『2-6. 夕闇の空を翔ける』から1週間ほど経過し、空離れの季節一月目に入っています。
3-1. ダンス練習①
ロックマン公爵家の大広間は舞踏会さながらの装飾が施され、招待客のためのテーブルや椅子が並んでいる。楽団の席にはラッパのような楽器が浮いて美しい音楽を奏でていた。これらはすべて魔法による幻で、唯一音楽だけが本物である。
円舞曲が流れる中で、若草色のドレスを着たナナリーはダンスの先生とホールドを組んでフロアをくるくると踊っていた。ポニーテールにしたナナリーの水色の髪がステップを踏むたびにゆらゆらと揺れて、白い
肩の力を抜いて肩甲骨を下げ、首を伸ばし、上体のホールドを維持する。お腹をぺったんこにして、腰は立てて反らしてはいけない。大きく胸を広げて顎から腕、指先までに空間を作る。
足は胸の下から生えているようなイメージで、股関節より上から動かすつもりで。重心は高く、踵に体重をかけないで軽やかにステップを踏む。
「ええ……、いいですよ、ヘル様。首と肩の力をもう少し抜いて……。肩甲骨から生えているように腕を使ってください」
円舞曲のおさらいが終わるとダンスの先生がナナリーを褒める。
「三週間でよくここまでできるようになりましたね。とても姿勢が美しくなりました。では、アルウェス様と組んで踊ってみましょう」
先生はナナリーの手を下から掬い上げるように持ち、こちらに向かって優雅に歩いてくるアルウェスに差し出した。
長い金髪を編んで胸元に垂らし、上質な白いシャツに黒のベストを着て、同じく黒のトラウザーズを身に付け、襟元には薄い水色のクラバット。髪を結ぶリボンも薄い水色だ。
自分の髪の色と同じ色味のものはナナリーとて自然と目がいく。特に深い意味はないだろうと思ったけれど、リボンに目をやった直後に微笑まれると動悸がしてしまう。
細い銀縁の眼鏡の奥からのぞく燃えるような赤い瞳がナナリーを見ている。
アルウェスの赤い瞳が生来の炎のような輝きを取り戻している。端整な美しい顔立ちに映える一対の
アルウェスがナナリーの手を取って指先に軽く口づける。ナナリーはハッと我に返った。もしや自分は彼に
逸る鼓動に落ち着かないナナリーを知ってか知らずか、アルウェスは優しく、でもどこか熱っぽく微笑んだ。
女性のような美しい
ナナリーだってそんなこと何年も前から知っている。でもアルウェスの整った容貌にも、いかにも貴公子らしい立ち居振舞いにも(そもそもナナリーに対してそんな態度を取ることはなかったのだが)心を動かされたりしなかった。だから平気で殴り合いの喧嘩もしたし、
それなのに、なんで今更アルウェスに見惚れたりしているのか。
好きだと自覚しただけで自分がこんなに変わるなんて。恋とはなんと恐ろしいものだろう。
アルウェスとホールドを組むと少し速い円舞曲が流れ始めた。アルウェスが足を踏み出すのに合わせてナナリーも後ろへステップを踏み始める。
アルウェスのリードはやはり上手かった。プロの先生と比べてもなんら遜色がない。背が高く恵まれた容姿のアルウェスは見栄えがして、より上手く見えるのだろう。
ナナリーもプロの先生に教わってかなり上達した。綺麗な姿勢を維持できるようになったし、舞踏会で最低限必要だという、最初と最後の曲のステップは完璧に覚えた。
もう男性の足を踏むことはなく、自信がなくて下を向くこともない。慎ましくとも、胸を張って踊れる。
…………と思っていたのに。
アルウェスと会うのは約一週間ぶりだ。仕事の関係でハーレで顔を合わせることはあっても、立ち話をしたくらいで、公爵家で会うこともなかった。
前にちゃんと話をしたのは空離れの季節に入る直前だ。あのときはユーリに乗って遠くまで行ってしまった。アルウェスは最初は不機嫌だったけれど、珍しくゆっくり話ができて、そして……そして…………く……く…………くくく…………口付けをしてしまった。
なるべく思い出さないようにしていたのに!
ダンスは距離が近い。ドレスのたっぷりとした布越しに彼の体を感じるだけでどぎまぎしてしまい、体が強張る。
頬が熱くなってきて、ナナリーは眉をしかめて口元をきゅっと引き締めた。アルウェスと視線が合えば、あさっての方向に目が泳いでしまう。ナナリーはどんな顔をすればいいのかわからなかった。
チラッとアルウェスを見上げるが、彼は
*
アルウェスとダンスを踊りながらナナリーは百面相をしている。
どうやら自分を意識してくれているらしい。
それを嬉しいと思う気持ちは真実だ。だが、それ以上にダンスの練習とはいえ至近距離でナナリーと触れ合っていることがアルウェスを悩ましい気持ちにさせる。
アルウェスはナナリーのドレス姿から目が離せずにいた。ナナリーが着ているドレスは夜会用のデザインで、腰をコルセットで締め上げて、寄せた胸はギリギリ見えず、彼女のデコルテから背中にかけてのラインを美しく見せていた。
ダンスの練習用なのだろう、飾りが少なくシンプルで、決して肌の露出が多いわけではない。しかし、ナナリーはいつも下ろしている髪を頭の高い位置で一つにまとめて、オフショルダーの袖のおかげで
細いけれども健康的な彼女の首や肩が嫌でもアルウェスの目に入ってくる。ダンスを何曲も踊ったナナリーは少し汗ばんでいて、色白な肌は血色がよく艷やかだ。
それがどれだけアルウェスを懊悩させているか、困ったことにナナリーは気づいていない。
*
アルウェスが薄っすらと目を細めた。その色気を帯びた眼差しに、ナナリーは自分の心臓が跳ねる音を聞いた。
なんで目を細めるだけで色気が
どういう教育を受ければこんな技を身につけることができるのか。
ナナリーが踵が高い靴を履いているので、ただ向かい合っているだけでも顔が近い。アルウェスに顔を向けるとすぐに視線が合ってしまう。
頬や首が熱い。氷で冷やしたいけれど、曲が終わるまでアルウェスの手を離すことはできないのだ。
先生と踊っているときは余計なことは考えずに集中していられたが、アルウェスと組んでいると他のことを考えていないと心臓が持ちそうになかった。やっぱり自分はどこか病気なんじゃないだろうか。
今日は所長命令でハーレを早退した。騎士団から迎えがくるから打ち合わせに行くように指示されて、ハーレで待っているとアルウェスが迎えに来た。迎えの騎士はアルウェスかニケだろうと予想はしていたが、何故か騎士団ではなくロックマン公爵家に連れて行かれて、普通に令嬢教育が始まっている。
アルウェスは騎士団に戻らずにナナリーと一緒にダンスのレッスンを受けている。
打ち合わせはいつ始めるのだろう?
所長命令を思い出して上の空になりかけたときだった。ちょうどナナリーが両足を揃えて軽くターンをするところで、ナナリーを軸にするようにアルウェスが素早く回った。
「きゃあっ」
ナナリーはアルウェスの動きについていけず、
「考え事していると危ないよ」
両腕でナナリーの身体を受け止めながらアルウェスが甘い笑みを浮かべる。
「誰のせいよ!」
「せっかく叫び声は女性らしくなったのに。そんな顔したら台無しだね」
逞しい腕から逃れようと力の限りもがいてみたがびくともしない。
無詠唱で素早く最大の腕力の魔法を使えるように訓練しようとナナリーは本気で考え始めた。
閑話のゼノニケのダンスとは諸々違いますねぇ。