崖から落ちたら千年前 作:優鶴
ハリーは悩んだ。悩みつくした。戦いの中で育んだ恋は、確かに、焼けつくように焦がれるものだ。鮮やかな赤毛とヘーゼルの瞳を忘れるなど無理にもほどがある。
ジニーは強気で、わりとリードしてくれる方だ。だからハリーはそれに甘えていたのかもしれない。だとしたら彼女には悪いことをした。別れを切り出されても何も言えない。ジニーは、ハリー以外の人と幸せになるべきではないか……。
それが、アリアドネに少なからず惹かれている自身を誤魔化すための考えであることは見え透いていた。この穏やかな時間の中で、与えられた悩む時間の中で、許される限り悩みつくして。
思えば、ハリーの初恋はチョウだった。そして次の恋がジニー。どちらだって、少なからず追い詰められた中でした恋だった。アリアドネのように穏やかな時間の中で育んだわけではない。
そもそも、ジニーとアリアドネでは、まったくわけが違うのだ。それをどういう基準で比べればいいのか、いや比べるなど彼女たちに失礼ではあるまいか。そんなことがぐるぐると頭を回って、整理ができない。それでも悩むのをやめるのが一番駄目なことだから、考え続けないといけない。
「ハリー、そろそろ水分をとったら? 」
「ううう……ありがとうアル。」
アルドールに差しだされた水差しを受け取り、ハリーはちまちまとそれを飲んだ。スリザリン寮で過ごすのはもう何度目だろう。この優しい空気溢れるホグワーツに来てだいぶ経っていた。アリアドネに告白されてから、何度もハッフルパフの滞在期間があった。気まずいだろうに、優しい笑顔を見せてくれた彼女には感謝しかない。
「リアのこと? 」
「うん、アリアドネのこと……。あ、そうだ。アルは誰か好きな子いないの? 」
「……! 」
ぼっと耳まで赤くしたアルドールにハリーはにやにやと目を細めた。これは好きな子がいるようだ。それにしてもスリザリン純情すぎるだろう。アルドールはもう18歳なのにこの反応なのだ。
「えー誰? 教えてよアル。」
「言えない! 」
「……“言いたくない”じゃなくて“言えない”? 何、人妻とか? 」
「断じて人妻じゃない! 」
「じゃあどうして言えないの? 」
そろりそろりと挙動不審になり目を彷徨わせて後退し始めるアルドールの警戒っぷりにハリーはソファに転がってクッションを抱きしめたまま目を眇めた。随分とだらしない格好である。あ、眼鏡がずり落ちてきた。
「……からかわないから。」
だって今談話室にいるの僕とアルだけだし、とハリーは心の中で呟いた。
「……信用できない。」
「からかわないって約束するから。誓うから。」
「魔法族の約束とか誓いとかの効力を知っているのか。だいたい僕の先祖のエルフの一人には誓言なんてものをやらかした末に火口にダイブしたり盛大に手を火傷して海辺を彷徨う羽目になったり怒りが激しすぎて船燃やした末に自主火葬して遺体のこさなかった人がいたりするんだよ。船燃やした人は船の中に子どもがいて子どもごと燃やしちゃったらしいんだよ。」(※)
「……僕はアルの先祖が理解できない。」
「誓いとか約束の大切さがわかった? 」
「……誓言破ったら火口にダイブしたり海辺を彷徨ったり自主火葬したりしなくちゃいけないの? 魔法族ってそんな変な掟あったりするんだっけ。」
聞いたことがないよ、とハリーが首を傾げるとアルドールは後ずさって壁に背中をくっつけたまま口を開いた。
「だって僕の遠い遠いご先祖様のエルフの話だからね。まだこの地球が平らだった頃の話。」
「……アルの血筋がすごいんだなっていうのはわかった。で、誰が好きなの? 」
「……からかわない? 」
「うん。からかわない。」
「……。……ヘレナちゃん。」
あの子何歳だっけ。
「……ロリコン。」
「からかわないって言ったのに! 」
「うんごめん……でもそれ犯罪じゃないかな……。」
「ハリーたちが住んでる千年後が健全なだけ! ハルモニアはお母さんが嫁いできたのは12歳とか言ってたし……。」
「ハルモニア? 」
「あれ、知らない? レイブンクローのハルモニア・ペベレル。確か今二年生だったかな。」
ペベレル。そういえばヘルガが言っていた気がする。死の秘宝の三兄弟のファミリーネーム。一応ハリーのご先祖様にも当たる人だ。
「図書館にこもっていつも本と同化してるから気づかなくても無理ないか……。」
「……うん、そのハルモニアのことは良いとして。ヘレナちゃんのこと好きなの? 」
「……うん。」
ふむ、とハリーはまじまじとアルドールの顔を見た。そして気がついた。
もしかしてアルドールが(未来の)血みどろ男爵なんじゃないか。
まさかとは思うが、スリザリンって割と愛を拗らせるからヘレナちゃん殺しかねないんじゃないか。
「……アル。」
「何? 」
「好きな人が自分の思い通りにならないからって殺しちゃだめだからね。」
「……どうしてそういう話になるのか詳しくお聞かせ願えないかな、ハリー。」
「というかどうしてアルはヘレナちゃんのことが好きなの? 」
「……可愛いし。」
「それロリコン発言。」
「……母親譲りで賢いし活発だし守ってあげたくなる感じが……。」
「……うん、君は奥手だって信じてるからね、アル。」
「その生温かい目をやめてくれるかな。」
「大丈夫、最悪ヘレナちゃんを殺したりしなければいいから。」
「……どうしてそういう思考に走るのか小一時間ほど問い詰めたいんだけどハリー。」
「うーんとねこれはねちょっと一言では説明できない事情があってだね。」
半眼になったアルドールに空笑いをしたハリーは、逃げるようにしてスリザリン寮の部屋を出た。
……待て、アルをロリコンだの何だのとからかっていたからきまりが悪いのは向こうのはずなのに僕が出てきてどうするんだ。そう思ったが、今さら戻ってどうして僕がヘレナちゃんと殺すんだと詰め寄られても面倒なので適当にホグワーツを散策することにした。
この時代のホグワーツはいい。森は一応禁じられた森なんて呼ばれているけどさすが偉大なる魔法使いたちの膝元なだけあってこの先危険生物の巣窟につき立ち入り禁止、なんていう結界が張ってある。千年後のホグワーツよりよほど平和だ。千年後のホグワーツがやたらと物騒なだけとも言うかもしれない。いや、そもそも生徒の数が千年後の何分の一かなのに教員の数は千年後の倍くらい、手が足りるのは当たり前か。
悩んで悩んで、まだ何も答えは出せていない。考えれば考えるほどこんがらがっていく。わかるのは、皆がハリーが答えを出すのを気長に待ってくれているということだけ。その残酷なほどの優しさが心地よくて愛おしかった。千年前のこの世界は、やっぱりハリーを受け入れてくれている。
散策していたら、いつの間にか件の崖―――ハリーが千年前に来るきっかけになった場所まで来ていた。そういえばここからうっかり落ちてここに来たのだった。
「誰かいるの……って、あら、ハリー? 」
崖の近くで薬草を摘んでいた少女が振り返った。瞬いた青色の瞳は間違いなくアリアドネのものだ。
「……あ、アリアドネ。」
アリアドネの告白に半年以上も答えを返せていないことに後ろめたさを感じながらも名前を呼べば、彼女は口元を綻ばせて立ち上がった。笑みは少しぎこちないが、ハリーに気にさせまいとしているその姿が可愛らしい。
ハリーがそんなことを思っていると知ったらジニーはどうするのだろう―――。強気な光を宿すヘーゼルの瞳が頭をちらついた。
「薬草探し? 」
「ええ、ちょっとサラザール先生に頼まれたの。魔法薬の材料が少なくなったからって。」
まったく人使いが荒い先生ね。アリアドネの言葉にハリーも思わず笑う。
「……ねえ、アリアドネ。君が告白してくれたことの、返事なんだけど。」
「焦らなくても良いわよ? 」
悩みに悩んで、この中途半端な気持ちを吐露してもいいものか。迷ったところで、足元がぐらりと揺れた。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
「ハリー! 」
薬草を摘んでいた籠を投げ出し、アリアドネがハリーの方に手を伸ばすのがわかった。何らかの魔法を展開し、落ちるハリーを包み込むように光が降ってくる。
当の落ちているハリーはといえば、何もできなかった。
「アリアドネ……。」
ただ、必死でハリーを浮かそうとしているアリアドネの青色の瞳を見つめて呆然とその名を呟くことしかできなかった。
もう、完全に絆されていた。ジニーへの想いは嘘ではないものの、初めに名前を聞いてくれて、お友達になりましょうと微笑んでくれた彼女にとうの昔に心の天秤は傾いてしまっていたのだ。ただ、ジニーへの後ろめたさから目を背けていただけで。
リア、愛してる―――唇だけで紡いだ無責任な言葉が届いたのかどうかは、見開かれた青色の瞳を見ればわかることだった。
アリアドネが放った魔法は、間一髪のところで間に合わず、ハリーは地面にたたきつけられた。脳が反射的にクッション呪文を発令したらしくふんわりとした地面はハリーを受け止めてくれたが。
「……まさか、これで、元の時代に戻ってきちゃったとかないよね? 」
ハリーはあたりを見回したが、これだけではわからない。とにかく、上に登らなければ。一度この崖は登ったのだから簡単なはずだと言い聞かせ、ハリーは身軽に崖に飛び乗った。ゴドリックが教えてくれた体術が今、まさに活きていた。ちなみにここまでで杖は一切使っていない。一年近くで杖なし呪文が当たり前になってしまったようだ。セレナにしごかれた甲斐があった。
ジニーに対して不誠実なのは百も承知だが身勝手ながらやはりアリアドネは愛しいわけで、とりあえずヘルガ先生のところ相談に行こうかな。軽い気持ちでそう考えたハリーは、次の瞬間には絶望した。
「ポッター、学校に来ると連絡は入っていましたがいきなり禁じられた森に入るなど闇祓いとは言え何をして……。」
現れたのは、ヘルガではなく、もちろんサラザールでもゴドリックでもロウェナでもなく。マクゴナガル教授であった。
「……どうして、マクゴナガル先生なんですか……。」
その言葉を最後に、ハリー・ポッターは禁じられた森の端にて気絶した。
※火口ダイブとか海岸放浪とか船焼きとかの話はすべてトールキン著『シルマリルの物語』出典です。アルドールはエルフの一族の末裔設定です。ヌメノール王朝の血を引いてます。これはクロスオーバーになる……のか?