崖から落ちたら千年前 作:優鶴
「ハリー、もう一回! 」
「はい! インセンディオ! 」
ここはレイブンクローの空き部屋、ハリーはアルドールの言葉通りセレナに扱きたおされていた。
小さいながらもハリーの手のひらから焔が燃え上がる。
「あ……っ! 」
杖なし魔法。指や手のひらを媒介として魔法を扱う方法。うん、とセレナが頷いた。
「威力が足りなさすぎるよ。もっと魔力を手のひらにこめる感じ。ほら、こんな感じで。」
セレナの手のひらから焔が燃え上がった。部屋中を焼き尽くしそうになった焔は次の瞬間すぐにかき消えた。やはり魔力コントロールのうまさが桁違いだ。1000年前の魔法族からすればハリーの時代の魔法界は本当に衰退していて末期といえるほどなのだろう。
「インセンディオ! 」
先ほどより大きな焔がハリーの手のひらの上で燃え上がった。どうにかしてそれを鎮火する。
「一日でここまでできれば上出来だね。ハリーをあんまり独占しているとベラに怒られちゃうから今日はこれくらいにしようか。」
「うん、そうだね。」
練習を切り上げ、スリザリン寮まで送るというセレナの申し出に甘えてハリーはレイブンクロー寮からスリザリン寮までの道のりを一緒に歩く。
「どうして1000年後には魔法界がそんなに衰退しているのかな。ハリーだって頑張れば杖なし魔法もできたし、魔力量はともかく技術技能的に後世に伝わらない理由がわからないね。」
どうしてだろう、と首を傾げるセレナはくじ引きで選ばれたとはいえ知的好奇心の旺盛なレイブンクロー生らしい。ハリーはぼんやりとそんなことを思った。
「ねえセレナ、僕の話聞いてくれる? 」
「うん、良いよ。」
「僕、1000年後の世界で“生き残った男の子”って呼ばれてて、闇の帝王を倒した英雄って呼ばれてたんだ。そのせいでプライベートも何もあったものじゃなかったけど。」
「1000年後だと色々発達していそうだね。サラザール先生も英雄呼ばわりにはうんざりしてるけど、ハリーの時代の方がもっと追いかけられそう。大変だね。」
「誰と付き合っただとか何だとか。スキャンダルでっちあげるの大好きだからね。」
「それくらいのプライベートは守ってほしいね。……ハリー、嫌な事があればすぐ私たちに言うんだよ? 1000年後で辛い思いしたみたいだから、ここにいる間くらい心から楽しんでくれたら嬉しいな。」
「うん、ありがとうセレナ。そう言ってくれるだけで嬉しいよ。」
大変だったんだね、それだけ言ってハリーを迎え入れてくれた創設者たちのホグワーツがハリーは大好きだ。まだ二日も経っていないけど、ここの人たちはみんな優しくて、ハリーを色眼鏡で見たりしない。それにどれだけ救われていることか。
「ハリー、お帰りなさいませ! 」
スリザリン寮の前まで行くと、下級生と談笑していたリーベラがぶんぶんと勢いよく手を振ってきた。
「ただいま、リーベラ。」
「セラとの杖なし魔法の練習はどうでしたの? 」
「小さい焔なら出せたよ! 」
「まあ、本当ですの? ハリーは上達が早いですわね! さ、そろそろ寮に入らなければいけない時間ですわよ。そうそう、リアが焼いてくれたクッキーがありますの! 遅いけれど食べませんこと? 」
「アリアドネが焼いてくれたクッキー? うん、食べたいな。」
「ハリーならそう言ってくれると思っていましたわ! 」
こちらですわよ、とリーベラに導かれてハリーは談話室に入った。談話室の中央テーブルにクッキーの皿が乗っていて、時々生徒が山から一つかみしていっては食べている。
「夜にこんなに食べたら朝食が食べられなくなってしまいますわって一応注意はしましたのよ。わたし、これでも最上級生で“監督生”ですもの。でもリアのクッキーは美味しいですから仕方ないですわよね。」
そう言いながらリーベラもクッキーを一枚つまんで食べた。
「これでわたしも共犯ですわ。」
悪戯っぽく笑ったリーベラに倣ってハリーもクッキーを口に放り込んだ。
「美味しい! 」
「そうでしょう? 甘さはひかえめにしてありますの。」
「うん、全然しつこくないね。すごくさっぱりした味だ。美味しいよ。」
「リアの料理の腕は凄いですもの! 」
まるで我が事のように自慢げにリーベラが胸を張った。
「リーベラ先輩、これアリアドネ先輩が作ったんですか? 」
「あら、ヴィンセントですのね。そうですわ、リアが作ってくれましたの。」
「道理で美味しいと思った! こんな味出せるのヘルガ先生とアリアドネ先輩くらいしかいませんよね。」
ヴィンセントがクッキーをつまみながら微笑む。彼が指を鳴らせばティーポットが現れ、ひとりでにティーカップに紅茶を注いだ。
「ハリー先輩、よければどうぞ。」
「ありがとう、ヴィンセント。この紅茶美味しいね。」
「口に合いましたか? 良かったです。実家から取り寄せたんですよ。」
「そうですのよ、ハリー。この紅茶はシスルウールというブランド品ですわ。」
「自分の名字が使われている銘柄なんてちょっと恥ずかしいんですけどね。美味しいのは本当ですから。」
毎年実家から届くんです、と苦笑するヴィンセントにあらためて礼を言いつつハリーは1000年前のホグワーツの学生の力に舌を巻いた。四年生で杖も詠唱もなくティーカップを出しティーポットに紅茶を注がせるなんて芸当、ハリーのいた時代ではできない。しかしここではそれが当然なのだ。あまりにも違いすぎる。
「お義兄さまもシスルウールの茶葉は重宝しておりますのよ、ヴィンセント。だってとても美味しいんですもの。誇りなさいな。」
「はい! ありがとうございますリーベラ先輩、そう言っていただけると嬉しいです。」
ヴィンセントはリーベラの言葉に頬を綻ばせた。
「シスルウールは茶葉の生産かあ。リーベラ、ブラック家といえば何なの? 」
ブラック家といえば何、というのがあるのかもしれないがマグル界育ちであったハリーはそんなことは知らない。1000年後とはまた違うかもしれないがリーベラに聞いてみようと思ったのである。リーベラがそうですわねえ、と首を傾げた。
「まずは闇の魔法使い討伐の窓口ですわね。実際に闇祓いと呼ばれているのはスリザリンですけれど、ブラックは討伐依頼の窓口となって下調べや依頼を受けるか否かを決めていますの。」
「つまりブラックはスリザリンの参謀的な存在ってこと? 」
「ええ、その通りですわ。スリザリンの当主はブラック家から妻を迎えることが伝統になっているほどにスリザリンとブラックの絆は強いものですの。そうですわね、後は魔法具ですわ。」
「魔法具? 」
「ええ、魔法具ですわ。ブラック家の地下室には危険な魔法具がたくさん眠っていますのよ。様々な魔法具を生みだしているのですけど、危険なものも多いのですわ。」
グリモールド・プレイスのあの禍々しい雰囲気は地下室にでも封じてあった危険な魔法具に関係があったりしたのだろうか。もし未来に戻ることがあれば調べてみよう、と思いながらハリーはリーベラの話に耳を傾けた。
「それにしても、闇の帝王が衰退したとはいえどうして闇の魔法使いは一種のステータスとして分霊箱を作りたがるのか知りたいものですわ……。」
「リーベラ先輩、そういえば分霊箱を作っているかどうか確かめられる魔法具が出来たって言っていませんでした? 」
「言いましたわね。お義兄さまから手紙が届きましたの、サラザール先生が助かると喜んでいましたわ。分霊箱を作っていたら一度殺しても仕方ないですものね、いちいち開心術をかける手間が省けたらしいですわ。」
「……待ってリーベラ、ヴィンセント。分霊箱作るのって難しいんじゃないの……? 」
「あら、魔法史の教科書を読めばわかることですわよ。十年ほど前に分霊箱作りが闇の魔法使いの間で流行りましたの。ホグワーツ創設の合間を縫ってサラザール先生が分霊箱破壊と闇の魔法使い掃討に奔走したそうですわ。その残党が今も残っていますのよ。」
流行るということはそれなりの魔法使いであれば誰でも作れるということである。ハリーは頭を抱えた。
「サラザール先生の本気の開心術に抗える魔法使いなんて存在しませんもの。記憶を無理やりこじ開けて分霊箱の有無と在り処を探っていたらしいですわ。」
「……サラザール先生も大変なんだね。」
分霊箱作りが一種のステータスとかそれはどうなのだろう。ハリーは思わず遠い目をした。リーベラが分霊箱作りがはやっているとは言っても闇の帝王と呼ばれている魔法使い以外は一つしか作っていませんわよ、と言ったところでようやく息をつくことができた。七つも分霊箱を作るような規格外魔法使いがうじゃうじゃいたのではどうにもならない。
「でも大抵の魔法使いは耳飾りやら腕飾りやらにして身につけているんですよね? 」
「ええ、ですからサラザール先生は基本的に身につけているものごと悪霊の火で焼いて討伐しますわよ。」
それが何か、とでもいうようにリーベラは首を傾げた。悪霊の火って何て万能なんだとハリーは思わず遠い目をした。
と、その時ぱたぱたと足音がしてハリーの胸の高さよりも小さい女の子がスリザリンの談話室に入ってきた。
「ベラ姉様! 匿って! 」
「イレーネちゃん! どうなさいましたの? 」
灰色の髪に緑の瞳。よく整った顔立ちの幼い女の子にはサラザールの面影があった。
「リーベラ、この子がサラザール先生の? 」
「ええ、サラザール先生のご息女にあたるイレーネちゃんですわ。」
「ベラ姉様、匿ってくださいな! 」
「サラザール先生と喧嘩でもしたの? 」
「昨日、夜遅くまで本を読んでいたことがばれてしまったの……。父様が、当分本を読む時間は制限するって! 」
半泣きのイレーネを抱きしめてリーベラは苦笑した。ハリーも首を傾げてイレーネを見る。
「あ、そちらの方、編入生の方? わたくし、イレーネ・スリザリンというの。あなたは? 」
「僕はハリー・ポッター。サラザール先生によく似てるね。」
「瞳の色まで似れば文句はなかったわ。」
金色の瞳を受け継がなかったことをコンプレックスにしているという話はサラザールから聞いていた。ハリーはうーんと首を傾げた。
「イレーネちゃんの瞳はお母さん譲り? 」
「ええ、母譲りよ。きっと父様の母親がマグル生まれの魔女だったからスリザリンの血が薄まって母の血が濃くなってしまったのよ。瞳だけなのよ、顔立ちは父様にそっくりって言われてるのに。」
「僕もそうなんだ。父に瓜二つで、瞳だけは母親似。父が純血で母がマグル生まれだ。」
「そうなの? 」
イレーネはぱちりと目を瞬かせた。
「悔しくないの? 」
「悔しい? どうして? 」
「だってわたくしは金色の瞳を受け継がなかったの。スリザリンは灰色の髪と金色の瞳の一族なのよ。今はまだ子供だから父様も見逃してくれてるけど、きっと成人したらスリザリンの姓を名乗ることは許されなくなる。わたくしは、絶対に灰色の髪と金色の瞳の子供を産まなければならないのよ。」
見たところ7,8歳というところだろう。それほどまでに幼い子供が自分の容姿を引け目に感じ、子供のことまで考えなければいけない。千年前の世界は優しいと思っていたが、優しいだけでもなさそうだ。
「サラザール先生はイレーネちゃんのことを愛してるよ。」
「だからこそ悔しいの。父様はわたくしの瞳を見る時に悲しげな顔をなさるわ。きっとわたくしが金色の瞳だったら、と思っていらっしゃるのよ。父様を悲しませる緑の瞳なんて嫌いだわ! 」
サラザールの妻はもう亡くなっていたはずだ。彼の口ぶりからして、サラザールは妻のことを愛していた。そして、イレーネを守って亡くなったと聞いている。
イレーネはハリーとよく似ていた。母の命と引き換えに生き残り、瞳だけが母親似で。
ハリーは僕を見てくれ、と言って逝った恩師の顔を思い浮かべた。瞳だけは母親似。あの人は、母の瞳を見て逝った。―――ふと、テディのことを思い出した。ハリーのせいで亡くなった親と同じ瞳をしていたテディの瞳に見つめられるたび、罪悪感が募った。リーマスとニンファドーラのことを思い出して悲しくなった。そして、サラザールの気持ちがわかったような気がした。
「……サラザール先生は、イレーネちゃんのお母さんを守りきれなかったのを悔しく思っているんじゃないかな。だからきっと、お母さんと同じ瞳を見ると、お母さんを思い出して悲しくなるんだと思う。」
今度はイレーネがぱちりと目を瞬かせた。
「……母様を思い出して悲しくなるの? わたくしが金色の瞳じゃなかったことに悲しくなるんじゃなくて? 」
「サラザール先生はイレーネちゃんを愛してるんでしょ? だったら、イレーネちゃんが自分とは違う瞳だったくらいで悲しくなんてならないと思うよ。それに、サラザール先生がイレーネちゃんのお母さんを愛していたなら、イレーネちゃんがお母さんと同じ瞳を持っていることを嬉しいって思ってるんじゃないかな。」
こぼれおちそうなほどにイレーネの緑の瞳が見開かれた。
「……ほんと? 父様、わたくしのこと憎んでない? わたくしは、もう純血主義を唱えなくてもいいの? マグル生まれや半純血を差別しなくていいの? 」
「僕はそう思うよ。不安ならサラザール先生に聞いてみるといい。」
サラザールが一人娘を愛していることは、彼が娘のことを語る時の表情を見れば一目瞭然だった。ただ、そういう愛情は案外伝わりにくいことは死っている。サラザールも、あの人と同じで――誰より一途で、不器用な気がするから。
「ここにイレーネはいるか? 」
談話室にサラザールが入ってきたのはその時だった。金色の瞳がイレーネの姿をとらえ、安堵に目元が緩む。
「……そんなに本を読む時間を制限されるのが嫌だったのか。」
柔和に細められた金色の瞳が、愛おしいとでもいうようにイレーネに向けられていた。
「……父様っ! ねえ、父様、わたくしが緑の瞳をしていること、憎くはないの? スリザリンの容姿を受け継がなかったこと、憎くはないの? 」
リーベラの腕から抜け出したイレーネが、サラザールに駆け寄って震える声でそう言ってから手を伸ばした。溜息を吐いたサラザールがイレーネを抱きあげる。溜息にイレーネの肩がびくりと震えたのをハリーは見た。
「……きちんと話そうか、イレーネ。騒がせたな、もう夜も遅いのだから寝なさい。リアのクッキーか……仕方ない、今夜だけは見逃してやろう。次はないからな? 」
クッキーの山を一瞥してサラザールが苦笑した。肩にしがみついているイレーネの背中をあやすように撫でながら談話室を出ていった寮監を見送り、リーベラがくるりとハリーの方に向き直った。
「まったく、ハリー、あなたって! 最高ですわ! 」
「えっ、リーベラ!? 」
いきなり抱きつかれてハリーは目を瞬かせた。うふふ、と笑ったリーベラがぎゅっぎゅとハリーを抱きしめる。
「イレーネちゃんに何と言えばサラザール先生に愛されていることを受け止めてもらえるか、誰にもわからなかったんですの。でもハリー、あなたはイレーネちゃんに正しい言葉をかけましたわ。ああ、ハリー、あなた、本当に素晴らしいですわ! 」
「ハリー先輩はすごいですね! イレーネちゃんがあんな風にサラザール先生に駆け寄るのを見るのなんて一年ぶりですよ! 」
ヴィンセントがハリーを尊敬の目で見上げた。その尊敬の色は今のハリーの言動にであり、決して英雄であるからとか、そういう外面を見たものではない。その視線があまりにも心地よかった。
談話室に明るい雰囲気が流れる。あちらこちらで、あそこの先輩がイレーネちゃんに何か言ったらしいとざわめきが広がっていった。やり取りを見ていたらしい後輩たちからきらきらとした目を向けられる。
「イレーネちゃんの歪んだ純血主義の修正に貢献したハリー・ポッターに拍手ですわ! サラザール先生が今夜だけはとお許しをくださいましたもの、さあ、リアのクッキーとヴィンセントの紅茶で今日は夜更かしいたしますわよ。監督生たるわたしが許します! 」
高らかに宣言したリーベラに談話室が歓声で満たされた。