加筆修正して再投稿しました。
「お母さんのこと?」
とある休日、公爵家のサンルームで僕はヘルとお茶をしていた。
サンルームには防音と防御の膜をしっかり張ってある。公爵家の外部からの防衛は僕が担っているが、この家の中ではどこに誰の目と耳があるかわからない。魔物より厄介だと思う。
屋敷の料理人には彼女が気に入っていたポルトカリのタルトをホールで一個用意してもらった。さっそく彼女はタルトをフォークでつついている。
「私のお母さんの話が聞きたいの?」
「うん。まだ海の国から帰ってないでしょ? どんな人?」
シュテーダルとの戦いの後、彼女が眠っていた間に、僕は王宮で何度か彼女のお母さんと顔を合わせている。顔は娘のヘルによく似ていた。髪と目の色を除けばきっと若い頃は瓜二つだったろう。昔のヘルと同じこげ茶色の髪と目をしていて、もし小さな頃の僕がヘルのお母さんに会う機会があったなら、きっとナイジェリーだと思ったに違いない。
ヘルによると、仕事熱心でお父さんには冷淡で、仕事の考古学以外にはあっさりさっぱりしている人らしい。性格もよく似ているようだ。
海の国の王女時代も勤勉だったそうで、いけ好かない弟王子(ヘルの叔父)は姉のせいで勤勉が嫌いなんだとか。
ヘルのお父さんは僕と同じ火型で、破魔士だ。だからという訳ではないけれど、つれない奥さんを持つお父さんに親近感が湧いた。
海の国の古代文字が読めて、氷の始祖とずっと語りあってきた女性。ヘルのお父さんと結婚してからはドーランの辺境の小さな村で暮らして、考古学者として優秀なのに地位や名誉には興味がない。
海の国の魔法がまだ使えるのか、それとも習性が変えられないだけなのか、嘘を吐かない人。些細な嘘を吐いた小さなヘルを、井戸に落とす振りをしてこっぴどく叱ったらしい。ヘルはその原体験が元で嘘が吐けなくなったそうだ。
ヘルは小さな僕に『自分の名前はナイジェリーで、騎士団の迷子係』と嘘を吐いた。そして、そのことにまだ罪悪感を抱いている。もっと上手い誤魔化し方もあったと思うけれど、彼女が咄嗟に思いつくはずもない
その嘘を小さな僕は信じて、大きくなってもずっと覚えていた。攻守専攻技術対戦の表彰式でヘルの進路希望を知るまで、僕は彼女が騎士団に入団するものだと心の奥底で無意識に信じていたのだ。あのときは思ったより傷ついて僕自身も驚いた。でも、それは彼女のせいじゃない。子供の頃の、夢か幻のような約束をいつまでも覚えていた僕の問題なのだから。
ヘルのお母さんは妙に恋愛に関する
海の国の王女で人魚だったのなら実際の年齢は……あまり深く考えないほうがいいだろう。何しろ大陸とは時間の流れが違う世界なのだ。人魚の社会については僕も詳しくない。個体差もあるだろう。
詮索するつもりはさらさらないが、海の国で過去に
「お父さんは最初すごく意地悪で、お節介で嫌な人だったらしいんだよね。私の知ってるお父さんは、どんなに冷たくされてもお母さん大好きって人だから信じられないけど。お母さんもどうしてそんなお父さんを好きになったのかな?」
ヘルは腕を組んで真面目に頭を捻っている。
僕はテーブルに頬杖をついて苦笑した。
「……君にはわからないだろうね」
「何よ、それ?」
ヘルのお父さんは人魚のお姫様に恋をした。人間と人魚の姫、お父さんが人間の世界を捨てるならともかく、普通なら絶対に叶うはずのない恋。
でも人魚のお姫様は氷の始祖の力で人間になり、二人は結ばれた。
親近感なんて失礼だな。僕はヘルのお父さんを尊敬する。
タルトの上のポルトカリを口に入れて、僕はそれ以上の言葉を飲み込んだ。
ヘルは頬を膨らませて不満顔だ。以前ならそういう顔をすると子どもっぽい印象だったのに、綺麗なお姉さんが可愛らしく拗ねているようにしか見えない。
柔らかな
困ったな。彼女はどんどん綺麗になる。人魚の血のせいなのだろうか、可愛い女の子から大人の美しい女性に変貌していく。
僕に恋しているが故に綺麗になるのは凄く嬉しいけれど、彼女を見る男たちの視線が不愉快でならない。何より、僕自身を抑えるために削られる精神力といったら以前の比ではなくなっている。
ヘルは、若いころ結婚式を挙げられなかった両親に結婚式をプレゼントしたいのだという。
「素敵だね」
「うん、だからこれまでハーレのお給料を貯めてきたの。お母さんとお父さんにはどんな式がいいかまだ聞いてないけど、私としてはやっぱり花園の塔で……」
こうしたい、ああしたいと薄紅色に染まった頬を両手で包んで目じりを下げて語る。
本当に可愛い。いつもこうやって笑っていればいいのに。
ふと、気になって聞いてみた。
「ねぇ、君の結婚式は? 何か理想とかある?」
「私の結婚式?」
「そう、君の結婚式」
「…………」
「…………」
きょとんとした顔で僕を見ている。
「……誰と?」
これ、僕に言わせたいのかな?
「……私の結婚式なんて考えたことなかった」
……やっぱりね。
僕がお茶を
「だって……ずっと両親の結婚式のことばかり考えてきて……私の結婚式なんて……。私が……結婚……?」
ヘルが眉をハの字にして上目遣いに僕を見上げる。椅子を蹴飛ばした僕は抑えきれずに手を伸ばした。
甘くてちょっと酸っぱい林檎のような頬にそっと口付ける。
「……ご両親が早く戻られることを願ってるよ」
海の国と連絡を取る手段を真剣に考えなきゃな、と僕は思った。