藤宮天side
昔から死を覚悟した瞬間は何度もある。
警備会社では、戦場で死にかける事も多かった。
この九年間、千束によって死の恐怖に怯えた夜もある。
だから、なのか。
頭上から振り下ろされるナイフの気配に、漠然とああ、俺死ぬのか――と冷静に状況を俯瞰して終わりを受け容れようとしている俺が心の何処かにいた。
21番の件をやりきった所為もある。
千束に罪の片棒を担がせてしまった罪悪感もある。
たきなから敵を引き剥がせた結果もある。
死んでも仕方ないか。
だが、流石は生存本能の権化と揶揄された人間。
体だけは、反射的に腕を上げてナイフに応戦しようとしていた。
「っ!」
「く」
体力が無いだけに動作は鈍重。
それでも、ナイフの刃先を右手で掴んで止めた。
止められたと知るや、女が俺の首を踏んづけて地面に固定し、腰から第二のナイフを抜き取って振りかぶる。
今度こそ、終わった。
「がッッ!?」
次の瞬間、銃声が展望台に轟く。
赤い煙を炸裂させ、女が短い悲鳴を上げた。
直撃すれば実弾よりも痛いと称される弾に撃たれ、女の美しい相貌が激痛で歪んでいる。ナイフを持つ手が止まり、体勢を崩して俺の上から足が退けられた。
千束の一弾か。
アイツ、ノールックで撃てるのかよ。
だがチャンス……逃げるなら、今!!
でも肝心の体は動かない。
無自覚の内に、もう体力が底を尽きていた。
女が姿勢を立て直し、再度ナイフを振りかぶる。
ああ、終わっ――――
「させない!!」
唸りを上げて誰かの回し蹴りが放たれる。
俺の頭上の空気と共に女を薙ぎ払った。腹部を命中した鋭い一撃に、彼女が千束の方へと床を転がっていく。
床に伏せた状態から、俺は蹴り足の主を見上げた。
ぞっと背筋に冷たいものが走る。
剣呑な光を宿して、たきなが女を見据えていた。
顔の右は流血で濡れており、かなりの負傷体であるのは分かるが……それを感じさせない程の迫力を伴った眼力である。
怒っている。
たきなの双眸の奥で滾る感情が、かつてない熱量で彼女を衝き動かしているのだと察した。
「たき、な?」
「――――」
たきなの瞳が、一度だけ俺を見た。
ぞくり。
あ、やべ……これヤバイ時の千束と同じだ。
下手に触れると怪我どころか自由も失う。そういえば、千束には秘密でこの子には全て管理すると宣言されたんだった。
あれ、マズくね?
今考えると、戦場に出て来た俺の事にもかなりキレてるんじゃ……。
「千束どころか、この人まで……!」
たきなが俺の横を過ぎていく。
「おまえ達は、どこまで人を」
怒りで、殺意で声が震えている。
俺には理解できた。
たきなから発せられる物は途轍もない憎悪。
そして、彼女の瞳に――吉松と似た危うげな執念の光が宿った事も分かった。
早足で吉松と女の方へ歩んでいく。
その後ろ姿に危機感を覚えた。
千束も同じ物を感じたのか、女を吉松の方へと突き飛ばしながらたきなの方へと走り出す。
たきなが駆け出した。
その視線の先は、吉松に肩を貸してこの場を離れようと動く女に固定されている。
途中で銃を拾い、迷いなく二人へ発砲した。
「たきな!もういい!」
「ッ、心臓が逃げる!!……ぅあああああああああ!!!!」
慌てて千束が彼女に飛びついた。
必死に抑えようとするが、たきなは構わず撃つ。……虚しくも、千束の妨害と怒りで手元が定まらないのか一発も当たらない。
やがて、吉松たちが展望台を出ていき、引き金を引いても弾の出ない銃の手応えにたきなが絶叫した。
悲痛な叫びだった。
聞いている俺の腹の芯にも響いてくる。
何か声をかけなければ……だが、体が動かない。
殺すかどうかともかく、吉松を逃してはならないのだ。
千束の未来が、笑顔が懸かっている。
俺だけでも追わないと。
駄目だ、眠くなってきた。
寝てはならない。
ここで意識が消えれば二度と起きない可能性もある。
千束とたきなの会話する声が聞こえる。内容までは聞こえないが、暴走するたきなを窘めているらしい。
千束は諦めているのか、自分の命を。
でも、死なせたくない。
何とか、踏ん張れ………あ、駄目だ走馬灯みたいなのが見えてきた。
俺に向かって銃口を向ける千束の姿だ。
これは、いつのアイツだろう。
ああ、短い人生だったな………
「寝るな」
「ぷぎゃッッ!?」
頭に非殺傷弾が命中した。
落ちかけていた意識が激痛で強制的に覚醒する。
誰に撃たれたかは言うまでもない。負傷体にもこんな仕打ちする非道な人間なんて、俺は一人しか知らない。
おい、気持ち悪い悲鳴出ただろうが。
てか、走馬灯かと思ったら今現在のアイツだった。
瀕死の人間にする所業じゃねえ……!
千束がナイフを受け止めた俺の手を握る。
「傷、また別の女だ」
「ふ、不可抗力………」
「そろそろ堪忍袋の緒が切れるぞ〜?」
これ、ど、どうしよう。
このレベルで堪忍袋の緒が切れるんですか。
千束には国外逃亡の旨を伝えていない。
勝手に逃げたら、殺されるよな。今度こそ監禁どころじゃ済まなくなりそうだ。
い、今言うべきか、言うべきなのか?
「天さん」
「ぁ………」
冷たいたきなの声に、全身がブルっとした。
忘れていた。
この子も危険なんだった。
目の前に両膝を突いて、たきなが俺の顔を覗き込む。
「貴方と千束が死なないよう努力しました」
「ぁ、ぇと……」
「貴方の場合は、死地に赴かないよう全行動を管理すると伝えましたね。21番との闘争にも出ないよう店長にも監視を頼んでいたんですが」
「ぁ、ぁ、ぁ」
「勝手に出て、こんなに傷を負って」
たきなの手が体を撫でていく。
優しい手付きなのに、何故だろう……触れられた箇所から体温を吸い取られるような感覚に陥る。
表情は柔らかいのに、声が冷たい。
何もかもが見える物、触れる物と相反している。
たきなが隣の千束の方を見た。
視線が自分から外れただけで呼吸が楽になる。
これ、重症だよな。
「千束。閉じ込めましょう」
………………え゛。
今、不穏な言葉が聞こえた気がする。
異を唱えたいけど声が出ない。
すると、俺のチョーカーを千束が撫でた。……あ、外し忘れてた。
「たしかに。自分で首輪をつけ直すくらいだし」
「ぇ」
「そんなに私が恋しかったんだ?」
違う違う違う違う違う違う違う違う?!
そういう意味で付けたんじゃない。
いや、あながち間違いではないけど違う!
「千束は指輪で充分でしょう。首輪は私が」
「いやー、ごめんね。たきなでもそれは無理だわ」
「千束は甘すぎます。徹底するなら私に任せてくれないと」
「私がするから!!」
へっ?
不穏な内容を詮議する二人に俺は置き去りだった。
あの、いい加減に助けて欲しい。
俺が泣きそうになりながら、二人から距離を取るように床を這って移動しようとする。
それを千束に足で背中を踏み押さえられた。
あの、怪我人っス。
もうヤダ!!
堕天使と大魔王が手を組んじまった!!
俺の、自由が……誰か、助け………
「おーい!!おまえら無事かー……て、天は死にそうだな。ミズキがうるさいんだ、早く乗れ!」
窓の外が騒々しい。
唐突に吹き付ける強風と騒音から、接近したヘリだと理解する。
り、リスの声がしたような。
と、取り敢えず助かったのか……?
ヘリに乗り移って、俺たちは一息ついていた。
いや、一息ついたのは俺だけだ。
ヘリに設置された緊急用の寝台に横たえられた瞬間に眠ってしまった。
次に目を覚ますと、千束たちが降りて行った後らしく中にはクルミとミズキさんしかいない。
窓から見える空は夕暮れ時だった。
……何故かクルミも爆睡している。
ミズキさんが静かにヘリを操縦していた。何もかもが変化しすぎていて色々と状況を聞きたい。
俺は上体を起こし、マイクとヘッドフォンを付けた。
『ミズキさん、状況は』
『延空木のリコリス救出に千束とたきなが向かって、作戦成功したわ』
『延空木のリコリス救出……?』
『世間に監視カメラ映像で存在がバレたのよ』
それを聞いて、俺はあまり驚かなかった。
旧電波塔に真島がいる時点で、あっち側には何か罠があると察した。
存在の暴露、か。
DAは基本的に法に縛られない組織だ。
秘密裏に運用しているのは、リコリスだけじゃない。他にも世間には後ろ暗い物を抱えている。
蜥蜴の尻尾切りと称すべき、リコリス処分も念頭に置いて行動する筈だ。
なら、今頃は虎杖司令が主導で動くな。
リコリス狩りなら、リリベルが適任だし。
……ん、待て。成功したって?
『リコリス達は……』
『そこはウォールナットの腕よ』
『……さいですか』
何でもありかよ、このリス。
まあ、一仕事後だから疲れて爆睡してるんだよな、きっと。
俺はクルミの手元から取り上げたタブレットでニュースなどを確認した。
ラジアータがかなりの情報統制はしているだろうが。
……コレでハッキリしてしまったな。
日本が、どれだけ危うい状況なのか。
今回の騒動で、大部分は隠蔽できただろうが多少なりとも疑念の対象として印象付いてしまったに違いない。自身らの平和が何に形作られていたか。
だが、それより注視すべき問題がある。
少女が人を殺し、その犠牲が平和の基盤にあった。
人の理性――すなわち法では無い力が働いていた事実が浮き彫りになる。
そして、それら全てが『ウソ』と報道された瞬間にすんなりと信じてしまう日本国民の『危機感の無さ』がまた危ういほど際立っていた。
千束やたきな、延空木のリコリス、地下鉄で死んだみんな、真島関連の犠牲者も全て無かったことになって誰にも記憶されない。
……やはり、DAを好きにはなれなさそうだ。
これを機に離れられるのは、良いタイミングだったかもしれない。
『一応、機内に備えた物で輸血しといたけど量が少ないから派手に動くんじゃないわよ』
『そんな体力、もうありませんよ』
俺は固くなっている体を解す。
あ、そういえば旧電波塔の近くで9番をずっと待たせているんだった。
『ミズキさん、何か連絡とか出来るやつは……』
『ミカから連絡来て、9番にはこっちが保護した事を伝えたわ。脱出の用意は、まあまた何とかするって』
『………助かります』
『でも、日本に長居はできないのよね?』
『店にいたらリリベルが突撃して来ますから。それに、今回は明確にDAを裏切ったので、店長や楠木司令がいくら交渉しても無駄ですね』
『あっそ』
あれ、素っ気ない。
何年も一緒に店を切り盛りした仲……いや飲んでただけだな、この人。
そう思うと別れを惜しまなくて良い気がしてこなくもない。
『弟分の門出を祝う言葉とかは』
『アタシを頼らなかったアンタが何処へ放逐されようと思うところなんてないわよぅ』
『拗ねてます?』
『うるせぇガキンチョ!』
ミズキさんに鼻息荒く否定された。
そこまで強く否と言わなくても良いのに。
『……このヘリ、何処に向かってます?』
『病院よ』
『病院?』
『アンタの処置が必要でしょ』
『あのですね、俺は追われる身で……』
『これから行く場所にはDAの目も届かないわよ。そういう場所を選んだんだから、千束の為に』
『千束の……?』
千束の為に用意した病院とは何だ?
DAの目が届かないというのは、概ね闇医者だとか非合法な医療機関という類の話ではなく、恐らくクルミなどの手で隠匿の可能な場所というところか。
かなり胡散臭いんだが……。
それに、一体誰の判断でそんな事をするんだ。
『誰の指示ですか』
『ミカよ』
『店長?』
『千束の心臓に心当たりがあるから、病室と執刀医、それからDAの目が届かない場所を用意しとけって』
『ち、千束の心臓!!?』
俺が大声を上げると、ミズキさんがびくりと操縦席で跳ねた。
あ、ヘッドフォンでしたね、大声すみません。
『だから、アンタはゆっくり寝てなさい』
『…………ミズキさん』
『ん?』
『背中押して貰ったのに、ミズキさんにも色々と秘密にして動いてすみませんでした』
『分かればいいのよ、ったく』
『まあ、実のところは色々と急で話す暇もなかったから俺は悪くないんですけど』
『よーし、分かった。千束に頼んで頑丈な檻にブチ込んで貰うわ』
『やめて、マジでやりそうだからアイツ』
良かった。
もし店長の考えが正しく、人工心臓が入手できたのなら千束は助かる。
それだけは見届けられるだろう。
一応、俺を匿えると言ってはいるが長期間は無理だ。
いくら情報封鎖が出来ても精々三日が限度だ。
そこまでDAは甘くない。
まあ、三日もあれば傷も多少はマシに治る。
そう、三日も、あれ、ば……。
――千束。閉じ込めましょう。
………明日か明後日には出ていこう。
早い方が良い。
三日もいたら、きっと知らない家の中で目が覚めて新しいチョーカーと堕天使様の監視があるに違いない。
うん、早く出ようマジで。
最近のたきなもガチで怖い。
『あ、ミカから伝言あるけど』
『店長……?』
『よくやった、後は任せろ……だって』
後は任せろ、とは。
店長も何かと戦っているのだろう。
その心中と敵は依然として知れないが、千束の為の戦いである事は間違いない。
ならば、俺はそれを応援するだけだ。
…………待てよ。
今回、千束の為に戦ってないの……俺だけじゃね?
21番という個人的問題に、むしろ巻き込むだけで他の皆のように千束に対して何も出来ていないのではないか。
それどころか、余計な恨みと怒りだけ買っている。
ああ、またきっと酷い目に遭わされるんだろうなぁ。
でも、取り敢えずは皆に感謝しよう。
『ミズキさん』
『ん?』
『今まで、お世話になりました』
『一生恩に着なさいよ。アタシとクルミが止めなかったら、今頃はアンタの肩書が千束の奴隷に追加してたきなの飼い犬になるところだったから』
感謝しよう!!!!
〜おまけ「監禁・三日目」〜
21番とのデートが露見してから三日経つ。
俺はセーフハウスでニートになっていた、頭が可怪しいのかと思われるかもしれないが、強制的に他人の手によってニートにされている。
これは、監禁ではない。
君はニートになったんだ、とご主人様に言われた。
頭おかしいよ。
「なあ、千束」
「んー?」
ソファに腰掛ける俺の膝の上で小さく体を畳み、ずっと胸に耳を当てて俺の心音を聞いている千束に話しかける。
かれこれ、この状態が二時間続いていた。
いつにも増して長い。
そろそろ足が痛くなってきたんだが。
幸せそうに微笑んで浸っている千束の肩を掴んで、そっと引き離した。
「店の方は大丈夫なのか?」
「……何で外の事聞くの?」
「え、いや、俺がいないとミズキさんとかサボるじゃん。クルミも大抵は俺が呼ばないと出てこないし、この状況はきっとたきな一人に負担が――」
そう言ってる途中に、千束によって頭を抱きしめられた。
千束の胸に鼻と口を覆われて、こ、呼吸、が……!
「たきな、ミズキ、クルミ……口から出る名前は他の女ばーっかり。あのさ、結構今の私って余裕ないみたいでさ……何するか、自分でも分かんない」
あの、ご主人様、マジ、で、息、が……。
俺が背中をタップすると、千束がはっとしたような顔になり腕を解いてくれた。
やっと空気が吸える。
「テン」
「はい……?」
「名前、呼んでよ」
誰の名前?……というのは野暮な質問だ。
うん、ていうか愚問だよな。
ここでそんな事を訊いたら、また窒息させられる。
「千束」
「うん」
「千束」
「うん」
「ち、千束」
「うんっ」
呼ぶたびに表情が綻ぶ。
正確に言うと殺意が薄まっていく。
き、機嫌が良くなってる事には間違いない。このままいけば、外出がワンチャンス狙えるか?
「あのさ、千束」
「なになに?」
「き、今日は良い天気だよな――ぐぇッッ!?」
「外なんか許さないっての。そんな簡単に行くと思った?見え透いてるんだよ」
ぐい、とチョーカーを引っ張られた。
ああ、いつもより窓の外の空が青く見える。
きっと、あれは自由。
俺の外への憧れが、空の色をより深く鮮やかに見えるように視覚へと影響を及ぼしているのだろう。
「無断欠勤が続くと店長に迷惑がかかる!」
「そこは私がうまくやっとくって」
「信用ならん!」
「………へえ」
千束の瞳が危うい光を帯びる。
あれ?
今日は何を言っても地雷なのか。俺の発言で良いリアクションが返って来ない。
「私だって、テンのこと信じられないから外に出せないのに?」
はい、もうぐぅの音も出ねえよ。
以降、たきな達に救われるまで俺は苦くて切ないニート生活を送る事になった。