崖から落ちたら千年前 作:優鶴
「ハリー、昨夜のことに礼を言う。イレーネを諭してくれたようだな。」
翌日。朝食を食べ終わった後、ハリーは声をかけられてゆっくり振り返った。昨日夜遅くまでスリザリン寮ではクッキーと紅茶を飲み食いして騒いでいたため、寝不足なのだ。他のスリザリン生もぼんやりしているが、その様子はどことなく満足そうだ。昨日の羽目をはずした騒ぎは結構楽しかった。
「サラザール先生、僕は思ったことを言っただけです。」
「いや、その言葉がイレーネを救ってくれたのだ。正直私もイレーネにどう言えば歪んだ純血主義を修正できるのかわからなかったところでな。助かった。」
「ありがとう、ハリー。……ちゃんと、父様と話し合えたわ。頭が冷えたの。」
サラザールの腰のあたりにしがみついているイレーネが柔らかく微笑んで礼を言ってきた。
「イレーネちゃんがあんなに屈託なく笑うのは久しぶりですわ。ハリー、あなたの功績ですわよ。誇って良いのですわ! 」
心底嬉しそうにハリーの肩をつかんでリーベラが揺さぶる。
「ベラ、そんなに揺するとハリーが酔ってしまうよ。」
アルドールに引き離されたリーベラは少し不満そうだったがイレーネに微笑みかけられて機嫌は急速に回復した。やだ可愛い、と崩れ落ちるスリザリン寮の最上級生を青色のローブをまとった下級生が介抱している。
「次は魔法生物飼育学の授業だぞ! 遅れんなよ、お前ら! 」
「せっかくいい雰囲気だったのに何ぶち壊してんですかゴドリック先生の馬鹿! 」
アルドールが叫んだ。
「リックおじさん、空気読むってこと覚えて! 」
サラザールに抱きついたままのイレーネにも叫ばれてゴドリックはよよと崩れ落ちた。
「……教師が情けない。後で罰則よ、ゴドリック・グリフィンドール! 」
うふふと高笑いをしながらゴドリックに罰則をつきつけたのはロウェナだった。
「それはないだろロヴィ! 」
もはやコントである。生徒にも生温かい目で見つめられているゴドリックをハリーは思わず可哀想な目で見た。アルドールに腕を引っ張られる。
「……一限があの残念なゴドリック先生だってことはちょっとあれだけどさ、授業の用意しようか。」
「……そうだね。っていうか先生たち仲良いね。」
ロウェナに足蹴にされているゴドリックに見なかったふりをして、ハリーはアルドールと共に大広間を離れた。
「アル、ハリー。今日の授業はバジリスクらしいですわよ。」
アルドールとハリーについてきたリーベラがとんでもない爆弾発言を投下した。
「バジリスク!? 」
「ええ、いつだったかゴドリック先生がサラザール先生に土下座していたことがありましたの。きっと魔法生物飼育学の授業でバジリスクを扱う許可をとっていたのだと思いますわ。」
「まあサラザール先生のバジリスクはまだ幼生だし、目が合っても肌がピリッとするくらいで特に命に別条はないだろうけど。」
アルドールが呑気にそう言った。サラザールのバジリスクといえばハリーが1000年後に殺すことになる蛇である。殺し合った相手と会わなくちゃいけないのか、と思うとハリーは少し憂鬱な気分になった。
******
「今日はバジリスクを扱う。ということで特別ゲストのみんな大好きサラザール先生だ! 」
「みんな大好きは余計だ。とっとと授業を進めろゴドリック。私は仕事が詰まっているんだ。」
サラザールが溜息を吐いて先を促した。お疲れ様です、と心の中でハリーは合掌する。
「バジー可愛いですわ……。」
うっとりと目を細めるリーベラにハリーは冗談抜きで少し引いた。
「バジーは本当にサラザール先生が大好きね。」
アリアドネも目を細める。バジリスクはバジーと呼ばれているらしい。
「この子は私が訓練したから人語を解するが、普通のバジリスクは蛇語以外解さない。きちんと覚えておきなさい。」
サラザールに何事か話しかけられたバジリスクは、サラザールの首に絡みつくのをやめてするするとリーベラによじ登ってきた。きゃあバジー可愛い、肌がぴりっとするから目を閉じてくださるかしら、歓声をあげるリーベラはバジリスクに頬ずりをした。
「ハリー、バジーをどうぞ。可愛いですわよ! 」
小首を傾げた(ように見えた)バジリスクはするりとハリーにすりよってきた。ぺろりと頬を舐められる。すわバジリスクの毒で殺す気かと思ったがそんなつもりはないらしい。ハリーの首にじゃれついてきたバジリスクにハリーは絆された。大きい蛇は恩師が噛まれて死んだので色々とトラウマがあるのだが、これくらい小さい蛇ならまだ大丈夫だろう。
「ハリー、早くバジーをこっちに頂戴。」
アリアドネに言われてバジリスクを渡せばアリアドネもバジリスクの頭を撫でて微笑んだ。
「……あー、バジーを可愛がるのはいいが。誰かバジリスクの生態を説明してくれ! 」
ゴドリックの声にはいっとクレマチスが手を上げた。
「魔法生物の中で最も珍しくて最も破壊的と言われますけど、バジーは可愛くて優しいです! 」
「サラの教育の賜物だな。」
「私のバジーを褒めてくれてありがとう。ハッフルパフに二点。」
「完全に私情じゃねえか! そういう加点はありなのか? 」
「私のバジーの可愛さを理解できる者に加点して何が悪い。あなたも剣を選んだだけで生徒に加点したことがあるだろう。」
ぐっと詰まったゴドリックを尻目にはあい、とクリステアが手を上げた。
「バジリスクはヒキガエルの腹の下で孵化され鶏の卵から生まれまーす。」
「その通りだ。バジーは伯父から譲り受けたものゆえ私は生まれる瞬間を見ていないが。……セラ、何か言いたいことがあるようだな? 」
指名されたセレナが頷いた。
「毒牙による殺傷もできますし、成長すれば一にらみで殺すことができます。目から放たれる光線で即死させられる、驚くべき殺傷能力の持ち主です。」
「その通り。さて、バジリスクは何の宿命の天敵とされるか。わかる者? 」
はいっと勢いよくセプティマが手を上げた。もはや授業乗っ取りである。ゴドリック先生が空気だ、とハリーは燃えるような赤毛に同情的な視線を送った。
「クモです。クモが逃げ出すのはバジリスクが来る前触れです。だから、バジーがいるホグワーツにはほとんどクモはいません。」
「その通り。魔法薬の材料ともなるからクモが少ないのは少々残念だが、バジーがいるおかげでバジリスクの脱皮した皮を使えるのだから問題ないだろう。さて、バジリスクが逃げ出すものは? 」
もはや魔法薬学の授業である。リーベラが手を挙げた。
「雄鶏が時をつくる声です。」
だからハグリッドの雄鶏が殺されたのだ。ふむ、とサラザールは満足げに頷いた。
「バジリスクの毒を癒すものを知っているか? 」
セレナとセプティマが顔を見合わせる。実際に癒されたことのあるハリーが手を挙げた。
「ハリー。答えてみなさい。」
「不死鳥の涙です。」
「その通り。そこのゴドリック先生はよくバジーへの嫌がらせか自分の不死鳥を私のところに連れてくることがある。不死鳥とバジリスクは相性が最悪だというのに。」
「最低ですわね、ゴドリック先生。」
魔法生物飼育学の教授ってゴドリックではなかっただろうかとハリーは遠い目をした。授業を乗っ取られている上に生徒に冷たい目を向けられている。自寮の創設者に抱いていたイメージががらがらと崩れ落ちていく。スリザリンも案外悪くない。スリザリンに入ってたらまた世界は違ったかもしれないと思うほどには、アルドールとリーベラをはじめとしたスリザリンの面々にほだされている。
「さて、ではまずバジーの愛らしさについて。まず手触りが……。」
滔々とバジリスクの可愛らしさについて語り始めたサラザールにハリーは卒倒したくなった。ごめんなさいサラザール先生、そんなにバジーのこと可愛がってたのにグリフィンドールの剣なんかで殺しちゃったりしてごめんなさい。というかこんなに可愛らしいバジーを殺したのだと思うと罪悪感が……。
「ハリー、どうしたの? 顔色が悪いわよ。」
気遣うようにアリアドネが顔を覗きこんでくる。
「体調が悪いなら寮に戻って休んでいた方がいいわ。送りましょうか? 」
校癒志望なだけあってアリアドネは体調の変化には敏感なようだ。まさか1000年後にバジーを殺したことを後悔しているだとか言うわけにもいかず、ハリーは曖昧に笑った。
「大丈夫だよ、ちょっとバジーの愛らしさにあてられてね。」
一応完全なる嘘ではない。
「そう……。体調が悪くなったらちゃんと言うのよ、ハリー。」
「うん、気遣ってくれてありがとう。」
お礼を言ってみせればアリアドネはまだ気遣わしげな様子を見せたもののバジリスクに視線を戻した。すべすべの鱗は手触りいいわよね、と頬に手を当てる。サラザールのバジリスクはどうやらよほど生徒に人気があるようだった。
******
「……だめだ、罪悪感が凄まじい。」
昼の休憩で部屋に戻る最中、男子寮の入り口で頭を抱えたハリーにアルドールが首を傾げた。
「罪悪感? 何かあった? 」
もういいや、とハリーは思った。言ってしまおう。言った方が楽になる。たぶん。
「1000年後に僕はバジーを殺すことになるんだよ……。」
罪悪感が凄まじい。自分に懐いてくるバジーを見るとこの子殺しちゃったんだよなあと思って頭を抱える羽目になるとかやめてほしい。切実な願いである。
「……詳しい話を聞かせてくれないかい? 僕の部屋ででも。」
アルドールに部屋に通される。アルドールが指を振ると机と椅子が出てきたのでそこに座り、ハリーは再び頭を抱えた。
「無駄に優秀なスリザリン生がいてね、闇の帝王になったんだよ。ちなみにサラザール先生の子孫。」
「何だいそれは。サラザール先生が聞いたら怒り狂うよ……。」
「僕の恩師であるアルバス・ダンブルドアは学生時代から闇の帝王になる片鱗を見せていたそのスリザリン生をずっと監視していたらしいけど……。」
「それ、監視するだけして指導も何もしようとしなかったんじゃないの? 教員が手を差し伸べてまで闇に堕ちたのなら救いようないけど、もしかして教員は誰も手を差し伸べなかったとか。」
「首席だったけど、闇に堕ちる危険性ありってことで、教員になるの断られてるんだよね……。」
その言葉にアルドールが眉をはね上げた。
「なるほど、教員失格だ。監視するだけなんて、監視だけしてろくに指導もしないなんて先生方が怒り狂う。先生方が怒ったら怖いことはハリーもよく知っているだろう。」
「そっか……。」
「話がそれたね、それでどうしてバジーを殺すことに? 」
「その無駄に優秀な闇の帝王が分霊箱作って、その分霊箱が校内に侵入してとある生徒とバジリスクを操って学校中で石化事件が発生していたんだ。それで、僕がどうにかして石化事件の元凶であるバジリスクと分霊箱を処分したってわけなんだけど……。」
かなりはしょった。色々な部分を。
「はい質問。」
授業中のようにアルドールが手をあげる。どうぞ、とハリーが言えばアルドールは溜息を吐いて疑問を口にした。
「教員は何してたわけ? ちなみにハリー、その時の学年と君の年齢は。」
「二年生で12歳。」
「だめだそれ教員失格だ。1000年後のホグワーツなんでそんなにだめだめなの。生徒に石化事件の処分させるとか何……。それ、教員の不始末の尻拭いだろう? 」
「……そうだね。」
「で、さっき話に出てきたアルバス・ダンブルドアっていうのはどういう立場なの? 恩師って言ってたけど。」
「校長だったよ。最も偉大な魔法使いって呼ばれてて……。」
「……君の話を聞く限り、1000年後のホグワーツは終わっている。」
「否定できない気がする……。」
「そして君の話を聞く限りだけど、バジーを殺したのはやむをえずってところなんでしょ。だったらハリーが自分を責める必要はないよ、バジーだってハリーを恨んだりはしないはずだ。あの子はいい子だからね。」
「……そうは言われてもさあ。」
「じゃあ、ハリーが1000年前に来たのはバジーと和解するためだったってことにすればいいじゃないか。」
アルドールの微笑みに少し心が軽くなる。言ってしまってよかった、とハリーは思った。