耳から上の髪を頭の後ろでゆるく一つに結ぶ。結び目の上部に分け目を作り、結び目をくるっと回して分け目に差し入れる。
ナナリーは鏡を二枚使って頭の後ろを確認した。ふんわりねじった感じが、やや癖のある水色の髪に似合っている。簡単だが可愛らしい結び方だとベンジャミンに教わり、何度も練習した甲斐あって上手くできた。
貴族の仲間入りをしたニケは王宮晩餐会に招待されていたが、社交よりも仕事のほうがマシだと言って王宮の警護を希望した。マリスはもちろん王宮晩餐会に出席していた。
ロックマンは例年通りに王宮晩餐会の警護兼社交である。サタナースは破魔士の友達と飲みに行っていた。
ベンジャミンはナナリーが帰る際に寮まで送ってくれて、おまけにロックマンと会うときの服や髪型を指導して帰っていった。
ナナリーはテーブルの上に置かれた花を横目に見た。ロックマンにもらったキュピレットの花が花瓶に生けられ、色とりどりの花束は籠に飾ってある。
ハーレに飾って欲しいと渡された花束だが、所長たちが断固拒否したため、ナナリーの自室に飾られることとなった。キュピレット以外の花には永久保存の魔法をかけてある。
ナナリーは何度かためらって、しかし、えいやっと花束から黄色の花を一本取ると髪のねじり目に差し込んだ。
昨日の朝一番で買っておいた赤いキュピレットの花と、ロックマンの誕生日プレゼントの入った紙袋を持って寮を出た。道のあちこちに花が落ちている。花神祭の名残が感じられる、少し気怠い午後だった。
ロックマンは夜遅くまで仕事だったから今日は遅めの時間に約束をしている。にもかかわらず、早めに待ち合わせ場所に着いたナナリーよりも先にロックマンが来ていた。平民が着るような綿の生成りのシャツを着て、明るい紺色のズボンを穿いている。髪は昨日と同じで後ろで一つに結んである。
「早いね」
「ロックマンの方が早いじゃない」
「君を一人で待たせるのは嫌だから」
「今度こそ私の方が早いと思ったのに」
これでは遅い時間に約束をした意味がないではないか。ロックマンの体調を気遣っているのに、いいかげん働き過ぎだと自覚して欲しい。ナナリーは視線を下げて軽く口を尖らせた。
「……次は寮まで迎えに行こうかな」
「え?」
予想外のことをロックマンが口走ったので顔を上げると、彼は顎に手をやってじっとナナリーを見つめている。ナナリーの頬に熱が集まってくる。視線を避けるように片手を顔の前にかざし、慌てて斜め横を向いた。
「や、やっぱり変!? ベンジャミンの服を借りたの!」
ナナリーは自分の服を見下ろす。肘までの長さのふんわりした袖と大きな襟の白いブラウスに、膝下丈のえんじ色のフレアースカートを合わせている。白いブラウスは花の季節に自分で買ったものだが、スカートはベンジャミンが貸してくれた。ウエストを太めのリボンで結んでサイズが調節できる。
魔法学校の一年生時に髪の色が変わって以来、ナナリーは赤い服をほとんど着たことがなかった。赤い服といえばマリスやベンジャミンの勝負服だ。水色の髪のナナリーに合うとは思っていなかったのだ。ベンジャミンに勧められて着てみたものの、慣れない色の服ははっきり言って落ち着かない。
「変じゃないよ。すごく可愛いよ。可愛すぎて……困ったな」
ロックマンが溜息を吐いた。
何が困るというのだろう。こっちこそ、目のやり場がなくて困っている。暑いせいか、ロックマンはシャツの襟元をくつろげて、ナナリーよりもなお白い肌が首から鎖骨の下、肋骨のあたりまで見えている。
ロックマンが肌を見せる服装をするのは珍しい。たいてい首まで詰まった騎士服や隊服を着ているし、貴族の私服はシャツのボタンを上まできっちり留めて、リボンタイやクラバット(スカーフのようなタイ)を締めているものだ。
セレイナでも似たような格好をしていたけれど、あのときは気にならなかった。ナナリーもセレイナの民族衣装で肌を出していたし、一緒にいた皆も薄着だったからだろうか。
それをいうならオルキニスの身代わり瀕死事件のときはほとんど上半身裸だったではないか。いやいや、あのときは瀕死だったからそんなことを気にする暇はなかったのだ。
私は一体ロックマンの服装の何を気にしているのか? ナナリーは熱い頬をペチペチ叩いた。暑さで逆上せてしまったのだ、きっとそうに決まっている。
ナナリーはぶんぶんと大きく首を振って、頭の中のもやもやを振り払った。その拍子に髪に飾っていた黄色の花がはらりと落ちた。ロックマンが落ちた花を拾って、元のようにナナリーの髪に差してくれる。
「僕があげた花?」
「綺麗だったから……」
「似合ってるよ。嬉しいな」
ナナリーは顔を上げられず、ロックマンの指が髪を撫でる感触が伝わってきて胸のドキドキが止まらなかった。
*
ナナリーはひどく喉が渇いてしまい、お店に入って席に着くと運ばれてきたお水をごくごく飲んだ。水が冷たくて美味しい。グラスに頬を当てるとひんやりして気持ちがよかった。はぁ~と息をつく。
頬を冷やしたまま目をつぶっていたらロックマンの視線を感じた。いけない、これではまるで酔っぱらいではないか。
あわててメニュー表を開いて料理名とにらめっこする。
「遅い時間だからお腹空いてるでしょ?」
「朝ごはんを遅めにしたから大丈夫。昨夜はベンジャミンの家に遅くまでお邪魔しちゃったし」
「サタナースも一緒だったの?」
「ううん。私が帰るときに入れ違いに帰ってきたよ。サタナースの奴、遅くまでベンジャミンをほったらかして……」
喋りながら、またもやロックマンから見られている気がする。チラッとメニュー表越しに窺うと、眼鏡の奥の赤い瞳と目が合った。ナナリーはすぐさまメニュー表に視線を落とした。
正面に座っているから仕方ないけど、あまりこっちを見ないで欲しい。
「何を頼むか決まった?」
「え、えっと、ちょっと待って……」
赤くなったのがばれないようにメニュー表で顔を隠した。恥ずかしい。自意識過剰にも程がある。なかなか注文を決めないから、無言で催促されていただけではないか。
焦っているのに料理の名前が頭の中を素通りしていく。どうしよう、早く決めなきゃ。
「昨日は……」
「はいぃぃぃ!?」
「昨日、ハーレは何も問題なかった?」
「問題? ハーレで?」
確かに問題はあった。
……それとも、騎士団の隊長のロックマンには話したほうがいいのだろうか? ナナリーはどう答えるべきかわからなくなって押し黙る。
「ごめん、言い方が悪かったね。仕事の話はしなくていいよ。君が何も問題なかったなら別にいいんだ」
「私? 私は何も問題なかったと思うけど……。破魔士も依頼人も来ないから、所長とたくさん話ができたし、魔法も教えてもらったの。来年もお留守番がいいって思ったくらい」
ハーレの話をしたら頭のもやもやがすっきり晴れた。メニュー表の文字も読み取れる。ナナリーは、おすすめ料理の兎鳥のから揚げ定食を頼んだ。
料理を注文してしまうと会話が途切れてしまった。ロックマンとの間に慣れない空気が流れている。ロックマンをまともに見ることできなくて、ちらちらと盗み見るだけで喉が渇くような感じがするのだ。
頬杖をついたロックマンは優雅なものだ。ナナリーは落ち着かなくて窓の外を見たり膝の上で手を握ったりしていた。黙っているよりは何か喋った方がいい気がする。
「……ロックマンは大変だったと聞いたけど?」
「僕?」
夕方、ハーレに寄ったチーナたちから聞いたのだ。
王族の馬車と天馬に乗った護衛の騎士たちが街の上空に現れた。護衛の一人であるロックマンの胸にキュピレットがないことに気づいた女性たちが悲鳴を上げて、王都は一時騒然となったらしい。しかも王族の馬車は地方の主要都市も廻るので、同じような光景が国中のあちこちで見られたそうだ。
ベンジャミンも開口一番にロックマンのキュピレットについてナナリーに訊いてきた。
「その、キュピレットを胸に差してなかったから、騒ぎになったって……」
「ああ、そのことか。うん、まあ少し騒ぎになっていたね」
ロックマンは全然気にしていないようだ。女性に騒がれるのは慣れているとはいえ、キュピレットの花を胸に差していなかっただけで国中で大騒ぎになるなんて。わざわざ仕事の前にハーレに来なくとも良かったのではないかとナナリーは思ってしまう。
──花神祭当日にナナリーに花を渡したかったからでしょう?
──『自分には恋人がいます』って隊長さんに群がる女どもに知らしめるためよね。
所長とゾゾさんの言葉を思い出し、ナナリーは水のグラスに手を伸ばした。