ナナリーの令嬢修業   作:露草ツグミ

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『ナナリーの令嬢修業』物語前夜冒頭の花神祭をニケ視点から。
ゼノニケもあります。



閑話 ニケの花神(タレイア)

 

 ドーラン王国、花の季節。王の島ではキュピレットの花が咲き誇り、一年でもっとも暖かな季節である。国中で植物が芽を吹き、町の中は花で溢れ、自然と人々の心が弾む。

 

 ニケは宿舎の窓を開けて朝の爽やかな空気を深く吸い込んだ。振り仰いだ空は澄んだ水色で、親友の美しい髪の色を思い起こさせる。薄雲以外は遮るものがない空から太陽の光が降り注いでいる。

 

 花の季節二月目初日、花神(タレイア)祭の朝。

 騎士団は一年で一番忙しい日を迎える。

 

 

 遅番のニケは任務の前に食事を済ませようと食堂へ向かった。食堂に入ってすぐに綺羅びやかな衣装に身を包んだ黒い短髪の高貴な男性が目に飛び込んでくる。

 驚いたことに、黒と銀の正装を着たゼノン殿下が、一人でお茶を飲みながら軽食を摘まんでいたのだ。食事のトレイを持っているニケと目が合うと、普段と変わらず気さくに話しかけてくる。

 

「おはよう、ニケ。これから食事か?」

「おはようございます、殿下」

 

 同じテーブルに座るよう勧められて、畏れ多くも殿下と同席して食事をすることになった。

 殿下と同じ隊だから話をする機会は多いけれど、ニケが殿下と一緒に食事をすることはほとんどない。ましてや今は王子としての正装姿だ。騎士団の任務中とは勝手が違い、ニケも(かしこ)まってしまう。

 

 チラチラとニケを見る視線が痛い。お昼にはまだ早い時間のため、人が少ないのが救いである。

 

 ニケは貴族令嬢の食事作法を頭の中で順番に思い出しながら、できるだけ上品に見えるよう、指先に神経を張り巡らせて食事を始めた。

 向かいに座る殿下は茶器の杯を持つ所作も流れるように美しく気品があり、自分の付け焼刃の作法では同席するのも恥ずかしい限りである。

 

 ゼノン殿下は今日は一日公務のはずだが、なぜ騎士団の兵舎にいるのだろうか。

 

 ニケの疑問は顔に出てしまったらしい。殿下が軽く笑って話し始めた。

 

「実は公務の前に用があってな、少し抜けてきた」

「お一人ですか?」

「さっきまでアルウェスが一緒だったが、あいつはハーレに行っている。……用があるのはアルウェスだからな」

「あ……そういうことですか」

 

 ハーレということは隊長はナナリーに会いに行ったのだ。この間親友たちで集まったとき、ナナリーは花神祭はハーレで所長とお留守番だと嬉しそうに言っていた。

 

 もしやナナリーがハーレのお留守番をしているのも隊長の差し金? 

 

「ロクティスに頼んで花神祭の間はハーレでナナリーを守ってもらっている。シュテーダルは破壊したが、まだ何があるかわからないからな」

「それは隊長の意向ですか?」

「騎士団の意向と思ってくれ」

 

 ニケが思い出すのは一昨年の花神祭。あの頃はオルキニスの女王が氷の乙女を狙っており、シュゼルク城にはオルキニスの間者が潜り込んでいた。さらに王宮晩餐会に魔物が現れて大暴れしたのだ。

 

 騎士団は間者を炙り出してオルキニスに潜入するため、マリスと一緒に王宮晩餐会に出席していたナナリーを囮にした。実際囮になったのはナナリーに変身した隊長だったのだが。

 

 ちなみに、隊長は花神祭当日は主に王族の護衛に就いているが、あの年だけは街中の見回りもやっていたらしい。

 

 一応ニケと同期とはいえ、隊長は四歳年上で、国王の甥で公爵子息、侯爵でもある。魔力、魔術ともにずば抜けており、当時すでに王宮魔術師長と第一小隊隊長を兼任していた。

 

 ナナリーがハーレの男の先輩と花神祭を回っているときに遭遇したそうなので、オルキニスに狙われていたナナリーが心配でわざわざ街中の見回りもやったのだろうとニケは推測している。

 

「ニケは晩餐会も警護に回るんだろう?」

「はい。王宮晩餐会には両親が出席します」

 

 ニケの家はシュテーダルの戦いの後、褒賞で男爵の爵位と領地を賜り、末端ではあるが貴族の仲間入りをした。王宮晩餐会の招待状も届いている。

 

「踊らないでいいのか?」

「社交もダンスも自信がありません。仕事をしている方が気楽です」

「アルウェスは仕事もしているが、ダンスもしているぞ?」

「男性は騎士服でも構いませんが、女性騎士は無理ですよ」

 

 正直なところ、王宮の舞踏会でドレスを着てダンスなんて御免である。マリスに貴族の教養を教わってはいるが、仕事と貴族の社交のどちらかを選べるなら仕事をしたい。

 

 食事を終えて食器を片付けていると、突然女性の悲鳴のような声が聞こえた。

 

「何だ?」

「何でしょう?」

 

 振り返ると、入り口の扉の前に隊長が立っているのが見えた。殿下が足早に入り口へ向かう。ニケも小走りで追いかける。

 食堂の入り口付近では、隊長から三、四歩離れた場所で女性騎士たちが数人、力なく座り込んでいた。いつもなら頬を染めて黄色い声で隊長に駆け寄る彼女たちに何があったのか。

 

「アルウェス、何があった?」

「殿下」

 

 隊長はほんの僅かに眉を下げて苦笑いをした……ようにニケには見える。

 

 彼の周りでは、その場に崩れ落ちた女性騎士の一人が震える手で隊長を指差していた。正確には隊長の胸元を。

 隊長の騎士服にはあるべきものがなかった。ここに居る騎士ほぼ全員の胸に差してある、国王陛下のお気遣いのキュピレットの赤い花がすでになくなっていたのだ。

 

 さりげなく殿下に視線を移すと、殿下も一瞬だけニケを見た。隊長のキュピレットの花が誰の手元にあるのかニケと殿下にはわかっている。殿下は軽く息を吐き出すと、よく通る声で言った。

 

「俺とアルウェスは公務に戻る。行くぞ」

「はい」

 

 殿下が女性騎士の横を通りすぎ、隊長は殿下のために扉を開ける。殿下の姿が見えなくなった後、隊長がニケに声をかけた。

 

「ブルネル、この場は任せていいかな?」

「わかりました」

 

 ナナリーが関わるときはたいていニケが頼りにされる。いつものことだ。扉が完全に閉まってからニケは女性騎士たちに近づいた。

 

「あなたたち、これから仕事でしょう。ほら、立ちなさい」

 

 口元を押さえて涙目になっている騎士もいる。やれやれ、とニケは心の中でため息を吐く。

 

 ……嫌な予感がするわ。

 

 これから王族は馬車で国中を回る。王族の警護を務める隊長も天馬で王族の馬車と共に国中の空を移動するのだ。

 

 

 ──ニケの予想通り、その日アルウェス・ロックマンの胸にキュピレットの花がないことを知った女性たちの叫び声が国中に響き渡った。

 花神祭で王族への歓声ではなく鳴き声が聴こえて来たのは建国以来初めての出来事だったという。

 

 

 *

 

 

 その夜、ニケは晩餐会が開かれている城の大広間の周辺の警備を担当していた。

 大広間からは楽団による演奏が聴こえてくる。華やかな晩餐会では美しく着飾った貴族たちが談笑しながら腹を探りあっていることだろう。

 

 二ケは晩餐会が始まる前に馬車の発着場まで両親を迎えに行った。貴族になって間もない父と母は初めての王宮晩餐会にたいそう緊張しており、ニケが会場周辺の警備担当と知って心から安堵していた。

 

 商人であるニケの両親は流行に敏感で、会話も上手だ。晩餐会のために用意した衣装も流行を取り入れつつ、派手ではなく、(ひん)良く仕立てられていた。

 爵位を得てから高位貴族向けに商売を広げているようで、王宮晩餐会は国中の貴族と面識を得る絶好の機会なのである。

 

 ニケは家業を継ぐつもりはない。騎士として生きていきたい。

 貴族となったからには領民を守る義務があるので、両親と共に領地の運営をしているけれど、もしニケの後を継ぐ人物がいなければ男爵位も領地も国に返上して構わないと思っている。

 

 

 

 

 いつの間にか大広間から聴こえる音楽は円舞曲に変わっていた。

 舞踏会も中盤になれば大広間から抜け出す男女が増えてくる。二人きりで静かに話ができる場所を求めて、回廊やバルコニー、庭園に出てくるのだ。

 ニケたち騎士もそれがわかっているから、わざわざ声をかけたり無粋なことはしない。

 

 だが、招待客の間で何か問題が起きる場合もある。妙な魔法反応があれば城の防御結界が感知して招待客を守る仕組みになっているが、特に男女間の問題では魔法を使わないことも多いため、すぐに駆けつけられるように警戒している。

 

 

 庭園に面した回廊付近をニケが巡回していると、談笑しながら回廊を歩いてくる殿下と隊長に出くわした。

 殿下と隊長は従兄弟であり、騎士団の食堂などではかなり気安く会話をしているときもあるのだが、ここは城で、しかも王宮晩餐会であるから、隊長は殿下の護衛兼側近として常よりやや畏まった態度なのがわかる。

 

「ニケ、問題はないか?」

「特に問題はありません。晩餐会が始まる前は慌ただしかったのですが……」

「ああ、あれは大変だったな」

 

 殿下が苦笑しながら隊長の顔を見上げる。ニケもこっそり隊長の様子をうかがったが、隊長は澄ました顔をしてどこ吹く風である。

 

 何が起きたかと言えば、晩餐会が始まる直前、大広間に貴族たちが入ってきて早々に若い女性の悲鳴が響いたのである。

 またか、とニケは心の中でげんなりとした。今日、国中の至る場所で見られた光景が城でも再現されたのだ。

 

「皆さま見て下さいまし……!!」

「アルウェス様のキュピレットが……!」

「いったいどこの令嬢に渡したのでしょう!?」

「まさか……!」

 

 そう口々に泣き叫び、令嬢たちはパタパタと倒れてしまった。

 その場は一時騒然となった。軽々しく貴族令嬢に触れられない男性騎士たちは右往左往してまったく役に立たず、ゼノン殿下と団長の指揮のもと、ウェルディをはじめとしたニケたち女性騎士が令嬢たちを次々と控室に運んだのだ。

 

 本当に気を失っている令嬢はさすがにいなかったが、大広間で泣き崩れ、歩くことも覚束(おぼつか)ない彼女たちを運ぶのは大変だった。

 

 ところが、控室に入った途端、弱弱しく泣いていた令嬢たちは「キィィー!」と口惜(くちお)しそうにハンカチの端を噛み締め始めたのである。

 

 ぽかんと口を開けたニケは、学生時代にナナリーがハンカチの端を噛み締めて、クラスの貴族女子の真似をしていたのを思い出した。当時はベンジャミンとケラケラ笑っていたけれど、目の前で令嬢たちが一斉にハンカチの端を噛み締めている姿は唖然とするしかない。

 

 馬鹿馬鹿しくなったニケたち女性騎士は、城の使用人に令嬢たちを任せて持ち場に戻った。戻る途中、「倒れれば隊長が優しく抱き起こしてくれるとでも思っていたんでしょ。いい気味ね」というウェルディの言葉に深く頷いた。

 

 殿下がわざわざ大広間に来て団員に指示を出していたのは、隊長をその場に留め置くためだったのだろう。殿下の護衛である隊長は殿下のそばから離れられないからだ。

 ようやく好きな相手と両想いになったというのに、隊長も難儀な人である。

 

 

「その後はお酒で気分が悪くなったご婦人を介抱したくらいです」

「そうか」

「殿下は外に出てきて大丈夫なのですか?」

「グロウブと話をしてきたんだ。その帰りに少しくらい寄り道をしても許されるだろう?」

 

 団長は騎士団の控えの間で全体の情報を取りまとめ、采配を振るっている。

 

「殿下、僕は先に戻ります」

「わかった。ミスリナの機嫌が悪いだろうからよろしく頼む」

「お任せください」

 

 ミスリナ王女は殿下が大好きと聞いている。殿下がこんな風に舞踏会をこっそり抜け出したのを知れば、あの可愛いらしい頬を膨らませていることだろう。

 

 隊長は一人で大広間の入り口に向かって回廊を歩いていく。薄暗い回廊でも長い金髪は目立ち、姿勢が良く、意外とがっしりした体躯(たいく)は上背があって、歩いているだけで輝くようなオーラを放つ。

 王族の血縁だからだろうか、殿下とは雰囲気が違うけれども、十分に王子様の雰囲気を持っている。

 

 隊長が大広間に戻ればすぐに令嬢たちに囲まれるだろうが、機嫌が悪いミスリナ王女を宥める役目があれば殺到するダンスの誘いも穏便に断れる。

 団長と話をするために舞踏会を抜け出したのは令嬢たちとのダンスを避けるためだろうかと深読みしてしまう。

 

「なんだ? アルウェスが気になるのか?」

 

 隊長の後ろ姿を目で追っていたら殿下がとんでもないことを言い出した。

 

「違います! その……隊長はあまり令嬢たちとダンスをするつもりがないのかな、と思いまして」

「そうだな。今日はアルウェスがほとんど踊らないから、俺にお鉢が回ってきてしまうんだ」

 

 ニケは目を瞬いた。隊長が女性との社交を控えるとこんな形で殿下に影響が出るとは。

 

 何もしなくても隊長の周りには女性が群がっているのだが、殿下を守るためには悪いことではなかったのかもしれない。

 こうやって貴人を守る方法もあるのだとナナリーに教えておこうとニケは思った。やっと初恋を自覚した親友は、隊長が他の女性にいつ目移りしてもおかしくないと常に自信なさげなのだ。

 

「殿下も大変ですね」

「アルウェスほどではないけどな。ナナリーを招待すればいいと俺は言ったんだが、『猛獣を王宮の晩餐会に放つような真似はしませんよ』だそうだ。まあ、ナナリーを好奇の目に晒したくないんだろう」

 

 好奇の目というよりは、着飾ったナナリーを誰にも見せたくないだけだろう。

 王族の警護を担当している隊長はずっとナナリーのそばにいられるわけではなく、愚かにもナナリーをダンスに誘う男性がいれば燃やされる末路しか見えない。

 ニケとしても、王宮晩餐会で騎士団の隊長がボヤ騒ぎを起こすなどたまったものではない。

 

 そのうち世情が落ち着けば王宮晩餐会くらいは隊長も警護から外れることができるだろうし、その時にナナリーと連れ立って招待客として出席すればいいのだ。

 

「ニケ、少し踊ってみないか?」

「私は仕事中ですから」

「舞踏会は騎士も参加していいと言っただろう?」

「ですが……」

 

 突然のダンスの誘いにニケは躊躇する。殿下と踊るのが嫌なわけではないが、美しく飾り立てた女性たちがたくさんいる中で、一人だけ騎士服で踊るなんてできるわけがない。

 

「大広間で踊ろうというわけではないさ」

「はい?」

「ここでいい」

「ここで?」

 

 ニケはぐるりと周りを見回した。目の前の庭園には大きな花壇がある。たくさんの花弁が月明りに照らされて白く輝き、花の香りが昼よりもなお甘く強く匂っている。

 

 殿下がニケに手を差し伸べてダンスに誘う。ごく自然な仕草でニケの手を取り、庭園へと(いざな)った。

 

 回廊の階段を、殿下に手を引かれて庭園に降り立つ。

 ニケよりも大きくて男性的な殿下の手と指を絡めて、腰に手が添えられる。曲に合わせて殿下が一歩を踏み出し、ニケもステップを踏み始める。

 

 私が殿下とダンスを踊っている……。

 

 ニケは不思議な面持ちで殿下の顔を見上げた。殿下は何も言わず、優しく目を細めてニケを見つめ返す。その黒い瞳にはニケが映っている。

 

 殿下はとてもダンスが上手だった。貴族令嬢の教養としてマリスにダンスも教えてもらっているが、殿下のリードに身を任せているといつもよりスムーズに踊れている気がする。

 

「なかなか上手いじゃないか」

「まだまだです」

 

 ニケがターンをすると一つ結びにしたプラチナ・ブロンドの髪がふわりと流れて、騎士服の上着が申し訳程度に翻る。せっかく殿下とダンスをするなら、もう少し綺麗な恰好のほうが良かったと思わずにはいられない。

 

 できることならば、美しく髪を結いあげて華やかなドレスを着て──。

 

「やっぱり、ドレスがよかったです」

「そうか。今度は美しいドレス姿を見せてくれ」

 

 今度? 今度なんてあるのだろうか? 

 

「機会がありましたら」

「約束だ」

「はい、約束です」

 

 ニケはふふっと笑った。

 もうすぐ曲が終わる。この曲が終われば殿下は大広間に戻っていくだろう。

 

 この時間が少しでも長く続いてくれたら。

 吸い込まれそうな黒い瞳を見つめながら、そう祈らずにはいられなかった。

 

 

 





ひと月近く更新が空いてしまい申し訳ありません!
ニケが家の将来についてどう考えているのかは私の妄想です。次の話はpixivに掲載していた話の再掲になります。
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