これからの話……デスッ!!
無我夢中で走っていた。
あの一報以来、他の音が耳に入らない。
走る足は重くなる一方でひたすら加速する。DA関係者で何度も検診で世話になっている山岸先生がいる診察所へと向かっている事は確かだ。
呼吸量と運動量が一致しない。
ほとんど意識が白みかけている。
それでも走った。
走って、着いた場所にアイツがいた。
「千束」
「…………」
返答は無い。
千束は黙って椅子に座っている。
検査衣のままで俺の方すら見ない。拗ねたように俺とは反対方向にある窓に顔を向けていた。
山岸先生やみんなの姿は見当たらない。
二人きりの状況で完全に無視されている。
呼吸を整えつつ、彼女を見た。
特に外傷は無い。
別れた二週間前と何ら変化なし。
だが、電話で聞いた話では――。
「どういう事だ」
「…………」
「心臓を破壊された?――いつ、誰に、どうしてだ」
「…………」
「千束!!」
思わず怒鳴ってしまった。
はっとして、俺は自分の口を手で塞ぐ。
冷静さを欠いた状態で何を聞いたって情報として吸収できない。
俺は千束の反応を待った。
「二ヶ月なんだってさ」
唐突に告げられた内容に俺は停止した。
何が、二ヶ月?
嫌な予感に汗が滲み、詳細を尋ねようとする喉が震える。
分かってる、自分がかなりビビっている事に。
だが、訊かざるを得ない。
「何が?」
「テンが私の奴隷でいられる時間」
「――――」
俺はその場に尻餅を突いてへたり込む。
自分の中で何かが崩壊していく気がした。
分かっていなかった。
心臓が破壊されたという一報で、既に千束が死んでいる事を予想した。慌てて彼女のいる検診所に向かい、そこで千束の姿を目にして勝手に悪い夢だったのではないかと淡い期待を抱いた。
……それが、これか。
何も良くなっていない。
俺が千束の奴隷でいられる期間――それはつまり、千束の寿命の話だ。
予て人工心臓の『欠陥』は聞き及んでいた。
世にも珍しい人を生かす造り物の心臓は、確かに高性能に違いない。
ただ、そんな甘美な夢の裏にはすべからく厳しい現実が伴う。
人工心臓は、耐久性に問題があった。
千束が成人するまで。
それが稼働限界だという。
定期的に検診所で充電しても、機械は機械。
いずれは劣化により、その充電すら出来なくなって停止する。
それが、最長で二十歳まで。
俺はその話を聞いて、それが千束の『任期』であり、俺が奴隷として彼女といる期限だと心得た。
それが――二ヶ月に早まった。
「誰に、やられた」
「知らない女の人。まんまとやられたわー」
「…………」
千束が気にした様子は無い。
いつもの能天気で剽軽な性格のままだ。
何で、笑っていられる?
理解不能な彼女の調子に、俺は思わず立ち上がって歩み寄った。
「千束、オマエ――」
「はい、そこで動くなよ?」
「へっ?」
あ、あれ?
千束が検査衣の懐から拳銃を取り出した。
俺は思わず変な声が出る。
ニコニコと笑っていた。
そう、本来なら笑っていられない筈……と考えていたが全力で撤回する。コイツ、目が笑っていない!!
パタパタとスリッパを鳴らして俺の懐へ入り込む。
頤に銃口を押し当てられて完全に理解した。
あ、コレまだ怒ってる……。
二週間前の事、まだ根に持ってる……。
まさかコイツ、逆にこの状況を利用して俺をDAから引きずり出したとでもいうのか!?
千束は俺の胸に耳を当てた。
「あ、この音だ」
嬉しそうに呟いている。
だが、おかしい。
謎の緊張感――具体的に言うと恐怖に類する感情で、心臓は早鐘を打っている。どう聞いたって安心できる音では無いだろ。
それでも千束は胸にすり寄って来た。
「次なんて無いよ」
「……!」
「逃さない、渡さない、許さない」
お、終わった……。
期限が短くなろうと千束は千束なのだ。
自分でどうにもならないのなら、考える事をやめて全力で前向きに生きる。
俺が行動を予測できる生き物ではないのだ。
いぎっ!?
唐突に、俺の右脇腹を抉るように掴んできた。
爪を立てて、ぎりぎりと力を込める。
い、いたたたたたた!!!?
「どう?あの人の顔が浮かぶ?」
「い、いいえ」
「うーん……私だけの傷も作った方が良いのかな」
「ひっ……!?」
「テンは何処が良い?――傷痕になるくらい深くて、気にするくらい大きくて、一生痛くて、つけた相手が忘れられない傷を刻むなら」
目、目がマジだ。
勘弁してくれよ……そんなのゴメンだって!
俺が怯えているのを見て、千束は目を細めた。押し付けていた銃を退け、俺の胸から耳を離す。
すると、弾けるような笑顔と共に舌を覗かせた。
「冗談でした〜」
え、あ……じ、冗談か。
何だよ。
あ、あははははは!
「一生に刻むなら、傷じゃなくても出来るしね」
………え。
千束は心底から楽しそうだった。
口から出る単語はいずれも物騒ですけど。
た、楽しいなら何よりだ!
はは、お、俺の心身が怪我しない方向でお願いします………。
空元気、ではなさそうだな。
本当に強いヤツだ。
……以前から人より短い寿命を定められていながら、ここまで気丈に振る舞えるのは素直に尊敬する。俺にとっては憧れるしかない。
それは、自分の命に価値を見出しているからだ。
一丁前に俺は生存本能が強い。
だが、その命で何がしたいかなんて思い付かない。
千束ほど強い意思が存在しないのだ。
だから、長年奴隷の立場に甘んじている。
……こういうヤツの方が、生きる価値があるのだろうな。
「さて!」
「…………」
「取り敢えず、帰ろっか!」
千束は何事も無かったように立ち上がる。
「……壊したヤツ、恨んだりしないのかよ」
「そんな事してる時間あったら、もっと楽しい事しようよ」
「例えば?」
「そりゃ勿論テンを……何でもない」
「おい、何を言いかけた!?」
不穏な事を口にしながら、やはり千束の笑顔に陰りは無い。
憂いの無い、真っ青な空のようだ。
そんな顔を見たら俺は何も言えない。
ただ、俺だけがこの現実に悶々とさせられるのだった。
でも、これは遠からず訪れる未来だった物だ。
いずれ来てしまう別れ。
千束と――――俺の寿命の、終わる時だ。
定休日のリコリコで俺は座敷席にいた。
目の前には机を挟んで店長が座っている。
両者の間に置かれたコーヒーから、仄かな湯気が立ち昇っていた。
「それで、話とは何だ?」
「店長」
俺は予て準備していた答えを口にする。
もう、これしか無い。
全てを円満に収める方法は、コレだけだった。
「テロリスト一味に、俺の元同僚がいるのは知ってますよね」
「……ああ」
「俺は、ソイツを殺すつもりです」
「………千束には黙っておけと」
「はい」
リコリコの方針は元より千束が決定した物。
自らの境遇から、誰かの時間を奪う事を良しとしない彼女が定め、ずっと大切に守り、貫いてきた意志だ。
俺はこれから、それに反する行いをする。
殺人の事実が千束を傷つけるだろう。
そして、後悔を残させる。
それは、今までだってやって来た事だ。俺がDAの作戦に参加して人を殺める度に、口にはしないが彼女は悲しんでいた。
でも、今回は悲惨さの比が桁違いになる。
だからこそ、店長には黙秘して欲しい。
何故なら。
「俺は21番と一緒に死ぬつもりです」
その一言に、店長が無言で頭を抱える。
反応は予測できていた。
言いたくは無かったが、言わずにやれば更に悲しませてしまう。加えて――『親』を何も言わず置いて逝く事への罪悪感もあった。
だから、告げなくてはならない。
「どうしてだ……!」
「俺は、千束があって『人間』を保てている」
「…………」
「クソ上司の教育に抗うには、もう俺は大分毒され過ぎて脱却できない。千束という指針が消えれば、逆戻りするだけなんです」
徹底した殺人機械。
気を抜けば、いつも俺はそこに逆行してしまう。
21番亡き後もクソ上司に刷り込まれた性質に抵抗はしたものの、殺人を厭うても体は勝手に動くようになっていたのだ。
千束に会ったのは確かに契機になった。
俺はそこで人間性を保てるようになってはいた。
「その要がもう失くなる」
「…………」
「正直、本気の俺を殺せるなんて千束か21番。リコリスやリリベルじゃ相手にならない」
「しかし」
「それに、21番は俺の不始末です。彼女を止めつつ、後の被害を防ぐにはそれしかありません」
「止められないのか……?」
「ええ。現に――」
21番を目の前にした時、俺は任務を続行しようとした。
あの日のデート中だって、アイツとの会話を楽しむ裏で『命令』の声が響いていたのだ。
それに俺は、今だって他人がどうでもいい。
千束が心臓を破壊されたと知った瞬間に、真っ先に何を思ったのか。
それが明確な事実だ。
俺はあの時、寿命を削られた彼女を悲しんだのではなく――残り時間の少ない『自我』を哀れんだのだ。
所詮、他人は他人。
いくら傍に人がいても改善しなかった。
あの『アランへの復讐』だって、自分は千束がいなくても――という薄い期待の上での願望だ。
21番の件で、それも潰えた。
どうやったって叶わない。
俺はやがて、ただの人殺しになる。
人を殺して生きる糧を得る以外に手段を持たない生存本能の権化。
そして己にとっての危険を、ただ純粋に排除するだけの機械だ。
そんな人間がDAにいても、いずれ殺し合いしか目に見えない。
リコリスには知り合いも多い。
世話になった人もいる。
だが、この親愛も今だから持てる感情だ。
あの『13番』に逆行すれば泡のように消える。
「だから、自分も処理するのか」
店長の批難するような眼差し。
それでも俺は、首を縦に振った。
「千束には黙っておいて下さい」
「生きられる道は無いのか!?それなら私が――」
「俺が!やるしかないんです!」
店長の言葉を遮って、俺は決意を表明する。
こればかりはもう歪められない。
俺の、藤宮天の最後の仕事である。
「二ヶ月以内にアイツと決着を付けます。――今まで、お世話になりました」
たとえ、いつか消えるとしても。
店長への感謝は今伝えたいと、そう思った。
彼は黙って、眼鏡の下にある瞳を手で覆っている。噛み締めた唇が震えていて、何かを堪えているのが分かった。
本当に申し訳ない。
恩を仇で返す羽目になった。
でも、これ以上は傷つけたくない。
「今の話、どういうことですか?」
凛とした声に俺たちは振り返る。
そこには、リコリコの制服を着たたきながいた。
ちら、と店長を見れば彼も驚いている。
どうやら、計られたワケではなさそうだ。
「天さんも、死ぬんですか?」
「…………聞いてたのか」
「はい、全部」
「そうか」
「質問に答えて下さいっ!」
たきなの質問にどう応えるか、俺は一瞬だけ逡巡した。
「天、たきなにも話して良いんじゃないか?」
「……俺の過去を含めて話さないと」
「たきなは、もうリコリコの一員だろう。千束だけじゃない、あの子も後悔する」
……………。
いや、あの。
素直に長ぇっス……ここまで店長に話しただけでも精神力をかなり消耗した。もう緊張感もここまでだ、って無理して堪えたんです。
勘弁して下さい。
ちょ、たきなさん。
あの、そんな真っ直ぐ見ないで下さい。
俺を想ってくれるのは分かるけど、一旦休憩挟もっか。
「すみません、一旦コーヒー飲ませて下さい」
あれだけ湯気の立っていたコーヒーは、いつの間にか冷めていた。
冷めても美味ェ………………。
精神力の絞りカスで話した。
顔面蒼白になっているたきなに申し訳ない。
途中でトイレ休憩挟んだ辺りが本当に人として論外だと思ってる。
ごめんな、マジで。
「アラン機関の所為ですか」
「え?」
「天さんがそうなったのは」
「………そうだね。でも、たきなには恨んで欲しくない」
「どうして?」
たきなが拳を握る。
その胸裏にある怒りは、ウォールナットの件で千束と細やかな衝突した時よりも熱量があるようだ。
それだけで充分、嬉しいと感じる。
常に一緒に行動していた千束だけではない。
リコリコの一員として、俺にもそんな風に思ってくれるのだから。
「確かにアランの連中は憎いさ」
「………」
「でも、アイツらとの出会いを経ているからこそ、店長、たきなとクルミにも会えたんだ。………あ、あとミズキさん」
危ねえ、忘れたら殺される。
あれ、誰か忘れているような……ま、良いか!
「だから、たきなはそのままでいてくれ」
「……」
「しかし、千束が『引退』となると……マズいよなー。リコリコ、誰かファースト呼ばないと続かないよな?」
「そう、ですけど」
「たきな、俺からのお願いだけどさ」
たきなが険しい顔で俺を見てくる。
そりゃ、そうだ。
千束の一件以降、彼女は気にしてしまっている。そんな状態で言うにはあまりに酷な話だ。
だが、俺も今しか言えない。
先延ばしにしてもロクな事が無いから。
「早くファーストになって、また店長と一緒にリコリコでも開いてくれよ」
そう言うと、たきなにビンタされた。
乾いた音がして、次に辛そうな彼女の顔が目に入る。
うん、分かってた。
「っ――!」
たきながそのまま店から出ていく。
それを見送った後、店長が深いため息をついた。
「どうして、あんな事を」
「後顧の憂いを断つ為です。直に、千束もこの店を閉めたいとか言うでしょうし」
「………そうだな」
店長も分かっているのだろう。
親として、この店では最も千束と長い付き合いの彼だからこそだ。
「DAに戻るのか」
「楠木さんにはもう伝えました」
「……そうか」
「勿論、作戦に参加するだけですので。それ以外は店には出勤しますし、それに」
それに。
「次、本部に帰ったらマジで殺されます」
誰に、とは言わないけど。
〜おまけ「色々とカオス」〜
俺は改めて絶句していた。
DA本部にいた間に店のSNSを見て知った、今や看板メニューとなった渾身の傑作。
今やメニュー表の一番を飾っている。
字面では美味しそうだった。
ただ、ただ……!
「これ、ウン――――!」
「デュクシィッッ!!」
言い切る前にミズキさんの手刀を食らう。
入れ方が本格的で、明らかに喉を潰そうとしてきていた。
こはっ、これ死ぬて。
「誰ですか、これ考えたの!?」
「聞きたい?」
「いや、聞かなくても分かります。どうせ千束でしょ。アイツしかいませんよ、こんな悪戯……」
ミズキさんが顔を手で覆う。
あれ、この反応は違う………?
でも、いくら流行りに疎い店長がこんな血迷った真似をするワケがないし、クルミはそもそもメニュー開発には味見しか参加しない。
一体、誰が………。
「たきなよ……!」
「え?」
「たきな、なのよ……!!」
苦しそうな声に、俺は耳を疑った。
う、嘘だ。
あの天使が、店にこんな爆弾を…………!?
「だ、誰かが唆したとか?」
「突然、新しいメニューを考えてきたっていうから見せて貰ったら……ウン!だったのよ!」
「た、たきなに限ってウン!なんて事ありますか!?」
「あったのよ!現に目の前のウン!にしか見えないでしょ!」
「これ……たきなは?」
「もう自覚したわ。SNSの呟きを見て」
な、なんて酷い……。
恐らく相当のダメージを負ったハズだ。
「因みにですよ」
俺は店の一画で動く物を指差す。
盆を抱えて、駆動音を鳴らしながら移動する人型ロボット。
「あれは何ですか」
「ロボリコ。通称――『テン』」
「はあ!?」
何がどうなってるんだ。
「千束がそう呼んでたのよ」
「え゛」
「精神的にかなり参ってたのね……」
「えー……」
俺がいない間に店はどうなっていたんだよ。
ほ、他には何も変わってないよな?
「他に何か」
「食器用自動洗浄機が付いたわ」
「ふぁ」
「他にも、収益がすごくて色々と買ったわ」
「…………」
「で、アンタの感想は?」
どうって、そりゃあ。
「今までの店長と俺の創意工夫が…………たきなのウン!に負けた…………!?」
俺はその事実に、ただ戦慄く他なかった。