崖から落ちたら千年前 作:優鶴
「バジー! 大きくなったわね! 」
ハリーの腕から飛び降りてアリアドネがバジリスクに抱きついた。鱗にすりすりと頬ずりしている。
『久しぶり、バジー。大きくなったね。』
ハリーが話しかければ、バジリスクは尾を降った。
『ハリー、最初に威嚇するようなことをしてしまってすまない。』
『ううん、全然。会えて嬉しいよ。』
ハリーもバジリスクを抱きしめ、一通り再会を果たしたところでその辺に灯をつけ、床をスコージファイで綺麗にしてから座りこむ。
「じゃ、千年ぶりの同窓会ってことで。乾杯、……って行っても飲み物ないか。ゴーストの食事はアレだしね……。」
絶命日パーティーを思い出したハリーは遠い目をした。ちょっとあの食事は思い出したくない。とても生きた人間が食べるようなものではなかった。
「あら、じゃあ食堂のハウスエルフに頼めばいいんじゃないかしら。食堂のハウスエルフさん、何か飲み物をくれるかしら? 」
アリアドネが空に向かって呼びかければ、次の瞬間にはカボチャジュースが秘密の部屋に現れた。
「ハウスエルフってやっぱり万能だね。どうして彼らが魔法族に仕えてるのか不思議だよ。」
「スリザリンの当主様たちの人望じゃないの? 」
カボチャジュースを飲みながらアリアドネが首を傾げる。ハリーの首も同じように傾いだ。
「スリザリンの当主様達の人望ってどういうこと? 」
「初めにハウスエルフが仕え始めたのはスリザリン家だからよ。イギリスでもっとも古く由緒正しきスリザリン。常時およそ100人ものハウスエルフが仕えていたと聞くわ。」
「そっか、だからサラザール先生がホグワーツにハウスエルフを連れてきたんだ……。」
「ええ。そうでしょ、ヘレナちゃん。」
「はい、リア様。レイブンクローにもハウスエルフが仕えていたと聞きますが、お母様は実家を飛び出してヘルガおばさまのところに転がりこんでからというものレイブンクロー家に戻ったことはありませんから知りませんが……。まあ、サラおじさまのスリザリン城には何度か遊びに行ったことがありますけれど。」
「え、ロウェナ先生って実家飛び出してヘルガ先生のところ転がり込んだの……? 」
それどんなシリウス、と言いたくなったところをハリーはこらえた。よくあることなのだろうか。一応ポッターとブラックの当主を兼任なぞしていたこともあったが貴族というものはよくわからない。
「ロウェナ先生は三人の兄と両親総出で甘やかされて育った末っ子だったからな。だがなまじ頭が良かっただけに甘やかされるだけの実家が嫌になってヘルガ先生の元に転がり込んだと聞いている。」
アルドールが肩をすくめた。どうやらヘレナのお姫様だっこからはようやく解放されたらしい。
「そっか、ロウェナ先生って末っ子なんだ……。」
「ゴドリックおじさまはマグル側の今でいう孤児院みたいなところ育ちですよ。ヘルガおばさまは年の離れた弟がいらっしゃる長女ですし、サラザールおじさまは一族の期待を一身に追う一人息子。まったく、本当にお母様ときたら甘やかされて育っていますね。」
他三人の先生方の来歴を並べ立て、ヘレナが溜息を吐く。実の母に随分辛辣な評価である。いや、実の母であるからこその辛辣な評価と言うべきか。
「まあそれは置いといてさ。秘密の部屋に来たのはバジーに会いたいからでもあるし、来年バジーを殺すなんて嫌だからちょっと話し合って対策考えておきたいなあと思ったんだよね。」
「ああ、あの秘密の部屋が開かれる事件か。」
アルドールが軽く頷いた。ペンシーブで見せたことを覚えているらしい。ハリーもカボチャジュースを飲み終わったところで頷く。自動的にカボチャジュースが追加された。
「待ってくださいアル様、何のことです? 私聞いていません。秘密の部屋が開かれるって、まさか、あの子の時の。」
ぎゅっとアルドールの腕に抱きついたヘレナが頬を膨らませた後、さっと顔を青ざめさせた。ハリーは首を傾げるも次のアルドールの言葉で疑問は口にできなくなる。
「ハリー、ヘレナには後で僕から説明しておくから話を続けて。あ、バジーは人語解するから通訳しなくても問題ないよ。」
「そういえばそうだったっけ。あ、じゃあ律義に通訳する必要ないんだね。やっぱりバジーって賢い。」
ハリーがバジリスクの鱗を撫でればびったんばったんと尾が床を叩く。これは嬉しさの表現だろうか。
「来年、トム・リドルの日記がここに来るんだよね。それでバジーを起こして、人を石化させていく。最後には、ひとりの生徒が死にかける。今はリアが作ってくれた封印魔法が施された袋の中に眠ってるけど、やっぱり油断は禁物だよ。僕の大事な人って言ったらリアだし、リアが利用されないか心配だし。」
ジニーは純血ではあったけれど、秘密の部屋に連れ去られた。日記の所有者なら油断は禁物ということだ。油断大敵、という言葉とぐるぐる回る青い眼がハリーの脳裏をちらついた。
「それに、リアは日記を持ってたんだし。いくら封印魔法かけていたって言っても、相手がリドルじゃ油断しちゃだめだ。」
「でも、今はハリーが持っているんでしょう。油断しちゃいけないのはハリーもだわ。心配よ。」
「うん……ほら、服従の呪文ってあるでしょ。リドルなら、服従の呪文を使ってバジーを操っていたとしてもおかしくない。」
「バジーへの注意喚起ということだけではだめなのですね。」
「……ハリー、ゴーストも石化するのか。」
緊張した面持ちでヘレナの肩を抱くアルドールにハリーは顔を歪めた。
「そこの記憶は見せてなかったっけ? ―――首なしニックが、石化した。」
アルドールの顔がこわばり、心なしかヘレナの肩を抱く手に力が入った。しかし当のヘレナはそんなことは知らぬ存ぜぬとばかりに頬に手を当てて考え込んでいる。しかしヘレナを抱きしめてぷるぷる震えているアルドールに思うところがあったようだ、顔を上げて訝しげに眉を寄せる。
「……アル様、どうしてそんな石化に怯えるのですか? 」
「……だって、石化なんて死んでいるようにしか見えない。動かない君を見るなんて耐えられない。もう、あんなことは起きてほしくない。」
「まったく、アル様ってば心配性ですね。どのような魔法で石化されたにせよ、“女王の涙”で回復するではないですか。」
その言葉に今度はハリーが眉を寄せた。何やら聞き覚えのない単語が出てきた。ふたりのじゃれあいは自分にもアリアドネがいるので羨ましくも何ともないが、その言葉は気になる。
「待ってヘレナちゃん、その“女王の涙”って何。石化からの回復ってマンドレイク回復薬じゃないの? 」
「マンドレイク回復薬? 手間がかかりますしマンドレイクが出回る時期しか作れませんし非効率です。“女王の涙”を使うべきでしょう。今はどうか知りませんけど、千年前ならば幸い材料はすぐ調達できたわけですし。」
マンドレイク回復薬、散々な叩かれようである。
「その“女王の涙”って何? 知らないんだけど。」
「あらハリー、知らないの? 私たち、一年生の授業の時にサラザール先生とゴドリック先生の課題授業で教えてもらったけど。」
「僕が編入したのいつだと思ってるんだってば、リア……。」
「千年前じゃ基礎的なものだったわよ。」
「千年前を常識に語られても困るよ。」
ハリーは肩を落とした。千年前の面々には知識においても実力においても劣っていることはわかっているが、いざこうしてつきつけられると少し落ち込まずにはいられないのである。そんなハリーの心境を知ってか知らずかアリアドネの言葉は続く。
「不死鳥の雌の涙とバジリスクの雌の涙を9:1の割合で混ぜ合わせたものよ。混ぜるだけだからマンドレイク回復薬よりよっぽど簡単に作れるの。それに9:1って割合も簡単だしね。ほら、石化ってほとんど死んでいるようなものでしょう? それを回復させるためには死の象徴であるバジリスクと生の象徴である不死鳥を使う必要があるの。不死鳥の涙だけだと完全に死んでいるわけではなくて、石化だから魂や身体に大きな傷がついているわけでもない場合には効果を発揮しすぎて逆に危険なの。そこでバジリスクの涙よ。死の光線を放つ眼じゃ刺激的すぎるから、死の光線を放つ眼から出た涙を利用するの。不死鳥の涙の強力すぎる蘇生作用を適度に抑制できる割合が9:1ということ。どうして雌かというと、やはり体内で命を育む雌の方が“生”に寄っているからよ。」
「そっか、雌だから“女王の涙”っていうんだね。バジリスクは毒蛇の王とも呼ばれるし、確かに女王と呼ばれる要素はある。でもそんな魔法薬があるなんて知らなかったな……。雄だとだめなの? 」
「うん、雄だとだめだよ。まあバジーとペルセポネがいたから作れたんだけどね。」
「ペルセポネって……ああ、ゴドリック先生の不死鳥か。」
少し考えてから答えを出したハリーにアルドールが正解とでもいうように頷いた。
「そう、ゴドリック先生の不死鳥。ちなみにバジーにもシャナって名前がついてたりする。みんなバジーって呼んでるしシャナって名付けたサラザール先生自身ですらバジーって呼ぶからシャナなんて呼ばれないけどね。」
「そっか……フォークスは雄と雌どっちなんだろう。雄だと思い込んでたけど。」
「ああ、今の校長も不死鳥飼っていますものね。でも、さすがに私も雄か雌か知りません……アル様、ご存知ですか? 」
「ううん、そこまではさすがに。いかに不死鳥といえど千年もの間ホグワーツに留まっているかはわからないし。やっぱり不死鳥語専攻にしておけばよかったかな……。それなら聞けるんだけど。」
「不死鳥語なんてあるの……? 」
千年前から失われたもの多すぎやしないか。ハリーは天を仰いだ。千年前のカリキュラムならハリーの七年間の冒険はもっと簡単に終わった気がしてならないのだが。
「ありますよ。ちなみに不死鳥語の教師はゴドリック先生です。」
「ああ、うん、だろうね……。」
もう何が来ても驚くまい。ハリーはさらに頭を抱えた。
「とりあえずハリー、まずはバジーの涙をもらっておく? 万が一のために。」
「うん、万が一のためにね……。不死鳥が雄だったら意味がないけど。もし服従の呪文で操られちゃったりしていたら、バジーから涙もらうのもできないしね。」
了解、と軽く頷いたアリアドネがバジリスクに話しかけ、ヘレナの通訳でどこからか取り出した瓶にバジリスクの涙を採取するのを見つつ、ハリーは自動的につぎ足されているカボチャジュースを飲んだ。
「リア、今度厨房行こうよ。ハウスエルフを味方につけておいたら強い。」
「ええ、そうね……。それがいいわね。」
バジリスクの涙を検分しながらアリアドネが軽く頷く。それを見やった後、ヘレナがハリーを見た。
「ハリー様、お願いがあるのですが。」
「お願い? 」
「トム・リドルを、ヴォルデモート卿を正しく導けなかったのは私たちの咎です。アルバス・ダンブルドアにしても同じこと。誰であろうと、“悪”と見做さないでください。イギリス魔法界のほとんどはホグワーツの卒業生であり、ひいてはお母様の、サラおじさまの、ヘルガおばさまの、リックおじさまの……そして、私たちの生徒です。手を尽くした末に、それでもなお違えた道を修正できなかったというのなら、責任を持って殺しましょう。この世から葬り去りましょう。それが、生徒たちを導くということであり、守るということです。そして、手を尽くしてもなお違えた道を修正できなかった生徒を手にかけたならば、彼ら、彼女らの苦しみを忘れてはなりません。すべてを背負っていかねばなりません。ゴーストゆえに力及ばぬところもありますが、私とアル様はこのように考えて千年間を過ごしてまいりました。そして、この時代に記憶を持ったままハリー様とリア様がいらっしゃったということは天の導きにしか思えません。私たちの生徒の軌道修正に手を貸していただけませんか。」
ヘレナの瞳はまごうことなく“大人”のものだった。ハリーは息をのむ。彼女は、そしてアルドールは、千年の間、ゴーストでありながらも生徒を導こうと頑張ってきたのだ。
「もちろんよ、ヘレナちゃん。それに、アル。ホグワーツを千年持たせてくれてありがとう。ここで協力しないなんて先生方に、みんなに申し訳が立たないもの。」
アリアドネの表情は泣き笑いに近かった。ホグワーツを千年持たせてくれてありがとう、千年前に校癒としてホグワーツを支えたからこそ重みがある言葉だった。
ホグワーツを卒業していった者たちは、みんな、彼女たちにとっての“生徒”なのだ。闇に身を堕としても、どれだけ過ちをおかしても、“生徒”に過ぎないのだ。“生徒”に“教師”として導きを与え、そして過てば諭して寄り添って、なお戻れないのならば責任を持って引導を渡す。
「……僕も、協力するよ。でもその前に、ヘレナちゃんとアルが道を違えたと思う生徒について話してもらっても? 」
「ええ、もちろんです。」
頷いたヘレナは瞳に強い光を宿し、ハリーとアリアドネを見据えた。
「アルバス・ダンブルドアとトム・リドル。そしてセブルス・スネイプ。あと、ドローレス・アンブリッジとバーテミウス・クラウチですね。近年で、とりわけ私たちが上手く導くことの出来なかった生徒たち。ホグワーツにしか留まれぬことをこれほど後悔したことがあったかというほどに……。ホグワーツを卒業した後も見守ることができたなら、寄り添うことができたなら、きっとあの子たちが今のようになることは……。」
出てきた五人の名前は、ハリーがよく知る名前だった。アルバス・ダンブルドア、トム・リドル、セブルス・スネイプ、ドローレス・アンブリッジ、バーテミウス・クラウチ―――おそらくはジュニアの方であろう。
「他にも、たくさんいます。ここ数十年、時代が荒れに荒れ、手が回らなくなってきたのです。今挙げた五人に共通する点は、“親からの愛を受け取れなかった”ということ。父親であろうと母親であろうと、親から多少なりとも否定されてきたことだといえるでしょう。トム・リドルに関しては、親というより保護者というべきかもしれませんが……。彼は孤児院育ちでしたので。あの子が闇の帝王になるなどとは、思いませんでした。唯一の救いは、お母様の髪飾りの在り処を話さなかったことくらいでしょうか……。」
「待って! 」
ハリーは思わず遮っていた。彼女がトム・リドルにレイブンクローの髪飾りの在り処を話していない? それならば分霊箱は? 彼なら七つ作るはずだ。だってスラグホーン教授にそう質問していたのだから。もう一つの分霊箱は、一体。
「どうしましたか、ハリー様。」
「レイブンクローの髪飾りの在り処を話さなかったの?! 」
「はい。お母様から、誰にも話すなと厳命を受けて、髪飾りを隠した場所を教えられました。お母様は、あの髪飾りの特性―――賢くなるという特性が人をひきつけてやまないことをご存知でしたから。あの髪飾りはレイブンクローに代々伝わる家宝で、家を飛び出したお母様を心配して私から見て祖父にあたる方がヘルガおばさまにお母様に渡してくれと託したものです。……ホグワーツ創設からしばらく経って、レイブンクローの髪飾りを巡った争いによってレイブンクロー家が没落したこともお母様が髪飾りを隠すに至った理由の一つでしょう。髪飾りはこの城のどこかに隠されおりますが、それを知るのは私だけです。アル様にさえ話しておりません。あの髪飾りがもう一度出てきたのならば、戦は避けられない。レイブンクローが一族ごと滅亡するほどの戦を起こした人を狂わせる魅力を持った髪飾りです。その在り処を話すのがどれほど危険なことかくらい、私とて承知していますから。」
「……誰にも、話していないんだね? 誰も、それは見つけられない? 」
「ええ。ホグワーツの隠し階段や隠し扉など目ではないほどのとんでもなく複雑な仕掛けが施されております。何人であろうとたどり着くのは不可能です。今では失われた古代ルーン文字によるオリジナル術式も組まれておりますし、あそこにたどり着くなど無理ですよ。それに、お母様が操っていらした鷲語だってトラップに使われています。あり得ないですよ、あそこを突破するなど。」
「トム・リドルでも? 」
「ええ、ホグワーツ始まって以来の秀才と呼ばれるほどでしたが、お母様には遠く及びません。」
「……バジーの助けがあったとしても? 」
「ええ、無理でしょうね。―――ハリー様、これ以上はお母様と私への侮辱とみなしますよ? バジーが鷲語を話せるとでも言うのですか? 」
ヘレナの眦がつり上がる。しかしハリーとて引き下がるわけにもいかなかった。
「僕は、“逆行”している―――つまり、前回の記憶がある。トム・リドルはレイブンクローの髪飾りで分霊箱を作っていたはずなんだ。それが違うというのなら……。」
「ええ、ハリー様のおっしゃる“前回”ではそうだったかもしれませんけど! 今回はあり得ません! ゴーストであろうと、思念体であろうと通り抜けられないような仕掛けをお母様直々におつくりになった場所に隠されているのです! そんなに気になるのならバジーに聞いてみればよろしいでしょう、レイブンクローの髪飾りを手に入れたのならバジーにくらい話しているのではなくて!? 」
「ハリー、落ち着いて。」
それに言い返そうとしたハリーの肩にアリアドネが手を置いた。
「冷静にならないと話し合えないわ。」
向かい側ではアルドールがヘレナを膝の上に座らせて宥めている。それぞれの恋人に宥められて冷静な頭を取り戻したハリーはヘレナとあらためて向かい合った。
「……すみません、ハリー様。取り乱しました。」
「ごめん、僕こそ焦ったよ。……とりあえず、髪飾りの話はこれで終わりにしよう。それで何だっけ、ヘレナちゃんが挙げた五人の生徒の話をしようよ。」
「ええ、わかりました。まずアルバスからですね。私はレイブンクローの寮付きゴーストでアル様はスリザリンの寮付きゴーストですので気づくのが遅れてしまったのは悔やんでも悔やみきれません。あの子の両親と弟の愛が注がれていたのは末の妹でした。アルバス自身も末の妹を可愛がっていたようですが、きっとどこかでどうして自分は彼女ほどに愛されないのだという思いがあったのでしょう。彼の弟であるアバーフォースはヤギが大好きで、ゆえにそのようなことも考えず素直に妹を可愛がることができたようですが。……アルバスはね、いい子だったんです。いい子すぎたんです。やっぱり、歪んでしまうのは、優しすぎるいい子たちばかりで……優しすぎるがゆえに闇に身を堕としてしまうなんて、悲しすぎるではないですか。アルバスは闇に身を堕としたわけではないですけれど、あの子はきっと、誰かに肯定されなければ自分を肯定できなかった。ただ、自分を一番に考えてくれる存在が欲しかっただけなんです。ひとりでも自分を一番にしてくれる存在がいれば、他には何も望まなかったはず。それだけなのに、あの子が欲しがったのはそんなちっぽけなものだったのに、それが叶わなかったから……。だからあの子は、大衆に認められようとした。」
「……そうか、だから、ダンブルドア先生は、グリンデンバルドにそれを求めたのか……? 」
ハリーは思わず呟いていた。ゲラート・グリンデンバルドとアルバス・ダンブルドアの若き日の邂逅。リータ・スキーターの本にどこまで信憑性があるかはわからなかったが、ハリーは白いキングス・クロス駅で本人から話を聞いた。
「……その通りだ、ハリー。自分を一番に考えてくれる存在だと思ったのに、グリンデンバルドはアルバスの前から去った。そこからだろう、すべてが狂いだしたのは。アルバスが誰も信じなくなったのは。教師としてホグワーツに戻ってきても、学生時代に懐いてくれていた僕とヘレナが問うて話してくれたのは、ゲラート・グリンデンバルドとの邂逅と別れくらいだった……。僕たちの無力を感じたよ。どうしてあの子に、妹の面倒を見切れないというのならホグワーツに連れて来てくれれば僕たちが面倒を見ると言ってあげられなかったんだろうか。エルファイアスと共に卒業旅行に行っていれば、まだあの子に軌道修正の余地はあっただろうに。」
「アル様、もう軌道修正ができないというような言い方はやめてください。諦めたくないです。だって、アルバスは、いい子でしたもの……。環境が、あの子から子ども時代を奪ったのです。父親は、妹のために復讐してアズカバンに投獄された。犯罪者の息子のレッテルを貼られて入学してきたアルバスをもっと早くから気にかけられていれば……。情けないことに、私たちがあの子の苦しみに気づけたのは、あの子が三年生になってからでしたから。誰も来ないような教室でひとりで泣いている生徒をどうやって放っておけというんですか。あの子にだってそんな学生時代があったんです。人一倍苦しんでいたのに、何があの子から、人に頼る、人に甘えるという選択肢さえ奪ったの……。」
後半はほとんど独り言のようだった。アルドールがその隣で膝を抱える。
「……ハリーの記憶をペンシーブで見せてもらった時は、僕もまだ幼かった。だから、ダンブルドアを胡散臭いだとか何だとか一刀両断できた。でもね、あの子の、アルバスの学生時代を知ってしまうとね、もう何というか……無理だよ、一刀両断なんてできない。血の滲むような努力をして、築き上げた地位を心を閉ざしながら平気な顔をして笑いながら必死で守ろうとしている姿なんて見せられたら、どうやって突き放せというんだ。頼れと甘えろと、僕たちは裏切らないと言い続けてもあの子が教師になってから、僕たちに本音を聞かせてくれる日は来ない。泣いてくれないんだよね、アルバスは。君だって僕たちの生徒なんだから、甘やかす用意はいつだってできてるって言ってるのに。」
「……組み分け帽子は、ダンブルドアが来てから寮の差別が酷くなったみたいなこと、言っていたけど。」
「グリフィンドールに縋るのは、アルバスにとっての自衛手段の一つだった。セブルスがスリザリンに縋ったのと同じようにね。教師になってからもそれをしたのは決して褒められたことではなかったし、それによって軋轢が酷くなったのも事実だ。それでも、あの子はいつだっていっぱいいっぱいだったよ。周りには余裕を見せて笑っていても、あの子のどこにも余裕なんてなかった。まあでも、あの子がトムに警戒を見せたのは本当にいただけなかったな……。何度もいさめたよ。実体があれば、目を覚ませと張り飛ばしていた。ああ、もしかしたら時機が悪かったとしか言いようがないのかもしれない。グリンデンバルドが暴れ始めて、アルバスもだいぶ憔悴していたからね……普段以上に余裕がなくて、ひどく張りつめていた。だからって許されることではないけれど。まあ、あの子が振り返って後悔して誠心誠意トムに謝るのなら、誰が許さなくたって僕たちが許すけどね。」
「……それは、ゲラート・グリンデンバルドが悪かったってこと? 」
「そんなことは知りようもない。彼がホグワーツに来たこともなかったからね。僕たちはダームストラングのゴーストではなくてホグワーツのゴーストだから。でも、ゲラート・グリンデンバルドがいなかったら、良い意味でも悪い意味でも、今の世界は大きく違ったとは言えるね。」
「ええ、でも、トムだっていい子でした。ゲラート・グリンデンバルドも何かきっかけがあったのかもしれません。生まれながらの悪なんてあり得ませんから。」
「ヘレナちゃん、トム・リドルのことを聞かせてくれる? ヴォルデモート卿になる前のこと。」
「はい、リア様。……トムは孤児院育ちで、それで、人の顔色をうかがうのが得意でした。後から本人が話してくれたことですけどね、最初は孤児院の人たちと上手くやろうと頑張ったそうですよ。でも魔力は発現してしまっていて、しょっちゅう気味の悪いことが起こった。それで遠巻きにされる。自分にはコントロールしようもないことで、それでもトムは必死にコントロールを頑張ったそうです。そして、有り余る才能で、魔力をコントロールする能力を身につけてしまった。その後、歩み寄ろうとしても、トムには気味の悪い力のレッテルが貼られてしまっていてどうにもならない。10にも満たない幼い子どもの心を壊すには十分な環境です。トムは魔法を人を傷つけることに使ってしまった。それだって、あの子の自衛手段です。ホグワーツに入学してきた頃のあの子は、人を利用するか傷つけるか、それだけしか自衛手段を知らなかった。あの子には自分で自分を守るという概念はあったけど、守られるという概念がなかったんです。だから、私もアル様もあの子を可愛がりました。父様と母様と呼ばせて。本当の両親のように思ってくれていたと思います……これでも、頑張ってトムの心のケアをしたんですよ。ひたすらに愛を注ぎました。愛しているの言葉だって可愛いトム坊やの言葉だってどれだけ言ったことか。大きくなるにつれて、トム坊やなんて呼び方は恥ずかしいと口を尖らせるあの子がどれほど愛おしかったことか。でも、またあの子の心を壊しかける事件が起こったんです。いいえ、あれで壊れたのかしら……。」
「ルビウス・ハグリッドがアクロマンチュラを持ちこんだんだ。そのせいでバジーが起きてしまって、トムは蛇語を話せたからヘレナと一緒に秘密の部屋まで言ったんだ。そこに、偶然にもマートル・ウォーレンというレイブンクローの生徒がいてね。僕とヘレナは彼女のことも気にかけていたから、マートルとトムには話す機会もあった。時々トムはマートルに勉強を教えてあげていたりもしたかな……。だから、バジーの光線でヘレナが死んでしまったのはショックだったようでね。さらに追い打ちをかけるように、ヘレナがトムを庇って石化した。」
「……! 」
「ヘレナのおかげでトムは死なずに済んだよ。トムはヘレナが石化したということを隠して、バジリスクが動き回る元凶となったルビウスに罪を着せたんだ。ヘレナが石化したことを隠したのは、彼女が石化していたことがバレればアクロマンチュラがマートルを殺したということに説得力がなくなるからね。僕はその時、“女王の涙”のことをトムに伝えた。トムはすぐに“女王の涙”の材料を揃えて石化解除薬を作ったんだ。……ああ、でも、ハリーの分霊箱の話で納得したよ。トムは“母様を石にしたのもマートルが死んだのも全部僕がルビウスがアクロマンチュラを持ちこんだのに気付けなかったからだ”って随分と思いつめていたから。でも、翌日からは何事もなく振る舞って……そして、優しさが消え始めた。きっと、トムの心の奥に“苦しみたくない”という願いでもあったんだろうね。確かに、あの子の優しさは時にあの子を苦しめる。だからきっと、マートルが死んだこととヘレナが石化したことへの悲しみとそう思える優しさとを分霊箱に封じ込めたんだろう。優しさを捨てれば、あの子は楽になれただろうから。それから三階の女子トイレ近辺にまったく寄りつかなくなったのも、マートルに会えばその時の慟哭が思い出されてしまうからだろうね。……それにしても、そうか、分霊箱か……どうして気付けなかったんだろう。それで、あの子は、ホグワーツに留まれなかったことで、完全に取り返しがつかなくなった形か……。いや、そうは言いたくないな。まだ取り返しがつくと信じたい。父様、母様と慕ってくれたあの子を諦めたくない。」
「その後、ハグリッドはどうしたの? 」
「ルビウスですか? ええ、あの後私たちはアルバスを問いつめましたよ。でもアルバスは森番にするの一点張りで……。ルビウスは、まだ三年生でした。そしてホグワーツの生徒であるのなら、私たちの生徒です。慰めの言葉はかけましたが、アクロマンチュラを捨てるようにだけは説得しました。」
「僕は蜘蛛語が話せたから、“アラゴグ”と名づけられていたアクロマンチュラにはハグリッドの元から去るようにも説得したよ。だから大丈夫なはずだ。」
「……禁じられた森にアクロマンチュラの大コロニーができてたりしない? 」
「……確認はしていませんけど、大丈夫なはずです。」
「……確認していないなら、確証はとれないわ。あとで確認するわよ、ハリー。」
「……うん、リア。」
悪気がないのが一番質が悪いのだ。ハグリッドに本当に悪気はないのだ。だから、非常に質が悪い。ハリーは頭を抱えた。そういえばドラゴンの卵騒動もあったような気がするが、それについては忘れたい。悪気がないのはわかっているし悪い人ではないのもわかっているのがなお悪いのである。
「それで次の子ね。セブルス。……複雑すぎたわ。あの子の拠り所が、対立するものだった。純血主義とマグル生まれの幼なじみの女の子。在学中はこれでもかというほどに甘やかしたつもりなんだけど。知識も惜しみなく与えたし。」
「それでどうにかなるほど、幼少期の虐待の傷が浅いはずがないことくらいよく知っているはずだよ、ヘレナ。……ベラを思い出して。」
アルドールの言葉にハリーの脳裏にもリーベラの顔が思い浮かんだ。両親に闇の魔術の実験体にされていたという、あまりにも重く悲惨な過去を持つ彼女は、義両親と幼い頃から義兄と呼んで慕う、そしてきっと夫となったのであろう人を愛し愛されて屈託なく笑っていた。強い子だった。
「義家族と喧嘩した時のベラの様子は目もあてられなかっただろう。誰に何を言われたってひどく憔悴していた。早く謝らなきゃ、って言って時間の許す限り頭を下げて許しを乞うていたのを覚えてる? しかも、それが、嫌いな食べ物のことで少し喧嘩しただけのことでも。彼女の義家族は笑って許していたけど、それにベラがどれほど安心した顔をしたか。それほど、幼少期虐待を受けていた子どもにとって、救いあげてくれた人は尊い。何にも変えられないものなんだ。」
「ええ、知っています……。もう、どうにもできませんでした。こんな言い方したくないけど、セブルスに関しては、ホグワーツに入った時点ではもう手遅れでした。きっと、組み分けされた瞬間に、もう取り返しがつかなくなっていたんです。それでもどうにか軌道修正しようと頑張りました。あの子がもっと自分を大切にしてくれるように、純粋に愛されて良いんだと思えるように。でも、セブルスのマグル嫌悪も半純血への嫌悪もエスカレートして……依然としてリリーは例外だったけれど……たぶん、それは、私たちに責任があります。」
「セブルスの四つ上だったかな。さっき話したドローレス・アンブリッジ。ドローレスは父親が魔法使いで母親がマグルで、弟がスクイブの純血で。母親は弟を偏愛してドローレスを愛さなかったし、父親は魔法省の官僚だった。……ドローレスは、セブルスと同じように片親の魔法使いの血筋に縋ったんだ。セブルスが母親と同じスリザリン寮を望んだように、ドローレスも父親と同じ魔法省の官僚になることを望んでいた。うっかり、本当にうっかりね、セブルスとドローレスを引き合わせてしまったんだよ……。想像できたはずだ、ふたりを引き合わせれば絶対にマグル罵倒が始まるって。父親と母親という違いはあったけれど、似てたんだよ、あのふたり……。わりと仲良しだったよ。」
「嘘だ。スネイプ先生とアンブリッジが仲良いとかなにそれ……。ああ、でもそうか、アンブリッジにそんな背景があるって考えたら不自然じゃないか……。」
うわあ、とハリーは頭を抱えた。全く想像もしていなかった組み合わせである。
「それにしても、いくら生徒とは言っても、ジェームズ・ポッター! 本当親に甘やかされて育って自分が絶対だと思ってる坊ちゃんでしょう! ええ、ええ、わかってます、奴だって生徒です! 私たちの生徒ですけど、もう亡くなっている以上無効です! 」
仮にもハリーの親であるというのに散々な言い様である。ハリーも父親は父親として慕っているし愛してはいるが、物申したいことも山ほどあるので反論できなかった。
「五年生の時に口では言えないほど酷いことが起こったんですよ! セブルスに“穢れた血”なんて言わせて! もう! あのムカつく眼鏡を割ってやりたい気分で……。」
「……ヘレナ、落ち着こう。あの駄眼鏡はハリーの親だ。」
「……どうしてあのムカつく眼鏡から私とお母様の仲を間接的に取り持ってくださった天使のようなハリー様が生まれるんです……。」
「天使は言いすぎよ、ヘレナちゃん。ハリーは私のだからね。」
「大丈夫だよ。うん、リア愛してる。」
アリアドネの方でも独占欲が見え、一方通行な独占欲ではないと思いつつハリーは嬉しそうにアリアドネの方を見やった。
「……話が逸れたわね。それで、ヘレナちゃん、アル? もうひとりいたように思うのだけど。」
「ええ、ミウスですね。」
「ミウス? 」
「バーテミウスの愛称です。彼の父の愛称がバーティですからね。ミウスは父親と被るのを嫌っていましたからバーティなんて呼ぶなんて無神経なことはできませんでした。勉強を見たり、首席の成績をすごいわねって褒めたりしましたよ。アル様なんて最終的には僕のこと父上って呼ぶ? なんて言い出す始末で。わりと懐かれていたと思うんですけど、こんな言い方本当にしたくないんですが、スリザリン寮が災いしたのか死喰い人になってしまって……。ええ、スリザリン寮が災いしたなんて言い方、本当に死んでもしたくないんですけど。死んでますけど。でもそうとしか言いようがなくて……。まあ、何はともあれ、私たちは今までに挙げたこの五人が最近で一番危うくて、道を違えてしまった生徒だと思っているわけです。幸い、ミウスはともかく他の四人は存命です。アルバスとセブルスに関してはここで働いていますし、今も働きかけていますけど。」
「……あ、クラウチジュニアだけどね、生きてるよ。アル、忘れてない? 僕が見せた四年生の記憶。青い義眼の人にポリジュースで化けていた……。」
「あれ、ミウスだったのか! 」
「どういうことですか、アル様。」
「いや、ポリジュース薬を使ってアズカバンから脱獄したんだっけ……? 何だっけ、服従の呪文にかけられてるかもしれないけど、ミウスは生きてるよ! 」
「……なら、まだ、救済の余地はあります。ハリー様、リア様、ご協力ください。きっと、一人息子、一人娘で、親に愛されて育ったとすれば、道を違える余地などなかった子たちです。生まれた時から悪だなんて、あるはずがないのです。」
「もちろん。誰も死なないのが一番だからね。」
「協力しないわけがないでしょう。私は元ハッフルパフ寮監で校癒だもの、この学校の生徒は私の生徒でもあるわ。」
『……ハリー、アリアドネ、良いのか? 随分とここにいるようだが、同級生たちに訝しく思われはしないか。』
「バジー、いい雰囲気になったところで邪魔しないでください……。」
ヘレナが崩れ落ちつつアルドールとアリアドネに通訳する。はっとアリアドネがハリーを見た。
「……お腹が空いた気もするわ。ハリー、まさかもう、就寝時間だなんてこと。」
「あ、やばい……! 」
シリアスな雰囲気が一気に崩れ去る。
「……先生方から抜け道は聞いているわ。」
「えっ? 抜け道? 」
「姿くらましの抜け道? 行くわよ! 」
アリアドネに腕をつかまれ、次の瞬間、ハリーはゴム管に詰められたようなあの付き添い姿くらましの感覚を経験した。
目指せ全員救済