ナナリーが思ったよりも素直に隊長の言うことをきいてくれたので、ニケはホッと胸をなでおろした。ナナリーならここで隊長に勝負を吹っ掛けてもおかしくないし、この二人の戦闘が始まってしまったらウォールヘルヌスの再現とばかりに野次馬に囲まれていただろう。
隊長は相変わらず無表情のままだが、ニケたちを焼かんとしていた炎は鎮火して、炎が消えるとナナリーも防御膜を解いた。
「ブルネル、任せたよ」
「はい。失礼します」
まだ何か言いたげなナナリーの背中を押して、隊長の視線から逃げるように、ニケは演習場から出て騎士団の出口へ向かった。殿下が上手くとりなしてくれると信じよう。
なるべく
ニケは心の中で舌打ちをする。騎士の一人は男爵家の三男で、褒賞でニケの家が爵位をもらってから度々食事に誘ってくる人物である。
これまでニケが誘いに乗ったことはないが、それでもしつこく話しかけてくる。ニケは男兄弟がいないので、長女のニケが爵位を継ぐことになるだろう。十中八九、彼はニケの家への婿入りを狙っている。
ナナリーと二人でいたことが
……まずいわ。私一人ならまだしも、ナナリーも誘われてしまった。タイミングが非常に悪い。隊長の機嫌は最悪だ。
じわじわとニケの眉間に皺が寄せられていく。
*
ニケは愛想笑いをしているが、かなり困っているのがナナリーにはわかった。大好きなニケのために、ナナリーも手をこまねいている訳にはいかない。
ニケが男性騎士に食事に誘われている。そしてニケは困っている。嫌がっているのは見ていればわかるが、きっぱり断っていない。
ニケは騎士団の先輩にも物怖じしないと思っていたから意外だった。この男性騎士は貴族で、ニケが強く出られない相手なのかもしれない。
ナナリーはニケを守るために、必死で『口説き文句と対処法』の貴族の項目を思い返す。その中のマリスの助言がパッと頭に浮かんだ。
──しつこい男性には、その男性より上位の貴族で、既婚のご婦人と約束があるといえば角が立たずに断れますの。
ナナリーが頼りにできる上位貴族の既婚女性と言えば一人しかいない。
すっと背筋をのばし、習いたての令嬢の笑みを頬に浮かべてみる。受付嬢のスマイルとは少し違う、とり澄ました表情で、それほど親しみを感じさせないのがコツだ。ちゃんとできているか自信はないが。
「申し訳ありませんが、私たちはロックマン公爵夫人と約束があります。これからロックマン公爵邸に伺う予定なんです」
「ロックマン公爵夫人!?」
男性騎士はぎょっとして目を剥いた。
ニケが一瞬戸惑った顔をしたが、すぐにナナリーの意図を察したようだ。腹に据えかねて今にも目の前の騎士を睨みつけようとしていたニケは、眉間の皺を解いて当たり障りのない笑顔を作った。
「そうなんです。本当はロックマン隊長が彼女と一緒に公爵家に行く予定だったのですが、あいにく隊長は急用ができてしまったので、私が代わりに付き添いを頼まれました」
今度はナナリーが驚く番だった。どうしてここでアルウェスの名前を出すのか。顔の筋肉を総動員して心の動揺が表情に出ないよう努力する。それでも無意識に口元が引き
騎士たちの顔色が悪くなり、失礼するよと言って何事もなかったかのように去っていった。
*
ニケとナナリーは走りたいところを我慢して、ぎりぎりの速足で騎士団本部を後にする。
騎士団の建物から離れて、使い魔や天馬に乗り降りする場所の手前でひと休みする。また誰かに声をかけられたら面倒なので、ニケは人目に付かない木陰にナナリーを誘った。
「上手くいって良かったー」
「ナナリーったら、よく思いついたわね」
「マリスの助言のおかげだよ。ニケが困ってたから私が頑張らなくちゃと思って」
「…………それを自分のためにも発揮してほしいわ」
ニケはナナリーの機転に感心していた。自分はナナリーが咄嗟に思いついた口実に上手く合わせただけだ。
次いでにナナリーの口実を利用して彼らに威嚇させてもらった。先ほどのニケの言葉を聞いて隊長とナナリーの関係を理解しないような貴族は社交界でやっていけない。
「ナナリー、演習場でのことは何も言わないでね。次に隊長に会ったときに問い詰めるようなことはしないで」
「ニケ」
「騎士団の規律と、あとは殿下と隊長の間の話だから」
「……ニケがそれでいいなら。いまいち納得はできないけど」
「私は殿下の命令に従っただけだから、心配しなくていいのよ」
あの炎は心底恐ろしかったけれど、ナナリーがいたからあそこまで本気を出してきたんだろう。
殿下には先に隊長に話をつけておいて欲しかったとは思う。
「今日はもう寮に帰る?」
「そうだなあ……ニケは夕飯どうする? どこか食べに行く?」
ナナリーを寮に連れて帰るにはまだ早い時間だと思っていると、彼女は意外なことを言い出した。
「ノルウェラ様に会いに行くのはどうかな? ニケはまだちゃんとお話できてないでしょ? ノルウェラ様とお話ができれば、ニケも公爵家に通うのが少しは気が楽になると思うの」
「ナナリー?」
ニケはぽかんとした。親友はさらりと凄いことを言っている。
「昨日もらった手紙には『明日、時間があれば訪問してほしい』と書いてあったのよ。令嬢教育のときはあまりお話ができないからって……」
「ナナリーは隊長のお母様とすっかり仲がいいのね」
「だって本当に素敵な
ニケは呆れた顔で親友を見つめた。ナナリーはやはりどこかずれてる。とんでもなく面倒くさい隊長に長年想われ続けて、素で彼を振り回し続けているだけはある。
「そうね、ナナリーの手紙の練習にもなるわね」
「へ?」
「遊びに来て欲しいとお言葉を貰ってても先触れは必要よ。ナナリーからロックマン公爵婦人に手紙を書いてね」
ニケがにっこり笑うとナナリーは青い顔をした。意地悪をしているつもりはない。ニケもナナリーの令嬢教育を応援しているのだ。
相談した結果、一度ナナリーと寮に戻ることにした。ニケの指導の下、ナナリーがロックマン公爵婦人に手紙を書いて、それをニケが公爵邸に届ける。二人の訪問は大歓迎されて、急遽ロックマン公爵婦人とお茶会をすることになった。
公爵婦人は騎士服のままでいいとおっしゃってくれたけれど、召使いに懇願されてナナリー共々ドレスに着替える羽目になったのは誤算である。
いつの間にやらノルウェラ様と仲良しになってるナナリーです。令嬢教育が始まって、ロックマンよりも母親と一緒にいる時間の方が長くなってますね。