崖から落ちたら千年前   作:優鶴

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この世界線での灰色のレディと血みどろ男爵の恋の顛末





閑 遥か彼方の記憶

「ヘレナちゃん。」

声をかけられて、ヘレナは振り返った。もうすぐホグワーツ卒業という頃、大好きな母に首席の成績を褒められて彼女は上機嫌だった。

「どうしましたか、アルドール様? 」

サラザールの輔佐としてホグワーツで働いている優しいアルドールが、ヘレナは好きだった。

「もうすぐ卒業だね。」

「ええ。」

「……不躾なことを聞いてもいい? 」

「どうぞ。答えられることなら答えますよ。」

「やっぱり、婚約者とかはいるの? 」

「いませんよ。お母様のお眼鏡にかなう方はそうそういませんしね。」

お母様は私を愛してくださっているの、とヘレナは頬を綻ばせた。幼い頃、母との仲を取り持ってくれたあの優しい青年はもういないのが少し寂しいけれど。

「あのさ、ヘレナちゃん……僕じゃ、やっぱり、役不足かな。」

「役不足? 」

「……ヘレナちゃんが好きなんだ。その、恋愛的な意味で。」

使い古された単刀直入な言葉だったが、飾り気のないそれはヘレナが好む類のものだった。

「アルドール様、私のどんなところが好きなんですか? 」

「え? ……ロウェナ先生に似て、聡明で……勉強熱心で。」

そんな君が、輝いて見えるんだ。頬を赤くして告げられた言葉にヘレナは目を瞠り、そして弾けるように笑った。

「ねえアルドール様、私、お母様に似てますか? 」

「うん。」

ロウェナはヘレナの憧れだ。ヘレナをロウェナに似ていると言いながら、アルドールの瞳はしっかりヘレナを映しているから、ロウェナに重ねているだけではないとわかる。ふふっとヘレナは笑い声をあげる。ヘレナだって、彼を好ましく思っている。

ハリーがロウェナとの仲を取り持たなかった世界では、ヘレナはアルドールの“ロウェナ先生に似て”という言葉を嫌悪し、彼を拒否した。その時の彼女が母が向けていたのは憧憬ではなく愛を示されないことへの焦燥であり、苛立ちだったのだ。しかし、今のヘレナは不器用な母の愛情を理解できる少女だ。

「ね、アルドール様。私、まだ恋というものを知らないんです。私にそれを教えてくれますか? 」

「―――もちろん。ヘレナ、僕と結婚してくれますか。」

「あら、性急ですね。」

ころころと笑うヘレナは今、確かに幸せだった。

「お母様に報告に行きましょう! アルドール様なら、きっとお母様のお眼鏡にかないます! 」

ヘレナは晴れやかに笑ってアルドールの腕に抱きついた。幼い頃はきっと政略結婚で愛してもいない人と結婚するのだろうなと思っていたけれど、ヘレナにはこんなに素敵な恋が待っていた。一緒に愛を育んでいく相手は、きっと母と同じように不器用だけれど確かにヘレナを愛してくれている。

「アルドール様、不器用で良いですよ。私、母で不器用な愛を見抜くのには慣れているんです。」

「……それは頼もしいね。」

年の差という壁はとうの昔に消え去っている。ふたりは笑い合って、ロウェナの元へと足を踏み出したのだった。

 

******

 

「アルドール様! アル! 」

ヘレナが駆けつけた時、アルドールは酷い有様だった。拷問を受けたせいであちこち傷だらけで、何よりその瞳が暗く濁っている。

アルドールの焦点の合わない瞳がヘレナを見た。愛しい男を拷問した主である魔法使いを衝動のままに殺し、ヘレナはアルドールに駆け寄る。

「アルドール様―――。」

もう大丈夫、助けに来ました。その言葉は、続かなかった。

血飛沫があがる。ヘレナは一瞬、起きたことを理解できなかった。彼が、自分に手をあげた?

「っ、……。」

暗い色をした瞳が瞬く。

「……ヘレ、ナ……? 」

ああ、もう、仕方のない人。口の端から血をこぼしながらもヘレナは苦笑を浮かべた。アルドール様、大丈夫。その言葉は果たして届いたのだろうか。次の瞬間にはヘレナは意識を失っていた。最後に見たのはただ、アルドールを置いていきたくない、その思いだけが胸を占めていた。泣きそうなアルドールの顔だった。ああ、そんな顔をしないで、私の愛する人。

 

******

 

拷問にかけられ、サラザールの居場所を吐いた後の絶望は酷いものだった。この世のすべてが敵に見えた。

「―――アルドール様、アル! 」

何故、その言葉を認識できなかったのだろう。何故、何故。

「……ヘレ、ナ……? 」

アルドールは横たわる最愛の人の傍に膝をついた。

どうして、どうして、どうしてよりにもよって彼女に手を上げてしまったのか。愛していたのに、愛しているのに、一番不幸にしたくない人だったのに。

どうして、まだ、微笑んでくれるのだ。笑ってくれるのだ、こんな、己に手をあげた男に。彼女の傍に立つ資格もない男に。

しばらく打ちひしがれていた。サラザールの居場所を吐いた絶望の上に愛しい人を手にかけた絶望が上乗せされる。

「……アル。アルドール様、死なないで。」

幻聴かと思った。幻覚かと思った。灰色の透けた身体がふよふよと浮いている。

「ヘレナ……? 」

「もうアルドール様には触れられませんね。でも、アルドール様を置いていくなんて、できませんから。」

甘く笑ったヘレナがゴーストになったのだということは、すぐに理解できた。触れても寒くなるだけ。どうして―――。

そう思った途端、衝動のままに彼女を殺した武器で自分を殺していた。アルドール様、という悲鳴が聞こえた気がする。ヘレナに触れたい、それだけがアルドールの思いを揺り動かしていた。

 

******

 

「……もう、本当に、仕方のない人。」

ヘレナは苦笑した。

「ゴースト同士なら、触れられる。」

ぎゅっと自分を抱きしめて離さない男の顔は、あまりにも酷い絶望に染まっている。

「でもね、本音を言うと嬉しかったんですよ。私に触れたいから死んでくれたんでしょう? 」

「……ヘレナ、僕は、君を殺して。サラザール先生も危険にさらして……。」

「私はここにいますよ、アルドール様。」

「ヘレナ。」

「本当に仕方のない人ですね。」

「君に触れられないなんて、生きている価値がない。」

「私は果報者ですね。ここまで恋人に思われて。」

「果報者じゃない。そんなはずがない。どうして、僕は君を手にかけたんだ。」

逆ならば良かったのに―――絞りだされた言葉にヘレナは眉をつり上げた。

「許しませんよ、アルドール様? 私、アルドール様を殺したら、自分だって死にます。愛していますよ、アルドール様。」

「……まだ、愛しているなんて、言ってくれるのか。」

「ええ、アルドール様が立ち直るまで、立ち直った後も、何度でも言って差し上げます。愛していますよ。私がこの世で一番愛しているのはあなたです。あと、果報者かどうかは私が決めることですよ。私が果報者って言ったら私は果報者なんです。素敵な恋をありがとうございます、アルドール様。」

―――さあ、ホグワーツに戻りましょう。私たちが帰るべき場所はそこです。あなたと一緒に戻らなければ意味がない。

ヘレナが差しだした手を、アルドールは涙がにじむのを必死でこらえてつかんだ。彼女は、いつまでも、死んでからすらも彼の光だったのだ。

 

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