ナナリーの髪が風にたなびいて、アルウェスの頬を掠めていく。目の前で揺れる水色の、その繊細な感触にアルウェスは目を細めた。少し癖のある明るい水色の髪に指を通して、髪を掴んだままくしゃりと手を握る。目を伏せて指に絡めた髪の毛に口付ける。
彼女は気づいていないのか、気にならないのか──真っ直ぐ前を向いたまま。
「君は騎士団に来てたのに僕には顔も見せなかったね」
「へ? だって、忙しいと思って」
「僕はハーレで必ず君に声をかけるのに?」
言われてみればそうである。でもアルウェスは騎士団の幹部だ。騎士団に来たついでに会いに行ける立場の人間ではない。
ナナリーは受付なので、たいていはハーレの扉を開ければそこに座っている。ハーレよりずっと広くて人も多い騎士団本部と一緒にしないでほしい。
「顔を出すって、どこにいるかわからないし」
「騎士団の受付で僕の名前を出せば案内させるよ」
「顔を見せるだけなのにそこまでする? アルウェスに用があるならともかく」
「そういうところだよね、君って」
ハァー、やれやれ、とわざとらしく溜息を吐かれる。何でそこまで言われなきゃならないのか。それともアルウェスは私と戦いたかったのだろうか? それなら私も望むところだけど。
前方から天馬の集団が翔けて来た。どこまで来てしまったんだろう。とっくに公爵邸に着いてていいはずなのに。ナナリーが天馬の進む方向へ首を回すと、ナナリーたちの後方に王の島が遠く浮かんでいるのが見えた。
「おーい、アルウェスー!」
天馬の集団の先頭を飛んでいる男性騎士から声がかかる。あれはグロウブ団長だ。ゼノン殿下とニケは見当たらない。
「ヘルさーん!」
ナナリーも呼ばれて頭を下げた。
「うわっ……! 団長、やめて下さいよ!」
「邪魔しちゃだめですよ!!」
後ろの騎士たちが何か言いながらユーリに乗ったナナリーたちに会釈して通り過ぎていく。
──あれ? 七色外套は?
「僕がかけた七色外套は君が無意識に解除しちゃったみたいだね」
バッ! と後ろを振り返ると同時にアルウェスが口角を上げる。ナナリーの顔に熱が集まり、次いで頬が引きつるのを感じた。
アルウェスが後ろからナナリーを包み込むようにしてユーリに乗っているのを、騎士団にがっつり見られてしまった。真っ赤な顔をしてるナナリーをよそに、アルウェスは愛想よく彼らに手を振ってる。
スッ、とナナリーの手の甲にアルウェスの手が重ねられた。大きな手に指の一本一本を押さえつけられて、魔法を行使するための指が振れない。
背中にずしんと重みを感じ、指にも体重がかかる。ナナリーよりも一回り以上デカくて筋肉質な男はかなり重い。押し潰されそうなのをぐぐぐっと押し返して重みに耐える。「んがが……」と呻き声を漏らすと、耳元でくくっと愉快そうに笑う声が聞こえた。
気が付けば騎士団は去っていた。夕焼けに染まっていた空はすでに山の
目的もなく、気ままに日が沈む黄昏を味わいながら空を翔けるのはナナリーにとって初めての体験だった。
無理やり連れてこられた空中散歩ではあったが、こういう寄り道は思ったより悪くない。
「寒くない?」
後ろから温かい手がナナリーの頬に触れる。
「ほら、冷えてる」
「そう? 気持ちいいわよ」
ナナリーはまだ頬が火照ってる感じがする。鎮めるには頬に当たる風が気持ちいい。
後ろからアルウェスがローブの中にナナリーを閉じ込めた。ローブの中はぬくぬくと温かく、お日様で干した服みたいにぽかぽかとした香りが眠気を誘った。ナナリーを包む柔らかな人肌のぬくもりが心地よくて、優しく
ナナリーのお腹に回した手に力が籠められる。ぎゅっと後ろから抱きしめられて、金色の髪が頬に触れる。アルウェスが後ろからナナリーをのぞき込んでいる。
「眠いの?」
ムニッと、ナナリーの頬に柔らかくてすべすべしたものが押し付けられた。アルウェスの頬っぺただ。
横目に見ると至近距離に彼の高い鼻が見えた。男のくせに、なんでこんなつるつるもちもちした肌をしているのだろう。
「熱い」
頬と頬がくっつくとこんなに熱いのか。
ナナリーも頬っぺたに力を入れて押し返す。その拍子に唇の端が何か熱くて湿り気のあるものに触れた。
──あ。しまった……。
アルウェスの熱い吐息がナナリーの唇をくすぐる。体中から顔に熱が集まってくる。身を固くしたナナリーは、身体を横抱きにされ、ローブの中で肩を抱きかかえられて顎を掴まれた。アルウェスは悩まし気に眉を寄せて吐息を零す。
「……君が悪いんだよ?」
アルウェスは瞳でナナリーに問いかける。その眼差しは優しく甘く、蝋燭の火のように揺らめいて、ナナリーの血に宿る氷の魔力が顔からじわじわと解かされるのではないかと感じた。
頬を上気させながら、迷うように、恥じらうように彼を見上げて、ナナリーは目を瞑った。
アルウェスの髪の毛が頬を撫でて、額に、瞼に、頬に、柔らかくて熱いものが触れる。ナナリーはアルウェスの隊服をぎゅっと握りしめる。アルウェスの吐息が頬や唇を掠めて、ドキドキと動悸が止まらない。
「…………ん……」
覆いかぶさるようにして唇が重ねられる。最初はそっと、触れては離れを繰り返し、最後に長い口づけをされた。
熱くて、しっとりとして、気持ちがいい。口付けって幸せな気持ちになるんだな、とナナリーは思った。
アルウェスが最後にぺろっとナナリーの唇を舐めてから顔を離すと、潤んだ碧い瞳が彼を見つめる。それが彼の欲情をさらに掻き立てているのを彼女は気づいていない。
ナナリーは俯いて彼の胸に頭を預けて目を閉じた。力を抜いてアルウェスに寄りかかっている。幼い子どもが親に甘えるように、こんなに安心できる場所はないとでもいうように。
アルウェスは力強く、でも優しくナナリーを抱きしめる。これまでにない幸福感と充足感がアルウェスの心を満たした。
「ナナリー、寝ちゃった?」
「…………起きてる」
一度温かさに包まれると寒さを自覚せずにはいられない。
完全に日は沈み、夜の闇がナナリーたちを追いかけてきている。これからどんどん気温が下がっていくだろう。
「どこまで行くつもりよ?」
「何処かに行きたい?」
「公爵家に行かないでいいの?」
「うーん……どうしようかな」
「約束は守らなきゃ」
ハァ、とアルウェスが嘆息する。
「……わかったよ。じゃあ、これからは騎士団に来たら僕に顔を見せに来てくれる?」
「う……」
意地の悪いいたずらっ子のような笑みに、どうして自分は抗えないのか。
「…………わかった」
「約束だよ」
熱い吐息が鼻を掠めて唇に触れた。柔らかくしっとりとした感触に言葉が封じられる。重なり合った熱はなかなか離れることはなかった。