。」

 

「あ、あの、あれは……。」

 

「……嬉しかったんだ、だって、英雄ハリー・ポッターに向けての告白じゃなくって、ただの僕に向けてのものでしょ? 」

 

「ええ、ハリーはハリーよ。……私が好きになったのは英雄じゃなくてハリーだもの。」

 

一片の迷いもない青い瞳はひどく眩しかった。ハリーはハリー、躊躇いなくそう言われたのが嬉しくて、思わずハリーは口元を緩める。

 

「……僕は、1000年後で、付き合ってる彼女がいるんだ。」

 

「…………ええ、そう。そうよね。私のことなんて迷惑でしょう? 」

 

「ううん、そうじゃなくて……。ここでアリアドネに応えたら、1000年後の彼女にも、アリアドネにも、失礼だから……。返事は、しばらく、保留でもいい? 」

 

言ってからハリーは後悔した。ジニーを引きずりながらアリアドネを引き止める、この態度こそ誠実さに欠けるのではないか。

 

「……嫌ではないの? 保留ってことは、拒絶ではないと受け取ってもいいの? 」

 

アリアドネの瞳が驚きに見開かれた。

 

「うん……考える時間をもらってもいい? そうすぐに結論を出せそうにないや。」

 

アリアドネが受け入れてくれたことにハリーは思わず甘えてしまった。何も選べない、何がいいのかわからない。目の前が靄がかったようにしか見えないけれど、アリアドネに惹かれている自分を隠せはしない。

 

「……期待しても、いいの? だってハリーはいつか1000年後に戻るかもしれないんだもの、この時代に縛り付けてはいけないわ。」

 

「……1000年の時の隔たりがあるってだけで、断るのは、アリアドネに失礼かと思って……。」

 

「そんな、気を遣ってくれなくてもいいのよ。……その言葉だけで十分。もともと私、告白するつもりなんてなかったんだもの。余計な重荷を増やしてごめんなさい。」

 

目を伏せるアリアドネにハリーはどう声をかけたら良いものか迷った。すぐには応えられないし、彼女に応えていいのか答えも出せない。だけれど、確かに嬉しかったのだ。ただのハリーを見て、好きだと言ってくれたことは。

 

「……迷惑なんかじゃないよ。逆に、救われたから……。」

 

ジニーという恋人がいながらアリアドネの告白を嬉しく思ってしまうような僕なんて君にはふさわしくないんじゃないかと思って、という言葉をハリーは呑みこんだ。

 

無責任な大人の死までハリーが背負う必要ないわ―――憂いの篩に記憶を明け渡しても態度を変えることはなかったアリアドネ。ヘレナの行動に焦りを感じてしまったアリアドネ。……名前は何て言うの、と聞いてくれたアリアドネ。彼女のクッキーの味はすぐに思い出せる。

 

こちらに背を向けているアリアドネの金茶の髪が風に揺れていた。

 

*******

 

同級生たちは距離感をはかりかねているハリーとアリアドネをからかったり焚きつけることはなかった。そのあたりに口出ししないのは学生で10代の育ちざかりと言えど彼らが精神的にそれなりに成熟しているからだろう。

 

教授陣から時たま感じる生温かい視線には少々辟易したが、特に言葉で何か言われることもない。そのおかげでハリーもゆっくりと考えることができた。

 

1000年後に置いてきたジニーのこと。彼女と最後に会ったのは、禁じられた森で1000年前に飛ばされる数カ月は前のことだった。そういえばあの時、数日後に会う約束をしていた気がする。彼女はハリーに別れ話をしようとしていたのだろうか。数カ月も会わなかった恋人に愛想が尽きてもおかしくない、学生時代彼女は恋人をとっかえひっかえしていた―――。

 

いや、とハリーは思いなおした。分霊箱探しで随分と離れていたし、ハリーはハーマイオニーとふたりきりでいた時もあったけれどジニーはハリーに愛想を尽かさなかった。

 

しかし、あまり会えない恋人に、身体の関係すら持っていない、キス止まりの恋人に、彼女は愛想を尽かさないでいてくれるか? ジニーはゴシップ記者の取材を拒否しなかった。それどころか積極的に取材を受けてはいなかっただろうか。それにハリーが受ける取材を少なくしたらと言ってもやめなかった。

 

彼女が自分から離れていくのが怖くて―――だって、家族を知らないハリーにとって、ジニーだけが自分に家族というものを教えてくれると信じていたのだ―――取材を受けるのをやめろと強くは言えなかった。

 

ジニーは本当にハリーを思いやってくれているのだろうか、愛してくれているのだろうか。

 

サラザールとイレーネの仲を取り持ったのは別に誰かに仕向けられてのことでもないし誰かに期待されてのことでもなかった。私のクッキーを美味しいと言ってくれたわ、アリアドネの言葉が脳内にこだまする。ハリーの瞳が好きだわ。母から受け継いだ瞳を好きだと言ってくれた。アリアドネが言った言葉は、何もかも素朴でありきたりな言葉だった。

 

だからこそ“英雄”は、普通の男として悩める。

 

ジニーは、普通の男として悩ませてくれるだろうか―――。

 

ジニーとアリアドネを比べるなど、してはいけないとハリーはわかっていた。ジニーは記憶を遡るだけなのに比べてアリアドネはハリーと毎日接している。その中でジニーへの想いが薄れ、アリアドネへの想いが強くなるのは必然と言えた。環境も違う。ジニーがハリーを“英雄”として見るのは、自分たちが置かれていた状況からすれば至極当たり前のことだ。ジニーとアリアドネではそもそもスタート地点が違う。

 

だからこそハリーは戸惑った。ジニーに別れを告げないでアリアドネと付き合うなんてあまりにも不誠実が過ぎる。

 

******

 

「……というわけで、私のところに恋愛相談に来たと……? 」

 

「だってサラザール先生って一番口が堅そうだなと思って……。」

 

ハリーはそろそろと目を動かした。スリザリンの寮監に恋愛相談をしにいくなど1000年後なら揃って頭の具合を心配されるだろうなあとややズレた方向に現実逃避をするハリーにサラザールが溜息を吐く。

 

「言っておくが、私はまともな恋愛をしたことがない。」

 

「でも皆奥方のことをとっても愛してたって言ってますけど。」

 

「政略結婚だったのだ……。彼女が死んでから彼女を愛していたことに気づいた。愛を自覚した時には既に相手は亡くなっていたという状況を作り出しているという、どこがまともな恋愛だと言う……!? 私は妻の生前に一度として愛をささやいたことなどないほど酷い男なのだぞ。」

 

「……なんかすみませんサラザール先生。」

 

「いや……。そうか、そうだな、この年頃なら恋愛に悩む時期か……。そうなのだな……。」

 

感慨深げにしみじみと呟くサラザールにハリーは首を傾げた。

 

「サラザール先生はこの年頃は恋愛に悩む時期ではなかったのですか……ってそうですか、奥方亡くしてたんですよね。無神経にすみません。」

 

「あの子は私が16の時に生まれている。1歳にもならぬ頃に妻があの子を守って死に、それ以来ホグワーツの創設に奔走していたものでな。イレーネとの触れ合いがおろそかになりがちだったのだ。あの子を諭してくれたハリーには感謝している。」

 

「……そうだったんですね。」

 

「話が逸れたな。それで? 何であろうと生徒の相談に乗るのが教員の役目だ。話してみなさい。」

 

「1000年後に置いてきてしまった彼女がいるんです。」

 

「……そうか。」

 

「別に熱愛ってわけでもなかったですしもしかしたら倦怠期ってやつに入って別れる一歩直前くらいだったのかもしれないですけど辛うじて別れてはいませんでしたし、今アリアドネと付き合ったら浮気になるのかなあって。」

 

「……青春だ。良いな。羨ましい。」

 

「はあ、羨ましい……ですか。」

 

「17の時分から亡き妻の命日に墓参りをして愛を囁いてはきたものの彼女が戻ってきてくれるわけではない……この虚しさをどう表現しろというのだ……。」

 

どよんと暗雲を背負うサラザールにハリーは遠い目をした。スリザリンはどうしてこんなに恋愛が下手な人が多いんだ?

 

「そもそも妻は私と結婚しなければ命を落とすこともなかったのだ……守りきれなかった妻と同じ瞳をしているイレーネこそ守りきらねばならないとは思うものの守りきれる自信がない……ハリーがいなければすれ違ったままイレーネまで失うことになりかねなかった気がする……。」

 

スリザリンは落ち込むと隅っこでじめじめしたがるらしい。ハリーは変な方向に現実逃避をしている自覚がありつつもそう思った。

 

だいたい本当にスリザリンは恋愛下手が多すぎる。今も1000年後も。スリザリンは恋愛下手というのはもはや伝統なのではないだろうか。ほら、1000年後のヘレナの話に出てきた血みどろ男爵だって意味分からないくらい恋愛下手で最終的に相手殺しちゃってるし……スネイプ先生って血みどろ男爵と案外話合うんじゃないの……? あ、違う、だめだ、スネイプ先生と血みどろ男爵一緒にしたら絶対隅っこでじめじめしはじめてカビ生えるわ。

 

とりあえずサラザールは恋愛相談の相手としては機能しないらしいなあと思いつつ、何だかんだ言いつつもハリーは自分も隅っこでじめじめしているような気がしだして帽子が自分をスリザリンに入れようとしたのはあながち間違いではなかったとこれまた変な方向に現実逃避をしたのだった。

 

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