ノルウェラ様の侍女さんと食事作法の反省をした後(デザート以降は見なかったことにしてくれた)、アルウェスからシーラ王国について講義を受けることになった。
場所は例のこじんまりとした家族用の談話室である。この部屋は応接間よりも居心地がいいのでナナリーも気に入っている。
お茶と一緒にさっき食べたポルトカリのタルトが運ばれてくる。アルウェスはデザートをまだ食べていなかったからわかるが、ナナリーの分もある。
「僕一人で食べるのは味気ないから、君もどうぞ」
「……いただきます」
本当はもっと食べたかったので有難くいただく。やっぱり美味しい。頬が緩んでにこにこしてしまう。
「締まりのない顔だね」
「……!」
タルト生地が喉に詰まりそうになり、慌ててお茶で流し込む。
「い、いいじゃない。美味しいんだもの」
「君らしくていいと思うよ」
アルウェスも綺麗な所作で食べ始める。彼は外でご飯を食べるときも毎度のようにデザートを頼む。実は甘いものが好きなのだろうか。
「君はポルトカリは好き?」
「うん。果物はだいたい好き」
「そっか。僕はポルトカリが一番好きだよ」
どこか懐かしそうにナナリーを見た。柔らかい顔でポルトカリのタルトを食べている。ナナリーはフォークを持った手を休めてその顔に見入ってしまう。そんなにポルトカリが好きなのだろうか。アルウェスが好きだから、ノルウェラ様がこのタルトを用意したのかもしれない。
「あ……」
「あ?」
「あ……あな……こほん、アルウェスが好きな果物のお菓子だから? だからもっと食べろって言ったの?」
やっぱり『あなた』なんて呼べない!
「そういうわけじゃないよ。美味しいから、我慢しないで食べてほしかっただけ」
なんかはぐらかされた気がするが、お菓子の話なので深く考えるのはやめにした。この部屋には自分たち二人しか居ないから、人目も気にせずばくばく食べてしまう。
「もう一ついただいてもいい……かな?」
「もちろん」
アルウェスは嬉しそうに笑った。ナナリーと一緒に彼もおかわりをした。そういえばちびアルウェスもポルカを美味しそうに食べていたなぁ、と思い出した。
*
シーラ王国についての基本的な情報はナナリーも知っている。アルウェスの話は政治や貴族の事情についてで、教科書には載ってない、ナナリーには馴染みのない話題だった。念のため防音の膜を張って講義を行う。
ドーランでもシュテーダルとの戦いの後、大臣の顔ぶれが大きく変わった。世代交替とまではいかないが、全体的に若返った。前の大臣たちは人身御供としてナナリーをシュテーダルに差し出そうとした連中なので、『老いぼれ』どもが消えて良かったと思っている。
かつて女性が魔物へ生贄として差し出されていた時代と比べれば、最近は平和な時代が続いていたのだろう。そこに突然のシュテーダルの復活だった。氷の始祖の力を借りてかろうじてシュテーダルを破壊したもの、彼女は時間が経てばまたシュテーダルは復活すると言っていた。
現在ドーラン、シーラ、いや大陸中の国々が軍事の立て直しに奔走しているそうだ。
こんな時期にアルウェスは私の家庭教師みたいなことをしていていいのだろうか? 彼は王宮魔術師長であり、騎士団第一小隊の隊長である。国防の要なのだ。
「ねえ、こんなことしてて大丈夫なの?」
「何が?」
「今は騎士団がすごく忙しいんじゃないの? 私に個人的な講義なんてしてる暇あるの?」
アルウェスは大げさに溜息を
「暇のある無しじゃなくて、必要なことだからやってるんだよ。ブルネルと話をしたんだろう? 君は納得してくれたと報告を受けているけれど?」
「ニケの話には納得してるわよ。そうじゃなくて、アルウェスが忙しいんじゃないかってこと。過去から戻ってきたとき、アルウェスが不調になったってだけで騒然としてたでしょう。アルウェスは騎士団の仕事に集中したほうがいいんじゃないの?」
「あのね。魔物の狙いは君なんだ。僕じゃない。だったら、守られるべきなのは君だろう?」
なんでこんな簡単なことがわからないのかな、と不機嫌そうに呟く。
「それよりも、君はもっと人に対して警戒してほしい。君は色々な意味で……狙われていると自覚してくれないと困る」
アルウェスの周りに群がる女子には昔から敵視されてきたし、トレイズみたいな、アルウェスに恋心を募らせて道を踏み誤る女性が出てくるのはよくわかった。
トレイズは魔剣をアルウェスの心臓に刺さなければ魔物との契約違反で死んでいたという。
魔物にそそのかされ利用され、人生を踏み外したり命を落とした人たちはきっとたくさんいる。どうかそういう人たちが二度と出なければいいと思う。
──ナナリー、あなたが気づいてなかっただけで、学生時代からあなたに恋する男の子はたくさんいたのよ──
ニケの言葉を思い出す。ハーレの受付で本気で口説かれてるとか、いまだに信じられないけれど。
私を狙う魔物が、私に近づくためにハーレの職員や破魔士をそそのかして利用する可能性くらいは想像がつく。魔物は人の弱みにつけこむのが上手いのだ。
最終的な目的が私で、そのために私の友人や見知らぬ他人が人質にされる場合もあるかもしれない。
ナナリーは人を疑うのが好きじゃないし、言葉の裏の意味を読み取るのも苦手である。
アルウェスは例外である。言葉の真意を探らないと彼とやっていけない。
仕事だったら依頼人や破魔士の裏の事情をそれとなく探ることはあるし、交渉もできるけれど、個人的な付き合いで駆け引きなんてできない。ナナリー自身が嘘が嫌いだから他人の嘘に気づくのが難しい。
チラッとアルウェスを見る。目の前のスカした男は決して嘘つきではないのだが、本心を誤魔化すのがとにかく上手い。隠し事は大得意だし、追及されてもよく回る口でのらりくらりと
ナナリーは彼が記憶消去の魔法を世界中にかけて大きな嘘をついたのを知っている。でも、彼はナナリーには嘘をついたことはないのではないか。隠し事は多いだろうけれど、もしナナリーが本気で知りたがれば、婉曲でわかりにくい表現であっても答えてくれると思う。
「私だって、氷の始祖を狙う魔物の犠牲になる人をこれ以上出したくない」
「だから、狙われてるのは始祖だけじゃないって言ってるんだけど……」
アルウェスは眉間にしわを寄せる。苛ついているのを隠せていない。感情を表に出さないことに長けている彼にしては珍しい。
「トレイズの魔剣のことも、もし私があのときアルウェスの立場だったら同じことをしたと思うし」
「ちょっと、君」
大股でテーブルを回ってきてアルウェスはナナリーの腕を掴んだ。彼の制止を聞かずにナナリーは続ける。
「あんたはいつか女に刺されるかも、と思っていたけど」
所長に『アルウェスとよく似た人タラシ』だなんて言われたことは絶対に知られたくない。
「でも私は、男の人に刺されたりしないから! 絶対に!!」
掴まれてないほうの手で拳を握ってナナリーは宣言する。
アルウェスは絶句して、視線を少し
「そうしてくれると助かるよ。もし君が男に刺されたら、僕はそいつを本物の消し炭にしてしまうだろうからね」
アルウェスの目は笑ってない。こころなしか背中に炎を背負っている。炎は温度が高くなると色が変わるというが、黒い炎が背後に
この男、まさか魔物と融合しているのではなかろうか。もしそうだったらどうしよう。絶対零度の魔法でアルウェスごと破壊するしか方法が思いつかない。
顔を引きつらせたナナリーは、悪寒が背中を這い上ってくるのを感じた。
──あなたにもしものことがあったとき、あの隊長さんがどうなると思う?──
ナナリーはようやく所長の言葉の意味を理解した。