ロックマン視点は一人称です。私がロックマンの一人称で書きたいからです。
跪いたならそのまま彼女に求婚してしまえ、と愚かな僕が
カーロラの結婚式に同行してもらうこと。それだけを彼女に
僕の申し込みに頷いたナナリーは少し目を潤ませて、ふわりと口許を綻ばせた。そんな彼女の表情を僕は目に焼きつける。
こんな風に笑う彼女がとても可愛い。薄紅に頬を染めて、翡翠のような碧い瞳に透き通った涙が滲んでいる。その涙は安堵なのか、羞恥なのか。
ナナリーは貴族社会に足を踏み入れることに萎縮している。彼女が戸惑うのは当たり前だろう。貴族の友人がいても本格的に貴族の社交に参加するのは今回が初めてだ。
こうやって公爵家で令嬢教育を受けるのもナナリーの負担は相当なものだ。僕の我が儘につき合わせてしまっている負い目はある。余計なプレッシャーが彼女の顔を曇らせるなら役目を下りてくれて構わない。
どうか彼女のペースで進んでほしい。彼女の自由を奪っているのは僕だ。これ以上彼女の羽ばたきを邪魔したくない。
彼女の隣に並んで立つ許しを得られただけで僕は幸せなのだから。
*
殊勝な心掛けは結構。それだけで満足できるような男ではないだろう?
もう一人の僕が
ナナリーの指先に口づけを落とせば、猛烈な飢餓感に襲われた。僕の手の中にある細い指を撫でて薄っすらと目を開ける。
……このまま食べてしまいたい。
細くてしなやかな白い指に唇を這わせそうになる。やや強めに唇を押し付けて──彼女の指先から己の唇を引き剥がした。軽く指を食んでしまったのは許してほしい。
ナナリーを見上げると、彼女は耳まで真っ赤にして泣きそうな顔をしていた。これは間違いなく恥ずかしいのだろう。
彼女の手を握ったまま立ち上がる。僕の手から自分の手を引き抜こうと彼女がぐいぐい引っ張るけれど、もう少しこの手に触れていたい。
「も……もう、いいでしょ? 離して……」
真っ赤な顔で眉を下げる彼女が可愛くて、僕はくすくすと笑ってしまう。
「挨拶でそんなに真っ赤になってどうするの?」
「だって、アンタが……ちょっとすごくて」
「すごい?」
「え、いや、その、色気が……」
ナナリーが目を逸らしながら手で口元を隠してモゴモゴと呟いた。どうやら余計な誤解を生んでしまったようだ。女性なら誰彼構わずこんな接し方をしていると受け取られては堪らない。
「普段ならこんな感じだけど?」
ナナリーの手を掬い上げるように持ち直して手の甲に軽く唇を寄せた。ほとんど触れることはなく、要するに口付けの振りである。
「え? こんなものなの?」
「挨拶だからね」
じゃあさっきのは何だったんだ、という目でナナリーが見てくる。僕は正直に白状することにした。
「君の指先に口づけをしたくて」
「な、ななななな……」
一瞬でナナリーの顔が真っ赤になる。可愛い。
「夜会なら手袋をしているから。もし手袋をしてないときに君の手に口づけしようとする不埒な輩がいたら、凍らせていいよ」
今度は眉間に皺を寄せて猛獣みたいな目つきで僕を睨む。いわゆるガンを飛ばすというやつだ。『凍らせときゃ良かった!』という心の声が聞こえてきたのは気のせいではないだろう。
ナナリーがバッと乱暴に僕の手を振り払う。
「凍らせるって……王族や貴族に対してそれはまずいんじゃないの?」
「君は僕のパートナーだ。軽々しい扱いをさせるわけにはいかないよ」
「わたしにそんなことする貴族なんていないと思うけど」
「…………ハァ、わかってないね」
僕は眉を下げて深いため息を吐く。
召使によって磨かれたナナリーはどれだけ自分が輝いているか全く理解していない。
新雪のような白い肌は少し汗ばんで艶やかだ。
半分だけ結い上げて、背中の中ほどまで覆う長い水色の髪は澄んだ空と見紛う。こんな美しい髪色は唯一無二と言っていい。
彼女の心根をそのままに写した瞳は一切の混じりけがない宝石のようで。
普段あまり化粧をしない彼女が、目元や唇に色をのせるだけで大人の色香を
自分の容姿に頓着しない女性であることはわかっているが、あまりにも無自覚で、おまけに素直な性格が災いして迂闊な行動を起こしてしまう。
ただそこに立っているだけで男が吸い寄せられるほど魅力的なのだと自覚してほしいが、彼女は自分の美醜にだけは目が狂う。おそらく何割かは僕にも責任がある。
「ドレスが着慣れないと君は言うけれど、ドレスを着た君はとても美しいよ。僕はもちろん、母上も召使も君の美しさに目を奪われる」
「それは綺麗にしてもらってるから……」
「着飾らなくたって君は綺麗だよ」
ナナリーは魚のように口をハクハクと開閉した。
「べ、べべべべ……別に、わたしにまでそんなお世辞言わなくてもいいってば!」
「お世辞じゃないよ。この髪飾りも、君によく似合ってる。──制服には派手だと思うけどね」
波打つ水色の海に煌めく光のごとき髪飾りに触れる。これを作らせたのは母上だろうか。こんな感情を母に対して持つのは狭量だとわかっているけれど、苛立ちを覚えるのを否定はしない。僕がナナリーの歩調に合わせている間に抜けがけをされた気分だ。
髪に指を差し入れて顔を覗き込めば、無垢な碧い瞳が僕を見つめ返す。金と空色が混じり、滑らかな頬が淡く染まっていく。
彼女の肌からいい匂いがする。
すっきりと爽やかで、それでいて花びらが舞い落ちるように軽やかに甘い香りが漂う。薄紅の頬は柔らかく、ずっと触れていたい。鼻腔を抜ける香りに頭がくらくらとしてくる。
理性という
……こんなものを彼女に向けてはいけない。
碧い宝石が僕を避けるように姿を消した。彼女はきつく目をつむり、頬に添えた僕の手に押し付けるように顔を背けてしまった。
「ち、近いから……」
制服の胸元をぎゅっと握りしめて、ふっくらとした唇から絞り出された声は震えている。
「……こういうときに目を瞑らないほうがいい」
「え?」
上目遣いに碧い瞳が僕を見上げる。その破壊力に気づいていない彼女は凶悪だ。小さな吐息と一緒に「煽らないで」と呟きが漏れた僕は悪くないと思う。
この可愛い
彼女の頬に添えていた手に力が籠る。
「ひゃっ……!」
額に軽く唇を押し当てて、そっ……と離した。
震える唇に赤く上気した顔を見るだけで、いかに彼女の鼓動が激しくなっているかわかる。
でも、どうにかなってしまいそうなのは僕も同じだ。余裕なんかない。そう装っているだけ。
そろそろと彼女の目が開く。僕は穏やかに微笑んでみせた。
「この髪飾りは君の空色の髪に似合ってる。でも、制服とは合ってないかな。僕から君に何か贈っていい?」
「……贈る? アルウェスが?」
「うん」
「私に? どうして?」
「…………ハァ、まったく君は。……じゃあ、今度一緒にご飯食べない? 昼休みにハーレに迎えに行くから」
「いいけど?」
「今週で都合悪い日ある?」
「うーん……特にないと思う」
話題を切り替えると空気が変わり、ナナリーはいつもの調子に戻った。僕からの贈り物を不思議に思う彼女は相変わらずだ。
落ち着きを取り戻した彼女は僕と並んで階段を上り始める。
階段を登り切ったところで僕は一瞬身じろいだ。
彼女が僕の騎士服の袖口を掴んだのだ。目を見張って隣のナナリーを見下ろせば、彼女が頬を赤く染めて見つめ返してくる。
……喉が、渇いて。
彼女に気づかれないように唾を飲み込む。
袖口を掴む彼女の手を取って────それでも彼女は何も言わない。
氷型の彼女は僕より体温が低くて。細くて少し冷たい指に僕の指を絡め合わせると、彼女もきゅっと握り返してくる。
彼女が僕の手を求めてくれる。
これだけで充分だ。
屋敷にかけられた魔法を使うことなく、僕たちは手を繋いで長い廊下を歩いた。
お互いの体温がわからなくなるまで。