その日は特にうるさい。
七月七日――織姫と彦星が年に一度会うだけだと言うのに天の川を見上げるしかできない下界の人間たちまで色めき立つ日である。
七が二つ並んだだけで、何が縁起が良いだよ。
そんな風に荒んで斜に構えてしまう俺だが、実際に愚痴を口からこぼす暇なんて無いのだ。
「テン!来週は笹をベランダに飾るのだ!」
「食べるのか?やめとけ、あれロクな栄誉無くてパンダも苦労してんだからな」
「ちーがーうー。タ・ナ・バ・タ!」
「どうせリコリコで飾るんだろ?こっちでも用意するのか?じゃあ、まずそれを誰が用意して、誰が後で誰が片付ける?」
「オマエだっ!」
「予想を外れてくれねぇのかよ、この小娘が」
そう、愚痴を言う暇など無い。
俺はご主人様こと喫茶リコリコ看板娘――錦木千束の自己満足を理想通りに遂行する為に、この身を惜しむ事すら許されない。
何なんだよ、世界って最低だわ。
俺は立ち上がり、まず七夕の風物詩である短冊を飾る笹の入手に取り掛かる。
幸い、思い立ったら即実行の行き当たりばったりクソ計画性皆無なご主人様にしては珍しく、一週間という猶予がある段階でご要望を口にしてくれたから間に合うだろう。
「あのさ、千束さん」
「なに?」
「我が家で飾るとしても、俺とおまえだけで寂しい物になるぞ」
「その分いっぱい描くの!願い事が一つしかダメなんて話無いでしょ?」
「そうかァ……?」
まあ、何にせよ重労働には変わりない。
叶う願いの数よりもコイツに天罰を下して頂きたいもんだぜ。
そして、どうせその倍の数は俺が腹癒せの矛先に鳴るんだろうけどなァ!!
あー、俺にも最高の織姫来ないかなぁ!?
「呼んだ?」
「いえ」
俺の思考を見透かした千束がにこりと微笑む。
おまえは俺の織姫ではない。
俺と俺の運命の織姫とを隔てる邪悪な天の川そのものが人の形に権化した存在である。いっそ川岸にいる織姫の前で俺は天の川で溺死しているだろうさ、へっ!とまあ、去年までの俺なら叫んでいただろうが…………そもそも結婚なんてしちゃってる俺にとって織姫はコイツに決定されているのだ。
後悔……してな、して、し、してな、してないぞ。
「私、何お願いしちゃおーかな?」
「お淑やかになれますようにって書いとけよ」
「無礼者、そこに直れぃ」
千束がベッドを指差した。
俺は時計を見る……二十一時、か。
たしかに、もうそろそろいい子の俺はおネンネの時間かな。
俺はパソコンを閉じて、椅子から腰を上げ――ベッドでギラギラと目を光らせて待機している千束に固まった。
「お、おネンネの時間だよね?」
「え、夫婦の時間だろ!」
「冗談?」
「命令だよ??」
無邪気に小首を傾げ、両腕を広げて待つ愛しの奥さんに俺は笑うしかなかった。
七夕の短冊、まずは伴侶が大人しくなるようにって書こう…………。
地獄の一夜が明けて、爆睡中の千束より先にリコリコに出勤した。
夏の暑さが本格化したのもあり、アスファルト上は茹だるような熱気が立ち昇っていて買い出しすら苦行である。
七夕も通常営業、そして店の常連はより外の拒絶するような暑気によって、いつも以上に居座る。ウンッ……パフェの時ほど盛り上がってはないにせよ、店の回転率的には嬉しくない。
でも、口にして固定客を失う損失が怖い。
開店前から気が重いんだぜ。
「おはようございます。……くぁ」
「おはよう、たきな。たきなも寝不足?」
「はい。昨夜は千束とテンさんが騒がしかったので、ちょっと眠れなくて」
「あぁ、そりゃ悪かったな……あ?」
どうやら、たきなの寝不足は俺と千束の夫婦の時間とやらが阻害していたらしい。
申し訳なくて謝罪の念が口に出……る前に違和感。
なぜ同居もしていないのに俺たちの生活音を聞き取れているんだ……!?
「な、何でたきなは知ってるのカナー?」
「はい?」
「いや、その非常識なやつを見るような目を止めような。むしろ俺の方が疑いたいんだが」
「何のための首輪ですか?」
「へ?」
まったく、と吐き捨ててたきなが更衣室へ向かう。
その背中を見た後、俺はもうかれこれ幾日も寝食を共にした首の辺りで黒光りするチョーカーに触れる。
あ、これ、盗聴機能付いてたんだ……初耳ェ。
「おい、リス!!」
「何だ?」
「おま、いつの間に俺の首輪にたきなの耳を付けやがったんだコラぁ!?」
「ボクに言うなよ。最初、たきなの要望を聞いた時にボクだって常識とか倫理観を疑ったさ……でも相手はリコリス、盗聴する対象は飼い犬。よくよく考えたら問題は無いし、あってもボクじゃ対処できない」
「対処しろよ、スーパーハッカーなんだろ!?楠木さんもおまえの事をダークネットの黎明期から存在する老害って褒めてたんだからさ!?」
「おっと、手が滑って千束に浮気の虚偽報告メールを送信しそうになった」
「ひぎぃ!?人の心とか無いの!?」
ニヤニヤ笑うクルミに、俺は拳を握るしかない。
相手は見た目だけ幼女の年齢不詳ハッカー。
こいつの機嫌次第で俺はたきなのリードに引き摺られ、千束による処刑を受けるだけ……あれ、俺ってヒエラルキー的にクルミよりも下な気がしない?気の所為だよね?
「店長ぉ……」
「そういえば、もうすぐ七夕だろう。こっちで店用と千束用の笹を用意したから、後で持ち帰りなさい」
店長は、千束のワガママを察していたのか俺の欲しかった……というかご主人様の求めていた物を先んじて手配してくれていたようだ。
流石は千束の父、娘のワガママに何年も付き合ってきただけあって以心伝心である。
「テンも、何か書くんだろう?」
「ええ。今年は……書きたい事が多そうですし」
「例えば?」
ふ、と俺は店長と微笑み合う。
クルミに呪いあれ、たきなさんが盗聴をやめますように、店長が止めてくれますように、の三本立てで七夕にお送りします――――。
千束の誕生日って知ってた人ー!?
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愚問だな、知っている。
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いやん、初耳っ!