崖から落ちたら千年前 作:優鶴
「もうやだうんざりだよ秘密の部屋行く。」
人気のない廊下で、ハリーはずるずると崩れ落ちた。もう嫌だ本当に嫌だなんだこれ前世の自分よく耐えられたな。
「……良い時代になったものね。」
崩れ落ちるハリーの隣でアリアドネはしみじみと呟いた。良い時代に、なったものだ。
「どういうこと? 」
「あんな風に不躾に噂話をしても許される時代なのね。子どもがのびのび育てるんだわ……。みんな、空気を読むとか察するとかしないもの。無遠慮は子どもの特権よ。無遠慮でいても許されるんだわ。子どもでいてもいいのね……。」
「……無遠慮な視線にさらされる側からしたら、たまったものじゃないけどね。」
「無遠慮に不躾に色々見てくる子、スリザリン寮は少なかったでしょ? あそこ、貴族が多いものね。きちんと躾が行き届いていて、好奇心に任せて感情をあらわにするなという教育を受けている者たちがいる証拠よ。それでも、千年前に比べれば、子どもでいられる時間が長くなった。ベラを考えればわかるでしょう? みんな、子どもでいられない子どもだったわ。誰にしたって親がいくら愛してくれていても、外部と接する以上、無知で無邪気で、無遠慮で不躾な子どものままではいられなかった。先生方は必死でみんなが子どもでいられるように頑張ってくれたけど、それでも、子どもには戻れなかったわ。遠慮や配慮を知ったあとでは、それを知らぬ頃には戻れないの。この時代では、良くも悪くも無邪気さが失われていない。……変わったものね。」
「……まあ、僕も子どもだったからなあ。ホグワーツに入った時。」
「ハリーは子どもでいられた時間なんてないでしょ。素直に無条件に甘えられて、謝ったら何でも許されるような無邪気で無責任な子ども時代があった? 」
「……謝ったら何でも許される、なんて。」
「ルビウス・ハグリッド。彼はアクロマンチュラを飼育していたのに、結局、退学処分で済まされた。本来ならアズカバンものなのにね。子ども、だったからよ。子どもだから許されたの。ねえ、ハリー。謝ったら、何でも許されるような時代があったかしら。」
「……記憶にある中では、ないかもしれない。ないけど……。」
シリウスには、無条件に甘えられたはずだ。でも、謝っても許されないことだってあった。子どもだから仕方ない、そんな言葉、聞いた覚えがあっただろうか。
「学校という社交の場で、ぶつかりあって、喧嘩して、泣いて、仲直りして笑って……そんな青春を経て、無知な子どもが社会を支える大人になる。先生方は、そんな学校を目指していたわ。遠慮なんてしなくていい、何かあったら大人が責任を取るからあなたたちは無邪気に甘えていなさいってね。上級生になるにつれて下の学年の面倒を見るようになって、いつしか私たちが責任を取るから無邪気に甘えていなさいって言えるようになる。七年間のホグワーツ生活は、そんな風にあるのが理想なの。今のホグワーツは、無知な子どものまま入ってきて無邪気に無意識に“子ども”ということに甘えられている。でも、卒業するまでにどれほどの子どもが大人になれているのか。入学した時、すでに周りを見て気を配れる大人だった子と、ホグワーツを卒業してもまだ無知で無邪気な子どものままでいる子と、その間で格差がひどく開いてしまっている。無知と無邪気は人を傷つけるし時に自分も傷つけるけど、遠慮と配慮は誰にも心を許せなくなる。難しいわね。無知で無邪気な子どもが経験を経て学生時代に心を許せる一生の友人を得て、そして遠慮と配慮を知った大人になる。この理想が実現できればいい。……先生方を一気に失ったショックで子どもたちへの気配りに欠けて、学校を存続させるだけで精一杯だった私に言えることじゃないけどね。」
「……リアは、色々考えてるんだね。無知と無邪気は人を傷つけるって、本当にその通りだよ。でも前世の僕は、傷つけて傷つけられて友人を得て大人になった。」
くすり、とアリアドネが微笑んだ。
「ま、ヘルガ先生の受け売りなんだけどね。じゃあ秘密の部屋にでも行きましょうか。」
くるりと身を翻したアリアドネの後をハリーも追う。
「リア、入り口知ってるの? 」
「三階の女子トイレでしょ。ハリーが記憶を見せてくれたんじゃないの。」
「そっか。それにしてもよく覚えてたね。」
「いいえ。じゃ、アルとヘレナちゃんも呼びましょうか。―――アル、ヘレナちゃん、秘密の部屋に行くわ。三階の女子トイレ集合ね。」
アリアドネが杖なし無言呪文で守護霊を呼び出して伝言に向かわせる。……それより。
「リア、今の守護霊って。」
「変わったの。雌鹿なのよ―――ハリーは、牡鹿でしょう? 」
「……うん。」
きちんと形を取った美しい守護霊だった。あの人と、そっくりな。その考えを首を振って振り払い、ハリーはアリアドネの手をとる。
「行こうか、リア。目くらましはかけておく? 」
「一年生がそんなもの使えたらさすがに不自然じゃない? 」
「守護霊呼び出しといて何を今さら! ま、クリスマスには透明マントが届くけどね。一緒に夜の散歩しようよ、リア。」
こちらも杖なし無言呪文で目くらましと防音呪文をかけ、ハリーは軽やかな足取りで三階の女子トイレに向かう。運よくマートルは留守にしているようだ。
「やあハリー。」
「ハリー様、ご招待にあずかり光栄です! 」
既にアルドールとヘレナは到着していた。アリアドネがそれに笑顔で手を振る。
「アル、ヘレナちゃん、早いわね。」
「ええ。リア様の守護霊、久しぶりに見ました。懐かしくって……。ハリー様の守護霊は牡鹿だとベラ様に聞きましたもの、本当にリア様はハリー様を愛していらっしゃるのですね。」
「アルの守護霊だってヘレナちゃんと同じ鷲だったものね。」
守護霊が同じ。どれだけ愛が深いか示しているその話は、やはりあの人を彷彿とさせる。ハリーは天を仰いだ。ハッフルパフになっても、彼は陰険嫌味なままだろうか。
「じゃ、開けるよ―――『開け』。」
シューシューと蛇語を話すが、三人とも特に驚いた様子はない。
「ハリー、今“開け”って言ったの? 」
「うん、そうだけど。……わかったの? 」
ゴゴゴと洗面台がパイプにつながっていくのを見つつハリーは首を傾げる。ええ、とアリアドネは軽く頷いた。
「先生方、古龍の言葉もオークの言葉もエルフの言葉も古今東西の言葉に通じていたから。一年生から三年生まで選択科目に第二言語があって……ちなみに私はドラゴンの言葉専攻だったわ。ヘレナちゃんは? 」
「サラおじさまの授業に決まっているでしょう。後天的ですが私も蛇語は話せますよ。」
「えー……何それ……。」
ハリーはがくりと膝をつきたくなった。一年生から三年生までのカリキュラムというのが惜しい。自分だって第二言語授業受けたかった。
「僕は蜘蛛語だよ。」
アルドールが平然とのたまう。ハリーはくらりと目眩がしてこめかみを揉んだ。
「蜘蛛語って……蜘蛛語って……そんなものあるの? 先生たちって本当に何なの。」
「それよりハリー、早く秘密の部屋に行かなくちゃ。ここを降りればいいのね? 」
「あっリア、僕が行くから! 僕が先に行くからね! 」
慌ててパイプの中に飛び込み、ハリーは落下した。自分に浮遊呪文をかけて地面から30cmほどのところでいったん静止し、とんっと降り立つ。そのまま後から落ちてきたアリアドネを受け止めた。いわくお姫様だっこというやつだ。実はやってみたかったのだ、これ。アリアドネは比喩抜きで羽根のように軽かった。
「アリアドネ、すごい軽い……妖精みたい。」
そのまま歩き出そうとすればさすがにぽかぽかと力なく肩を叩かれた。
「……ハリー、おろして。さすがにこの体勢は恥ずかしいわ……。」
「えー……。これくらいいいじゃん……。」
ちなみにこの後ろではもう一組のバカップルがお姫様だっこをやらかしている。しかしこちらは男女逆転だった。
「ヘレナ、重いだろう! おろしてくれ! 」
「大丈夫ですよ、アル様。アル様すごく軽いです。やだ、アル様可愛い。」
「……リア、僕はアルドールが不憫に見えてきたよ。」
「……ハリー、お姫様だっこしてあげましょうか。」
「え、やだ。僕はリアをお姫様だっこしたいのであって自分がお姫様だっこされたいわけじゃないよ。それに僕は重いし。」
「……私だって軽いわけじゃないもの。自分に浮遊呪文かけてるんだからね。」
「いいよ、そんなことしなくても。」
「私より背が低いくせに何を言ってるの! 」
「ええ……だってアリアドネが泥だらけになるのは嫌だし。」
「……確かにここはスカートで来る場所じゃないわね。」
「……あ。」
「スカートがめくれないようにする呪文くらいあるのよ?! 」
「え、何それ! 」
「女子だけに伝わる秘密よ! 主にヘルガ先生とロウェナ先生考案。だって呪文知られたら反対呪文考えられちゃうでしょ! 」
バカップル二組によるただのじゃれあいが続くかと思われたが、それは奥から聞こえてきた声によって終息した。
『我が眠りを妨げる奴は、誰だ……。』
「バジー! 」
ハリーの腕の中でアリアドネが嬉しそうに声をあげた。彼女にはシューシューという音が聞こえているのみのはずだが、それでバジリスクだと判断できてしまうとはさすがである。
『バジー、僕だよ。ハリーだよ。あとはね、アリアドネとヘレナとアルドール。皆で同窓会しようってことになって。サラザール先生の思い出話でも聞かせてよ! 』
『ハリー? ハリーとは……それに、リア姉様とヘレナとアル兄様が来ているのか? 』
「……ねえ、リア、アル、君たちバジーに兄様姉様って呼ばせてたの?! 」
「だってサラザール先生がバジーに話しかける時そういう言い方していたんだもの。」
「バジーはまだ小さかったし……。」
「一期生の皆様はバジーは皆先輩呼びしているんです。ずるいですよね。」
「うん、ずるい。僕もバジーに兄様って呼ばれたい! 」
アリアドネに会ってから感情を取り戻したはいいが、ハリーの頭のネジは何本かはじけ飛んでいるのかもしれない。しかしここにそれを指摘する者はいなかった。
『バジー、今行くから目閉じててね! 』
『わかった。目は閉じたが、気をつけて来てくれ。』
『もちろん! 』
「アル様、リア様、バジーは目を閉じていてくださるそうですよ。」
ハリーがバジリスクを大声でシューシュー言い合っているのをヘレナが通訳してくれた。さすが叡智のレイブンクローの娘、きちんと内容を理解してくれているらしい。
結局お姫様だっこについてはそれ以上追及されることがないまま、千年前を知る四人はバジリスクのいる奥の部屋へと足を踏み入れたのだった。