大広間にアルウェスを残し、ナナリーは一目散に自分の客室に戻った。早く顔を洗って頬の
この後まだ食事作法や教養の講義でアルウェスと顔を合わせるし、何より仕事の打ち合わせが終わってない。どんな顔をしてアルウェスに会えばいいのだろう。
手のひらに顔を埋めて、恥ずかしさに泣きそうになっていると、扉がノックされて召使いが三人もやってきた。
「ヘル様、お風呂の用意が済んでおります。まずは入浴をいたしましょう。その後はマッサージをいたしますので」
「えっ、あの、お風呂は助かりますけど、マッサージは結構です。そこまでしていただくのは……」
「これは奥様の指示ですからお気になさらず」
「今度ブルネル様もお招きしてドレスの採寸をいたします。そのための準備です」
「は? えっと、ドレスの採寸ですか? ニケのドレスを作るんですか?」
「ヘル様とブルネル様のドレスです」
「わたしも!?」
「勿論です。奥様がすでに何枚もデザイン画を描かせておりますよ」
目を丸くしたナナリーに、召使いたちは有無を言わせず、さぁさぁ、と強制的にバスルームへ連行する。
召使いの話が本当ならば、ナナリーとニケのドレスをノルウェラ様が注文するという。
令嬢教育でお借りしているドレスに靴にアクセサリー、それからレッスン代だけでも相当な費用がかかっているはずだ。これ以上公爵家に負担をかけるのは心苦しいどころの話ではない。
ドレスというのはカーロラ王女の結婚式に出席するためのドレスなんだろうか。アルウェスのパートナー役は仕事だと割り切っていたつもりだけど、ドレスについて考えが及ばなかった。よくよく考えてみれば、衣装代が国庫から出るとは思えない。
王族の結婚式なのだから、アルウェスはきっと最高級の正装を着るだろうし、彼の隣に並んで見劣りしないドレスをナナリーが自腹で用意するなんて絶対に無理だ。
ナナリーの顔からサーッと血の気が引いていく。
「……えっ……でも、だったらどうしてニケのドレスまで……?」
「ヘル様? お顔が青いですわ。どうかなさいましたか?」
「ヘル様は何も心配なさらなくてよろしいですよ」
「奥様はヘル様やブルネル様のドレスを作るのが楽しみでいらっしゃるのですから」
「た、楽しみ……?」
「そうですわ。わたしどもも同じ気持ちです。化粧や髪結いはお任せくださいませ。腕が鳴りますわ!」
「ヘル様はアルウェス様のために美しさに磨きをかけて下さいませ」
「そんな、元がたいしたものでもないのに美しくなるなんて……」
「何をおっしゃるのです!?」
「謙遜なさる必要はございません」
「わたしたちにお任せください」
「さあ、こちらへ」
「ちょっ、お風呂までついてくるんですか!?」
ナナリーはいい笑顔の召使いたちに客室に付属するバスルームに連行される。髪を
「自分で脱げます!」
「時間がございません」
「アルウェス様がお迎えにいらっしゃいますからね」
「わたくしどもがヘル様を磨き上げます」
「お風呂は一人で入れます!」
抵抗虚しく、身ぐるみ剥がされたナナリーは、頭から足の先まで綺麗に洗われ、気がついたときには花の香りのするお風呂に浸かっていた。
公爵家でお風呂に入るのは初めてだ。貴族は毎日こうやって召使いに体を洗ってもらうのだろうか?
ナナリーは寮生活が長いから共同の浴場に慣れている。学生時代はベンジャミンやニケと一緒に洗いっこもよくやった。でも、あくまでも対等の友達だから平気だったのであって、ようやく顔と名前を覚えた程度の召使いに体を洗われるのは抵抗がある。
こういうのはマリスに相談しても理解してもらえないんだろうなぁ……。
些細な生活習慣の違い。こんなところでも貴族と庶民の違いは大きい。魔法学校に入学したときからわかっていたつもりだったけれど、
お湯に浮かんだ花びらを両手で掬ってフッと息を吹きかける。
ああ、いい香り……。すっごくいい香りだよ。
肩の力が抜けてくる。大きく息を吐き出して、今度は肺の奥深くまで花の香りを吸い込んだ。鼻腔から入る花の香りが脳を占める。あれこれ考えるのがどうでもよくなり、目を瞑って、心も体も花の香りに
「次はマッサージですわ! バスローブを脱いでうつ伏せになってください」
「はい……」
客室の奥、寝台のそばにマッサージ台が用意されている。ナナリーは思考を放棄した。お風呂から出て体と髪を乾かしたナナリーは、タオルを外してマッサージ台にうつ伏せになった。
下半身はゆったりとした下着を着けているが、上半身は裸である。扉の前には衝立が置かれて、万が一誰かが扉を開けても中の様子が見えないようになっているが、マッサージ台の周囲にも遮蔽物がほしい。
「締めるところは締めて、上げるところは上げさせていただきます!」
「ははは……」
つい乾いた声が漏れてしまった。マッサージでくびれができるなら嬉しいけれど、そんなに簡単にできるとは思わない。それに、上げるところってどこ?
「思ったより凝っていらっしゃいますね。少し痛いかもしれません」
「座り仕事なので……ぐぇっ!」
香油を塗られ、予想以上に強い力で筋肉を圧される。少しどころではない痛みに、思わず変な声が出る。前にベンジャミンに美容のマッサージをしてもらったときはくすぐったいのと気持ちいいのが半々だった。今マッサージしている人は、召使いのお仕着せを着ているけれど、ちゃんと技術のある方に思える。それとも公爵家の召使いは様々な技術を持っているのだろうか。
「呼吸を止めないでください」
「わかり……ました……!」
うつ伏せで肩や背中の凝りをぐりぐりとほぐされる。「ぐぁっ」「うぁっ」と変な声が出るけど気にしない。気にすると呼吸が止まって怒られる。
背中が終わってやっと深呼吸ができた。もしかして背中が凝ってて深呼吸もできなかったのだろうか?
ぐでんと腕を広げて脱力していると、今度は足首からふくらはぎだ。ぐいーっと
ちょっと待って! 半端なく痛いんですけど!
「あががががが……」
「痛いですよね。冷え性ですか?」
「体温は低めですけど……」
「それはよくありませんわ。冷えは女の大敵ですよ」
そうは言っても、たぶん氷型だから体温が低いのだと思いますが……。
「お仕事で座っている時間が長いのですか?」
「はい……。受付や事務作業が多いので」
「座りっぱなしはよくありません。適度に立って動いてくださいね」
……こんなに体が凝ってたんだね、わたし。
背中から足裏までを揉まれて、からだがぽかぽかと温まってくる。ゆるゆると力が抜けて、全身が弛緩したのを感じる。
仰向けになり、体にタオルを掛けると、肩、首、頭と揉みほぐしてくれる。肩は強めに揉まれたが、首や頭は優しく揉んでくれた。
とーっても気持ちがいい。
頭をマッサージしてもらって意識がぽーっとする。
このまま眠ってしまいそう……。
「気持ちいいですか?」
「はぁい……」
ナナリーはへにゃ……と笑った。
「ヘル様のお肌は白くて瑞々しくて、とても美しいですわ」
「そうでしょうか……」
「眠ってしまってもいいですよ」
「ふわぁ……」
部屋は暖かく、ナナリーはうとうとと
*
一方、ナナリーの部屋の外では。
アルウェスが左手で顔を覆い、扉に右手をついて小刻みに震える体を支えていた。
ナナリーが大広間を飛び出して、充分に時間が経った後にアルウェスは部屋まで彼女を迎えに来たのだ。
扉を何度かノックしたが返事がなく、しかも扉には鍵がかかっている。壁は厚く、がっしりとした扉から音が漏れ聞こえることもない。
どうしたものかと考えて、扉に手を当てて魔力を流し込んだ。客室の防御魔法の感知レベルが一気に上がる。何か問題が起きたときにアルウェスが感知できるよう防御魔法がかかっているのだが、感知レベルを上げると、まるで映写魔法のようにアルウェスの脳に直接室内の様子が流れ込んでくる。
そこで視たものは──。
浴室から出たナナリーが、生まれたままの姿で濡れた髪を身に纏わせている。
細い脚に形よく引き締まったお尻。白い肌に水滴が玉のように弾かれる。ナナリーが背中を覆う水色の濡れ髪を胸の前にもってきて水分を絞った。
召使が体を拭こうとするのを恥ずかしがり、自分で髪と体を拭いていく。慎ましやかな胸が可愛らしく存在を主張している。
ナナリーがバスローブに身を包んだところで、我に返ったアルウェスは即座に魔力を流すのを止めた。手で顔を覆ってフーッと深く息を吐き出す。
下腹部で一度静まったはずの劣情が鎌首をもたげてくる。
意図してやったことではないけれど、結果的に身支度をしている女性の部屋を覗くような真似をしてしまった。全面的に僕が悪い。それはわかっている。
……こんな状態でナナリーに会うわけにはいかない。
幸いにも女性の支度は時間がかかる。腹の底から膨れ上がる熱を冷ます余裕は充分にある。
アルウェスは顔から手を離すと、普段と変わらぬ表情で、しかし急いで自室に戻った。
ロックマンのラッキースケベ回でした。
pixiv掲載時にボツにしたエピソードですが、この話を入れたほうが先の話を違和感なく読めると思ったので追加しました。