ナナリーを片腕に抱きながら、アルウェスは指を振った。曲がゆったりとしたものに変わる。これはラストダンスの曲だ。
アルウェスが腕の力を緩め、ナナリーの右手をすっと上に引き上げて、アルウェスの体の前でくるりと一回転させた。
そのまま踊り始めるのかと思いきや、ホールドを組んで真顔でナナリーの目を見て話し始める。
「ナナリー、ダンスは二人が一体になって踊る。他のことを考えてたらすぐわかるからね」
「……ごめんなさい」
「うん。じゃあ、二人の呼吸を乱した方が負けにしようか?」
「受けて立つわよ!」
アルウェスがもう一度指を振ると途中まで流れていた曲が最初に戻った。アルウェスはスッと姿勢を正すと、ナナリーの右手を優しく握り、反対の手を背中に添えた。ナナリーもすぐに負けじとシャキッとポジションを戻した。
曲に合わせて二人でくるくると回り始める。
気合を入れ直し、雑念を払ってみれば、アルウェスにリードされてフロアを踊るのは存外気分が良かった。
卒業パーティーのようにふわふわ浮遊してアルウェスに動かされるのではなく、相手の足を踏むこともなく、寄っかかるのでもなく、二人でバランスを保って踊るのだ。ナナリーは初めてダンスを楽しいと思った。
「うまくなったね」
踊りながら、アルウェスがナナリーを褒める。
「うん。楽しい」
「楽しく踊るのが一番だよ。でも……ちょっとつまらないかな」
「つまらない?」
「前は恥ずかしそうに俯いていたり、ステップに自信がなかったり。慣れない感じが可愛かったのに」
「ななななな……何言ってんの!?」
ナナリーが顔を真っ赤にして声を荒げた。ステップが乱れても足を踏まなかった自分を褒めてあげたい。
フイッと顔を逸らしてもアルウェスはクスクス笑うだけで、気にするどころか楽しんでいるように見える。
*
アルウェスとナナリーが踊る様子を観ていたノルウェラは、ほう……と吐息を洩らした。
「なんて可愛らしいのかしら……!」
ステップは覚えたものの、まだ踊り慣れていないナナリーが、アルウェスの巧みで神経の行き届いたリードで軽やかに楽しそうに踊っている。恥ずかしそうにうっすらと頬を染め、アルウェスはそんなナナリーを優しく見守っているのだ。
途中でダンスが止まるハプニングはあったけれども、可愛らしくじゃれあって、二人の間に流れる熱にこちらが当てられてしまう。
「アルウェスがあんなに楽しそうに踊っているのは初めて見たわ……」
ノルウェラとダンス教師はにこにこと顔を見合わせた。本当はもっと見ていたいけれど、二人の邪魔をしてはいけない。
「心配いりませんわね。わたくしたちは席を外しましょう」
「はい」
ノルウェラはダンス教師と談笑しながら大広間を出ていき、侍女もその後に続いた。
*
曲が終わり、ナナリーが優雅に膝を曲げてお辞儀をするとアルウェスは自然な流れでナナリーの腰を引き寄せた。ナナリーの顔に金色の髪が垂れてきて、柔らかな感触が唇に触れる。
「……っ!」
思わずアルウェスの厚い胸板を叩いた。ここにはノルウェラ様やダンスの先生もいるのだ。
アルウェスはナナリーを離すどころか、さっきよりも強く頭と腰を押さえつけて下唇を食むように口付ける。チュッ……、チュク……、チュゥ……と水音がして、唇が濡れる感触がある。それがアルウェスの唾液だと気が付いて、なんていやらしい口付けをするのかと耳まで熱くなった。
ナナリーの口の中にもだんだんと唾液が溜まってきて、心がふわふわしてくる。認めたくないけれどなんだか気持ちがよくて、破廉恥な口付けにいとも容易く籠絡されている自分が信じられない。
「んっ……んん……!」
唇を重ねたまま、舌先で唇の隙間をなぞられ、
「ひぁぁぁぁ!!」
「甘いね」
アルウェスは少しも悪びれた様子がなく、ナナリーの腰に回した手も離してくれない。
「ガードが緩いね。夜会では不埒な男もいるんだから、ダンス以外では腰とか触らせちゃ駄目だよ」
不埒なことをしたのはどこのどいつだ!!
「そんなことより! 先生たちがいるのに!」
「誰もいないよ」
「えっ!?」
アルウェスの腕を振り払うことを一旦止めて、大広間を見回してノルウェラ様たちを探したが、ノルウェラ様も先生もどこにも見当たらなかった。
「待って待って! 本当にここには誰もいないの?」
「いないけど?」
「でも、視線? 魔法? 何か感じるのよ」
「わかるんだ?」
「誰かに見られてるの?」
「この屋敷でプライバシーが守れるのは私室ぐらいなんだ。申し訳ないけれど、警備のためだからあきらめて。もちろん、君の部屋や衣装部屋は大丈夫だから」
「やっぱり見られてるんじゃない!」
ナナリーはガーンと衝撃を受けた。公爵家の警備が厳しいのは納得しているが、それをわかっていながら堂々と口付けをしてくるアルウェスの神経が理解できない。
しかもあんな…………この間よりもすごい……ねっとりとした口付けを。
「ここには僕らだけだから。もう少しいい?」
「はぃぃ?」
アルウェスが目を細め、艶っぽい眼差しがナナリーを射貫く。くいっと顎を掬い、唇を親指でゆっくりと撫であげる。さっきの口付けの感触が蘇ってきてカァーと顔が上気する。
「だから! 誰かに見られてるんでしょ⁉」
ナナリーの顎に添えたアルウェスの手を引き剥がすと、今度はすかさず手を掴まれてしまう。
アルウェスに翻弄されて悔しい。羞恥と怒りで頬を赤く染め、涙目でアルウェスを睨みつけるナナリーとは対照的に、アルウェスは涼しげな笑みを浮かべている。
「私室なら平気だよ。僕の部屋に行く?」
「行かない!」
バシッとアルウェスの手を振り払い、ヒールをカツカツ鳴らしながら大広間を突っ切って、ナナリーは自分に与えられた客室へ戻っていった。
*
大広間に一人取り残されたアルウェスは真顔に戻り、口元を片手で覆った。ふぅ、と大きく息を吐きだす。
「参った……。あんな目つきで他の男を見てないといいけど……」
頬を紅潮させて羞恥で涙目になったナナリーを見ていると、そのまま腕に閉じ込めて、欲望のままに彼女を貪ってしまいそうになる。
彼女の前で平静を装うことができたのは、幼い頃から感情を表に出さないように制御してきた努力の賜物だ。
カーロラの結婚式はドーランにとっては重要な外交であり、ただ笑って社交をこなしていればいいわけではない。アルウェスはゼノンと共に他国の要人と腹の探り合いをすることになる。
できる限りナナリーのそばにいたいが、彼女に席を外してもらうときもあるだろう。その隙に変な虫が寄ってくるに違いない。
他国の王族や大臣、アルウェスのように王族に連なる高位貴族たち。国内の貴族相手とは事情が異なる。
すでに調査はしてあるけれど、より詳細な情報を手に入れる必要があるだろう。要するに、何かあったときのために弱みを握っておくのだ。
──とはいえ、一番の問題は無自覚で迂闊な彼女自身かな……。
額に手を当ててアルウェスは目をつぶる。目蓋の裏には、アルウェスと踊るナナリーの姿が鮮明に思い出される。
……あの髪型は困る。細くて折れそうな白い首が淡く薄紅に色づいて、まるで吸い付いてくれといわんばかりだ。
僕はここまで抑えが効かない人間だっただろうか。たかがダンスの練習でこの
夜会のドレスで肩まで出すデザインなのは仕方がない。でも髪をあげるのはやめさせよう。昼間のドレスはなるべく首の詰まったものを選ぼう。世話係の侍女によくいい聞かせなければ。
アルウェスはハァー、と深い溜め息を吐いた。