千束の嘘は常連の中の話題となった。
つまり、顔見知りは処刑人である。
朝からその話題で持ちきりだ。
いや、そんな重要な話?ともなるが、常連客からすれば重要視するに足る話題性があるんだとか。
やれやれ……全力でやめてくれ!!
もう、朝から疲れたんだよ。
特に、連発するアレ……。
「もう、このお店に来るのは最後にします」
ヴェッ!!?
レジを担当する俺に告げられる幾度目かの最終来店通告。
涙を堪えながら女性は俺を見ていた。
まさか、引っ越しするからもう来れないとか?
そんな理由なのかとも考えたが……。
「お幸せにッ!!」
「ちょ!?」
何故か皆がお幸せにとか言って去っていく。
男性二人、女性四人。
千束の流布した偽婚約情報によって、リコリコは六人を失った。控えめに言って、かなりの大損害である。
何で!?
俺以外にも被害が波及しているだと!?
いや、それより何であんな情報を軽々と信じちゃうんだよ。
あのSNSに投稿した写真、明らかに俺の顔が引き攣ってただろ!
何処が婚約したヤツの顔だよ!
明らかに裏あるってわかるだろうが!
俺が愕然としていると店内に笑い声が響く。
思わず、むっとしてそちらを睨んだ。
座敷席でこちらを見て大爆笑しているのは、警察庁に務める常連客の一人――阿部さんだ。
クソ、笑うこと無いだろ。
「あの子も天くん狙いだったか」
「最悪ですよ……」
「しかし、千束ちゃんも十七か。そりゃ結婚もできるよな」
「いや、あの、阿部さん?」
「天くん、しっかり守るんだぞ」
俺の、俺の、俺の話を聞けぇええええ!!
この調子が朝からずっと続いている。
あの偽情報に踊らされた者は多い。
主に先刻のように悲哀のあまり来店を苦痛に思う者、そして祝い事だと贈り物まで持ってきて喜ぶ者の二種類だ。
裏の座敷では、既に祝の品が積み重なっている。
マ・ジ・で、誰か違うと言って!?
俺の口からは言えないんだよ!
「それで?式は挙げるの?」
常連客の米岡さんが尋ねて来る。
おまえもかよ。
おっと、失礼。
あなたもでしたか。
「え?式?」
「そうだよ、結婚式」
「…………」
結婚式て。
まず婚約もしてないのにやれるわけないだろ。
第一、千束も冗談で言って……。
――いいな、お嫁さん。
……昔、そんな事を言ってたな。
いや、あれはウェディングドレスへの羨望だ。
間違っても結婚そのものじゃないだろう。
ウォールナット護衛の時に写真を改めて見る機会があったが、あれから千束も随分と大きくなった。今着たら多少はあの頃より似合っているのかもしれない。
まあ、嘘だから意味ないけどね!?
第一、結婚したって千束は――。
「バカね、米岡さん!その前に指輪よ」
伊藤さんが横から口を挟む。
最初に俺たちの婚約(嘘)を言祝いでくれた人だ。
純粋に同じ女性として、千束の幸せを喜んでくれているそうだ。ウソだけどな!!
「指輪……」
「えっ?」
「…………」
千束がぽつりと呟く。
それを聞いて俺は彼女の方を見た。
え、やめてよ……そのぼーっと自分の左手の薬指辺りを見つめるのやめてよ。割とガチで。
まさか、憧れてる?
ミズキさんに何か薬、というか酒でも飲まされた?
いや、でもねえ。
戸籍の無い俺と千束じゃ、そもそも婚姻届も出せないしな。
どれだけ想像しようが虚しいだけだろ。
…………待てよ。
公的に結婚が認められようがいまいが、指輪は買えるよな。
どれくらいするんだろ……高いよな。
今の貯金で、足りるか??
ウォールナットへの依頼料として保有し、未だ奇跡的に千束に散財されずに済んでいる金がたんまりとある。
アレを消費するのも手か………?
「……指輪かぁ」
千束がまた呟いた。
ちょっと待てよ、いま悩んでるんだから。
ううん、でもまずサイズの問題があるよな。
アイツの指を計測しないといけない。
それは帰ってからで良いか、一番の考えどころはやはり予算だ。
「あらあら?天、もしかして」
「ん?」
「真剣に悩んでる?」
「え、だって指輪って高いでしょ。俺の貯金的に叶えるとしても、やはり高価なのが良いのか、どうなのか……ですね」
「そこじゃない。……あー、重症だな」
何かミズキさんに呆れられた。
いや、死活問題だろ。
指輪を買って後の人生に響いたらアウトだし。
仕事中だけど、ちとネットで調べてみるか。
「えーと……ペアで二十万ちょいが普通か、意外だ」
「意外?」
「いや、もっと百万とかするのかと思ってたんで」
「そんなん上流階級だけよ」
ふむ、ならいけるな。
今晩、取り敢えず千束に頼んでサイズを測るか。
それで近場で店を探して……よし。
「嘘じゃないんですね」
悩みを解消してよし、と思っていたらたきなに話しかけられた。
何か、声がいつも以上に冷たい。
はれ………?
たきなさん、それどーゆー意味?
「今朝、私には千束の悪戯だと言っていたのに」
「え?――――あ゛」
俺はこの時、やっと我に返った。
い、いつの間にか流されていた!!
いつもの調子でつい仕方ないな、と思いながら千束の要望を叶えるノリで結婚指輪を購入するところだった!
な、なんて事だ。
たきなエル、また俺を救ってくれたのか……!?
「たきな、ありがとう。正気に戻れた」
「知りません」
「ちょ、今日は何でそんな冷たいんだ?」
「余計な事を考えていないで仕事しましょう」
さっとたきなが踵を返していく。
客に迅速な配膳を行い、注文確認をする。
そのキビキビとした仕事ぶりは、数月前に配属されたばかりの新人だとは思えない。
でも……今日はいつもよりすげードライ!!
「ふう、危ねえ」
「テン」
「はい?」
「指輪はそんな高くなくて良いよ。大事なの気持ち、だから!」
なるほど、なら高くなくて良いか。
いや、これは遠慮させているのか…………?
「ううむ」
「やっぱり本当なんですね」
「あ゛!いや違う!」
「よし!テン、休日に一緒に選びに行こー!」
「はいはい」
「そうですか」
「うばっ!?違う、違うって!そうだ、俺はおかしかったんだ!だから大丈――」
「テン、この店とかどう?」
「あー、そこなら近いか」
何かたきなと千束に話しかけられて頭の中がぐちゃぐちゃになってきた。
「ミカ、あいつ可哀想なヤツね」
「天はいい子だ。悔いのない選択をして欲しい」
「あぁ、アタシのキープが……」
もうワケが分からなくなってきた。
とりあえず、働くか。
疲れた……死ぬほどに。
もう、土に還ってもいいですか?
昨日の千束による婚約騒ぎから、疲れっぱなしだ。
今日は店を閉めるとの事なので、俺は座敷席で突っ伏していた。
一日どころか一月分の体力を消費した気分だ。
もう考える事すら面倒くさい。
取り敢えず、今日の午後に千束と指輪を買いに行くだけだ。もうそれ以外、何でもいいわ。
「あー、もう疲れた」
「大丈夫か?」
「このリスめが。気遣ってるフリならやめろ」
「バレてたか」
横ではクルミが煎餅をかじっている。
オイ、それ俺にも寄越しやがれ。
『地下鉄脱線事故から、今日で一ヶ月が経ちました。事故があった地下鉄は未だ復旧できず、利用者からの苦情が相次いでいます――』
カウンター席に設置していたテレビから報道が流される。
俺は顔を上げて、その画面を見た。
地下鉄線の責任者が記者会見でフラッシュの雨を浴びている。
その表情は、とても申し訳無さそうだった。
地下鉄、脱線事故って事になってたか。
俺も現場にいたんだがな。……多くのリコリスやテロリスト達と一緒に。
流石はラジアータ、ってところか。
クソが。
「はははは」
「この社長も気の毒ですね」
「……そうだな」
そう、本当に。
知らないって事は幸福だ。
「テーン!」
「はい?」
「早く指輪!買いに行くよー!」
「へいへい」
ま、深く考えないでおこう!
今は頭を空っぽにして、買い物に行くだけだ。
あははは!
あははははははは!
あはははははははははははははは?
「指輪、来月だってねー」
…………思考放棄なんてするんじゃなかった。
最悪だよ、マジで。
何で俺、こんなことしたんだ?
俺は何の違和感も無く、千束と指輪の購入を済ませてしまった。明らかに店員さんも最初は小首を傾げていた。
いや、だろうね!!
JKとその場で指のサイズ測って一緒にモデル選んで注文するヤツなんてそうそういないだろうね!!
「やってしまった、俺はどうすれば……!」
「どしたの、テン?」
「死にたい、誰か殺してくれェ……!!」
「えー!私さっそく未亡人!?」
「ちょっと黙って」
クソ、これも幼少期からの悪癖だ。
一度思考を放棄して、事の流れに身を委ねたら我に返るまでが長すぎる。その所為で何もかも手遅れになってからしか止まれない!
クソ上司による教育の賜物だよド畜生!!
千束もヤツと大して変わんないけどな!
ちら、と横を見ると嬉しそうに笑っている。
まるで隣で不幸に嘆く俺が見えていないようだ。
「いやー、ごめんね」
「あ?」
「逆に、テンを寡男にしちゃうじゃん」
「…………」
千束が苦笑し、俺の方へ振り向く。
「別に、気にするなよ」
「へ?」
「俺は別に、オマエを最後まで見届けるって約束してるんだ。それまで、どうせ奴隷ですよ。気にせず振り回して、盛大に生きてくれ。……こまめに、労ってね?」
別に千束のワガママに振り回されるのは、不可避であると考えている。
千束に『その時』が来るまでの俺の宿命だ。
ならば、諦めて過ごすしかない。
それなら、会った時にでも自害しておけばよかったのだ。
いや、それよりもずっと前に。
あの『約束』を守れなくなった日にでも死んでおけばよかったのだ。
全ては、のうのうと生き延びた俺の責任。
今さら誰かと人生を歩む事も出来ないだろうし、正直に言うとDAを離れた後に自分の人生を始めるというのも夢物語だ。
「…………」
「指輪は、まあ買うつもり無かったけど」
「ふーん」
「オマエがそうしたいなら、婚約者でも演じてやるさ」
「テンはさ、嬉しくないの?」
「え?」
千束が俺の左手に、自分の左手の指を絡める。
それを顔の横まで持ち上げて、にやりと笑った。
「私のダーリンになれたこと」
そう言われたとき、思わず笑ってしまった。
「嘘つけ。奴隷だろ」
千束がその答えを聞いて微笑む。
俺は手を振り払って嘆息した。
もー、何でも良いや。
これからも適当に生きてやる。物を考えるのは、リコリコを辞めた後でも構わない。
取り敢えず、当面は隣の小娘の遊びに付き合うだけだ。
………限度と節度を持って欲しいけどねぇ!!!
「ほら、リコリコに帰るぞ」
「ほーい」
千束と並んで夕方の交差点を渡る。
彼女が今晩観る映画について語り、それを聞き流す。
こういう日常が、後どれくらい続くのか。
終わりを想像するのは野暮な話だが、そう考えてしまう程には惜しんでいるのかもしれない。大切にしているのかもしれない。
そんな自覚が芽生えて、自嘲してしまう。
「…………え?」
不意に、視界の隅を何かが掠めた。
人が入り乱れる交差点、その雑踏の中であまりに特徴的な物だったから目についた。
少し離れた場所を、歩いている人影。
白と黒のツートンカラーの髪の女性が、こちらを見ていた。
それが人影に紛れてすぐに消える。
「テンー?」
千束に呼ばれて、はっとする。
どうやら立ち止まっていたらしい。
他人の空似、だよな……………?