崖から落ちたら千年前 作:優鶴
ハリーはドアをノックされる音で目を覚ました。
「ハリー? 起きているかい? 」
「うぅ……あと五分……。」
小さく唸ったハリーの声が聞こえたのか、溜息を吐く気配がしてドアが開いた。
「朝食に間に合わなくなるぞ? 」
まあいざとなったらリアかマチスにでも調達して来てもらえばいい、と呟いたアルドールの言葉にハリーは起こしかけていた身体を再びベッドに逆戻りさせた。こんなに穏やかな朝など久しぶりなのだ、闇祓いは激務だったのだから。許してほしい。
「初日から朝食に遅刻するか? 先輩としての威厳というものがなくなるよ。」
「うー……そうだね……。」
のろのろとベッドから起きだしてクローゼットを開けたハリーの姿に満足したのか、アルドールはまた後でと言って自分の部屋に戻っていってしまっていた。
ハリーはあくびをしながらクローゼット内を見た。スリザリン寮で暮らしているのだからスリザリンカラーの制服を纏うのが筋だろう。ハリーからしてみればだいぶ古めかしい衣装が制服と呼ばれているものである。着るのに少し手間取りつつも、制服を着込んだハリーは裏地に緑の色の入ったローブを掴んで身に纏った。スリザリンのローブを羽織るのは変な心地である。そのまま部屋を出るとちょうどアルドールと会った。
「あなたが新しい先輩ですか? 」
朝食に行くところだろう、ぱたぱたと駆けていた幼い男の子がハリーに声をかけてきた。
「ヴィニー、元気がいいのは結構だが廊下を走るのは感心できないな。」
「あ、はーいごめんなさいアルドール先輩。初めまして、先輩、僕はヴィンセント・シスルウールです。名前を聞いてもいいですか? 」
「ヴィンセント、初めまして。僕はハリー・ポッターだよ。よろしくね。」
「はい、ハリー先輩! 迷子になっちゃったりしたら気軽に聞いてくださいね。」
手をひらひらと振ってあわただしくスリザリン寮から出ていくヴィンセントを見送ってアルドールもハリーを促した。
「大広間に行こう。ヘルガ先生の料理は本当に絶品だからね。」
「うん……あ、そういえば。アルドール、昨日、三年生まではグリフィンドール寮で過ごしたって言ってたよね。どうして? 」
「僕らの学年が八人だっていうのはわかってるよね。一寮にふたりずつ、しかも男女ひとりずつだからそれぞれの寮の男子寮女子寮にひとりしかいないっていう極めて寂しい状態になるんだよ。だから最初の年なんてグリフィンドール寮の男子寮一部屋と女子寮一部屋でそれぞれ四人ずつの部屋割で、他の寮なんて使われてなかったよ。スリザリン寮とレイブンクロー寮とハッフルパフ寮は僕たちにとっては探検する場所だったんだ。」
「じゃあ一期生の皆は全部の寮に入ったことあるってこと? 」
「今でもよく遊びに来るよ。違う寮に入っちゃいけないなんて誰も決めてないだろ? 」
「そっか……。」
「僕らの一つ下の学年が十人、二つ下の学年で十三人。三つ下の学年が一気に二十人になったからね、僕らは四年目にして初めて四寮に分散したんだ。でも三年間一緒に生活していたら嫌でも仲良くなるだろ? 僕ら八人は普通に違う寮に出入りするからね、先輩がそんなことしているところを見たら下級生だって他寮に出入りするようになるんだ。」
他寮に普通に出入りするなんて千年前では考えられないことだ。しかし先ほど談話室に裏地が赤のローブを着た生徒がちらっと見えたような気もする。……なぜ始まりはこうだったのに、1000年の時を経てあんなにも歪んでしまったのだろう。
「でもどうしてグリフィンドールに? 」
「くじ引きしたらしいよ。」
くじ引き。創設者たちよそんな適当に選んでいいのか、そう思いつつも可愛らしい手段にハリーは笑いを抑えることができなかった。
「おはようございます、アル、ハリー! 」
カツ、カツ、と靴の音が聞こえて振り向けばリーベラが足早にこちらに向かってくるところだった。
「おはよう、ベラ。」
「リーベラ、おはよう。」
「昨日は久しぶりに同級生だけで夕食を食べて楽しかったですわ。そのせいでうっかり寝坊してしまいましたの……。」
そういうリーベラはところどころ髪をはねさせていた。
「癖っ毛は大変ですのよ、アルが羨ましいですわ。」
アルドールのさらさらストレートの髪を見てリーベラがむっと頬を膨らませた。
「うん、わかるよベラ。」
自分のくしゃくしゃの髪をつまんでハリーも苦笑した。わかりますわよね?! とリーベラが食い気味に頷く。
そのまま湿気が多い日の髪の毛談義に移り、リーベラと意気投合したところに声がかけられた。
「あら、アル、ベラ、ハリー。おはよう。」
「おはよう、リア。」
「おはようございます。」
「アリアドネ、おはよう。」
編み込まれた金茶の髪がふわりと風になびいた。それを抑えながらアリアドネが微笑む。
「リア、マチスは? 」
ハッフルパフ寮のもう一人の同級生の姿が見えないことに気づいてアルドールが首を傾げた。
「トーニャとセラと一緒よ。あ、聞いたかしら。今日の朝食はヘルガ先生だけじゃなくてサラザール先生も作ってるんですって。」
「まあ、本当ですのリア? サラザール先生が? サラザール先生の魔法薬の調合の手つきは本当に美しいですもの、それに調合だって完璧ですわ。時間も何もかも完璧、サラザール先生は絶対料理も上手ですわよね! ね、ハリー! 」
同意を求める先が僕なのか、と思いつつもハリーは曖昧に頷いておいた。魔法薬の調合―――憎い男と愛しい女の息子を影から守り続けたあの人の手つきを、よく覚えている。嫌いだったけれど、調合の手際が美しいのだけは知っていた。もうあれから二年経ったのだと思っても、あの人が息絶えた瞬間はハリーの心に影を落としていた。それは名付け親も恩師も、その妻も。
「サラザール先生、料理もなさるなんてやっぱり素敵ですわ。」
「ベラは本当にサラザール先生が好きねえ。」
「恋とかではありませんわよ? わたし、婚約者がいますもの。」
「えっ、リーベラって婚約者いたの? 」
ハリーは驚いた。確か13歳とか聞いたはずなのだがそんな早い段階で婚約をしているものなのだろうか。いやしかし千年前の魔法界、ハリーの常識が通じると思ったら間違いだった。
「ええ、又従兄にあたります。ブラック本家の当主になる方ですわ。といってもわたしにとっては優しいお義兄さまに違いありませんけど。」
「お義兄さまって呼んでるんだ……。」
13歳で婚約者がいたり、お義兄さまと呼んでいたり、又従兄だったり。ハリーには理解できないことだらけだ。
「だってお義兄さまと結婚したらご当主様も奥様もわたしの本当のお母様とお父様になりますのよ? 素敵ですわよね。それにサラザール先生のこともお義兄さまと呼べることになりますわ。」
「サラザール先生を? どうして? 」
「だってサラザール先生の亡き奥様はご当主様と奥様の長女にあたられる方ですもの。」
なるほど、貴族というのは血縁関係が入り組んでいるものだ。ドラコがシリウスの従甥にあたるだとかロンとハリーも親戚にあたるだとか、そんなことをハリーは思い出した。ブラック家はこの時代も絶大な権力を誇っているに違いない。
サラザールから妻が娘を守って亡くなったという話は既に聞いていたので、亡き奥様という言い方にも特段反応することはせずハリーはなるほどというように頷いた。
大広間につくと、そこにはやはり大きな丸テーブルがあった。ローブの色で四つに分かれていたりなどしない。黄色と青がならんでいもすれば、青と緑が食事を指して何か言い、緑と黄色が楽しげに笑い合い赤と緑が小突き合う。寮など超えて仲の良い友人と食事をとっているようだった。
どちらかといえば学年で別れているらしい。初期のホグワーツは横の繋がりが強く、千年後のホグワーツは縦の繋がりが強いということかな、とハリーは漠然と思った。
「これで全員揃ったな! 」
燃えるような赤毛の男が円卓を見回して満足げに頷いた。燃えるような赤毛、とはいってもウィーズリー家とはまた別の色味だ。やはりウィーズリー家の色味はセプティマの方が強く出ている。
「さて。私たちのホグワーツにようこそ、ハリー。私はロウェナ・レイブンクローよ。レイブンクローの寮監と占い学と魔法史を担当しているわ。」
「俺はゴドリック・グリフィンドール、グリフィンドールの寮監と体術と魔法生物飼育学をやってる。楽しんでいけよ、少年。」
ぐしゃぐしゃっと乱暴に髪をかきまぜたのはゴドリック・グリフィンドールだった。自寮の創設者に会えたことに感慨深いなと思いつつもハリーは軽く頭を下げた。
「お世話になります、ロウェナ先生、ゴドリック先生。」
「他の先生たちの挨拶は授業の時でいいかしらね。はい、みんな、こっちを向いて! 」
パンパンッとロウェナが手を叩くと生徒たちが食事の手を止めた。
「五年生に編入することになった新しい仲間よ。ほら、自己紹介を。」
「え? あっ、はい。」
英雄ハリー・ポッターだと聞かれる前に誰かが紹介してしまうものだから、自分の自己紹介というものは慣れない。
「五年生に編入したハリー・ポッターです。えーっと……好きなものは糖蜜パイです。」
こんなものでいいのだろうか。首を傾げたハリーに目が合ったアリアドネが微笑んで完璧とでもいうように頷いた。
「ハリーはこれから一週間ごとに寮を移動することになるわ。スリザリン、ハッフルパフ、レイブンクロー、グリフィンドールの順よ。先輩たちが決めた順だから文句は先輩に言うのよ。じゃ、食事を再開しなさい! 」
ロウェナの声で再びフォークやナイフが皿と触れ合う音が響きだした。赤ローブの女の子がクリステアとトルニアンにどうして最後なの、と文句を言っている。
そういえば制服を着ていない人も円卓を囲んでいるな、と周りを見回してからハリーは思った。
「アルドール、朝食の時は制服を着ていなくてもいいの? 」
「ああ、あれは先生方だよ。先生たちも食事は一緒にとるんだ。」
「そうですわ、皆で食べた方が美味しいですもの。」
生徒と先生はだいぶ気安い仲のようだった。
「それでも授業になれば厳しい先生になりますの。食事の時は甘やかしてくださるからトントンですわ。」
「きちんとメリハリをつけられているんだね。」
「だって寮生活ですもの、親元を離れて生活しますのよ? 先生方には親代わりになっていただかないといけませんもの。わたしも一年生の頃はホームシックで泣いて何度もロウェナ先生のお世話になりましたわ。」
「ベラ、泣き疲れて眠っている時に談話室にそっとお菓子が置かれていたりしただろ? 」
アルドールの問いにリーベラが頷いた。
「ええ、それがどうかしましたの? 」
「あれを置いてたの誰だと思う? 」
「ハウスエルフでしょう? 」
「違うよ、あれ置いてたのサラザール先生。不器用だよねえ。」
「まあまあまあ! そうですの? ふふ、いいことを聞きましたわ。ああ、やっぱりサラザール先生、大好きですわ……」
「……サラザール先生っていい先生なんだね。」
もしかしたら自寮の生徒に甘いだけかもしれないな、と思いながらハリーは微笑んだ。そこまで考えてスリザリン寮に行っていたら自寮の生徒に甘い寮監に好意的に見てもらえたのかなどと今考えても仕方ないことを考えてしまった。
「あらハリー、何を考え込んでいますの? まあ野菜ばかりではないですか! 」
「あら、ベラ本当? ……本当ねハリー、野菜ばかりだわ。」
眉を寄せたアリアドネによって肉がぽんぽんとハリーの皿に放り込まれた。お腹は空いていたので素直にそれを食べるとアリアドネがにっこりと笑う。
「ハリー、明日から私が栄養管理をしてあげるわ。」
「えっ?! いいよ、そんなことしてもらわなくても。」
「私がしたいの。私ね、卒業したら校癒になりたいと思っているのよ。だからその練習。」
練習、と言われれば協力もやぶさかではない。頷いたハリーにアリアドネが嬉しそうにありがとうと礼を言ってきた。
「リア、校癒になりたいなんて聞いたことありませんでしたわ。」
「あら、そうだったかしら。」
「だいたい校癒って何だ? 」
「え、この時代ってまだ校癒っていないの? 」
マダム・ポンフリーに何度も世話になった身からすれば驚きである。目を瞬かせたハリーにアリアドネが深刻そうな顔で頷いた。
「卒業したら医務室という場所を作って校癒になりたいと思っているの。だって授業中に怪我をしてしまったらその場で先生が手当てを始めるものだから授業がいったん中断になってしまうんだもの、それなら医務室という場所を作って授業中に怪我をしてもそこに運んでもらえばいいようにしたいの。」
「確かにそうすれば先生方の負担も減りますね。リアはそんなことを考えていたんですか。」
横からクレマチスが顔を出した。どうやら話を聞いていたらしい。褒められて満更でもないらしくアリアドネはいいでしょ、とクレマチスに同意を求めた。
「アリアドネが校癒かあ。」
「ハリー、その様子だと1000年後には校癒という職はあったのよね? 話したくなかったら別に良いんだけど、良ければ参考までに話を聞かせてくれないかしら。」
別にマダム・ポンフリーのことを話すくらいお安いご用である。もちろん、と請け負ったハリーにアリアドネは心底嬉しそうにありがとうと返した。