他愛ない口喧嘩をしながらナナリーと歩く時間は心地よく、あっという間に僕の部屋に着いてしまった。名残り惜しく感じつつも魔法で鍵を開けて彼女の入室を促す。
「ここ、誰の部屋?」
「僕の部屋」
「え?」
彼女が僕の部屋を訪れたのは二回目だ。前回は過去から戻って来たときで、殿下やサタナースたちと僕の寝台に落ちてきた。すぐに母上と応接間へ移動したから僕の部屋の中は覚えていないのだろう。
もちろんナナリーは入ることができるのだが、彼女が僕の部屋に来ることはなかったし、令嬢教育の際には談話室で話をしていた。母上が屋敷に泊まっていくよう勧めてもナナリーが首を縦に振ることはない。
「アルウェスの部屋で打ち合わせをするの? なんで?」
「機密保持のためにね。特別な防御魔法をかけてあるから」
「会議室みたいな感じ?」
「うん」
納得した彼女は躊躇わずに部屋に足を踏み入れる。扉を閉めて施錠しながら僕は小さなため息を吐いた。
……少しは警戒してほしいな。僕の部屋で僕と二人きりなんだから。
何重にも掛けられた防御魔法を感知した彼女が息を呑む気配がした。肩越しに振り返り、僕の顔を見て目を見張る。
「髪……」
黒くなった僕の髪を凝視している。
「まだ戻ってないよ。気づいてたでしょ?」
僕が変身術を解いたのではない。この部屋にかけられた防御魔法で無効化されたのだ。
「わかってるわよ。防御魔法が強くて驚いただけ」
ナナリーがつんとしてそっぽを向く。
僕が長椅子に座るよう言うと、大人しく座って鞄から筆記具を取り出した。僕もテーブルを挟んで向かいの長椅子に腰をおろし、騎士団の書類を彼女に手渡す。
「さっそく本題に入るけど。──近々、魔石の存在を大陸中に公表することが決まったんだ」
「魔石? 氷の始祖が言ってた?」
「そう」
「大陸全土で魔石を探すの?」
「そんなところだね。ただ、魔石を完全に滅する魔法はまだ見つかってない。そちらの研究は進めるとして、当面は集まった魔石を騎士団が管理して魔物が生まれたらすぐ倒すことになる」
「へぇ……」
「各国への根回しは済んでいる。ドーランではハーレを通じて破魔士に魔石探しの依頼を出し、集まった『魔石と思われる石』をハーレから鑑定士の元に運ぶ。鑑定士の元には他国からの魔石も集まってくる」
ハーレで魔石を運ぶ担当者はナナリーだ。
それを伝えると、書類を読み込んでいた彼女は顔を上げてパチパチと目を瞬いた。
「私が運ぶの? どうして?」
「魔石の鑑定士は時の番人だよ。時の番人は危険な魔具だ。なるべく関わる人間を増やしたくない。鑑定士の家というのも、サタナースとフェルティーナの家だから」
「時の番人はまだベンジャミンと一緒にいるの?」
「フェルティーナに一番懐いているからね」
僕がそう言うとナナリーは顔をしかめた。
「……何か物騒なこと考えてない?」
「ベンジャミンを守ることを考えてるのよ」
「フェルティーナのことはサタナースに任せて、君自身を守ることを考えてくれない?」
時の番人はフェルティーナの女性らしい体に接触しすぎだが、それはサタナースがなんとかすればいい。親友を心配するのはいいけれど、ナナリーは他者を守るためには自分の身を危険に晒してもいいと思っている節がある。
「えーっと、ニケは? ニケも一緒に魔石運びをやるの?」
「騎士団による君の護衛は終了する。ブルネルは護衛の任を解かれて、新しく殿下の秘書官に任命された」
「そっか! よかった。ニケも騎士団の仕事に戻れるのね。しかも殿下の秘書官なんて出世じゃない?」
……僕も護衛の役を担っていたのだけれど、君の頭から抜け落ちているらしい。
ナナリーは護衛の意味を理解してるとは言い難い。
「ブルネルが殿下の秘書官に就くのは僕も歓迎している。……誤解しないでほしいんだけど、護衛も騎士団の仕事だからね? 君が負い目を感じる必要はないんだよ」
「それは……そうだけど」
僕はまだ護衛を続けるべきだと主張したが、彼女の実力的に護衛は必要ないと団長が判断したため僕の意見は封殺された。殿下には「お前こそナナリーを過少評価してるんじゃないか?」と諫められた。僕の負担を増やしては元も子もないと。
「これからは魔石運びも、公爵家に来るのも君一人でやることになる。但し、ハーレの勤務時以外でも外出の際は制服を着用してもらう」
「ハーレの制服を?」
「君の制服はシュテーダルの魔法も退けるほどの強力な防具だ。それと、魔具を貸すから常に身に着けてほしい」
「制服はわかったけど、魔具って何?」
僕は左手の小指に嵌めた指環をスッと外した。
「手を出して」
「手?」
ナナリーは手の平を上にして、両手で物を受けとるように僕の前に差し出してくる。
「そうじゃなくて、甲を上にしてくれる?」
魔具とはいえ、僕が指環を用意しているのに味も素っ気もない反応だ。非常に彼女らしくて、苦笑するしかない。普通の女の子なら十歳の子どもでも指環を嵌めてもらう仕草ぐらいするんじゃないだろうか。
彼女は慌てて手の平を返して甲を上にした。僕が彼女の左手の薬指に指環を嵌めると、大きな目を丸くして驚きの声をあげる。
「ドルセイムの知恵?」
「うん。何かあったときには僕が君の所在を探すことができるし、ドルセイムの知恵を使って僕と通信することもできる。ちょうどいいから君もドルセイムの知恵の使い方を覚えて欲しい」
「でも、こんな高価なもの借りていいの?」
そんなこと気にしなくていいのに。
君の身の安全のほうが大事だから――と言ったところで彼女は納得しないだろう。
「騎士団の決定だよ。ハーレの所長も了解している」
「……でも」
「君の言う通り、高価なものだからね、肌身離さず持ってて。ドルセイムの知恵だと言いふらしては駄目だよ」
「わかった」
「これはドルセイムの知恵について書かれた本。これを読んでいろいろ試してみて」
用意しておいた本と薄手の冊子をナナリーに渡す。公爵家所蔵の魔術書の写本と僕の個人的な研究結果だ。
「ありがとう。──アルウェスはドルセイムの知恵をよく使うの?」
僕は胸の前で腕を組み、小首を傾げる。
「僕も使いこなせているとは言い難い。精霊の魔法もまだ研究途上だし。……ウォールヘルヌスのときは身につけておけばよかったと後悔したよ」
「海の国でも使えたもんね。ドルセイムの知恵ならシュテーダルにも対抗できたかもしれない」
「……今となっては確かめようがないけどね」
自然と吐く息が重くなる。
ウォールヘルヌス──シュテーダルとの戦いを振り返ると忸怩たる思いでいっぱいになる。
ナナリーに世界の命運を託して僕は凍り付いた。ナナリーを奪おうとするシュテーダルに僕は倒れたのだ。あれからどれだけ時を経たとしても僕の中で鬱屈は消えない。
海の国でも僕の魔法は効かない。
ナナリーが海の国に連れ去られた、あのときドルセイムの知恵がなかったらどうなっていた?
もしナナリーが海の国に呼ばれて帰ってこなかったら?
万が一、シュテーダルからナナリーを守るために海の国に助力を請う必要がでてきたら?
始祖級の魔法使いと呼ばれようとも敵わない相手はいくらでもいる。その事実が僕の心に暗い影を落としていく。
「この冊子はアルウェスが書いたの?」
高くて柔らかいナナリーの声にハッとする。物思いに沈んでいた僕は首を小さく左右に振って気持ちを切り替えた。
ナナリーは薄手の冊子をパラパラとめくっている。
「そうだけど?」
筆跡で気づいたのだろうか?
薄手の冊子は僕の手書きだ。ドルセイム人の文明や文化、魔法の仕組みについて独自に調べた内容と、ドルセイムの知恵の使い方を研究した結果をまとめてある。
ナナリーは冊子の最初の数ページを睨むようにじっくりと読んでいく。
「何でそんな顔してるの?」
「だって、悔しいじゃない。……アンタ、わたしより忙しいくせに。こんな研究までしていたなんて」
「……まったく、君は」
僕はフッと息を吐いて笑い、口元を手で覆う。「わたしも研究してやるんだから……」と彼女が呟くのが聞こえる。
こんなときにも負けず嫌いで、純粋で、僕に負けまいと必死で。
――――こんなにも君は眩しい。